ペリー

ペリーと琉球

 ペリーの黒船お艦隊は浦賀沖に姿を現す前、琉球に立ち寄っています。
 立ち寄ると言っても友好的な訪問ではなく琉球王朝の許可なく上陸した後に、強引に首里王宮へ行進し、入城しています。

 ペリーの蒸気船艦隊はもちろん当時の日本を驚かせたに違いありませんが、戦力としては江戸幕府を打倒できるほどの巨大なものとは言えません。たった四隻のフリゲート艦で日本征服ははっきり言えば不可能ですし、欧米諸国は日常的に武器を携帯して場合によっては相手を殺害することに美学を持つ階層が十人一人いる日本を植民地化することは、ある段階で諦めていたように私には思えます。

 ペリーも日本を植民地化するような壮大なことを考えていたわけではなく、飽くまでも当時アメリカの主要な産業の一つであった捕鯨のための補給基地を日本に求める以上のことは考えておらず、もし失敗した場合は琉球王国でその基地を確保しようと考えていたようです。現実的で名より身を取る作戦と言ってよいでしょう。

 ペリーは場合によっては琉球征服を考えていたようですが、日本の開国によりそのような荒っぽい方法を取る必要はなくなったということになります。

 興味深いのはペリーが琉球訪問をきっかけにアメリカの宣教師が琉球で宣教を始めたことでしょう。日本聖公会の布教史はこの時の琉球での布教が日本布教の始まりであるとしています。

 沖縄は様々な意味で近代史で重要な場所ですし、県民の方々の複雑な感情は大国に利用され続けたことから生まれてくるのだと思います。ペリー沖縄上陸の件も、その後の苦難を予告するものだったのかも知れません。沖縄の苦難については私たち日本人がみんなで深く受け止めるべきことだと思います

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