小沢一郎さんと加藤紘一さんは、世襲議員であり、双方とも将来の首相候補として目されていたという点で似ていますが、もっと似ていたのは自分が首相になる時の環境や条件に強いこだわりがあったところではないかという気がします。
政治家になれば誰でも首相になりたいものだとはいえ、二人ともそれは相当に確実視されており、首相になることは当たり前で、そのうえでより理想的な形で首相になりたい、おそらくは首相になったら佐藤栄作に比されるほどの長期政権を築きたいという希望を共通して持っていたのではないかと思います。
小沢さんの場合、心の中に理想として持っていたのは田中竹下金丸ラインを打倒し、心理的な意味での父殺しを達成して、名実ともに自分が最高権力者の政権を作ることでしたでしょうし、加藤さんの場合は挙党一致のようなものが心の中にあったのかも知れません。
森喜朗さんが首相になった後、野党が内閣不信任決議案を出すという時に、場合によってはそれに賛成するとして森喜朗さんからの禅譲を暗に迫ったいわゆる加藤の乱ですが、順番的には自分が先になるはずなのに密室で自分が外されたということへの強い恨みもあったでしょうし、或いは小沢一郎さんが改革フォーラム21からスタートして一時的にとはいえ政権を奪取したことを多少は参考にしたのかも知れません。
小沢さんたちは自民党政権を潰すところまでやりましたが、自分はそこまではやらない。だが、やろうと思えばやれる。だからそうなる前に挙党一致で禅譲してもらいたい。というリアルなシナリオと多少甘い願望が混然としたイメージとなって加藤さんの念頭に浮かんでいたのではないかと思います。
ただ、自民党は党内での勢力抗争がどれほど激しくなろうとも、政治権力を維持するという点では一致していますので、自民党の政治権力を脅かす行為を決して許しません。小沢一郎さんはもはや論外といったところでしょうけれど、加藤紘一さんは非自民政権もあり得るという脅しをかけたことで、触れてはいけない不文律に触れ、その後はいわば干されてしまったという面があったように思います。
船田元さんは小沢さんと一緒に自民党を飛び出し、非自民政権を作った主要メンバーの一人ですが、自民党復帰後は冷遇されています。石破茂さんは大臣にもなり、首相候補に名乗りを挙げたり自派を作ったりと一度は離党したものの、それなりに活躍できています。その差は船田さんは非自民政権を作ったことに加担した人物であったのに対して、石破さんの離党は全体の政局に影響するものではなかったという違いがあるからかも知れません。それほど自民党にとって政権維持は大切なことであり、政権維持に影響しなければ少々のやんちゃは赦されるけれど、政権維持を脅かすものは絶対に許容しないという強い執念のようなものがあるということだと思います。
一度、落選し、復帰した後の加藤紘一さんは人間的に成長したという人がいます。そうかも知れません。そういう意味では加藤紘一さんは必ずしも華々しい晩年を過ごしたわけではなかったものの、人としての深みを持った晩年を過ごしたのかも知れません。一方の小沢一郎さんですが、最期まで今の流れで行くのでしょうか…
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