映画『太陽』の昭和天皇の危機管理と自己改革

ソクーロフ監督の映画『太陽』で描かれる昭和天皇は少年のように天真爛漫で邪心がなく、礼儀正しく自分に正直な人物です。マッカーサーと面会する時も気取らず、恐れず、しかし多少の緊張感を持って臨んでいます。マッカーサーと昭和天皇は親子ほども年齢が違います。実際でもマッカーサーは昭和天皇に対してすこぶるいい印象を持っていたと思いますが、この映画でも同様に、マッカーサーは息子のように昭和天皇をかわいがっています。

この映画に登場する昭和天皇は若干エキセントリックですが、マッカーサーに対して媚びずへつらわず、正直に自分の思ったことを慎重さを保ちながら話しています。監督が敢えて挿入したのだと思いますが「ヒットラーが勝つ確率は100パーセントだった」と本音めいた感じで発言する場面があるほか、「自分は真珠湾攻撃を命令していない」という保身ともとられない議論を呼びそうな発言もさらっと出てきます。特にそこに衝撃やクライマックスが演出されるわけではありません。

全体に静かな映画ですが、クライマックスも静かに訪れます。昭和天皇はマッカーサーから「あなたの運命は全てあなた次第だ」という主旨のことを言われます。昭和天皇は夜更けに一人で考え、自分が現人神であるという言説を否定して人間になるという選択をします。

昭和天皇が考え、決断をくだす時、月の明かりが窓から入り昭和天皇を照らし続けています。月の光は天皇はもはや太陽神ではないということを象徴しています。

実際の歴史の事実や展開としての議論は微細なものもいろいろあると思いますが、一応それは脇に置いて置き、ソクーロフ監督は昭和天皇がその他大勢の日本人の願いや祈りや犠牲を無視して人間になったということを表現しています。侍従は昭和天皇に人間宣言放送を録音した技師は自決したと伝えます。日本人にとってもっとも大切なはずであるところの現人神を人に変える作業を担いたくなかったからです。

歴史的に実際はどうだったかという議論については、繰り返しますが、さて置いて、私はこの映画の昭和天皇の危機管理に感嘆せざるを得ません。当時は連合国では天皇の廃止や場合によっては死刑の声まであった中、神という身分を捨てて人になる、プラスそれに徹することで批判を回避し生き延びます。神的な存在に一切の未練を残さないというところがポイントのように思います。黒澤明監督の『乱』の一文字秀虎とは過去への未練という点で決定的な違いがあります。過去を捨てて全く新しいこれからを生きる覚悟をするという意味では、強い自己改革の意思があります。

ソクーロフ監督の思想を観察するつもりで観るのもこの映画を楽しむポイントかも知れません。戦争が終わる前の段階で、昭和天皇は「自分は神ということになっているが、自分の体は普通の人間と変わらない」という発言をします。日本の神社では普通の岩をご神体にするところもありますから、神様はどこにでも宿ります。超常現象を必要としていません。キリスト教では聖痕が聖性の証明になると考えられることもあるので、こういう台詞が生まれてくるのだと思います。また、録音技師が自決するのも日本人の切腹を入れ込むことで、『戦場のメリークリスマス』で切腹場面を挿入するのと同種の効果を期待したのではないかとも思えます。しかし、録音技師の自決を知った昭和天皇は心理的なショックを受け、皇后も怒りを感じています。死を美化するという観念から脱した新しい人間観を得たのだということなのかも知れません。

えらそうな批評を述べてしまいましたがとてもいい映画です。演技がいいです。表情や目の動き、身のこなしなどすばらしいです。イッセー尾形さんと桃井かおりさんと佐野史郎さんですからうまいに決まっています。

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