池澤夏樹『マシアスギリの失脚』の孤独のダンディズム

池澤夏樹さんのマシアスギリの失脚は何度も何度も読み返しました。線を引きながら読み返し、ぼろぼろになったら新しく新潮文庫を買って線を引いて読むを繰り返し、三冊くらい買い換えましたが最近はさすがに読まなくなりました。

1980年代、旧国際連盟日本委任統治領だった太平洋地域のいずこかにある架空の島国ナビダード共和国の大統領マシアスギリは戦争中は日本軍の軍属として働き、戦後になって日本にわたり昼間は倉庫で働きながら夜は高校に通って勉強し、日本語ペラペラになって帰ってきて始めた事業がスーパーマーケット。これが当たって名士になり、政治家になってついに大統領にのぼりつめます。人口七万人の小さな島国とはいえそこは最高権力者。権力の密の味も知っていれば、それにはまりこんでしまうことの怖さも知っている男。それでも大統領はやめられない。権力の味はこたえられない。一度選挙に負けて大統領の座を政敵に譲りますが、その政敵の人物がある種の潔癖症でマシアスギリ在任中の金銭の不正を暴き出そうと動き出したのを知ると、白人の二人組に依頼して政敵を暗殺し、見事大統領に返り咲きます。

罪悪感とことが露見することへの恐怖心からほぼ眠れなくなったマシアスギリは白人二人組に対する長期の報酬の提供に神経を配りながら昼間は政治家の仕事をし、夜は愛人のもとへ通います。しかし、暗殺を証明する大事な書類を官邸に隠してあるのを誰かに盗まれると困るので、決して愛人の家には泊まらず、必ずきちんと帰宅します。しかしなかなか眠れません。蝋燭に火をつけるとリーボーと名乗る幽霊がぼわっと現れ、マシアスギリの話し相手を務めます。どこまでが本当でどこからが幻想か分からない世界。リーボーは200年前にこの島に生きていた王子様で、イギリスに留学してあっさり死んでしまいます。その後魂だけ帰ってきて今はマシアスギリの話し相手というわけです。ギリは様々な不安をリーボーに訴えますが、最後の決定的な答えは与えません。リーボーという幽霊はマシアスギリの投影に過ぎず、リーボーの返す答えは必ずマシアスギリの知っていることか、漠然とそうだろうなと思っていることかのどちらかです。ギリが知らないことを教えることはできません。ギリが自分で決心がついていないことについて、行動を示唆することもできません。最後は自分で決めなくてはいけません。

離れ小島からやってきた神がかりの若い女性がギリの秘書のようになりますが、実は彼女は神秘の島の長老たちから遣わされたスパイで、ギリが政敵を暗殺した証拠を探しに官邸に入り込んできています。大統領官邸内部はギリの好みに合わせて純和風。畳の裏に白人二人組との間で結ばれた暗殺と報酬に関する契約書が隠されているのを見つけます。その日に限ってギリは愛人の部屋で深い眠りに落ちていて、スパイが自室の畳の下を探ることを予防できなかったのです。

マシアスギリは現実政治の最高権力者ですが、国の精神的な支配者はスパイの女性がやってきた神秘の島の長老たちです。長老たちは暗殺の動かぬ証拠を手に入れて、マシアスギリを権力として認定しないと結論します。暗殺を請け負った白人二人組も『薔薇の名前』と同じ方法でやったと証言してしまいます。結果、政務は滞り、マシアスギリは権力者としての実質的な権能を行使することができません。彼は密かに一般市民に身をやつし、生まれ故郷の祭礼を見に行きます。そして最後は自家用機に乗り込んで、パイロットの隙を見て飛び降り、地上にぶつかって死んでしまいます。

自ら命を絶つという、実に壮絶な物語の筈なのに、その死はとても爽やかで、読み手はギリに感情移入するものの、あー楽になれてよかったね。綺麗に死ねてよかったね。という不思議な感想を抱きます。マシアスギリという男は半分日本人みたいな人生を送っていたものの、その魂は自分の故郷の島々を深く愛していて、命を失ったこの後は鳥になって永遠に島の周りを飛び続けるのが定めです。

権力を持つ故に秘密を抱え孤独を生きたマシアスギリはフィリピンで出会った愛人からは深い愛を受けていて、神秘の島からやってきたスパイの女性からも愛されます。やはり男は愛されなければ絵になりません。家でブログをこつこつ書いているようではいけません(私のこと)。

『マシアスギリの失脚』は間違いなくアップダイクの『クーデタ』とけっこう似ていますが、最大の違いはマシアスギリが最後に自らの命を絶つのに対して、『クーデタ』の主人公はフランスに亡命して生きる決心をすることではないかと思います。生きるか死ぬかでは随分と違います。ここで潔い死に方を選ぶことができるのは東洋的思想のおかげかも知れません。仏教では究極には生きていても死んでいても同じです。世界のエネルギーの総和に変化はありませんので、死んでも私は存在するし、生きている私は何らかの幻影にすぎません。ギリシャ哲学でもこの世界はイデアの幻影だと言っているくらいですから世界共通してこの世は幻想だと思っていいのかも知れません。本当のところは私にも分かりません。

物語が太平洋のきれいな海と島で展開しますので何度読んでも気持ちよく、最後に空を飛んで死ぬこともなんだかきれいなことのように思えてしまいますが、決してマネをしてはいけません。マシアスギリの最後の選択が正しいと思えるかどうかはそれぞれの読者次第だと思います。



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