袴田事件は昭和の冤罪事件として大変に知られています。事件そのものは残酷で、犯人逮捕を急がなければ世論が警察を叩くというプレッシャーの中で、自白の強要と証拠のねつ造が行われたと考えられています。現在は袴田さんは自由の身ですが40年間、多くの人が冤罪を疑う中、獄中に閉じ込められ、日々、刑の執行の恐怖に晒されていたというのは、取返しがつかない以外の言葉がありません。私は個人的には「本当の犯人はあの人なのではないかな」という人がいますが、その方はもう亡くなられています。多分、多くの人が「あの人ではないかな」と思っている、その人です。
当時、判決文を書いた裁判官の人が「無罪だと確信しながら有罪の死刑判決を書いた」と証言したことで、袴田さんの事件は大きな転機を迎えたと思います。勇気を持って証言したことを称賛する人もいると思いますが、私は個人的には「なぜもっと早く証言しなかったのか」と疑問を感じます。合議制の他の2人の裁判官が亡くなったから証言したとのことですが、そのような社会的地位のある人の立場を守るという理由だけで、何も悪いことをしていない人が40年間も拘置所に入れられて毎日刑の執行に怯える日々を送ることを見ぬふりをしていたということを、私には上手に納得することができません。それでも証言しないよりは絶対にいいですから、袴田さんが自由になれたことはよかったと思います。
袴田さんの事件の場合、いろいろな疑問点が既に提示されてはいますが、犯行時に来ていたズボンが味噌だるに隠してあって、味噌に浸かっていたからズボンが縮み、袴田さんのサイズに合わないという判断がまかり通るというのが私には特に理解することができません。
ここには報道の問題もあると思います。新聞には証拠調べに関することがほとんど報道されません。初公判、論告、判決くらいしか記事になりません。それだけの情報では読者には判断ができません。公開裁判の原則はありますが、しょっちゅう足を運べるわけでもありません。新聞には証拠調べの記事を書いてほしいです。新聞記者は発表会見に出る以外は囲み、または夜討ち朝駆けでリーク集めをするのが仕事ですが、検証をすることがありません。検証できる体制ではないというのもあると思いますが、検証できる方法も考えるべきです。だめなのかな…。
袴田さんが自由になった時、コンビニに並ぶ新聞の見出しを見て「おーっ」と思い、毎日新聞を買ったのを今も記憶に残っています。
萩原聖人さんが当該の裁判官の役をしています。この人はいい人の役も悪い人の役もどっちも様になるので、凄い人だと思います。