真珠湾攻撃

真珠湾攻撃の辛いところ1

 真珠湾攻撃は宣戦布告前の攻撃だったとして、今も批判の対象にされることが良くあります。
 日本側の当初の予定では当日の朝に攻撃開始のほんの直前に野村吉三郎駐アメリカ大使が手交することにしていたそうですが、前日の人事異動に伴うパーティ、暗号電文の解読のための時間の浪費、タイピストの休暇など、不運が重なってしまい、攻撃している真っ最中の手交になってしまったと言われています。

 日清戦争、日露戦争ともに宣戦布告前から戦争を始めてしまっていますので、必ずしも日本が国際法を遵守する体質を持っていなかった面も否定はできないところですが、つきつめると当時の大使館員の仕事の甘さは日本人としては辛いところにならざるを得ません。

 真珠湾攻撃を描いたアメリカ映画の『トラ・トラ・トラ』では、日本が意図的に宣戦布告の通知を遅らせたのではないということを描いていますが、当時の日米関係は大変に蜜月で、日米友好ムードが盛り上がる中、日本側の弁明も取り入れられることになったのだろうと想像できます。
 その後作られた『パールハーバー』では、そのような同情的な部分は一切挿入されていませんが、それもまた時代の流れによるものなのかも知れません。

 歴史認識はその時々の時勢、流れ、外交関係などによっていかようにも変わってしまうものです。

 ソビエト連邦が満州国境を越えて軍を進める直前、日本の駐ソビエト大使に対して宣戦布告がなされています。大使が急いで大使館に戻ると電話線が切られていたそうです。電話線を切るのはどうかと思いますが、日本もあの時、アメリカから来た外交官を呼んで宣戦布告すれば、あのような失態にはならなかったのでは?と時々思うのです。

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