台湾映画『KANO』の愛

戦前、台湾の嘉義農業高校の野球部が甲子園に出場して準決勝まで進んだ実話を基にした映画です。日本では主流から外れてしまった野球人の日本人男性が嘉義農業高校の部員を指導して、勝ち進んで行きます。監督がよく学生たちを愛し、指導し、互いに親愛の感情を持って戦いに挑む姿がよく描かれています。

海角七号』に於ける日本に対する喪失感、『セデック・バレ』での日本に対する憎悪が描かれるのに対し、『KANO』では日本に対する理想が描かれます。かくありたい、このような関係を築きたいという願いがこの映画には込められています。さもなければ『海にほ角七号』のように喪失感に煩悶とし途方に暮れてしまうか『セデック・バレ』のような感情も持ちかねないということではないかと私は3本の映画を通じて感じました。

この映画で大切な場面は甲子園に行った部員たちが新聞記者たちから質問を受ける場面ではないかと思います。ある新聞記者が「日本人ではないのに甲子園に出場するのはいかがなものか」というような疑義を呈します。そのような疑義からは民族差別や帝国主義が見え隠れしています。差別される側からすればたまったものではありません。赦せない、受け入れがたいと思うに違いありません。日本人の側が正面から受け止めなくてはいけない問題意識と思います。三本の映画を通じて、制作者が言いたいことを突き詰めれば、上に述べたことに行きつくように思います。

日本と台湾の友好関係はますます深くなっていると思いますが、台湾を知る、台湾を理解するためにはこの3本の映画は大変適していると思いますので、そういう人にとってはとてもお薦めです。3本とも1回は観るべき作品です。台湾人の心に触れることができるかも知れません。

ただ、映画としては3本ともおもしろくもなんともありません。おもしろい映画が観たい‼という人にはお薦めできません。必ずがっかりすると思います。映画として何がいいのか全然分かりません。これでお金が取れるのが不思議というか、不可解というか、首を傾げざるを得ません。

『KANO』は比較的いい方だと思います。考証がしっかりしています。嘉義農業高校が決勝戦で戦った相手の高校のピッチャーが、太平洋戦争もいよいよ大詰めという時期に南方に送られます。台湾で鉄道に乗り、嘉義で一時停車し、短時間の下車が許されます。その元ピッチャーは仕立てのいい感じの将校の服を着ています。旧制の時代ですから、高校まで進学する人はたいてい大学まで進学します。当時の大卒(今とは全然違います)はエリートですから、応召しても将校です。ですので、彼が将校の服を着ているというのは考証がしっかりしている証拠です。二等兵の服を着ていたら適当な印象だけで映画を作ったに違いないと思ってしまいますが、そういうわけではありません(『セデック・バレ』は日本軍に関する考証が全体に甘く、リアリティという面で大きく損なわれていると私は思います)。南方に送られるのを整列して待つ原住民の若い兵隊さんがちらっと挿入されますが、あの一瞬にはぐっと引き込まれます。カット割りの勝利です。

ただ、観た人なら分かると思いますが「いらっしゃいませ」がぶち壊しです。あれで全部台無しです。なぜ、軍服の考証までできているのに、あの台詞を入れたのか、あんなに大勢日本人の人が出演しているのに、誰か「もうちょっと考える余地はありますよ」と建言することはできなかったのか、建言してもダメだったのか…と思います。


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