天皇の「語源」

天皇という称号がそもそもの初代の天皇から使われていたわけではないということは周知のことと思います。一般的には40代目の天武天皇が初めてその称号を用いるようになり、遡って初代まで天皇の称号を贈ったとされています。35代目の皇極天皇の時から天皇という称号が使用されていたのではないかとする推論もありますが、これはどちらが正しいかは簡単には判断できません。変な言い方になりますが、どちらでもいいと言えば、どちらでもいいことのようにも思えます。

しかしながら、「天皇」という称号を用いることにしたというのは興味のあることです。道教では北極星を「天皇大帝」と呼びますが、天皇という称号はそこからとったのではないかとする考えが有力ですし、聖徳太子の時代には道教も仏教もネストリウス派キリスト教のことも日本人は知っていたと思いますから、「天皇」という概念を天武天皇の時代には当然知っていたと思えば、普通に考えて天皇大帝という北極星に対する呼称を使用したということでいいのではないかなあと思います。

もう一歩進んで興味深いなあと思うのは、日本ではそもそも昼間に見ることのできる太陽を信仰の対象にしていて、天照大神も太陽神なわけですが、北極星は夜に見ることのできるものですから、昼間の自然現象に対する信仰と夜間の自然現象に対する信仰が混合しているように思えることです。

ここは個人的な印象になりますが、太陽信仰には無邪気な、あるいは天真爛漫な自然への信頼があるように感じます。泣こうと笑おうと太陽は毎日東から出てきて、植物にエネルギーを与え、人々に光と温もりを与えます。この圧倒的で動かしがたい事実は、古の人が自分たちは自然に生かされているという実感から生まれたのではないかという気がします。一方で、夜間に見える星には「運命」という言葉がついてくるように思います。好運の星、不運の星などの言い方があったり、巨星堕つ、のような言い方があったりするように、人生に於ける幸福と悲劇、占うことによって悲劇を避け、好運を呼び込もうとする願いがあるように感じられます。人間の運勢を支配する自然に対する畏怖があり、星が互いに相関関係を持っているのと同様に人間にも相関関係があって、悲喜劇がもたらされるという発想のようなものを感じます。生きることの暗い部分、辛さや悲しみにも注目しているとも言えると思いますが、そのような中で、夜空に浮かぶ不動の北極星から「天皇」という言葉を選んだのには、天皇の他の豪族に対する政治的な優位、それも絶対的な優位を示そうとする意思があったと感じられます。

仮に天武天皇が最初に天皇という称号を用いたことが本当だったとすれば、時代的には白村江の戦いの後ですから、当時の日本は敗戦後ということになります。敗戦後に唐と外交するにあたって、北極星を自称するわけですから、それだけ独立性を持った権力であるということを示す意図もあったかも知れないとも思います。

北極星を選んでシリウスを選ばなかったのはなぜか、みたいなことを考えるのもおもしろいかなあと思います。勉強不足ですので、いつかどこかでそういうことを知ることも知ることができればいいなあと思います。


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