『かもめ食堂』は女性を中心に絶大な支持を得た伝説的な映画です。私も周囲の人に聞いたら、女性はだいたい「とても好きだ」と答えます。友人の中には『かもめ食堂』の影響で新婚旅行にヘルシンキに選んだという人もいます。
男性からはそこまで支持されているとも感じませんが、男性でも、何度も繰り返し観るうちに小林聡美さんの凛とした役に共感や感情移入ができるようになると思います。ヘルシンキで日本料理のお店をするというのはかなりの覚悟が必要です。お店を開けば固定費用がかかります。居酒屋さんならお酒で売り上げを伸ばすことができますが、このお店はそういうわけでもありません。ロンドンやパリのようにチャラい夢見がちな場所でもありません。日本人目当ての商売でもありません。正々堂々真っ向勝負でストックホルムの人を相手に日本食で商売しようという静かな冒険です。客は集まらないと思うのが普通です。主人公はお店を構えて客が来ないなら無理して集めないという姿勢を貫きます。内心不安に違いありません。しかし、自分のスタイルは守ります。
もたいまさこさんが「いいわね。好きなことをやっていらして」と言うと小林聡美さんは「嫌いなことをやらないだけです」と答えます。さりげない会話ですが、壮絶です。嫌いなことをやらないと覚悟して、いろいろ捨てて断捨離したら、ヘルシンキで日本食屋さんをする選択肢が残ったというのは壮絶な人生です。日本で同じことをやるのは主人公的にはダメなのです。自分を貫いた結果、そうなってしまうというのは妥協なき人生という意味で憧れもありますが、そうでもしなければ生きられないという意味では背後にある苦しさを想像しないわけにはいきません。
私は片桐はいりさんが変な顔をしないで普通の役で出ているのをこの映画で初めて見たと思ったのですが、学生にみせると片桐はいりさんのアップで笑いが起こります。人の顔を見て笑ってはいけませんと注意しようかとも思いましたが、大学生はもう大人ですし空気を壊したくなかったのでわたしは気づかないふりをしました。自分の防衛を優先しました。ごめんなさい。
傷ついた人を癒す力がある作品です。アル中のおばさんが立ち直ります。逃げた男も帰ってきます。希望を与える作品です。実際には深い孤独が隣合わせです。映画を一回観ただけでは分かりません。しかし、何度も観ると行きずりの日本人の女性三人が肩を寄せ合い孤独と絶望に戦っています。緊張感を失くせば負けてしまいます。常に自分を保つ気力と覚悟が必要です。
最後は客でお店がいっぱいになります。客はみんな地元の人です。北欧の人が日本料理をおいしいおいしいと満足そうに食べる姿は理屈抜きに日本人の自意識を満足させます。そういう面は『カリオストロの城』に通じるものがあるのかも知れません。最後にお店が満席になるのは祈りのようなものだと思います。自分を貫き、信じて歩けばきちんと結果を出すことができるのが人生だ。人生とはそうであってほしい。ヘルシンキまで行って日本食屋さんをやらないと自己実現できないほど不器用な人でもちゃんとやれる。成功できる。そんな祈りや願いが込められているのだと思います。そこに観る人は共感するし、感動するし、静かで優しいカタルシスを得ることができるのではないかという気がします。
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