小池百合子と石破茂と小沢一郎と渡辺美智雄と加藤紘一

2017年秋の選挙期間に突入しましたから、選挙で苦労している人に対して申し訳ないので、揶揄するでもなく、嘲笑するでもなく、真面目に小池百合子と石破茂と小沢一郎と渡辺美智雄と加藤紘一という題で考えたいと思います。

小池百合子さんは選挙後に石破茂さんの首班指名を模索したとの話が飛び交っています。私がもし石破茂さんと親しい関係であれば、断るように進言すると思いますし、多分、石破さんサイドは断っていると思います。自民党でもうあとひきなんだけれど首相になれないという人を引き抜こうとした例としてぱっと思い出すのが小沢一郎さんが渡辺美智雄さんを引き抜こうとした時のことです。一時期、渡辺美智雄さんは乗り気だったようなのですが、小沢さんとの会談予定の前日、眠れないために睡眠薬を使用した渡辺さんが朝起きれずに会談に遅刻。小沢一郎さんは予定通りに現れないのならそれまでよとピーターパンのステージを見に行ったということがありました。

小沢一郎としては渡辺派の人数が欲しかったし、渡辺美智雄さんとしては、自民党を割って出てでも首相になりたい、健康状態がよくないので今しかないという追い詰められた状態でしたが、互いに利害は一致していたとも言えます。しかし、小沢一郎がピーターパンを優先したことや、渡辺派からついてくる議員があまり多くないということで、相互の関係がぎくしゃくし始め、渡辺さんも意欲をなくし、この話はお流れになったと記憶しています。

小池百合子さんは石破茂さんに同じ手口で仕掛けたということになりますが、最近の小池さんは策士策に溺れる感が強く、今回の選挙では希望の党は必ずしも有利とも言えないようです。

さて、首相になりたくて反乱を起こした人物と言えば加藤紘一さんです。森喜朗首相の不信任決議案に賛成する構えを見せ、加藤紘一待望論が出たらそこに乗るようにして首相になるつもりだったのが、果たせませんでした。涙を拭おうともせずに自派の議員たちに敗北を告げる場面は今も鮮やかに脳裡に浮かびます。この時、「あんたが大将なんだから、あんたが行けと行けばみんな行くんだ」と励ましたのが谷垣禎一さんでした。

日本の議会制民主主義でやっかいなところは、建前では政策を同じくするものが集まって政党を作ることになっていながら、現実には権力を得るための合従連衡、個利個略が優先されてしまうことです。加藤紘一さん、渡辺美智雄さんにはある種の悲劇性がありましたが、それも政策よりも権力を優先しようとしたからとも言えます。いっそのこと党議拘束というのをなくしてしまえば、そのような悲劇も少しは減るのではないかという気がします。

2018年末衆議院解散説

現在(2017年)の衆議院議員は2018年末に任期の満了を迎えます。一般的な見方、政治ウオッチャーの常識みたいなことを言えば、通常、2018年になる前に首相は衆議院の解散を模索するはずです。過去の経験則から、任期満了にともなう解散総選挙では首相の求心力を維持することが難しく、スケジュール解散などと揶揄されて与党が数を減らすというのがパターン化されており、解散総選挙の先送りは現職の首相にとっては座して死を待つに等しく、政権を維持したいのであれば最後の一年に入る前に解散を打つに違いないというわけです。過去、もっとも分かりやすい例としては、小泉純一郎さんが優勢解散で大量に議席を獲得した後、後任の首相たちが自分の手で解散して敗北することを恐れて一年ごとに辞任するというなんか変な話になってしまい、ババ抜きゲームの結果みたいに麻生太郎さんがスケジュール的にやむを得ず解散を打ち、惨敗したというのがあります。もちろん、リーマンショック以来経済ががたがたで、そういう点で運が悪かったとも言えるかも知れません。

さて、現在の首相は安倍晋三さんです。55年体制が始まって以来、初めて二度目の首相の座に就いたというだけでもただ者ではないわけですが、近年稀にみる長期政権になっており、過去の長期政権の例で言えば、桂太郎さんが合計で長期やったものの、二度目、三度目の任期はかなりぼろぼろになっていたことを思えば、最盛期に迎えているように見える安倍政権は極めて珍しい、異例な、一般論では語れない状況が生まれているとも思えます。

で、安倍晋三さんには3つの目標があると言われます。1つはアベノミクス。これはまだまだ道半ばとは言うものの、失業率が3%を切るという快挙に至ったこともまた事実であり、ゆっくりゆっくりと効果を上げているとも言えますが、これは今辞められると全部沈んでしまうでしょうから、日本の本格回復までがんばってもらいたいところではあります。で、2つ目が憲法改正。果たして何をどう改正するのかというところから議論されなくてはいけない、意外と漠然とした目標で、お試し改憲みたいな話も出て、そんなことで本当に大丈夫かと私は不安に思いましたが、最近では憲法9条に第三項で自衛隊を明記するということでどうも安倍さんの腹が固まった、多分、公明党もそれならオーケーという話になった、維新も多分乗ってくるということで、ようやくどうするつもりかが見えてきた感があります。自衛隊は過去の大地震でどれほどがんばってくれたかが国民の目にもよくわかっていますので、自衛隊の存在が憲法で確認されること事態には反対しないというコンセンサスなら得られると安倍さんは考えたのかも知れません。最高裁判所は統治行為論で自衛隊が違憲か合憲かについては判断しない、ということは少なくとも違憲だという判断は出していない、悪く言えば逃げており、良く言えば司法は万能ではないから判断の分をわきまえていると考えることもできますが、いずれにせよ、公明党、最高裁等々の諸要因を考慮して、自衛隊について書き込むというところに狙いを定めたと言えるように思えます。

そして3つ目は東京オリンピックの時に自分が首相をやるという目標も持っています。これについては個人的な利得、私利私欲の範疇に入るかも知れませんし、「東京オリンピックの時に誰が首相なのか」は個人的には関心もありませんので、論じないことにします。

で、ここから何を論じるのかというと、以上の3つの目標を達成するための「解」はどこにあるのかということになります。一般論で言えば、上の3つの目標はどれもそれだけで難治であって、これを全部達成するというのはかなりの神業と言わざるを得ません。しかし、そこを狙うため、安倍さんは、どうも任期ぎりぎりまで解散しないのではないかと思えてきます。

今の若手の自民党の議員さんの中には、とても次は当選できないと言われている人が多く、実際にみっともないことが週刊誌に書かれることも多く、次の総選挙で自民党が現有勢力を維持することはまず不可能との見方があります。前回の衆議院選挙でも東北地方では小沢王国が存在感を見せており、小沢王国はさらにがちがちに固めていると考えていいわけですから、次回選挙では過半数は維持できてもそれ以上はちょっと望めないという予想が立ちます。とすれば、憲法改正を本当にやりたいとすれば、現有勢力でやるしかありません。天皇陛下のご攘夷、テロ等準備罪、〇〇学園、北朝鮮ととても選挙をやってる場合ではない課題が目白押しで、それを全部片づけてからいよいよこれから改正論議ということになれば、2018年の任期ぎりぎりまで日程を取る以外にはないのではないかという気もします。そうやって、最後は衆議院選挙と憲法改正の国民投票を同時に行い、最終判断では有権者に任せる(民主国家ですから、最終判断についてはそうせざるを得ません)というシナリオがあるのではなかろうかと思えます。私が改憲してほしいとか、してほしくないとか、そいうことではなくて、首相の胸中を「忖度」すればそういうことになると思えるわけです。

もちろん、自民党が政権党から転げ落ちるという不安要素は残ります。なにしろ任期満了に伴う解散ですし、小選挙区制の選挙制度では、ちょっとした風向きの違いで大きく勝ったり大きく負けたりするわけですから、任期満了解散はリスクです。繰り返しになりますが、小沢一郎さんにそれだけ時間を与えてしまうのもリスクと考えているはずです。もちろん、任期満了に伴う解散が政権党に不利なのは、解散の大義名分に乏しく、有権者に訴えかける材料が少なくなってしまうというものがあるからなのですが、憲法改正もセットでやるとなれば、賛成反対はともかく、大義名分としては充分です。

個人的には、更に消費税の減税を公約に入れてもらえないかと、どさくさでもいいので、消費税増税をねじ込んでもらえないかと思います。金融緩和はそれなりに効果を上げているわけですから、ここで消費税の減税があれば、日本経済は一機に回復。東京オリンピックもシナジー効果になって日本は一機に21世紀バブルも夢ではないと思うのですが。

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安倍首相は現段階で解散を打ちたくても打てないように見える件

政治的なイベント、または外交的なイベントがあれば、すぐに解散説が出てきます。たとえば、森友学園問題では、証人喚問の終わり、出るべき話はだいたい出尽くした感があり、これを境に解散か?というような観測もなかったわけではありません。内閣支持率は概ね好調で、森友学園問題で騒ぎになってからは少しは下がりましたが、現状では回復が見られます。尤も、森友以前までほどには回復していませんから、同じやるなら今の時期は外してもう少し様子が見たいというところはあるはずです。

外交で得点して解散への流れを作りたいと安倍首相が考えていたことはまず間違いないと思いますが、プーチン訪日は実際的には空振りみたいなもので、北方領土で一機にという感じではなくなってきました。また、北朝鮮で開戦前夜(?)の空気が漂う現在、邦人保護の観点からみても米韓合同軍事演習が終わるまではとても解散している場合ではありません。外交的にはこつこつと小さく積み重ねてきた点は正当に評価されるべきと思いますから、概ね高い支持率はそのことも反映しているかも知れないですが、前回のように大きく勝てるという見込みが立つほどの感じでもなし…。というところではないかと思えます。

経済に関しては、金融緩和がそれなりに効果を上げていると思える一方で、日銀頼みの感が強く、もう一歩、抜け切れていない様子であり、失業率が史上最低レベルにまで下がったという事実は正当に評価されるべきと思いますが、21世紀バブル、21世紀元禄という感じにはほど遠く、長い目で見ると悲観したくなる材料が山積みですので、選挙で大勝利の確信を立てられるところまで来ているとも言い難いところがあります。個人消費は伸びておらず、明らかに消費税の増税の影響を引きずっていると思えますから、長い目で見るとずるずると衰退していきそうにも思えてしまい、なんとかしてくれ…。とついつい思ってしまいます。せめて東芝が救済されれば、ちょっとは明るいニュースになるようにも思うのですが、外資に買われる可能性の方が高いように思え、どうしてもぱっとした感じにはなりません。リフレ派の論客の片岡剛士さんが日銀の審査委員に就任する見込みですので、黒田総裁就任以降のリフレ政策は維持される、或いは更に深堀りしていくことが予想できますが、日銀頼みになってしまっているところが軛のようになっているとも思えますから、もう少し明るい材料がほしいところです。

しかし、安倍さんが憂慮する最大の要因は自民党の若手の議員の人たちが枕を並べて討ち死にする可能性が高いというところにあるそうです。確かに育児休暇をとると言っておきながら、不倫をしていた国会議員、重婚疑惑の国会議員など、たるんだ感じのスキャンダルが多く、20世紀型の大金を集めていたとかの話に比べれば小粒なスキャンダルとも言えますが、小粒なのに品がないという関係者であれば絶望したくなるような話題が目立っており、党の執行部であれば「このメンバーでは戦えない。外交で得点して何とか、粗を隠せないか…」という心境になるのではないかと想像できます。

2017年秋の解散説がありましたが、最近では2018年解散説まで出ています。勝てる目算が立つまではぎりぎりまで待つというわけです。追い込まれ解散になる可能性もあるけれど、それまでにいいニュースを発信できるかどうかということに賭るということらしいです。

自民党の支持率は4割近くあり、小選挙区中心の日本の選挙制度から考えれば上々と言えますし、民進党の支持率は全く上がらないというか、下がり気味であり、通常であれば自民党は楽勝とも言えますが、最近は当日になって誰に投票するかを決める人も多く、そのあたりの有権者の気まぐれの恐ろしさをよく知っているからこそ、メンバーのたるみを危惧していると言えそうです。小池百合子さんが手駒をどれくらい揃えてくるかによって今後の流れは変わってきますから、そういう意味では東京都議会選挙には注目せざるを得ません。ただし、小池さんは最終的には自民党と組む形で、細川護熙さんの時のように、少数与党ながら首班指名を勝ち取るというあたりを狙っていると思われるものの、自民党は正解遊泳型の政治家を絶対に認めないという空気も持っていますので、そのようなある種の伝統を小池さんが打ち破るかどうかは見届けたいところです。豊洲移転問題のもたつき、東京オリンピックの準備のもたつきが指摘される中、小池さんの演説力で乗り越えるのかどうかは日本の政治の将来を占う重要な材料になるように思えます。

最後に、安倍さんにとって恐るべしは小沢一郎さんかも知れません。前回の衆議院選挙でも、東北地方では自民圧勝という結果を得ることができず、小沢一郎王国が奥州藤原氏の如き強靭さを持っていることをうかがい知ることができましたが、解散時期が遅くなればなるほど、小沢さんに合従連衡の時間を与えることになります。小沢さんは党名を自由党というかつての政党名に戻しており、そこに心境の変化、心構えを見ることができます。

安倍さんとしては憲法改正可能な議席を維持したいという思いがあるでしょうけれど、上に述べたような各種不安要素を並べてみると、次も前回と同じだけの議席を確保できる見通しは必ずしも高いわけではなく、仮に現状に大きな変化が生まれないまま解散総選挙ということになれば、憲法改正はあきらめざるを得ないという結論にも至りかねません。私個人は無理をして憲法改正をする必要はないと思っていますから、3分の2以上の議席をとれるかどうかにはあまり関心はないのですが、憲法よりもまずは経済で、消費税の据え置き、できれば減税、可能なら撤廃(日本は一挙にバブル期なみの好況に恵まれることになると思います)で選挙をやってもらえないものだろうかと願う次第です。

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2017年秋衆議院解散説

安倍晋三首相が年頭の記者会見に臨み、まず冒頭で小泉純一郎さんの時の郵政解散、宮澤喜一さんの時の55年体制崩壊の解散、更に佐藤栄作さんの時の解散に触れていたことはなかなか意味深なようにも思えます。新聞記者から衆議院の解散時期について質問され「今年に入って解散の二文字は全く考えていなかった。アベノミクスが最優先。予算の成立が最優先」と答えています。

では、以上の安倍首相の言葉から、解散の時期について考えてみたいと思います。まず第一に衆議院の解散について首相は嘘をついていいというのが日本の憲政の慣習になっています。また、衆議院の解散は首相の最大かつ絶対的な権能とも言えますので、首相に就任した人は誰でも常に衆議院の解散については考え続けるに違いありませんから「解散の二文字は全く考えていなかった」というのは100パーセント嘘と言ってもいいですが、慣習上全く問題ありません。

2018年まで解散がずれ込めば任期満了が近づきますのでスケジュール的に後がない解散になってしまい、麻生太郎さんが首相だった時のように苦しい立場に置かれてしまいます。安倍首相の支持率は上々の状態が維持されている昨今、敢えて不利な立場に追い込まれる来年まで解散しないということは考えにくく、年内には解散があると考えるのが妥当ではないかと思えます。

安倍首相としては弱い所を衝かれない状態で解散を打ちたいところと思いますが、今日の記者会見で「経済最優先」を首相が強調していたということは、予算を危機にさらしかねない年度内解散は考えていないとも受け取ることができます。今年早期の解散は「予算より党利党略が大事なのか」という批判を招きかねず、「経済最優先」の旗印を充分に振ることができなくなります。実際に株価などに微妙な影響を与えるでしょうから、年度内の解散というのはなさそうに思えます。

また、今年は国会で天皇陛下のご譲位に関する議論がなされなくてはならず、デリケートな問題ですので、この件についてけりが着くまでは解散のような緊張を強いる日程は組みたくないという心理も働くのではないかと想像することができます。仮に関連する法律が成立する前に解散を打てば「天皇陛下より党利党略が大事なのか」という批判を招きかねず、そこは避けたいはずです。またTPP法案のようにしらばっくれ強行採決というわけにもいかない案件ですので「議論を尽くす」と言い切れる状態にする必要があるでしょうから、日程的に何日までに法律を成立させるという性質のものではありません。充分に時間を取りたいはずです。そうすると今年前半から夏にかけては解散の日程は組みづらいということも言えそうです。

もう一つ、安倍首相の不安材料としては、若手議員の質に対して疑問符がついているということも払拭できないところと思えます。2012年当選組が風に乗っかって当選してきた人たちなので、よほどの風が吹かないと枕を並べて討ち死にということも考えられないわけではなく、石破茂さんが幹事長になった時に、相当締め付けようとしたようですが、有権者の目からは小学生を相手にしているような指導をしているようにも見え、かって良くなかった気がしないわけでもありません。追い込まれてはいないと言い張れるギリギリまで現状を維持し、風を吹かせて再選させるというシナリオを私だったら考えるかも知れません。

そういう風に考えると、天皇陛下のご譲位に関連する法律を成立させた後で、選挙で訴えることのできる目玉なり大義名分を用意して解散を打つということをざっくりと想定することが可能です。「経済優先」は「財政優先」ではありません。やはり前回の総選挙では消費税増税先送りを訴え、野党が消費税の増税を訴えるというなんかあんまり見たことのない選挙になりましたが、与党が増税の先送りなり減税なりを訴えるというのはなかなか鬼に金棒的な強さを発揮するものと考えることができます。となれば、次は2019年まで先延ばしされた消費増税を更に先送りするか、或いはこれ以上増税しないと法律を書き換えることを公約にするか、場合によっては消費税を5パーセントに戻すために新しく法律を作るというような公約で、どどーんと減税与党という看板で押し出してくるのではないかという気がしなくもありません。消費税を下げてほしいというのは個人的な願望も入ってはいますが、以上、2017年秋衆議院解散説でした。

細川護熙内閣‐脆弱な小沢劇場

小沢一郎・羽田孜一派が内閣不信任決議案に賛成したことで、宮澤喜一首相は衆議院を解散します。結果、自民党は離党組を除けば議席一つ増で逆風の中善戦したとも言えるのですが、小沢・羽田の新生党、細川護熙の日本新党、武村正義や鳩山邦夫の新党さきがけが社会党の議席を奪って大きく躍進します。

小沢一郎は非自民政党を糾合して細川護熙首班の内閣を作り上げますが、「憲政の常道」に照らせば、直近の選挙の比較第一党の党首が首相に任じられるとする不文律に反しているとの批判もされました。もうちょっと言うと、憲政の常道では比較第一党の党首が失政により退陣した場合は第二党の党首が首相になるので、選挙で惨敗した社会党の党首が選ばれるのも筋かも知れないですが、小沢・羽田の離反による不信任決議なので、陰謀による倒閣とも受け取れますから、或いは宮澤さんが少数与党で続投でも良かったかも知れません。

小沢一郎さんにすれば、「数は力だ」の田中竹下流をまねているだけだということなのかも知れません。

細川護熙さんはお血筋も良く、ルックスも良く、支持率は70パーセント超えという上々な内閣の出だしに見えましたが、消費税を7パーセントに増税するとする福祉目的税構想を打ち出したあたりから暗雲が垂れ込めます。深夜、新聞の朝刊の降版時間を過ぎる時間帯を狙って発表されたもので、細川さんは朝日新聞の元記者ですから、朝刊に間に合わない時間に発表すれば、夕刊の時間帯には他のニュースも飛び込んでぼんやりとした報道になるという読みがあったものの、この作戦は裏目に出てしまい、新聞記者たちは翌日の夕刊でこれでもかと派手に増税の記事を書くという事態に至ってしまいます。

細川政権は非自民以外に特筆すべき理念があったわけでもなく、ふんわりとした文字通りファジーな政権で、それでも国民は心情的に細川さんを応援する人が多かったと思いますが、大蔵省の官僚のブリーフィングを信じて増税しようということで、多くの人ががっかりしたのではないかと思います。

官房長官の武村正義は細川首相を庇うわけでもなく「私とは意見が違う」と平気で発言することもあり、なんつう官房長官だと思っているうちに細川さんが佐川急便からお金を借りていたという疑惑が生まれ、素朴に嫌になった細川さんは突然首相を辞めてしまいます。小沢さんが細川さんを積極的に擁護しなかったことも悪いという意見も出たようですが、攻めに強く守りに弱いのが小沢一郎ですから、首相が佐川問題で論難されている様子を見ても「なんとかしろ」くらいのことしか言えなかったのかも知れません。

細川政権が崩壊した後、小沢と心中するつもりで自民党を離党した羽田孜首班の内閣が登場します。小沢劇場の破綻です。


宮澤喜一内閣‐小沢劇場

海部俊樹首相の退陣が決まると、宮澤喜一、三塚博、渡辺美智雄が後継首相に名乗りを上げます。竹下派が支持した候補者が勝利するという図式がほぼ固定化していましたので、竹下・金丸・小沢ラインの小沢一郎がそれぞれの候補者を呼び出して面接するという強気な手段を採り、候補者としては支持してもらわなければならないので、不承不承それに従います。小沢一郎は東京都知事選挙で自民党公認候補が落ちたことの責任をとって幹事長を引き、当時は竹下派代表代行という立場でしたが、面接してもらった宮澤喜一氏は「大幹事長」とまで持ち上げます。

宮澤さんのようなプライドの高い人が腰を低くし土下座するような思いで小沢と対したことが功を奏したのか、竹下派は宮澤支持を決め、宮澤喜一内閣が登場します。

この時代、バブルの崩壊現象が顕著に現れ始めていたため、経済通の宮澤氏はその要因を住専の不良債権にあると見極め、住専に公金を注ぎ込めば解決すると踏みましたが、当時はマスコミが反対の大合唱を始めます。日本銀行の総裁が資産インフレ潰しに動いて「平成の鬼平」と称えた時代です。資産インフレの旗振り役だった住専に公金を入れるとは何事か、という感情優先の報道が続き、宮澤喜一は住専救済を諦めます。

当時、海部俊樹首相の時代に一度潰された「政治改革」(その実は選挙制度改革)が注目されており、田原総一朗さんが宮澤首相にインタビューした際、田原総一朗から「政治改革はやるんですね?」と念押しのような質問をされ、「やります」と答えたことが言質となってしまい、政治改革関連法案が廃案になると、マスメディアは一斉に「宮澤首相は嘘つきだ」と叩き始めました。当時は自民党の政治家を叩けば番組は成立するという雰囲気だったようにも思えます。

小沢一郎のその波に乗るかのように、政治改革に失敗した宮澤喜一首相不支持を表明。『改革フォーラム21』という竹下派内派閥を作り出し、竹下登との対決姿勢を鮮明にします。宮澤喜一氏にしてみれば、竹下派内のお家騒動のダシに使われているようなもので、たまったものではなかったでしょう。

想像ですが、小沢一郎は竹下・金丸に首相就任を薦められ、それを固辞して以来、竹下からあんまりかわいがられなくなったので、遅い反抗期に入ったのではないかという気がします。これは小沢ウオッチングを続けた結果得た感触に過ぎませんので、本人は否定するでしょうけれど、小沢一郎の性格を考えると、そのように考えるのが最もしっくりくるように思えます。

当初は小沢一郎だけが周辺と一緒に騒いでいるだけだと見られていましたが、あろうことか羽田孜・奥田敬和などが合流し、衆議院竹下派は真っ二つという様相を呈します。竹下登と小沢一郎の間には「参議院には手を入れない」という約束があったとも言われていますが、竹下登は参議院竹下派の支持を確保することで、小沢を圧倒します。小沢は一機に追い詰められ、竹下登が約束を破ったと思ったかも知れませんが、竹下の方からすれば派閥に反抗しておきながら紳士協定が成立すると思った小沢が甘いのだということになるのだとも思えます。

この時期に、細川護熙が日本新党を立ち上げ、世間の注目を集めます。

小沢・羽田グループは宮澤内閣不信任決議案に賛成し、自民党を離党。宮澤内閣は総辞職ではなく解散総選挙の道を選びます。世論は大いに盛り上がり、小沢・羽田・細川を改革派と持ち上げて、自民党は過半数を獲得することができず、宮澤首相は引責辞任することになります。ただし、離党組を除いた自民党議席は改選議席より1議席上回っており、善戦したのではないかとも思えます。

選挙後、過半数を確保する政党がないままに、小沢一郎主導で社会党を含む非自民を糾合した細川護熙首班連立内閣が登場します。この時、羽田は騙されたと思ったかも知れません。小沢一郎が政治の主役だった時代であり、今から振り返れば確かに小沢は絵になっており、小沢劇場にみんなが振り回された時代とも言えそうです。


海部俊樹内閣‐神輿

宇野宗佑首相が短期で辞任し、竹下・金丸・小沢ラインが目を付けたのが海部俊樹でした。若さのわりに当選回数が多く、早稲田の雄弁会では竹下登の後輩だということが理由になったと言われています。自民党幹事長だった小沢一郎は「神輿は軽くて〇ーがいい」と言ったと言われており、そういう意味完全に傀儡でしたが、国民の人気は高く、衆議院選挙も乗り切っています。

とっちゃん坊やでかわいらしい顔と真面目そうな雰囲気が人気呼び、学生時代から政治家になりたくて夢を叶えたという感じがするので、私も印象は悪くないです。選挙で勝てる顔なわけですから長期政権になってもおかしくないですが、政治改革法案で紛糾します。田中角栄のロッキード事件のイメージを自民党はまだ色濃く残しており、更にリクルート事件が追い打ちをかけて来た時期ですから、「政治改革」が時代の合言葉のように言われていましたが、中選挙区制度だった衆議院を小選挙区と比例代表に変えるという飽くまでも選挙制度改革に過ぎず、自民党の結党以来の党是である憲法改正に必要な三分の二を確保するためには選挙で大量に勝てる可能性のある小選挙区制にすることは以前から議論されていたことでもあり、ご時世に乗っかって政治改革の名の下に長年の懸案を解決しようとしたという面も一部の人にはあったのではないかとも思えます。

しかし、選挙区の区割りの変更は現職議員の地盤を直接脅かす可能性があるため、自民党内での反発は激しく、小此木委員長が廃案に持ち込むという結構心ない方法で潰されたため、海部俊樹首相は「重大な決意」という言葉を発します。首相が「重大な決意」と述べれば解散を連想させますし、内閣の目玉の法案が潰されたとなれば、解散の理由としても充分とも思えますが、やはり竹下・金丸・小沢ラインが不賛成で解散すら打てないという状況に追い込まれ、海部内閣は退陣することになります。

海部内閣時代には湾岸危機→湾岸戦争が起きており、アメリカは日本からも自衛隊を出すようにと求めて来ますが、当初はそれを拒否。人を出さないのなら金を出せと迫られ、小沢一郎主導で一兆二千億円が支払われます。更に、戦闘が終わった後のことですが、自衛隊の掃海艇が派遣されます。小沢一郎がバリバリ親米の時代で、当時の小沢は憲法9条に第三項を加えればオーケーだとする加憲論者でした。当時、小沢一郎は剛腕幹事長と呼ばれ、全盛期を迎え注目されていましたが、その後の変節・転向の展開を思えば、振り返ってみても何となく白けてしまいます。

海部首相の次は宮澤喜一政権です。


大平正芳内閣‐40日抗争とハプニング解散

三木おろしの後、福田赴夫と大平正芳の間で結ばれた「大福密約」により、自民党総裁の任期を二年とした上で、二年後には再選を目指さず、福田が大平に禅譲するということで福田赴夫内閣が登場したものの、福田が約束を反故にし再選を目指しますが、福田が再選すれば角福戦争に決着がつき、田中角栄復権の目が摘まれてしまうということを田中派が懸念し、田中派の全面的なバックアップで大平正芳内閣が登場します。

大平正芳政権下ではソビエト連邦によるアフガニスタン侵攻と、それに対する抗議としての西側諸国のモスクワオリンピックへのボイコットがあり、ある意味では冷戦がクライマックスを迎えようとしていた時期とも言えます。その後、ゴルバチョフが登場して冷戦終結とソビエト連邦の崩壊まで10年ちょっとですが、当時はまだそういうことは分かりません。米ソそれぞれに人類を何十回でも滅亡させることができる核ミサイルを保有していつでも撃てるように相手に照準を合わせている時期であり、相互確証破壊だから安全なのか危険なのか判断できかねるというか、核戦争への漠然とした不安もつきまとうような時代だったとも言えそうです。

大平政権下で行われた総選挙では定数511に対して自民党の獲得議席が248と振るわず、福田・中曽根が大平に辞任を迫るという、いわゆる40日抗争が起きます。角福戦争的にも特に見どころのある、これはこれでクライマックスと言えます。自民党が敗けた理由としては、田中角栄への批判が強い中、大平が田中の下僕であるかのように見えたことは大きいかも知れませんが、三木おろし、大福密約と、政治の世界が椅子取りゲームに熱中している様子に対して国民に嫌気がさしたということもあるかも知れず、そういう意味では大平正芳に責任があるというよりは福田にも責任があるとも言えそうですが、いずれにせよ、自民党が分裂状態に陥り、大平は少数内閣でのかじ取りを迫られます。より田中依存を強めざるを得ないという、矛盾と心労のかさむ状況になっていたと言ってもいいかも知れません。

衆議院選挙後の首班指名選挙では、大平と福田に票が割れるという政党政治が機能としているとはとても言えない状況に陥りますが、決選投票で僅差で大平が勝利します。

翌年、社会党が、ハマコーがラスベガスで大損したことまで持ち出して内閣不信任決議案を提出すると、福田派、中曾根派議員が退場。どこにでもとりあえず噛んでくる三木派の議員も退場します。結果、不信任決議案が可決されるという、社会党も予期していなかった事態に至り、大平は解散権を行使。衆議院選挙が行われます。

公示日になって大平正芳は体調を崩して虎の門病院に入院し、小康を得た後に回復の兆しもありましたが、投票日を前にして亡くなってしまいます。自民党に同情票が集まり、自民党は284議席の安定多数を獲得します。

このように見てみると、大平正芳首相は就任後の解散で自民党の議席を減らし、福田・中曽根・三木にさんざん突かれて心労で亡くなったようにしか思えず、大変に気の毒で、結果として自民党が選挙に勝ったということは、それらの人間的過ちのつけを社会党が支払いというなんだかよく分からない展開を見せていたということができるかも知れません。

自民党の新総裁は田中角栄の意向が反映され、鈴木善幸が選ばれます。


池田勇人内閣‐夢のような時代の始まり

池田勇人という人は若干、舌禍の要素を持っていた人らしく、吉田茂の大蔵大臣をしていた時代に有名な「貧乏人は麦を食え」発言をして世の中を沸かせています。この手の発言が問題視されるのは今の時代も同じですが、池田勇人は元々大蔵官僚ですので、お上の金庫を満たすことを是としており、ドッジラインで財政均衡主義が既定路線になっていましたので、そのような観点に立てば、税金を収められない人は人ではないくらいに思っていたのかもしれません。

しかし、岸信介内閣の後を継いで首相になった時にはケインズ経済学に基づいた大規模な財政支出による経済成長を政策の主軸としており、本人も「所得倍増計画」という言葉が気に入っていたようですから、財政家としての矜持はあまりなく、どちらかと言えば舌禍を繰り返すあたりからみても「ワンフレーズ」が好きな人だったと受け取るべきかも知れません。

ただし、所得倍増計画は大当たりと言って異論のある人は少ないように思えます。当時、朝鮮戦争特需は既に終わっており、新しい需要喚起の見通しも特にない一方で、国民の生産潜在性は高く、供給過剰デフレ懸念が強かったはずですが、お上が率先してお金を使ってインフラにお金を注ぎ込み、地方にもバンバン使えと後押ししたことで、高い生産潜在性が十全に活用され、いい意味でのインフレが起き、所得は当初の計画以上のペースで上昇し、いわゆる高度成長期が始まります。21世紀の現代のように所得がなんとなく増えない、どちらかと言えば下がっているとも言える時代から見れば夢のような時代だったと言えるかも知れません。

日本は主要国に返り咲き、エコノミックアニマルと呼ばれようと、首相は世界に営業をかけていると言われようと、ひたすらモーレツに働く、モーレツ上等、努力は倍々ゲームで報われるという、ちょっと今では考えられないような時代です。東京オリンピックも池田首相時代の終盤で開催されています。解散総選挙では自民党が大勝ちしていますが、経済が良ければ政権党に支持が集まるとする典型的な分かりやすい例と言えるかも知れません。

しかしながら、いわゆる超過勤務の慣習が神話化されていくという副作用もあり、公害や自然破壊のような副作用は克服されたと私には思えますが、超過勤務の神話、長時間会社にいることがいいことだ、早く帰りたいと考えるの悪だという発想法が楔となって今も深く日本人の心に突き刺さっているのではないかとも思えます。努力が倍々ゲームで報われる時代であればモチベーションの維持に効果を期待できますが、そうでない場合はかえってモラルハザードの要因になる可能性もあり、私は個人的にはそれが池田首相のレガシーの負の面ではないかと思えてしまいます。

池田勇人首相は喉にがんが見つかり、入院中に次の首相に佐藤栄作を指名します。長い佐藤時代が始まりますが、三角大福中の大椅子取りゲーム時代も近づいてきます。


第二次(第三次第四次第五次)吉田茂内閣

芦田均内閣が昭和電工事件で総辞職すると、GHQの民生局は結成されて間もない民自党の総裁吉田茂ではなく幹事長の山崎猛を首相に擁立しようと動いたと言われています。反吉田派の議員もこれにのっかろうとしますが、吉田派の議員たちが山崎猛を説得し、山崎が議員辞職する(新しい憲法下では衆議院議員でなければ首相になれない)ことで、第二次吉田茂内閣が登場します。長く、かついろいろな仕事をした内閣です。この流れは山崎首班事件とも呼ばれますが、白洲次郎が吉田茂に山崎擁立の動きを報せ、吉田がマッカーサーに確認したところ「そんな話は知らない」と答えたということなので、民自党の内部もガタガタしていますが、GHQの内部でもいろいろとガタガタしていたと推量することができます。

民自党は少数与党であったため、議席数の増加を目論んで衆議院の解散を行おうとしますが、憲法の規定では内閣不信任案が議決された場合か、天皇による解散かだけが認められているため、果たして自己都合解散が可能かどうかで議論されますが、与野党共同で内閣不信任案に賛成し、天皇の解散の詔書も用意して、つまり憲法の規定の両方を満たすことで文句ねえだろうと衆議院を解散します。世間から「馴れ合い解散」と言われます。現在は首相の一存でいつでも解散できることになっていますが、それはその後に確立された慣例と言うことができるかも知れません。

このようにして成立した吉田茂内閣ですが、この長期政権の最大の仕事はサンフランシスコ条約の締結によると日本の主権回復と、日米安保条約の締結と言えます。吉田茂はサンフランシスコ条約には日本人参加者全員の前で署名しましたが、日米安保の方は、後世の汚名を被るのは自分だけでいいからと、場所を変え、目立たずこっそりと一人で署名しています。これだけの大仕事をしたのですし、鳩山一郎の公職追放が解ければ鳩山に政権を返すという約束もしていた吉田ですが、更なる長期政権を目指し、衆議院を解散します。抜き打ち解散と言います。

与党の民主自由党が政党名を自由党に改称し、選挙に臨みましたが、自由党が僅かに過半数を超え、野党は改進党、社会党右派左派で議席を分け合うという結果になりました。社会党右派の西村栄一の質問で「自分の言葉で世界政治を語ってくれ」「自分の言葉で語っている、無礼じゃないか」「無礼とはないか」「バカヤロー」という子どもの喧嘩みたいなことで国会が紛糾し、世に言うバカヤロー解散が行われます。

選挙結果は自由党吉田派だけでは過半数に届かず、改進党の閣外協力を得てどうにか政権を維持できるというところでしたが、造船疑獄事件が起き、検察に対して佐藤栄作逮捕を延期するよう指揮したことで一機に世論の支持を失います。鳩山一郎政権を作ることを自分の仕事だと信じていた三木武吉が吉田の外遊中に鳩山を総裁とする日本民主党を結成し、内閣不信任案で吉田茂に追い込みをかけますが、吉田は当初こそ解散で乗り切るつもりだったものの、造船疑獄と指揮権発動で世論の支持のない状態では選挙で勝てないと判断し、総辞職します。

吉田茂が首相を務めた長い期間には、朝鮮戦争の勃発やアメリカからの再武装の依頼などもありましたが、吉田は再武装は拒否しつつけたものの、政権の末期で自衛隊を成立させます。吉田茂には平和主義という印象や、再軍備すればお金がかかるので、拒否したという観点から、現実主義者と評されることもありますが、個人的には戦前に官僚なり政治家なりを経験した人は軍がどれほど面倒な存在かということを身に染みており、軍が日本を滅ぼしたという実感もあったでしょうから、軍人の復活を嫌っていたのではないかという気もしなくはありません。

吉田茂の次は鳩山一郎が政権を継ぎ、保守合同、55年体制の確立へとつながっていきます。

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