マルシアガルケス『百年の孤独』の人生の虚実

マルシアガルケスの『百年の孤独』という長い長い小説にはプロットとかあらすじとかそういうものはありません。ある若い夫婦がラテンアメリカのどこかの荒れ地を開拓し、子孫が増えていきます。人が集まり街になります。最初の夫婦の旦那の方はわりと早く死んでしまいますが、妻の方はとても長生きします。子どもが生まれ、孫が生まれ、ひ孫が生まれ、玄孫ぐらいまで行きます。それぞれに恋をしたりお金のことで悩んだり、ちょっと変人だったり、いろいろいます。そういった人々の百年くらいの物語です。次から次へといろいろなエピソードが挿入されていきます。どこまでが現実でどこまでが本当かがはっきりしない、マジックリアリズムという手法が用いられています。池澤夏樹さんもこの手法が好きで、『マシアスギリの失脚』でも使っています。マルシアガルケスの場合は特にそれを多用しています。読みながら読者を煙に巻いているのかといぶかしい気持ちになるときもあれば、不思議な世界に吸い込まれそうになりいい気分になるときもあり、登場人物がやたらに多くてしかも時々幻想が入るので、なにがなんださっぱり分からなくなってきて、「自分の読解力はこの程度か…」と自己嫌悪になったりします。

無数の登場人物の中にとても美しい天使みたいなティーンエイジの女の子も登場します。もうちょっと正確に言うと生まれたときから物語にはちょろちょろと登場しますが、やがて10代になると神々しい美少女に成長します。変な男にいたずらされます。しばらくしたら本物の天使みたいに空に浮き上がって昇っていきます。要するに死んでしまいます。ただ、どこが現実でどこが超現実なのかが判然としないまま記述が続くので、本当に死んだのかどうかもう少し読み進めないとよく分かりません。それで、その後その子が全然登場しないので、ああ、死んだのだなと分かります。読解力のある人なら一発で分かるかも知れません。私が鈍いだけだったのかも知れません。いずれにせよ、そんな風につらつらとだらだらと続きます。読み応えのある山場も特にありません。額に数字が浮かぶ人たちがいて、その人たちは額に数字があるが故に殺されていきます。何のことか全然分かりません。詳しい人の解説を読んだら、それはラテンアメリカのどこぞで起きた政変の話だということらしいです。ラテンアメリカの事情を知らないと何のことか分からないことがいっぱい書いてあります。

恋愛に関する話題とお金に関する話題がたくさん出てきます。つまり人の欲望に関する話題が沢山出てきます。小説なんだからそりゃそうです。生きることの悲哀がつまっています。一つ一つ咀嚼して読めば涙がぼろぼろ出てきて止まらないかも知れません。ただ、時間がかかってしかたありません。生々しい欲望を直接に書いたらしゃれにならないのでマジックリアリズム風にすればオブラートに包まれて少し遠まわしな表現になって、場合によってはきらきらときれいに描けるということなのかも知れません。一番最後は最初の夫婦から数えて四代目から五代目くらいの子孫の夫婦がいろいろ悩んで怒ったりしているところでいきなり終わります。この物語は最初から幻影でしたと言わんばかりに、蝋燭の火が消えるみたいにしてフッと街そのものが消えてしまいます。読者はあっけにとられます。今まで苦労して読み進んできたのが全部幻想だったとかそんなのアリか?と頭に来ます。その後で小説とはそもそも幻影だと言うことを思い出し、怒りもおさまり、この小説を読むために使った時間とエネルギーは永遠に帰ってこないのだということを受け入れられるようになります。

どこで読んだか忘れてしまいましたが、著者のガルシアマルケスは「テーブルが突然浮いたり、椅子がいきなりしゃべりだしたりみたいな不思議なことが、ラテンアメリカでは本当に日常的に起きるのです」みたいなことをどこかの誰かに話したそうです。そんなことがあるものか。テーブルが不思議な力で浮いたりなんかするものか。このウソつきめ!と思いますが、ウソを書くふりをして本当のことを書くのが小説家の仕事です。人によってはウソを書くふりをしてやっぱりウソを書いている人もいるかも知れません。或いは本当のことを書いているふりをしてウソを書いている人もいっぱいいるかも知れません。

世界的に高い評価を受けています。世界中の言葉に翻訳されています。もしかすると高く評価しているのは日本人だけかも知れません。著者はノーベル文学賞を獲っているので本当に世界的に高い評価を受けていると言ってもいいかも知れません。でも大抵のノーベル文学賞作家のことはニュースで聞いて、その後は忘れてしまいます。何十か国語に翻訳されても売れなくて版元とか翻訳者が持ち出しでやっているということも珍しくはない筈です。

ちょっと話はずれましたが、日本で高く評価されていることだけは間違いないです。池澤夏樹さんとか大江健三郎さんとかは読んでます。村上春樹さんも多分読んでます。テーブルトークで「ガルシアマルケスの『百年の孤独』ではさあ」とか言うと読書人と思ってもらえることは請け合いです。「聞いたこともねえ本の話をさも常識みたいに話すんじゃねえ」と敬遠される場合もあるかも知れないので相手を見て話したり話さなかったりしなくてはいけません。「どんな本なの?」と質問されて、その場でさらっと手際よく説明できる人がいたらその人は神です。読書が好きで、他人からも読書人だと思われたい人は読んでおいた方がいいと思います。

関連記事
マルシアガルケス『予告された殺人の記録』の人の心の哀しさと弱さと
池澤夏樹『マシアスギリの失脚』の孤独のダンディズム

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください