北野武監督『Brother』の戦後の日本

北野武監督の『Brother』は、日本のやくざが東京での抗争に負けてアメリカに渡り、アメリカでもやくざになってイタリアマフィアと抗争して最後は殺されるという、タナトス感全開の映画ですが、私は何故かわからないですがこの映画が好きで、何度も観てしまいます。多分「アメリカで生きる東洋人」という枠が好きなのかも知れません。

人種差別にとても敏感で「ファッキングジャップくらい分かるよ、このやろう」みたいな台詞が入っているあたりに、この映画の問題意識があるのかも知れません。主人公が愛して交遊するのは黒人か日本人で、白人と親しく会話するとかそういうことはありません。ロスアンゼルスでの抗争に勝ち、だんだんシマを大きくしていきますが、いよいよイタリア系マフィアという巨大な壁と戦うことになってしまいます。

このイタリアマフィアがよくできています。私たちの『ゴッドファーザー』で得た印象をよく再現してくれています。そうそう、そんな感じ、本物っぽいと思います。『カポネ大いに泣く』のイタリア系マフィアにも共通するイメージです。仕立てのよさそうなダークスーツと機関銃です。いい感じです。

この映画の場合、言ってみればイタリア系マフィアは努力して勢力を伸ばした日本人に対する「西洋・白人」の壁の役割を担っているように思えます。『カポネ大いに泣く』と同じです。最後に主人公が砂漠のカフェを出て来たところで機関銃で殺されるのは、太平洋戦争をもう一回なぞっているように思えなくもありません。日本映画ではアメリカや白人を意識するパターンのものが多いですから、私たちは繰り返し、映画を通じて太平洋戦争を追体験していると言ってもいいかも知れません。道具や設定は様々でも構図は同じという感覚を得ることが時々あります。『シン・ゴジラ』でアメリカの思惑を跳ね除け、コジラを日本人の手で決着をつけるというのには「戦後レジームからの脱却」的なメッセージがあると思いますが、これもまた勝つか負けるかの違いだけであって、本質的構図は引き継がれていると私は思います。

それはそうとして、イタリア系マフィアは分かりやすくていいのですが、『ゴッドファーザー』の主題はイタリア系移民に対するアメリカ社会での差別です。アメリカは重層的な差別構造があって、その本質を突くことを目指した映画です。ですが、我々日本人から見ると、イタリア系はフランス系とかイギリス系とかスコットランド系とかと同じ「白人」の括りになるので、映画的には使いやすいのかも知れません。

「アメリカで生きる東洋人」という図柄のようなものが私はたまらなく好きです。全部捨ててアメリカへ移住しようかなと思うときがあります。そんなことをしてもすぐ飽きることは分かっているのですが…。

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