遠藤周作『青い小さな葡萄』のイエスキリストイメージ

遠藤周作さんの作品には何度となくイエスキリストの役割を背負う人が登場します。たとえば、初期の作品に『青い小さな葡萄』というものがありますが、この題名の「葡萄」は西洋絵画のイエスのアトリビュートに対応しています。アトリビュートとは、西洋絵画で聖書上の人物を取り扱う際、誰が誰なのかすぐに分かるように、人物と一緒に描く付属品のようなもので、イエスの場合は葡萄がアトリビュートして用いられます。それが100パーセントというわけではないですが、葡萄とイエスがセットだということは、広く認識してされているという程度に考えるのがいいと思います。

『青い小さな葡萄』は、戦争が終わってまだ日が浅いころ、戦争中にフランスを占領していたドイツ軍の兵士だった男と、千葉というフランスに留学してきている日本人の男が一緒にフランス人同士の虐殺された場所を確認しにいくという内容になっています。遠藤さんの心境としては「フランス人だってやってるじゃないか!」ということなのだろうと推量します。

どのようにイエスイメージが関わってくるのかというと、ドイツが戦争で負けることがわかってくるとフランスの各地でパルチザンが蜂起しドイツ兵が襲撃されるようになりますが、このドイツ兵の男も襲撃され、とある建物に身を隠します。それを偶然、フランス人の若い女性が見てしまいます。ドイツ兵にとっては万事休すか…というところなのですが、その女性は恐る恐るドイツ兵のところに葡萄を投げ入れてどこかへ逃げていきます。絶体絶命の時に与えられるささやかな救い、人間的な愛情は遠藤周作さんが終生のテーマにしたことですが、このように女性が葡萄を投げ込んだということは、女性がイエスのイメージを担っているということを意味します。

ドイツ人の兵士は片現場の遺留品から女性の名前と住所を特定し、片腕を失いつつもドイツに帰還することに成功し、戦後、その女性に会うことを目的に再びフランスへに来て、日本人の千葉という青年と出会います。敗戦国民同士の相哀れむような友情が生まれますが、千葉はドイツ人の内面に潜む人種差別意識を千葉は敏感になります。互いに軽蔑しつつ、しかし、離れることができないという関係が二人の間に生まれます。

二人は女性の住所のある街へ行きますが、実際には女性はフランス人内部の反ナチス運動の方針の違いによる抗争に巻き込まれて私刑に遭い、殺されてしまっていたことが少しずつ明らかになっています。ミステリー小説のような要素も含まれています。やがて私刑が行われた場所に辿り着き、ドイツ人の若者は女性が殺されていたという事実を受け入れるようになります。ドイツ兵の若者を助けた女性が理不尽な私刑によって命を落とすことは、イエスキリストが福音書で理不尽な理由で十字架にかけられたことに対応しています。

遠藤周作さんの作品には密かに沢山の聖書の記号が入れ込まれてあるので、それを見つけていくのもおもしろいです。

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