葵上と六条御息所と若紫

葵上は光源氏の息子の夕霧を出産しますが、難産で、産後の経過がよくなく亡くなってしまいます。その際、六条御息所の生霊が現れ、六条御息所がもののけになってとりついて殺したということになっています。

能の『葵上』では霊験あらたかな修験者が現れて六条御息所の怨霊を浄化しますので、能と原作の『源氏物語』とでは結末が違っていて、能の方はある意味ではハッピーエンドになっています。

それはともかく、『源氏物語』の原作では葵上は亡くなってしまいますけれど、六条御息所が怨霊のような酷い人間として描かれているかと言えばそういうことはありません。生霊は自分の意思で出したら出さなかったりできるものではなく、六条御息所本人も、最近は葵上に襲いかかる夢を見るのはどういうことだろうかといぶかしがったりしています。個人的な印象としては紫式部は六条御息所に深く同情しているという気がしなくもありません。女性として六条御息所の気持ちはよく分かる、その立場になれば生霊くらい出て行くのがむしろ道理というものだくらいの心境が書き手にはあったのではないかと思われてなりません。

光源氏と葵上は必ずしも仲の良い夫婦ではなかったものの、懐妊→出産で葵上への愛情を新たにし、これからを楽しみにしていたときに葵上が亡くなってしまいましたので、ひどく落胆してしまいます。また、六条御息所の生霊が現れたことから、彼女に対しては冷淡な気持ちも抱きます。

私が光源氏はただものではないなあと思うのは「ああ、葵上が亡くなってしまった。悲しい…そうだ、若紫」という脳内の切り替えの早さです。若紫は後に紫の上と呼ばれて光源氏にとってはなくてはならない人だったという設定になっていますから、物語全体から見れば、アリと言えばアリなんでしょうけれど、こういう時も我が身のかわいさ全開で、「別の女性(若紫)で慰められるなあ」とすぐに考えられるその精神的なタフさに驚きを感じます。紫式部が「男とはなんだかんだ言ってそんなもの」と思ってそういう書き方にしたのだろうかと思うと、その男性観にも二重で驚いてしまいます。

ただ、光源氏が酷い人物なのかと言えば、必ずしもそうではなく、女性に対しては貪欲ですが、金銭や地位に関してはわりと淡泊で執着心がないように見えます。もっとも、最初から与えられているものが大きいんだからそりゃそうだとも思えなくもないですが、もっと上へ行きたい、もっと金持ちになりたいというのが一切出て来ないので、「嫌なやつ」とも見えません。むしろそういう俗的な執着心がないからこそ、清潔感すら感じられ、長く読まれたのではないかとも思えます。

光源氏の政治的な立場が危うくなり(要するにに女性関係が派手すぎて京都に居られなくなった)、一旦、須磨へ隠棲しますが、そういうのをさらっとやってしまったり、平安京へ帰るための運動も特にしなかったりというある種の潔さに私は「ちょっといいやつかも」と思わなくもありません。須磨では明石の方が隣の部屋へ逃げるのを更に追って行って目的を遂げますので、そのあたり、さすがに光源氏の本領発揮ですが、読めば読むほどいろいろと考えさせられます。小説には自分の人生を省みるために読むという面がありますが、源氏物語を読んで、私は自分の人生をついつい振り返ります。「心を尽くして言葉を尽くせば、相手は必ず反応するということを光源氏は経験的に知っていた」というあたりの言葉も、自分の過去を振り返るのに非常にいい材料になります。「そういえば…」などと思ったりします。源氏物語って深いなあ。と思います。

『源氏物語』が好きだという女性は多いですが、女性もきっと物語に登場するそれぞれの女性たちに自分を投影したりできるからはまるのだろうなあなどと想像します。

関連記事
光源氏と朧月夜
光源氏と若紫
光源氏と夕顔

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください