アメリカ映画『八月の鯨』の老いても尚ある人生

とても美しい映画です。メイン州の海岸沿いの別荘で老姉妹は毎年夏を過ごします。何十年も前から、メイン州のこの別荘で、八月に沖に現れる鯨を見るのです。姉がサラで妹がリビーです。リビーは年齢で目が見えなくなってしまっていて、サラの世話がないと生きていけません。リビーには娘がいますから、娘のところで世話になるという選択肢もありますが、どうもそれは幸福な選択だとリビーは考えていないようです。リビーは目が見えなくなってからだんだん性格が悪くなり、選ぶ言葉もだんだんひどくなっています。

海がとてもきれいです。アメリカ東海岸のカナダに近いところですから、自然の景色が赤毛のアンみたいな感じに思えてきます。

姉妹は毎日を規則正しく、身ぎれいに生活しています。家屋の故障で修理の人を呼んだり、新しい窓を作るかで悩んだりしています。年老いてもそういう煩わしいことはきちんと解決していかなくてはいけない、年老いても人生は続くのだと私に伝えています。

亡命ロシア貴族の老人の男性の奥さんが亡くなります。元貴族の男性がサラとリビーの家の夕食に参加します。表面的には友好的な訪問ですが、実は恋活なのです。元貴族の男性は次の伴侶としてサラがふさわしいのではないかなあと考えていて、サラもまんざらでもなさそうなのです。リビーがいらつきます。夕食の席でもいろいろと嫌なことを言い、男性は自分は歓迎されていないのだと判断して帰宅します。サラは謝罪しますが、恋愛はタイミングです。この恋活はお流れになってしまいました。リビーにしてみれば、自分ひとりだけおいてけぼりにされるのが怖いのです。恋路を邪魔されたサラがリビーを叱責しないのは、二人だけの生活にも満足はあり、姉妹の愛も大切なものだと考えているからです。

最後の場面では二人は海へ鯨を見に行きます。リビーには見えません。サラが「もう鯨はいないわよ」と言うとリビーは「そんなこと分からないわよ」と言います。人生は終わったと思っても、人生は続くと言う意味のことがこもっているのかも知れません。

登場するおばあちゃんがこぎれいで、美しい老い方について考えさせてくれます。人は必ず老いる以上、誰もが必ず直面する問題です。美しいというよりもこぎれいでちゃんと生きる、毎日を大切に生きる、生活を守る、そういったことの大切さをしみじみと思わせてくれるいい映画です。自分も老齢になったらかくありたい思い、かつ、自分はそのようにできるだろうかということにも考えさせられた作品です。

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