台湾・中国合作映画『寒蝉効応(不能説的夏天・セックスアピール)』の「正義」

実際に会った事件から取材した映画です。台東の芸術系の大学で音楽を教える教授が、とある学生に性行為を強要し、学生は心理的外傷から自傷行為を行うようになり、それがきっかけで裁判に発展します。

倫理的にはアウトであり、アカハラと認定されて大学を追われることは必至ですが、この映画では法的な責任をどこまで問えるが焦点になります。というのもまず第一に、台湾には姦通罪がありますので、既婚者である教授が学生というそういう関係を持つのは姦通罪に問わ得るのですが、裁判はそっちではなく、女学生に対する行為の強要について争われます。

女子学生は一度目は不本意で合意は成立していなかったが、その後複数回、自ら望んで教授と行為に及んでおり、それは愛されているかを確認するためだったという主旨の証言をします。これは通常、公判維持が難しいケースです。

この映画では公判維持という観点からの法廷技術の問題を扱うだけでなく、人の心の内側に分け入ろうとしています。当該の女学生はそもそも訴訟を望んでおらず、自傷行為をきっかけに真相に迫った他の教師が「義憤」にかられて台北の弁護士を探し、訴訟へと持ち込ませます。ですが、女学生の証言が「(自分の心境について)分からない」と返答する場面が多く、いわば芥川龍之介の『藪の中』、黒澤明監督の『羅生門的』な真相はよく分からない…という展開を迎えて行きます。ここまで来ると、問題は果たして正義はどこにあるのか?という疑問を持たざるを得なくなります。法廷の正義、女学生にとっての正義、教育現場の正義、そしてそもそも公判維持が難しいところをそれでも訴訟を続けようとする台北の女性弁護士と彼女に頼み込む大学関係者の正義がそれぞれに微妙に重なり、或いは微妙にずれているために、簡単に判断が下せない、軽々なことが言えない様相が見えてきます。

台東の美しい景色が繰り返し映し出され、同時に海辺の開発に対する反対運動も描かれます。これもまた、それぞれの正義の衝突を示すものです。

当該の音楽教授は他の女学生たちともそういう関係があったということも知られ、その後心不全で死んでしまいます。社会的にも家庭的にもおしまいで、ということは経済的にもおしまいですし、メンツ的にも喫茶店に行けなくなるくらいの丸つぶれですので、こういう場合に心不全ということになれば自ら命を絶ったということもあり得ます。映画ではそうは描いていませんが、実際はそうだったとしてもまったく不思議ではありません。

日本の映画でしたら更に複雑な要素を加えて、そこに逆転ホームラン的な要素も盛り込んで観客に驚きをカタルシスを与えるというのを狙うと思うのですが、この映画ではそのようなことはありません。ただ、そういうことがあったということだけを観客に提示して、終わります。どう感じるか、どう考えるかは観客に任せるというわけです。いい終わり方だと思います。

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