三谷幸喜監督『ラヂオの時間』のアメリカ

三谷幸喜監督はいろいろ楽しい作品を作ってくださっていますが、個人的に一番好きなのは何と言っても『ラヂオの時間』です。三谷幸喜さんの作品は、真面目に物事を運びたい人がいるのに対してトリックスターみたいな人が現れて、あれやこれやと無理な注文をつけて引っ掻き回し、主人公が右往左往して最後には何とかするというのが定番というか、基本的なパターンになっているように思います。

ですので、三谷さんの作品を観る時は、さて今回は誰がどんなトリックスターぶりを発揮してくれるのかというのが楽しみというか、そこが醍醐味になるのですが、この作品では戸田恵子と細川俊之が引き受けてくれています。ラジオドラマなのに生放送でなければいやだ、自分の役名をメアリジェーンにしてほしいという無理難題に一つ一つスタッフがなんとかしてつじつまを合わせ、放送の進行に支障を来さないようにと最善を尽くします。

個人的に一番好きなのは細川俊之の「僕も外人にしてもらおうか」の一言です。低音のいい声でこれを言われると、何やらとてつもない重大事について発言しているような錯覚を起こしそうです。実際には戸田恵子がメアリジェーンなので、自分もカタカナの名前にしてほしいとう子どもぽい要求なので笑えるのです。

20年以上前の映画ですので、今とは少し事情が違うかも知れません。アメリカは今に比べればもっと圧倒的で強くて凄くて憧れの外国でした。外国と言えばアメリカ、外国人と言えばアメリカ人、自分がアメリカ人に生まれなかったのがなぜだか悔しい、くらいの余波が残っている時代です。今はそうとも言い切れません。クルーグマンの言う通り、世界はだんだん平均化されてきて、アメリカ人と日本人の差はさほどありません。というか、アメリカに生まれるより日本に生まれるほうがいいという人も全然多いと思います。と同時に、アジアの国々と日本の間の差もだんだんなくなってきています。台湾や韓国、香港の生活水準は日本のそれとさほど変わりません。いろいろ好みの問題があるので、個人的にはディテールの部分でやっぱり日本がいいなあと思いますが、ざっとした市民生活や市民感覚のようなものはだいぶ近づいているように思います。

それはそうとして、細川俊之の「僕も外人にしてもらおうか」にはそういった戦後の日本人の万感の思いがこもっているように感じられ、それが普段はいい大人として生きている人がいざいよいよという場面でその思いを吐露する、しかも他人の迷惑も省みず吐露するというのがおもしろくてたまらないのです。

シン・ゴジラ』ではアメリカと対等に渡り合う、少なくとも渡り合おうとする日本人の姿が描かれます。要はちょっとフェーズを変えて行こうとする、そういう心の動きのようなものを感じます。どっちへ向くのがいいかとか、悪いかとか、そういうことではなくて、ざっくりとした方向性としてそういうものを感じます。

いずれにせよ、三谷幸喜さんの映画では私はこれがイチオシですので、三谷幸喜さんを語ろうと思えばまずはこの作品を観なくては始まりません。

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