映画『藁の盾』の倫理と法とお金と命

養女連続殺人事件の遺族が大金持ちで、「犯人を殺したら10億円」という広告を打つという、前代未聞の、しかし考えさせられる内容の映画です。

通常、人は人を殺そうとは思いません。殺したいと思うくらい腹が立つことはあり得ますが、でも殺そうとはしません。本能的に殺したくないからです。また、倫理的にも殺したくありません。そんなことはしたくないです。ですが、例えばこの映画の犯人の場合、どのみち死刑です。残虐で自己中心的な犯行内容を知れば「こんなやつは殺してしまえ」という感情が湧いてきます。義憤にかられます。しかも10億円もらえます。人によっては心が動くかも知れません。いや、かなりの人の心が動くかも知れません。それでも殺そうと思うか、思わないかというなかなか難しいところを衝いている、鋭いところを衝いているように思います。

日本は法治国家ですから、たとえどんなに悪いやつでも裁判所で死刑判決を受けた人以外は殺されてはいけません。したがってこの犯人もしかるべき手続きを経ない限りは殺されてはいけません。この犯人のような人間にも人権があるので、その人権は守らなくてはいけません。にもかかわらず10億円がほしくて殺したら当然罪に問われます。ですが、多分、そんなに重い罪にはなりません。営利を目的とした殺人ですが、判決は長くても15年、情状酌量が加われば12年、仮釈放まで8年くらいでしょうか。

8年刑務所に入るのは嫌ですが、10億円もらえます。入っている間にスイス銀行とかに預けておけば年利がついて倍近くなっているかも知れません。相手が相手ですから罪悪感も持たなくてもいいかも知れません。だったら、やろうかと思う人がいるのは自然です。でもやっぱり、罪悪感を持つかも知れません。本能的に人を殺したくないからです。信仰のある人なら神様の罰を恐れるかも知れません。

過去、ヨーロッパでは死刑執行人を公募すると「人を殺してみたい」という好奇心で応募する人が大勢いたそうです。合法ですから罪に問われる心配はないし、教会の司教様から免罪の言葉をもらえれば神の罰を恐れる必要はありません。

この映画の犯人役は藤原竜也ですが、以上のような諸々があるので、どこで誰が狙ってくるかわかりません。福岡で出頭します。警視庁の大沢たかおが藤原竜也を福岡から東京まで移送する使命を与えられます。誰が敵で誰が味方か分からない中、警察内部の人間が襲ってくる可能性もある中で任務の遂行に力を尽くします。

原作では犯人はただの気持ち悪いやつで「こいつ、生きてる価値ねぇ」とつい思ってしまいます。ですが、映画では藤原竜也なので、魅力的な悪役ということになります。原作では殺されかけて瀕死の状態で、しかしまだ息のある状態で警視庁に到着します。主人公は「生きて連れてくるという使命を果たした」という終わり方です。一方で映画ではそういうことはなく、元気な状態で到着します。最後に裁判で「もっとやっておけばよかった」と発言しますが、更に不気味さを増すというか、自己中心な感じがより強調されるので、「人殺しってこんな考え方をするものなのかなあ(一概にはもちろん言えません)」と更に一歩深く考えさせられる内容になっています。

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