勅使河原宏監督『豪姫』の時間を隔てた愛

勅使河原宏監督の『豪姫』は本当に凄い作品です。褒めるなどというおこがましいことが私なんかにできるはずもないです。ただただ、ため息をつくように画面を見続ける以外にできることはありません。

美しい映像。豪華な衣装。深い演出。どれも私のような半端者があれこれ言えるようなものではありません。何度となく繰り返しみて、細部に至るまで作りこまれた演出に気づいていくしかありません。何十回観ても完全に読み解くことはできないかも知れません。それでもせっかくこの世に生まれてきてこの映画を観ないなどというもったいないことはできません。

表情がいいです。表情で多くのことを語っています。口ほどに物を言っています。『エリザベス』と同じです。

秀吉が愚かで嫌な人です。強い人かも知れませんが、愛を知らない人です。愛させようとする人ですが、愛したくなる人ではありません。古田織部に対し釈明と命令を繰り返しますが、心が通い合うということがありません。秀吉がどんな人だったのか、その人物像についてはいろいろな描き方があるでしょうけれど、私にはこの映画の秀吉像がしっくりきます。小西行長がかくも積極的で不誠実な裏切りをしたのには、このような秀吉の人間性があるようにも思えて来ます。

豪姫が美しいです。若いころは元気で活発ですが、奥様になった後のアンニュイな美しさにはただただ感嘆するだけです。私の世代にとって姫と言えば、ナウシカクラリスです。ナウシカにもクラリスにもアンニュイがありません。豪姫にはあります。宮沢りえという人は本当に凄い人なんだなあと、ほとほと思うだけです。

古田織部に使えている臼という男がいます。普段は焼き物を作っています。超人的な体力の持ち主で、隠密的なこともできます。秀吉に切腹させられた利休の首を利休の愛人の家に届けます。愛人は覚悟を決めて自ら命を絶ちます。臼は自分が首を届けたことで女性が死んでしまうという展開に驚愕し、豪姫の寝所に入り込み、その後、主人にきちんとことわって出奔します。

臼は山の中で過ごします。やがて秀吉が死に、関ケ原の戦いがあり、ついに大坂の陣へと時代が変転して行きます。臼は山を下り、偶然が重なり合って豪姫と再会します。豪姫は前田利家の娘として生まれて秀吉の養女になり、宇喜多秀家に嫁いだ人ですが、関ケ原の戦いで負けて宇喜多秀家は息子ともども八丈島に流されます。豪姫は加賀で何もすることがない、ただ無聊なだけの日々をアンニュイに過ごしています。このアンニュイぶりがため息をつきたくなるほど美しいです。タバコを吸う豪姫のすわり姿は芸術品です。臼は豪姫の下で働きます。

古田織部が家康にあらぬ疑いをかけられて閉門・切腹になるという事態を迎えます。臼は豪姫の使者として織部の屋敷に入り込み、織部の最期を見届けます。その報告のために加賀の豪姫のもとに帰ります。豪姫と臼は再び結ばれます。20年を経て二人が再び愛し合うという展開は、どのようなことがあっても運命的に結ばれていれば必ずそうなるという意味にも思え、『嵐が丘』を連想します。

勅使河原監督の作品はそんなにたくさんあるわけではありません。ですが、理解できます。こんなに作りこまれた作品を一生のうちにたくさん作れるはずはありません。残された私たちには、繰り返し観て称賛することしかできません。

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