奈良時代の藤原氏の世渡り

天智天皇の死後、大海人皇子が吉野にくだって兵を集め近江朝と戦う壬申の乱が起きます。壬申の乱では大海人皇子が勝利し、天智天皇の息子の大友皇子は自殺し、藤原鎌足の一族の中臣金は処刑され、その他の藤原系の人々も流罪になります。藤原鎌足は天智天皇の側近中の側近でブレーンだったわけですが、壬申の乱で敗れてその勢いを失ったと言えます。

不比等は当時少年だったために咎を受けず、普通の人生、どちらかと言えば恵まれない方の人生を歩むはずだったに違いありません。しかし、持統天皇の息子の草壁皇子が病死し、草壁皇子のその息子の軽皇子が文武天皇に即位するのに貢献したとして、不比等は一機に出世し、奈良朝の藤原氏の台頭の基礎を作ります。娘の宮子が文武天皇の夫人となり後の聖武天皇を出産したことで、不比等は皇子の祖父ということになり、更にその基盤が固まっていきます。天皇の系統では天武系が続いていますが、朝臣の系統では天智系が復活してきたと捉えることもできると思います。

不比等の死後は藤原四兄弟が藤原氏による政権中枢の独占を狙い、天智系の皇族の長屋王を自殺に追い込みます。危機を乗り越えた後はライバルを蹴落とすというなかなか恐ろしい構図が見られます。この構図は菅原道真の時と同じで、藤原氏が単に運が良かっただけでなく、慎重かつ大胆、そして明確な強い意思を持って権力確保に邁進していたことが分かります。

もしそういう人が職場にいて敵視されるといろいろ面倒です。自分も野心を持っていたら全面戦争覚悟になりますし、そうでなかったとしても、普通に仕事をがんばっているだけで嫌がらせを受け、失脚の機会を伺われ、あることないこと触れて回られ、ちょっとしたミスや隙につけこまれてきます。そんな人が周辺にいたらそれだけで本当に疲れます。

では、反撃すればいいかというと、そういう場合は大抵、相手の方が用意周到で、勝つことに情熱を注いでいますのでよほどの覚悟が求められることになります。平和にそこそこな感じで生きていきたい人にとっては迷惑なことこの上ないに違いありません。藤原氏が倒された側の怨念を恐れたのも、周到な追い落としをかけていた自覚があったからではないかとも思います。不比等と藤原四兄弟の時代、壬申の乱の敗者の側にいたにも関わらず、復活して再び権力に届いていくという時の心境を想像すると、当時、計り知れないほどの高揚を彼らにもたらしたに違いありません。きっと、権力闘争が好きだったのだろうと思います。そうでなければ情熱的に相手を潰すことはそうそうできません。相手も人間ですのでハンパな潰し方では潰れませんから、命をかけたチキンゲームです。怖くなったらやられてしまいます。

ただ、権力闘争はやり過ぎると結局は仲間割れに至ってしまいます。藤原道長の時代になると藤原氏内部での追い落としが激しいですし、保元の乱もいわば藤原氏内部で喧嘩し過ぎて凋落し、清盛が台頭して貴族の時代そのものが終わっていきました。

権力闘争はほどほどが良さそうに思います。

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