近衛文麿

近衛文麿内閣をどう評価するか

 近衛文麿は青年期にベルサイユ会議に参加するなど、若いころから政治家として活躍したエリートですが、日本帝国主義の黄金期を目にしてしまったために、もっと上を目指してしまい「英米中心の帝国主義を排す」などの挑戦的な文章を発表するなど、いわば日本帝国が舞い上がってしまって現実を忘れてしまっていったことを象徴する人物なのではないかという気がします。

 最も責任が重いのは、中国での戦争に深入りしてしまい、日本が引き返せないところまで導いてしまったことですが、憲法上の統帥権問題が政治家を縛り始め、敢えてその呪縛があるままの状態を受け入れてしまったということも、彼に対して厳しい評価が下されなくてはならない要因の一つのようにも思います。

 昭和天皇が近衛文麿の『平和への努力』を読み「近衛は自分の都合のいいことしか書かないね」と評した他、戦犯指名を受けて近衛が自決した後も「近衛は弱いね」と評したということですから、昭和天皇も近衛文麿の良くない意味でのエリート風の性格をあまり高く評価していなかったようです。

 他にもいろいろ問題はありますが、一つだけ、惜しいと思うのは、ルーズベルト大統領とハワイでサシで会談するという案が実現しなかったことでしょう。近衛は大幅な譲歩を用意していたとも言われています。南部仏印、満州国からの撤退を表明し、もしかすると大連旅順あたりはなんとか残したい、というようなそれまでの日本では考えられないほどの大きな譲歩を見せれば、世界の日本に対する評価は変わったかもしれません。そこに向けて努力した近衛のことはやはり公平に評価してあげたいようにも思います。ただ、ルーズベルト大統領はハワイでの会談には乗り気ではなかったということですから、もう、手遅れだったのかも知れませんが….。

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