政治的メッセージ、性描写がともに過激だということで大変話題になった映画です。日中戦争の最中、対日協力者の中国人を殺害するために学生たちが集まります。人殺しはよくありませんが、何しろターゲットは「売国奴」です。もうちょっと言うと、20世紀初頭に中国で燃え盛った愛国主義と深くつながっています。欧米と日本によって瓜分されかかっていた中国で愛国主義が盛り上がり、愛国無罪、愛国心によって行うことは全て正義だ、愛国のためならなにをしてもいい、という思考様式が生まれてきます。良いとか悪いとかはともかく、そういう流れになっていきます。『大紅燈籠高高掛』という映画の問題意識である「新しい中国」には愛国主義も含まれており、一連の流れの一部として捉えることができると思います。
それはおそらく今日までも引き継がれていると思いますが、中国では愛国主義とは考えただけでも涙が浮かんでくるほどの美しい理念であり、愛国無罪とは切実な響きを持つ若者の合言葉のような感じになっていると私は理解しています。当時の大学生は超エリートですから、祖国中国のために「売国奴」を殺そうと集まるのは、まさしく青春、切ないほどの若者の叫びのようなものだと受け取っていいと思います。日本で言えば安保反対闘争みたいな感じです。その是非善悪について議論するつもりはないです。主役の湯唯という女優さんがそれは美しい人ですから、「あぁ、きれいな人だなぁぁ」とうっとりして観る目的でも全然いいと思います。主人公の女性が対日協力者の標的に近づき、愛人関係を結び、殺害の目的を達するための隙を伺おうとします。その時の性描写が非常に過激で、ここまでやっていいのか、『愛のコリーダ』か、と思います。
主人公の女性は本気で標的を愛してしまうようになり、いざ暗殺結構の直前になって標的に対して「逃げて」と伝えます。標的の男性は慌てて自分の車に逃げ込んでことなきを得、主人公の女性と仲間の学生たちは捕らえられ、処刑されてしまいます。恐ろしい内容です。
やはり議論を呼ぶのは、何故、対日協力者の「売国奴」が逃げ切り、愛国者が敗北するという結末になるのか、どうしてそういう結末にしたのか、ということになると思います。アイロニーという味方もあるかも知れませんし、列強に踏みにじられる中国人の悲しみを込めているという解釈も成り立たないわけではないです。それは観る人がそれぞれに解釈すればいいと思います。
張愛玲の原作の題名は『色、戒』ですので、色に溺れることを戒める、語感としては色に溺れて愛国を忘れてんじゃねえよ、ということではないかなあと思いますが、原作読んでないですし、映画と原作は別のものです。
対日協力者の役をしているトニーレオンの北京語は発音も正確だとは思いますが、広東語母語者なので、北京語の持つ迫力のようなものがありません。北京語母語者が遠慮なしに話すと江戸っこべらんめえ的な押し出しがありますが、トニーレオンの北京語はそういう感じではないです。中国語母語者の人が聴いたらどう思うかがちょっと気になります。トニーレオンは『非情城市』で台湾語の台詞を練習しましたが、全然うまくならないので、話すことができない人という設定になったそうです。売れている人はいろいろ大変です。