奈良の東大寺二月堂で行われる修二会と呼ばれる行事では、行事の過程で過去帳を読み上げるというものがあります。東大寺に関係の深かった人や貢献した人の名前を読み上げるのですが、女性の名前は少ないらしいです。光明皇后の名前が入っているそうなのですが、光明皇后は聖武天皇とともに仏教の発展に貢献した人ですから理解できます。ですが、それとは別に過去帳には「青衣の女人(しょうえのにょにん)」という名前も入っています。
鎌倉時代に集慶というお坊さんが過去帳を読み上げていたところ、青い衣を着た女性の幽霊が現れて「自分の名前が抜け落ちている」と言ったそうです。そんなことを言われても、その女性が誰か分からないので名前の読み上げようがないですからお坊さんが「青衣の女人」と読み上げたところ、幽霊は満足して消えて行き、以降、今日に至るまで過去帳を読み上げる時には「青衣の女人」の名前も読むそうです。声をひそめて読むことになっているらしいです。ちょっと怪談めいてはいますが、過去帳を読み上げるということは供養しているわけですから、この青い衣をまとった女性も供養されているわけで、いい話だと思えばいい話です。
しかしながら、日本人にとって「青き衣をまとい」し者って、ナウシカです。博識な宮崎駿さんのことですから、もしやナウシカはその幽霊がモデルかとふと思わなくもありません。しかも、日本では巫女と青には関係性があるとの指摘もあります。飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ)は第22代清寧天皇が亡くなった後に一時期政務を担当したと言われている皇族の女性で、折口信夫は飯豊青皇女が巫女であった可能性を指摘しています。卑弥呼の例があるように、女性の巫女による神聖政治は日本の歴史では必ずしも突拍子もないことではなく、飯豊青皇女に「青」という漢字が使用されていることや、前述した修二会の「青衣の女人」が青い服を着ていたことを考えると、青が超自然的な力を持つ女性を表現する記号として用いられていた可能性もあります。そう思うと、ますます青き衣をまといて金色の野に降り立つナウシカは、実は古代日本の巫女のメタファーなのではないかという気もしてきます。ナウシカはジャンヌダルクばりの戦う聖女であり、原作では最後の方は念力で話ができる超能力者になっていて巨神兵をも操れる、壮絶な存在になっています。なにしろ宮崎駿さんです。それくらいの暗号を入れ込んでも全く不思議ではないです。
聖武天皇の皇后で、光明皇后という人も修二会の過去帳では名前が読み上げられるというのは前述しましたが、光明皇后は夫と息子を亡くした悲嘆に暮れる後半生を送っており、功徳を積むつもりで慈善事業の風呂を開始し、貧しい人の体を洗い、膿のたまった人が来たら口で吸い出し、思いっきり汚い人が来ても拒絶せずにきっちり洗ってあげます。ちなみにどちらもきれいな体になったら実は如来様だったという話になっています。膿を口で吸い出すエピソードは漫画版のナウシカが喉に血が溜まった兵士の血を口で吸い出すことを連想させますし、汚いおっさんを洗ってあげたら如来様だったというのは『千と千尋の神隠し』で汚い客を洗ったら神様だったというのと同じです。
ナウシカのモデルについてはいろいろなことが言われていますが、宮崎駿先生は日本の歴史から想を得たのではなかろうかと個人的に思ってしまいます。
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