リュックベッソン監督『ジャンヌダルク』の思い込みのパワー

英仏百年戦争の終わりの方、結構、イギリスにダメージを与え、フランス国民から称賛と尊敬を得たのがジャンヌダルクです。イギリスにつかまって「魔女だ」と言われて火刑にされたことから、その悲劇性とともに伝説が強まり、20世紀初頭ごろには愛国主義が高まった中国で著述家の梁啓超が「中国にもジャンヌダルクが必要だ」みたいなことを書いています。

私の個人的な印象(多分、私の偏見ですが)では、中世のヨーロッパは酷いところで、魔女狩りでなんか気に入らない女の人を火あぶりにする、戦争で殺しまくる、経済発展しない、芸術も進歩しない、というさんざんなものですが、遠藤周作さんがどこかで「ルネッサンス以前のヨーロッパの芸術作品は全然良くない」みたいなことを書いていたのが心のどこかに残っていて、その後、ヨーロッパを旅行したり、『ジャンヌダルク』のような映画を観たりしてその印象が強化されたのかも知れません。映画に登場する場所や人々も全体的に貧しく、後でフランス国王に即位するシャルル7世の生活もそんなに大したことはありません。住まいも薄暗くてそんなに趣味のいいものではないです。『エリザベス』とは随分違います。『カリオストロの城』ともかけ離れています。日本の戦国時代もなんだかんだ言って似たようなものかも知れません。

いずれにせよ、その印象どおり、この映画ではのっけから、ならず者に村が襲撃されます。『七人の侍』みたいな感じです。ジャンヌダルクは「神の声を聴いた」と思い込み、神の加護があるという信念で突っ走り、見事戦争に勝利します。後で敵のイギリスに捕まってしまい、異端審問で魔女認定され、一度は「悔い改めた」ということで死罪は免れます(生涯、塀の中で暮らすことになります。これはこれでいやですね…)。しかし、再び男装をするようになったので、魔女だということになり、火刑に処されます。ミラジョコビッチがジャンヌダルクの役をしていますが、最後は燃えている場面で、燃えているのは人形だということが分かっていても、「見たくないっ」と思います。

イギリスに捕まっている間、ジャンヌダルクの前にダスティンホフマンが現れて「神の声聴いたって嘘でしょ?自分の頭の中で生み出した偽の体験でしょ?」と理詰めできます。そのダスティンホフマンもジャンヌダルクが頭の中で生み出したものに違いないですが、ここまで来ると単なる脳内現象なのか、本当に何らかの神秘体験なのか見分けがつかなくなってきます。現代でも神や仏の概念はあるし、祈りや信仰がありますし、時には「恩寵だ、天祐だ」と騒がれる時もあります。現代を生きる我々も、強い思い込みと神秘体験とは区別がつかなくなるような状況は経験することがあると思います。強い思い込みは時には強いパワーを生み出します。本人だけではなくて、周囲も一緒になって信じると、時々、予想を超えるような不思議な力強さが生まれたり、驚くような実績を生み出すことは決して珍しくないことです。そして「おお、天祐だ、恩寵だ」と感じます。信じようとするのではなく、そもそも信じているという状態の時にそうなるような気がします。とはいえ、彼女も最後は火刑にされてしまうように諸刃の剣とも言えそうです。

ただ、この映画の主目的はそのような人生の深淵に迫ることよりも、ミラジョボビッチが叫んだり眠ったり逆上したり泣いたり唖然としたりする表情を撮ることなので、そういう視点から観た方が楽しいかも知れません。

スポンサーリンク

関連記事
『レオン』と『カリオストロの城』の中年男の愛

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください