『レオン』と『カリオストロの城』の中年男の愛

映画『レオン』で涙した、感動したという人は多いと思います。私もそうです。ただ、初めて観た時と何回も観た後ではだんだん感じることも変わってきます。最初観たときは「ジャンレノかっけー。ナタリーポートマン可愛すぎ。ジャンレノうらやましすぎ」という感じです。ですが、繰り返しみるうちに、だんだん、レオンという男の心の中に入り込んでいくようになるというか、孤独を受け入れて一人で都会を生きる男の心境が想像できるようになってきますし、ナタリーポートマンみたいなかわいい女の子がある日突然、生活の中に現れて、しかも(精神的な)愛情関係を結ぶということが中年男にとっては唐突すぎて戸惑うけれど、かけがえがないと感じて命も捨てられるという部分が理解できるようになってきます。私が中年男になったこともそういったことに意識が向かう理由の一つかも知れません。

ナタリーポートマンの顔芸が素晴らしいです。特に、家族が殺されて自分も殺されるかも知れないという時にレオンのドアの呼び鈴を押した時ののぞき窓から見える「お願い、ドアを開けて」の時の表情は、よくもあんな顔ができるものだと、本当に凄いという以外の感想がありません。とてもセクシーな雰囲気でジャンレノを誘惑する魅せる場面も、観ているこっちが赤面します。今の時代ならもしかすると、ぎりアウトかも知れないですが、感情を揺さぶられるという点ではとても凄い映画です。

ジャンレノとナタリーポートマンが暮らすニューヨークのぼろぼろのフラットの雰囲気も好きです。『セブン』の犯人が住んでいるところもあんな感じでしたが、ああいう感じのところで都会の景色を窓から眺めながら少し孤独な生活を送ってみるということに憧れがあります。やってみたら多分すぐに飽きると思いますが、いつかお金に少し余裕ができたらそんなことをしてみたいです。

よくよく考えてみれば、質素な生活でお酒も飲まず、観葉植物を愛し、『雨に唄えば』という映画を繰り返しみることだけが楽しみの殺し屋という設定があざといですが、その他のいろいろなことがそういうのを吹っ飛ばしているので文句はありません。

ゲイリーオールドマンの持っている雰囲気もいいです。ちょっとマッドな感じですが、ショーンペンほど気味悪いわけではありません。ドラッグを使ったときにカーッと顔面が赤くなっていくのはCGが未発達な時代の演技ですから、大変な努力家なのだと思います。

『レオン』はシャイで素朴な中年男のところに目の醒めるような美少女が現れるからぐっときます。これがトムクルーズとかマイケルJフォックスとかみたいな人の前に現れ出てきても白けてしまいます。美男美女でお好きにどうぞ、となってしまいます。しかも、女の子の方が積極的なのに、おじさんの方が絶対に何もしないというところも観客からの支持を得られる、一歩間違うとみだらな感じになるのが、ぎりぎりのところで清潔感を保つことになっていると思います。

カリオストロの城』のルパンもクラリスには絶対に何もしません。クラリスが望んでも絶対にしません。それが中年男の矜持、宿命といわんばかりにストイックに去って行きます。この点で『レオン』と『カリオストロの城』は共通しており、観客の支持を得られる理由の一つになっていると思います。

こんなことを考えるのは、私に中年になった証なのだなあとしみじみ思うのです。

スポンサーリンク

関連記事
リュックベッソン監督『ジャンヌダルク』の思い込みのパワー

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください