縄文時代は意外と豊かだったらしい件

私が子どものころの縄文時代に対するイメージは、いわば原始時代です。はじめ人間ギャートルズとあまり変わらない印象です。そして、日本が縄文時代でナウマンゾウを追いかけていたころに、大陸では巨石を使い農業を発展させた文明が花開いていたのだ、というような対比で理解していたように思います。

しかし、最近は縄文時代は意外に生活水準が高く、高い精神性を持っていたことも分かってきていますし、私個人としても「ふーん、そうだったのかあ」と目からうろこ的なところがあります。

縄文人の生活水準の高さが注目されたのは三内丸山遺跡の発掘が進み、集落が再現されたことも大きな要因かも知れません。高楼があって、そこに人がのぼって海の様子を見、魚の群れが見つかればみんなで漁に出かける。大きな家で大家族で暮らしていたということも、大家族が暮らせるような大きな家を建てる技術があったということを示します。

また、当時の女性は様々な装飾品を用いて暮らしていたことも分かっており、貝殻で作られた装飾品の他、ヒスイが出てくることもあるようです。ヒスイの採れない地域でもヒスイの装飾品が出てくることから、通商や交易が、たとえ物々交換であったとしても行われていたことが分かり、縄文時代の丸木舟が各地で見つかっていることも、あるいは交易に舟が用いられていた可能性を想像させます。

土偶も各地で見つかっていますが、土偶の文様から、当時の人は鮮やかな衣装を身にまとっていたことが分かり、布を作る技術もあったということになります。実際に布も見つかっているようです。東北地方から北海道にかけては環状列石が見つかっており、それは主として日時計として用いられたか太陽を信仰の対象にしていたかを示すように見えますが、北海道では北斗七星の環状列石があり、夜の天体を信仰の対象にしていたことをうかがわせます。星を読んでいたとすれば、航海技術の水準も高かったのではないかと想像できます。

農業が行われていたことはもちろんで、近年では当時の遺跡からお米も見つかっていることから、稲作もしていたと見られています。

惜しむらくは文字が残っていないことで、いわゆるヲシテ文字もどうやら違うようですし、ここまで高い、文明と呼んでもよさそうなほどの水準の生活を送っていながら、文字が生まれなかった故に記録が残っていないということは、かえって好奇心を刺激されてしまいます。中南米の文明も文字がなく、紐の色や結び目で通信していたということですから、或いは縄文時代も似たような情報伝達はなされていたかも知れません。

「縄文人の暮らす日本列島に大陸から弥生人がやってきて、縄文人を征服して大和朝廷ができた」というざっくりとしたイメージを持つ人は多いと思います。私もざっくりとはそう思っています。ただ、言語という視点から見てみると、そう簡単に言い切れないかも知れません。日本語は必ず最後に子音を発音します。中国語や韓国語はそうではありません。また、古事記、日本書紀、万葉集などでは「ヤマト言葉」と漢語を使い分けている(または混合して使用している)様子からは、日本語という、大陸とは隔絶した言語体系を中国語の言語体系を用いて表記することに苦心していたことが分かります。それは大和朝廷の人々が縄文から使われていた言語体系を継承していて、一部の渡来人から得た中国語の表記を学んだという構図を浮かび上がらせるものではないかなあという気がしてしまいます。もちろん、分かりません。個人的にそんな気がするだけです。

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