一般に第26代天皇の継体天皇の実在については議論がありません。概ね実在したことで一致しています。問題は継体天皇の正統性で、厳しい意見では継体天皇が最初の天皇で、それ以前の天皇は正統性を主張するためのねつ造だと議論する人もいるようです。
初代の神武天皇は、一旦、議論しないとして、2代目から9代目までの天皇は実在しなかったと考えられていて、いわゆる欠史8代と言われます。さて、果たしてどの天皇から以降は実在の人物で、どの天皇から前は実在しなかったのかということについてはわりと興味が湧いてきます。どのような議論をするとしても、継体天皇で充分古いので、別にそれでもいいとも思いますが、もしかするともう少し以前から、天皇はいたのではないかなあという気がします。「継体天皇が最初」というのはある意味では分かりやすすぎて、思考の体操としてはおもしろくありません。
個人的には21代目の雄略天皇は実在していたのではないかなあと思います。理由は簡単で、万葉集の一番最初の歌が雄略天皇のものだとされているからです。昔のことはこの目で見ることができませんし、証言してくれる人もいないわけですから、その痕跡を見ていくしかありません。「その痕跡もねつ造だ」みたいな話をしたらちょっと粗雑すぎる気がしますし、何と言っても思考の体操になりません。
万葉集そのものは信用のある和歌集なわけですから、その一発目に登場するということは、奈良時代の人にとっても実在に疑問はなかった、神功皇后みたいにちょっと触れるには憚られる、みたいなことはなかったのだということではないかと思います。
さて、その雄略天皇の詠んだ歌ですが、
籠もよ み籠持ち 堀串もよ み堀串もち この岳に 菜摘ます児
家聞かな 告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて
われこそ 居れ しきなべて われこそ座せ われにこそは 告らめ家も名も
以下意訳です。
君、名前なんて言うの?家どこ?
俺、天皇。この国の支配者。凄くね?
ということですので、要するにナンパの歌です。聖徳太子もナンパしてますので、ナンパしていたことには別に問題もなければ文句もありませんが、額田王が威勢のいい戦意を鼓舞している歌も残していることを思えば、もし仮に雄略天皇が実在していなくて、それでも実在したことにしたくて、万葉集のデフォで載せたということならば、もうちょっと英雄的な歌を創作してもよかったかも知れません。それに万葉集が本気で苦労に苦労を重ねて時間をかけて編纂されたということに異論のある人はいないでしょうから、小手先の創作もちょっと考えにくいかなあと思います。
以上のような理由で、雄略天皇は実在したんじゃないかなあと私は個人的に思います。個人的な見解です。