勅使河原宏監督『砂の女』の脆弱な近代の男と女

学校の教師をしている男が砂丘地帯に昆虫採集に訪れ、うっかり帰りのバスを乗り過ごし、地元の人の家に泊めてもらうことになったが最期、閉じ込められ、ひたすら砂かきをさせられて砂丘に飲み込まれそうになっている家を守ることを強制されます。サボタージュすると水とかもらえないですし、逃げ出しても縄梯子がなくてはならず、縄梯子は引き揚げられているので逃げ道がありません。当該の民家には中年と呼ぶにはまだ若い女性が一人暮らしで、夫と娘がいましたが砂に飲み込まれて命を落としてしまい、それまで一人で砂かきを家を守ってきました。

村の人から水、食料、タバコ、酒の配給を受けながら、ひたすら砂かきだけをする二人の共同生活が始まります。

女性は岸田今日子さんがしています。表情が素晴らしいです。喜怒哀楽がよく分かります。そしてとてもかわいいです。私の世代にとって岸田今日子さんとは金田一シリーズに出てくるちょっと不気味な人です。若いころにこんなに可愛い役をしていたとはちょっと信じがたいですが、本当にとてもかわいい人です。

二人きりで過ごし、常に共同作業をしているので、二人はとうとう深い仲になってしまいます。その場面が本当にいやらしいです。この世には無数の映画があり、無数の濡れ場がありますが、ここまでいやらしいのは珍しいです。そんなに凄いことをするわけではありません。だけれども、結ばれる時の二人の本気な感じがリアルで、よく理解できて、ため息が出そうになります。こういうものは、ちょっと大人な人同士の濡れ場の方が、リアルでぐっと来させるものなのかも知れません。

男は「自分が行方不明になれば、職場も騒ぎ出す。必ず助けが来る」と言いますが、助けが来る様子は一向にありません。男は村の女に対して近代を代表しています。たとえ個人がいなくなったとしても、人が一人いなくなったら、職場と警察が協力してくれて組織で助け出す算段してくれるというのが近代のシステムと言えます。しかし、そのシステムは機能しません。人が一人いなくなったら失踪として処理し、何年も帰ってこなかったら死んだものとみなすというのが近代の合理性です。近代は想定外のことに対しては無力に等しく脆弱です。村人と女は近代以前を代表しているとも言えますが、自分の生活圏を守るという一点に於いては強靭です。

外へ出て行きたい男と、家を守ることに執着する女の対比が描かれています。女はかいがいしく男の世話をしますが、男が頭に来て「こんな家なんか壊しちまえ!」と暴れだすと必死の形相でそれを止めます。女にとってこの家が全てなのです。一方で、女は何度となく「東京」という言葉を口にします。東京は外の世界、華やかな世界、未知の世界の全てを象徴しています。女は心密かに東京に憧れていて、しかし砂丘に呑まれそうな家を死守することに本気だというアンビバレントな心境を有しています。外の世界とつながるものがほしくて女は内職をして現金を手に入れ、ラジオを買います。しかし、ラジオが届いたその日に子宮外妊娠で医者のところへ連れて行かれます。このまま死んでしまうのだろうという獏とした印象が残されます。

男は女を愛してはいません。無理やりだまされて砂かきを強制されているのですから、そりゃぁ、愛さないかも知れません。ですから男は女に「東京に自分で行ってみればいいじゃないか」とは言いますが、「僕が東京に連れて行ってあげるよ」とは決して言いません。状況からして、女はもしかするとその一言を待っていたかも知れないですが、男は決して言いません。

男は密かに掘った井戸に関心を持っています。井戸があれば、水の配給がなくても平気です。それだけ村人に対する弱みが減ります。誰かに言いたくて仕方がないですが、重要すぎるので簡単には言えません。女にも隠しています。女が最後に医者へと連れて行かれる時、男はとっさに井戸の水位を観察した日誌を取り出し、誰かにみせようとします。或いは女に渡してくれと頼んだのかも知れません。男の頭の中では、女が命の危険にさらされていることよりも、井戸のことの方が関心があるのです。

村人たちが女を連れだした時、縄梯子を下ろしたままにして去って行きます。縄梯子をあげることを忘れていたのです。男は逃げ出さない方を選びます。逃げるより、井戸のことを誰かに話したい、井戸に関する最良の聴き手は村人に違いないと思い、残ります。

ずっと砂まみれなので、観ているだけでだんだんあちこちが痒くなってくる気がします。撮影は大変だったに違いありません。でも、凄い映画です。監督勅使河原宏、原作安倍公房、音楽武満徹ですので、最強です。子どものころ、武満徹さんの、聴く者を不安にさせる音楽はいろいろなところで使われていました。よく考えてみると、なにもそこまで私を不安にさせなくてもいいじゃないですか。と、思わなくもありません。

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