迫水久常著『大日本帝国最後の四か月』で知る「終戦」の手続き

1945年4月、鈴木貫太郎内閣が誕生してから終戦までの期間については様々な著作や研究がありますから、終戦が決まるまで、相当なすったもんだがあったことはよく知られていると思います。いよいよ決着がつかなくなって「聖断」なる、ある種の非常手段によってポツダム宣言を受諾するという意思決定がようやくなされたわけですが、鈴木内閣で内閣書記官長という半分官房長官みたいな立場に居た迫水久常という人物の手記を読むと、そこに至るまでの制度的な手続きが大きな壁になっていたことが分かります。

まず第一に旧憲法では天皇に和戦の大権があることになっています。しかし、明治時代は元老という憲法に規定のない最高権力者たちによる寡頭政治で意思決定がされていて、首相も元老が指名し、戦争するかしないかみたいな大事は元老が決めて軍隊が動き、首相は軍のお手伝いというようなものでした。その後、大正デモクラシーを経て最後の元老の西園寺公望が「憲政の常道」を掲げ、元老の影響力を少なくし、民主政治で選ばれた政治家が首相になるということを慣例化させようとしますが、軍人以外の政治家が首相になると殺されるというのが続いたために途中から断念して軍人首相時代に入り、やがて行き詰まりを見せて、近衛文麿というお公家様内閣が事実上日本帝国にピリオドを打つという流れになります。近衛在任中に西園寺公望が亡くなり、元老の首相指名という慣例も消滅しましたが、議会による首相指名ができませんでしたから、元老に代わって重臣会議が開かれるようになり、そこで首相指名が行われるということになります。何が言いたいかというと、太平洋戦争を終わらせる場合、重臣たちが「うん、やめたほうがいいよね」と言わなければ首相から「戦争やめましょう」とは言えないということです。

しかも、迫水氏の著作に拠りますが、ポツダム宣言の受諾は外交条約を結ぶのと同じになるから、枢密院の了解を得る必要があり、当時の平沼騏一郎枢密院議長を昭和天皇の聖断の場に立ち会わせることで、手続きを簡略化しようとします。

更にメインディッシュになるのが陸海軍で、有名な話ですが当時の阿南陸相が辞表を出せば内閣不一致で総辞職。改めて重臣会議で首相を指名して閣議を開き、枢密院の了解も経なければならないということになるので、ぎりぎりまで主戦論を唱えていた阿南陸相の辞表カードには周囲が相当びびっていたという話もあるようです。さりながら、阿南陸相は8月15日の未明に自決していますので、関係者からの評価は高く、迫水氏も阿南陸相が主戦派の陸軍首脳をなだめつつ心中では終戦に持ち込みたいというアクロバティックなことをやろうとしていたとして、その「腹芸」に感服したという趣旨のことを著作で述べています。

要するにポツダム宣言を受諾は首相、軍、枢密院、重臣が全員一致しなければ実現しないようになっていて、それぞれが「制度的手続き」を盾に取り主張をぶつけ合い議論が前に進まないという事態に陥ってしまいます。そうこうしているうちに原子爆弾も使用され、ソビエト連邦も攻めてくるという絶体絶命な状況が訪れます。にもかかわらず議論がまとまらず昭和天皇に決めてもらうという異例の手続きを踏むことになりました。ここで難しいなあと思うのは通常、天皇は自分から意見を表明しないことになっているにも関わらず、本気になって意見表明しようと思えばできないわけでもなく、天皇の意見が通るか通らないかはその時々の政治状況によって異なり、終戦の場合はたまたま天皇の意見が通ったという制度上の曖昧さです。昭和天皇の責任があると言おうと思えばいくらでも立論できますし、反対に昭和天皇には責任はないと言おうと思えばこれもまたいくらでも立論できるのです。法学論争が神学論争とは言い得て妙なりです。

昭和天皇は戦後、憲政上の問題として鈴木内閣が処理しなければならない案件であったけれど、内閣で意見が一致せず、自分に意思決定を依頼してきたので、それを受けたという見解を示しています。これだけでも現代人にとっては何を言っているのか分からない…と思えるような内容ですが、更に軍と枢密院というファクターが入ってくるわけで、高級官僚だった迫水氏が手続きに振り回されていたことに気の毒とすら思えてきます。

太平洋戦争末期、日本の主要都市は大体燃やされてしまい、それでも憲法を維持した国家が機能していたことには驚きも覚えますが、この期に及んで徹底抗戦か降伏かで議論が割れたということには正直あきれてしまいます。しかも制度的手続きを盾に取るという場合はどうしても「ためにする議論」がまかり通りやすくなり、政争やってる場合かよと突っ込みたくもなるのです。ポツダム宣言の受諾通告に際しても、当初「天皇の国法上の地位を変更しない」という前提で受諾すると通告する案があったのですが、迫水氏の回想では平沼枢密院議長が「天皇の大権を維持する」と文言を変更するように主張し(昭和天皇の回想では天皇が法源であることを前提とすると話が出たとなっていたと思います)、天皇の「大権」なり、天皇が「法源」なりという外国人には分かりにくい概念をねじ込んだというのも理解に苦しむところです。一刻も早く戦争を終わらせなくてはいけない時に神学論争してる場合かよとついつい思ってしまいます。平沼氏が検察出身で法律の専門家らしいところを見せたかったのかも知れません。

というわけで、日本帝国はその最期に於いて法の手続き論争をしていたというお話でした。



鈴木貫太郎内閣‐日本のバドリオ

太平洋戦争もいよいよ望み薄となってきた時期、小磯国昭内閣が中国との単独講和の可能性を模索し、窓口となる人物があまりに信用に足りなかったことから講和は失敗に終わり、その責任を負う形で小磯内閣が総辞職します。その後、後継首相として重臣会議は日露戦争にも参戦したある種の伝説的英雄と見られていた鈴木貫太郎を指名します。鈴木は固辞しますが、昭和天皇たっての希望ということがあり、昭和天皇本人が鈴木貫太郎に頼んだとも言われています。近衛文麿も鈴木貫太郎内閣の成立には積極的だったとも言われています。

もし本当に昭和天皇が頼んだとすれば、天皇の越権行為であり、立憲主義がだいぶ揺らいでいたことを示す事例だと受け取ることもできますが、非常時なので非情の手段をとったとして例外的なことであったという説明も可能かも知れません。

鈴木が昭和天皇から期待されていたことは終戦工作で、とにかく本土決戦に入ってしまう前に戦争を終わらせたいという相当悲壮な覚悟で職務に臨む必要があったに違いありません。

米内光政と木戸幸一がソビエト連邦を仲介にした和平工作に乗り気で、鈴貫太郎もそれに期待をよせていたフシがないわけでもないですが、スターリンは最初から適当に流すつもりであり、当時の状況的にわざわざ仲介して有条件降伏に持ち込むよりも、時期を逃さず日本に侵攻して戦国武将なみに切り取り次第だと考えていたようですから、確かに望み薄であり、徒に終戦を遅らせたという点は残念に思わざるを得ません。

鈴木貫太郎にとって幸だったのか不幸だったのか、7月下旬に連合国側からポツダム宣言が発表され、軍部の強硬論にも配慮して鈴木は「ポツダム宣言にはコメントしない」という態度でしたが、それが「黙殺(ignore)」という表現で世界に伝わり、要するに「拒否(refuse)」なのだなと解釈されてしまい、原子爆弾の投下とソビエト連邦の火事場泥棒的参戦を招いてしまいます。その件について、あくまでも政治家は結果責任だとすれば、鈴木貫太郎には責任があるとも言えますが、原子爆弾とソ連の参戦はそもそも非常識ですから、それを鈴木貫太郎に責任を負わせるのは酷と言えるかも知れません。

1945年8月9日に天皇の地位のを条件にポツダム宣言を受け入れるということを昭和天皇の「聖断」という形で結論を出しますが、連合国側に戦後の天皇の扱いについて「天皇は連合国の制限下におかれる」という返答の解釈で紛糾し、8月14日、改めて昭和天皇の聖断をもう一度仰ぐというやり方でポツダム宣言の受諾を正式に表明することに漕ぎつけます。ちなみに世界は8月9日の段階で日本がポツダム宣言の受け入れを申し入れてきたことが大ニュースになっており、何がどうなっているのか知らぬは日本人ばかりという風になっていたらしいです。

1945年8月14日の夜は、戦争継続派の軍人たちが鈴木貫太郎の自宅を焼き討ちするは、皇居にまで侵入して終戦の詔勅のラジオ放送を阻止しようとまで画策しますが、結局は成功せず、無事ラジオ放送が行われ、ようやく戦争が終わるという展開になります。

既には日本はボロボロでしたら、何故ここまで講和が遅れたのかという疑問がどうしても残る一方、とりあえず本土決戦は避けることができたという意味ではそれなりに評価されてしかるべき内閣と言っていいのではないかとも思えます。

鈴木貫太郎は昭和天皇からとにかく戦争を終わらせることを頼まれており、周囲には「俺はバドリオになるぞ」と話したと言います。バドリオはイタリア降伏を実現させたイタリアの首相であり、要するに戦争継続派を切り捨てて何が何でも戦争を終わらせる役割を自認していたと考えられています。阿南陸軍大臣の出方次第では内閣不一致で総辞職、終戦工作は一からやり直しという不安要素を常に抱えており、そういう意味では阿南が陸軍部内を何とか抑えて終戦に持ち込めるよう努力したという点も評価されるべきかも知れません。阿南は8月15日の朝、終戦のラジオを聴く前に自決しており、彼の美学を称える人もいるようです。

鈴木貫太郎は終戦工作が終わると早速辞表を出し8月17日には総辞職しています。鈴木貫太郎内閣の次は、超短命の東久邇宮内閣が終戦手続きを進めることになります。