若紫はまだ幼少のお姫様ですが、光源氏はこの子をもらいうけて自分好みの女性に育て上げることができるのではないかという期待を持ち、是非にもらいたいと何度も若紫の家に使いを送ったりします。
若紫の家の人こそいい迷惑で、いろいろと理由をつけては、というよりも「若すぎるから」という至極全うな理由でその申し出を断り続けます。そりゃそうです。で、ある日、源氏は家の人が少ない時を見計らってまだ幼少の若紫をなんと連れて帰ってしまいます。そこまでやるか?!と誰もが驚く一場面です。
普通だったら水なり塩なり被せて帰らせるほどの不躾な行為ですが、源氏は話し方や振る舞い方が上品なので、ちょうどいい追い出すきっかけを掴むことができず、それどころかやっぱりさすが天皇の息子という怪しからぬお血筋と身分が物を言い、光源氏が連れて帰ると言い張るのを体を張って止めることができません。源氏はここでも「世間にばれると体裁が悪いから」と口止めし、堂々と若紫を車に乗せて連れて変えてしまいます。
若紫は不安がって泣いたりしましたが、光源氏は自分の屋敷にある珍しい家や遊び道具を持って来させ、宮仕えを放棄して若紫をなつかせることに腐心します。この辺り、ナボコフの『ロリータ』で変態フランス人脚本家が珍しいものをいろいろコレクションしていて、それで少女たちの気を魅了しようとするのとほとんど同じに思えます。
このような傍若無人がまかり通るのも光源氏には天皇の息子という絶対的な地位の名誉があって、そこには逆らえないという心理的な圧力をどうしても家人が受けてしまうことと、類稀なる美しさについつい同情的になり、光源氏の思う通りにしてもらうことでご機嫌麗しくしてもらえるのなら、少々の無理でも受け入れるという人々の態度があるからこそです。
男は地位と名誉と金であるという、わりと分かりやすい見も蓋もない話になってしまうのですが、老境を迎えて孤独な人生を送る姿は、いわば『パパはニュースキャスター』の田村正和が最終回で栄枯盛衰を知るところとも共通しているようにも思え、光源氏は物語の最期で因果応報を知るわけですが、そのあたりに原作者の紫式部の深謀遠慮が垣間見ることができるような気もします。
また、知らないところに連れて来られて泣いている若紫をいろいろと一緒に遊んでなつかせてしまうあたりには、うーむ、なんというか、光源氏の手練手管というか、こっちこっちで深謀遠慮と思え、ぐぬぬ…な相手のように思えます。