大正天皇

大正天皇と摂政

 大正天皇は体があまり丈夫ではなかったとも言われています。
 昭和天皇は後に「父は健康状態に優れていなかったので、天皇のような激務には向いていなかったかも知れない」というようなことを述べたそうですが、大正時代もあまり長く続いたわけではないですし、相当にお辛かったかも知れません。明治天皇や昭和天皇の写真を見る機会は歴史が好きな人なら多いと思いますが、大正天皇の写真を目にする機会は自分から求めてグーグル検索をかけるなどをしないとなかなか得られません。

 若い昭和天皇が摂政になり、天皇代理として活躍しますが、ヨーロッパに視察旅行に出かけたり、台湾を訪問したりして、大変活発だったご様子が分かります。

 明治、大正、昭和という三人の天皇を並べてみると、明治天皇は「大帝」と称されることがある反面、実際には政治の意思決定にほとんど影響していなかったようです。当時は明治維新の創業者が多く、彼らが相談してものごとを決めていたので、明治天皇はある意味では言うことさえ聞いていればよく、象徴的な存在としてそこに座ってくれていればオーケー、余計なことは言わないでほしいといったところだったのではないかと思います。大正天皇は既に述べたように、虚弱で政治にかかわることが難しかったようですが、一方で明治創業の大物の数が減り始め、原敬内閣誕生からも分かるように大正デモクラシーのなかなかおもしろい時代へと入っていきます。
 昭和天皇は良くも悪くも政治との関わりの深い人だったと言えます。稿を改めて詳しく述べたいとは思いますが、摂政時代から政治に関わったことで見識が深まり、自分の意見も持てるようになったことと関係するのではないかなあとも思えます。

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