小池百合子と石破茂と小沢一郎と渡辺美智雄と加藤紘一

2017年秋の選挙期間に突入しましたから、選挙で苦労している人に対して申し訳ないので、揶揄するでもなく、嘲笑するでもなく、真面目に小池百合子と石破茂と小沢一郎と渡辺美智雄と加藤紘一という題で考えたいと思います。

小池百合子さんは選挙後に石破茂さんの首班指名を模索したとの話が飛び交っています。私がもし石破茂さんと親しい関係であれば、断るように進言すると思いますし、多分、石破さんサイドは断っていると思います。自民党でもうあとひきなんだけれど首相になれないという人を引き抜こうとした例としてぱっと思い出すのが小沢一郎さんが渡辺美智雄さんを引き抜こうとした時のことです。一時期、渡辺美智雄さんは乗り気だったようなのですが、小沢さんとの会談予定の前日、眠れないために睡眠薬を使用した渡辺さんが朝起きれずに会談に遅刻。小沢一郎さんは予定通りに現れないのならそれまでよとピーターパンのステージを見に行ったということがありました。

小沢一郎としては渡辺派の人数が欲しかったし、渡辺美智雄さんとしては、自民党を割って出てでも首相になりたい、健康状態がよくないので今しかないという追い詰められた状態でしたが、互いに利害は一致していたとも言えます。しかし、小沢一郎がピーターパンを優先したことや、渡辺派からついてくる議員があまり多くないということで、相互の関係がぎくしゃくし始め、渡辺さんも意欲をなくし、この話はお流れになったと記憶しています。

小池百合子さんは石破茂さんに同じ手口で仕掛けたということになりますが、最近の小池さんは策士策に溺れる感が強く、今回の選挙では希望の党は必ずしも有利とも言えないようです。

さて、首相になりたくて反乱を起こした人物と言えば加藤紘一さんです。森喜朗首相の不信任決議案に賛成する構えを見せ、加藤紘一待望論が出たらそこに乗るようにして首相になるつもりだったのが、果たせませんでした。涙を拭おうともせずに自派の議員たちに敗北を告げる場面は今も鮮やかに脳裡に浮かびます。この時、「あんたが大将なんだから、あんたが行けと行けばみんな行くんだ」と励ましたのが谷垣禎一さんでした。

日本の議会制民主主義でやっかいなところは、建前では政策を同じくするものが集まって政党を作ることになっていながら、現実には権力を得るための合従連衡、個利個略が優先されてしまうことです。加藤紘一さん、渡辺美智雄さんにはある種の悲劇性がありましたが、それも政策よりも権力を優先しようとしたからとも言えます。いっそのこと党議拘束というのをなくしてしまえば、そのような悲劇も少しは減るのではないかという気がします。

安倍首相は現段階で解散を打ちたくても打てないように見える件

政治的なイベント、または外交的なイベントがあれば、すぐに解散説が出てきます。たとえば、森友学園問題では、証人喚問の終わり、出るべき話はだいたい出尽くした感があり、これを境に解散か?というような観測もなかったわけではありません。内閣支持率は概ね好調で、森友学園問題で騒ぎになってからは少しは下がりましたが、現状では回復が見られます。尤も、森友以前までほどには回復していませんから、同じやるなら今の時期は外してもう少し様子が見たいというところはあるはずです。

外交で得点して解散への流れを作りたいと安倍首相が考えていたことはまず間違いないと思いますが、プーチン訪日は実際的には空振りみたいなもので、北方領土で一機にという感じではなくなってきました。また、北朝鮮で開戦前夜(?)の空気が漂う現在、邦人保護の観点からみても米韓合同軍事演習が終わるまではとても解散している場合ではありません。外交的にはこつこつと小さく積み重ねてきた点は正当に評価されるべきと思いますから、概ね高い支持率はそのことも反映しているかも知れないですが、前回のように大きく勝てるという見込みが立つほどの感じでもなし…。というところではないかと思えます。

経済に関しては、金融緩和がそれなりに効果を上げていると思える一方で、日銀頼みの感が強く、もう一歩、抜け切れていない様子であり、失業率が史上最低レベルにまで下がったという事実は正当に評価されるべきと思いますが、21世紀バブル、21世紀元禄という感じにはほど遠く、長い目で見ると悲観したくなる材料が山積みですので、選挙で大勝利の確信を立てられるところまで来ているとも言い難いところがあります。個人消費は伸びておらず、明らかに消費税の増税の影響を引きずっていると思えますから、長い目で見るとずるずると衰退していきそうにも思えてしまい、なんとかしてくれ…。とついつい思ってしまいます。せめて東芝が救済されれば、ちょっとは明るいニュースになるようにも思うのですが、外資に買われる可能性の方が高いように思え、どうしてもぱっとした感じにはなりません。リフレ派の論客の片岡剛士さんが日銀の審査委員に就任する見込みですので、黒田総裁就任以降のリフレ政策は維持される、或いは更に深堀りしていくことが予想できますが、日銀頼みになってしまっているところが軛のようになっているとも思えますから、もう少し明るい材料がほしいところです。

しかし、安倍さんが憂慮する最大の要因は自民党の若手の議員の人たちが枕を並べて討ち死にする可能性が高いというところにあるそうです。確かに育児休暇をとると言っておきながら、不倫をしていた国会議員、重婚疑惑の国会議員など、たるんだ感じのスキャンダルが多く、20世紀型の大金を集めていたとかの話に比べれば小粒なスキャンダルとも言えますが、小粒なのに品がないという関係者であれば絶望したくなるような話題が目立っており、党の執行部であれば「このメンバーでは戦えない。外交で得点して何とか、粗を隠せないか…」という心境になるのではないかと想像できます。

2017年秋の解散説がありましたが、最近では2018年解散説まで出ています。勝てる目算が立つまではぎりぎりまで待つというわけです。追い込まれ解散になる可能性もあるけれど、それまでにいいニュースを発信できるかどうかということに賭るということらしいです。

自民党の支持率は4割近くあり、小選挙区中心の日本の選挙制度から考えれば上々と言えますし、民進党の支持率は全く上がらないというか、下がり気味であり、通常であれば自民党は楽勝とも言えますが、最近は当日になって誰に投票するかを決める人も多く、そのあたりの有権者の気まぐれの恐ろしさをよく知っているからこそ、メンバーのたるみを危惧していると言えそうです。小池百合子さんが手駒をどれくらい揃えてくるかによって今後の流れは変わってきますから、そういう意味では東京都議会選挙には注目せざるを得ません。ただし、小池さんは最終的には自民党と組む形で、細川護熙さんの時のように、少数与党ながら首班指名を勝ち取るというあたりを狙っていると思われるものの、自民党は正解遊泳型の政治家を絶対に認めないという空気も持っていますので、そのようなある種の伝統を小池さんが打ち破るかどうかは見届けたいところです。豊洲移転問題のもたつき、東京オリンピックの準備のもたつきが指摘される中、小池さんの演説力で乗り越えるのかどうかは日本の政治の将来を占う重要な材料になるように思えます。

最後に、安倍さんにとって恐るべしは小沢一郎さんかも知れません。前回の衆議院選挙でも、東北地方では自民圧勝という結果を得ることができず、小沢一郎王国が奥州藤原氏の如き強靭さを持っていることをうかがい知ることができましたが、解散時期が遅くなればなるほど、小沢さんに合従連衡の時間を与えることになります。小沢さんは党名を自由党というかつての政党名に戻しており、そこに心境の変化、心構えを見ることができます。

安倍さんとしては憲法改正可能な議席を維持したいという思いがあるでしょうけれど、上に述べたような各種不安要素を並べてみると、次も前回と同じだけの議席を確保できる見通しは必ずしも高いわけではなく、仮に現状に大きな変化が生まれないまま解散総選挙ということになれば、憲法改正はあきらめざるを得ないという結論にも至りかねません。私個人は無理をして憲法改正をする必要はないと思っていますから、3分の2以上の議席をとれるかどうかにはあまり関心はないのですが、憲法よりもまずは経済で、消費税の据え置き、できれば減税、可能なら撤廃(日本は一挙にバブル期なみの好況に恵まれることになると思います)で選挙をやってもらえないものだろうかと願う次第です。

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麻生太郎内閣‐リーマンショック

福田康夫内閣の総辞職を受け、衆議院解散の次期が迫る中、火中の栗を拾わされる形で首相の座についたのが麻生太郎でした。既にいつ衆議院選挙をやってもいい時期に入っており、麻生内閣も発足直後から解散の次期を探り始めます。ただ、運の良くないことにリーマンショックが世界に影響を及ぼしており、日本でも不景気の波が押し寄せ、政権党人気凋落は必至という巡りあわせになってしまいます。

100年に一度の金融危機ですので、これは小手先でなんとかできる範囲のものではなかったかも知れません。国民に商品券を一律一万いくらだかを配るという策にも出ましたが、空気を変えるほどの効果を挙げることはできませんでした。消費税を3パーセントに下げるくらいのものをぶち上げれば風向きが変わったかも知れないですが、さすがにそれは財政再建派の反対強すぎて手を付けられなかったかも知れません。小泉純一郎は麻生さんに「二院制廃止くらいの派手なのを打ち上げた方がいい」とアドバイスしたというのを聞いたことがあります。

民主党が参議院を抑えているため、そもそも内閣でできる仕事にも限界があり、不景気で、いろいろ意味で発足当初から窮している感が強かったですが、そこに麻生さん本人への非難めいた報道がいろいろと湧き上がってきます。人相が悪いとか、親から受け継いだ資産で贅沢しているとか、口が悪いとか、そういうのが噴出します。

おそらくは麻生さん本人もそういった報道にプレッシャーを感じていたのでしょう、どんどん人相が悪くなり、過度なストレスに悩んでいるけど首相として快活そうに振る舞わなくてはならないという気の毒な立場に立たされてしまいます。

このままいけば次の衆議院選挙で民主党が勝利して小沢一郎首相の誕生という流れになりそうでしたが、小沢一郎の政治資金団体の土地取得問題がやり玉に挙げられ、小沢一郎が代表から退き、鳩山由紀夫が後継代表となり、続く衆議院選挙で民主党が圧勝して鳩山由紀夫首相、民主党政権時代が始まることになります。

屈辱的な形で退陣することになった麻生さんですが、今の方が生き生きしている感じに見えますから、まあ、これも人生くらいに思っていいのかも知れません。

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福田康夫内閣‐大連立構想

第一次安倍晋三内閣が総辞職すると、自民党の後継総裁に福田康夫が勝利し、福田康夫内閣が登場します。福田康夫さんは元々政治家になるつもりのなかった人で、50歳を過ぎてから突如福田赴夫の後継者として政治家になった人ですが、小泉純一郎政権で官房長官を担当し、突如辞任したことから、総理大臣候補として取り沙汰されるようになっていきます。

安倍晋三さんが首相になる際にも福田待望論は起きたのか起こしたのか何とも言えませんが、いずれにせよそれまでとは違った路線を打ち出そうとしていたように見受けられます。自身の任期中に衆議院選挙もあり得るという状況だったため、その辺りのプレッシャーは強かったかも知れません。

参議院では民主党が圧倒的だったため、ねじれを解消する目的で民主党党首の小沢一郎と大連立構想をまとめようとします。一旦話はまとまったものの、民主党内部から猛反発が起き、小沢一郎は大連立を断念。電話で福田さんに断念する旨を伝えたと言われています。

小沢一郎は民主党内部が自民党との連立に大反対だったことを受け「自分への不信任だとみなす」として代表辞任を表明しますが、鳩山由紀夫らの懸命な説得で留任を表明します。徳川慶喜ばりの瀬戸際交渉とも言えますが、過去に竹下金丸が小沢一郎をさんざん説得しても首相を受けなかったことを考えると、鳩山由紀夫の説得を受け入れた分、小沢一郎は丸くなったということもできるかも知れません。

福田康夫は内閣を改造し、この改造内閣で総選挙に臨む可能性もありましたが、改造後一か月ほどで総辞職を表明します。果たして福田内閣は何だったのかという疑問は残らなくもありませんが、小泉政権でかくも強さを見せつけていた自民党が小沢民主党にかなり圧迫されるようになり、自分の手では解散総選挙は打てないという考えが福田さんにはあったのかも知れません。

衆議院の任期満了が近づく中、政権は麻生太郎に譲られます。麻生太郎は選挙をさせられた首相みたいに言えるかも知れません。

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第一次安倍晋三内閣‐窮する

賛否両論ある小泉純一郎の長い時代が終わり、第一次安倍晋三内閣が登場します。安倍氏は保守色が強いことで知られていたため、強い拒否反応を示すメディアもありましたが、当時の安倍氏には批判を恐れずに信念を貫くという意識がおそらくは強かったのではないかと推察できます。

北朝鮮の核実験に対する経済制裁の方針を打ち出し、国連北朝鮮制裁決議を引き出したり、韓国の廬武鉉大統領との会談や中国の胡錦涛主席との会談するなどして、北朝鮮封じ込めの戦略をとっていたようです。

一方で国内政治では、小泉改革への反動の機運のようなものが生じており、安倍氏は小泉氏によく仕えた人で、路線的にも継承していますので、そういう意味での風当たりは強かったかも知れません。大臣の不祥事の続発も安倍政権に打撃を与えていました。また、小沢一郎さんが民主党党首に迎え入れられ、選挙で安倍氏を苦しめることになっていきます。

小沢一郎は小渕恵三首相が倒れた後は、ただただ黙して選挙で手勢を増やして行くということに徹しており、それが自民党の議席ではなく民主党の議席を奪っていくという形で進んだため、当初非小沢野党として結党した民主党としてはこのままでは小沢氏の党に野党第一党のポジションを奪われるという危機感があり、小沢一郎を民主党に取り込むことで、小沢に食われるという現象を食い止めたという面があったように思えます。参議院選挙で民主党が大躍進を果たし、自民党としては小沢一郎の選挙の強さに改めて舌を巻かざるを得なかったわけですが、これを受けて、自民党内では安倍おろしが表面化し、福田康夫首班が取り沙汰されるようになります。

安倍晋三さんはこの難局を内閣改造で乗り切るつもりだったようですが、改造後一か月ほどで体調不良を理由に総辞職を表明します。安倍さんが若いころ胃腸がよくないという話は流れていましたが、それを理由に総辞職するというのは多くの人に衝撃を与えたようです。強いプレッシャーによる健康不安は普通の人でもあることですから、そういった諸事情で心が折れてしまったのかも知れません。

安倍晋三さんは後に、55年体制以来初となる首相再登板を果たしますが、人間修行を積み、より柔よく剛を制す感じになっており、長期政権になっています。安倍さんを支持するか支持しないかは別の問題として、失言、失態、凡ミスが少ないという点に、過去の失敗からよく学んだのだという印象を受けます。

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小泉純一郎‐功罪

森喜朗首相時代、加藤の乱で加藤紘一さんが失脚し、森喜朗内閣総辞職後にYKKで末席だったはずの小泉純一郎が自民党総裁に当選します。賛否両論ある小泉・竹中改革の始まりです。

細かいことはいろいろ省いて本質的なことを考えてみるとすれば、小泉改革の基本スタンスは小さな政府を理念としており、その理念通りにできるだけ政府のプレゼンスを小さくし、民間に任せられることはこれも可能な限り民間に任せるということに尽きると思います。なぜ民間の方が効率が良くなるのかと言えば、民間では多くの企業が試行錯誤をして最も良いパフォーマンスを出したところが生き残るという「適者生存」の法則みたいなものが働くためで、必然的に大競争社会となり、能力主義となり、勝ち組と負け組の違いがよりはっきりと目に見えるようになります。一方で、能力さえあれば面倒な手続きや前提や前例がいろいろ取っ払われる状態であるために敗者復活がしやすく、失敗から学んで立ち直るというところに人生が期待できるようになるとも言えるのではないかと思います。

不良債権処理が強行されたのも、そもそもパフォーマンスの悪いことをしている企業がお金を還せないのなら、仕方がない。むしろ早く整理して銀行のバランスシートを健全化させた方が広い意味で世の中にためになるとする新自由主義的な発想で行われたものであり、郵政民営化も、上述のような経済原理が働くために結果としては広い意味で国民のためになるという判断が働いたと私には思えます。郵政民営化に関しては小泉純一郎の父親からの因縁も囁かれていますが、個人的な彼の思いがあるにせよ、上のような理論化がなされていることは疑いの余地のないことのようにも思えます。

このあたり、賛否両論あり、どちらが正しいということは簡単には結論できませんが、小さい政府という理念を理解していない、またはその理念を拒否したいという人にとっては小泉改革は単なる弱い者いじめに見えるかも知れません。一方で、小さい政府論者からすれば、その素朴なまでの理念一直の姿勢にある程度の評価を与えることができるということになるのではとも思えます。

大きい政府がいいのか小さい政府がいいのかは、人それぞれの価値観の違いが含まれてくるので、なかなか難しいところというか、議論が埋まって行かない、永遠に議論が尽くされることのない深い溝を感じます。小泉時代の前半では不良債権処理のために多くの人が「情け容赦ない」という目に遭わされ、後半では構造改革と銀行のバランスシートの健全化の効果が表れて好景気に沸きます。ここはもう、どこのポイントをとって議論するかで小泉・竹中改革に対する評価は二分するとしか言えません。小泉純一郎の小さい政府路線はそもそも小沢一郎が日本改造計画で提唱していたものでもあり、小沢一郎からすれば自分がやろうと思っていたことを小泉純一郎がやってしまったという面もあり、この辺りから小沢一郎の政策に関する主張が変節していきます。

外交ではブッシュジュニアに平身低頭していたとも言え、「ポチ保守」とも揶揄されましたが、現実主義だとすれば確かに筋が通っているとも言えます。

印象深いのは日朝平壌宣言で、拉致被害者の人が帰ってきたことで、それまでなんとなく半信半疑でもあった北朝鮮による日本人拉致事件が本当だったということが証明されたことの衝撃は大きかったですが、同時に横田めぐみさんがお亡くなりになったということで話をつけたことなどが批判の対象にもなっています。

政局家として小泉純一郎氏を見るのであれば、奇人変人と言われつつも、実は大事なところはしっかり見極めているということに気づきます。即ち、YKKのメンバーである前に福田系清和会の政治家であるという自覚は常に揺らいでおらず、森政権時代にYKKと清和会が利害相反した時には清和会の政治家としての立場を優先しています。結果としては清和会の支持なくして小泉政権はあり得ませんでしたので、押さえるべきところは押さえておけば後は適当でいいという勘所を知っていたとも言えるかも知れません。小沢一郎の離党騒ぎで主要メンバーの人間関係がズタズタになってしまった田中系政治家との違いが際立っているようにも思えなくもありません。

優勢解散で圧倒的に勝利し、5年の長い政権を終えた後、小泉純一郎は安倍晋三に禅譲し、自民党は麻生・谷垣・福田・安倍の時代に入ります。さらにその後、リーマンショックでいろいろめちゃくちゃになって、民主党時代を迎えることになります。

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森喜朗内閣‐加藤の乱

小渕恵三首相が小沢一郎との会談の直後に倒れて意識不明となり、あたふたとしたドサクサの中で、とりあえず、森喜朗が自民党総裁ということに決まり、森喜朗内閣が登場します。

森喜朗首相はおそらく史上最もマスコミとの関係が良くなかった内閣ではなかったかと思えますが、パフォーマンスではなく官邸とメディアはがちで雰囲気が悪かったようです。元々失言の多そうな人ではありますが、更にメディアが悪意の編集を加えて放送することもあり、国民の支持は非常に低く、誰もがストレスフルに感じていたに違いありません。

更に森喜朗内閣不信任決議案の話が持ち上がり、ここでいわゆる加藤の乱が起こります。野党が不信任決議案を出せば加藤・山崎のいわゆるYKKで反乱を起こして野党につき、森内閣を潰すことも辞さないと宣言します。

森喜朗内閣ができあがったことで、恐らく最も悔しい思いをしたのが加藤紘一さんで、このままいけば加藤抜きで政権がバトンタッチされて行き、自分の出番はなくなるという焦りもおそらくは働き、自分にはYKKというある種の超派閥的派閥があるから、その手勢をここで使おうというわけです。

ただし、小泉純一郎はわりと早い段階で福田系の政治家として振る舞い始め、加藤系の議員たちは次々と野中広務によって切り崩されていくという事態に陥ります。

当時の加藤紘一さんのテレビなどでの発言を振り返ってみると、1、森喜朗内閣は倒す 2、自民党は離党しない 3、自分から「自分が首相になる」とはいわない 4、加藤待望論が起きて来るのを待つ という感じだったと思います。あくまでも行間を読むくらいな感じで、忖度、斟酌含みますが、特に4の加藤待望論を待つというのは自分からは絶対言えないですし、同時にそれ以外に加藤の乱を敢えてやる理由も見つかりませんので、この点は異論も出ないと思います。

実際には2の自民党を離党しないが有権者からは分かりにくく、少なくともマスメディアの方から積極的な加藤待望論は起きては来ませんでした。自民党内部からも加藤待望論は出ませんでしたが、これは権力維持を絶対の原則としている自民党にとって、内閣不信任決議案を盾に取るというゲームは危険すぎて絶対に容認しないはずですから、加藤待望論が出て来なくて当然と言えば当然と言えます。

通常なら小沢一郎が手を突っ込んできて何もかもぶち壊しにすることも考えられるのですが、加藤の乱に関する小沢一郎の目立った動きは特にありませんでした。加藤は小沢を危険視していた部分がありますので、小沢の誘いには乗らなかったでしょうし、小沢もあまり加藤紘一のことは好きじゃなかったんじゃないかなあという気もしなくもありません。また、加藤が自民党は離党しないということを大前提としている以上、小沢からの切り崩しは最初から拒絶しているということにも受け取れます。

加藤紘一が自民党を離党しないという原則を打ち出したのは、一つには河野洋平が新自由クラブを作って離党した結果、中曽根内閣に入閣し、結果としてオルタナティブとしての魅力を失って無残な出戻りをしていること、小沢一郎がなんだかんだとかっこいいことを言って飛び出した結果、野党を作っては壊すというある種の無軌道状態に陥ったことを目の当たりにしていることがあったと思います。そういう意味で、自民党を出ないというのは確かに正しいのですが、反逆を宣言した以上、離党しないということが分かりにくく、世論を引っ張り込むことができませんでした。マスメディアは小沢・羽田以来の政局劇場になれば、もてはやしたかも知れませんが、その辺りに加藤紘一の誤算・甘さがあったのではないかとも思えます。

主筋とも言える宮澤喜一が河野洋平の方を自分の後継者として考えており、加藤紘一を引きずりおろすことを狙い、敢えて加藤を引き止めなかったという説もあるようですが、私にはそこは何とも判断がつきません。

森喜朗内閣のことを書くつもりがほとんど加藤紘一さんの話になってしまいましたが、加藤さんは最近故人になられたばかりですので、お悔やみの気持ちも込めて、加藤さんメインで書かせていただきました。

森喜朗内閣が退陣すると、いよいよ賛否両論ある小泉純一郎内閣の時代に入ります。

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小渕恵三内閣‐小沢劇場再び

参議院選挙で勝利できなかったことで橋下龍太郎首相が退陣すると、小渕恵三さんが次の首班指名を獲得します。就任当初から「パッとしない」と不人気で、海外のメディからは「冷めたピザ」と揶揄されます。小渕さんは地元に中曽根康弘福田赴夫がいたため、「ビルの間のラーメン屋」と揶揄されたこともあるほか、私の記憶では北野武さんが「海の家のラーメン屋。期待してなかったけど食べると意外と旨い」と言っていたように記憶しています。

いずれにせよ、そういうパッとしない感じで始まった小渕政権ですが、小沢一郎の自由党と公明党と連立を組むことで、参議院の劣勢をカバーし、周辺事態法を成立させ、労働者派遣法を改正し、現代のいわゆるハケン労働にも道を開いています。また、とにかく経済を良くすることに力を入れていわゆるバラマキを盛大に行い、国の借金は大いに増えましたが、結果は株価は上がり、経済全体も明るい希望が指した面があったと言えるかも知れません。政局はまたしても小沢一郎のウルトラCを狙う小沢劇場にもなっていきます。

意外といろいろ仕事をした小渕政権ですが、小沢一郎と会談した直後に倒れてしまい、帰らぬ人になってしまいます。小沢一郎は小渕首相に自民党と自由党を一旦解党し、再び自民党として結党するということを求めており、なんでそんな面倒なことをしなくてはいけないのかというと、小沢一郎は自民党に復党を果たしたいものの、細川政権時代に自分たちで作った選挙法に縛られてしまい、比例代表制がある以上、一回解党しないことには合流できないという足かせになってしまっていたようです。結局、この話は成立せず、小渕恵三さんは小沢一郎さんに「一ちゃん、またやろうな」と言ったとも言われていますが、両者でどのように話し合われたのか分からない部分も当然残されています。

国会で小渕恵三さんの追悼のための演説が行われることになった際、民主党党首の鳩山由紀夫氏が追悼することになっていたらしいのですが、小渕恵三さんは鳩山氏から国会で追及を受けていたため、遺族の鳩山由紀夫氏に対する心情が甚だしく悪く、遺族の意向で村山富市氏が追悼しています。

任期中に過労で倒れた首相ですので、どうしても同情的になるというか、そういう人を悪く言うことは心情的に憚られてしまいます。

小渕恵三首相が突然倒れて意識不明になった後、当面は青木幹夫氏が臨時首相代理を預かりますが、事前にそう指定されていたわけでもなく、小渕氏の容態からして青木氏を指名する余裕はなかったため、そこに疑惑の目と批判の声が集まります。個人的には全くの想定外で小渕さんが倒れてしまったわけですので、とりあえず何とかするしかなかったでしょうから、その点で青木氏を責めるのは酷なように思えます。

一方で、後継総裁については当時の五人の長老議員が密会して森喜朗氏が指名されるということになり、日本の後継首相を密談で決めたことに対する批判は今もあるようです。森氏の反論では、中曽根裁定で竹下氏が指名された時や、椎名裁定で三木氏が指名された時に比べれば、透明性は高いということらしいです。いずれにせよ、森喜朗内閣が登場します。

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橋下龍太郎内閣‐経済か財政か

自社連立政権の村山富市内閣が総辞職すると、既に自民党総裁に就任していた橋本龍太郎がその次の首班として国会で指名されます。小渕恵三さんを衆議院議長にする話が持ち上がり、橋下龍太郎さんが「もし小渕さんが衆議院議長になったら小渕首相になれなくなってしまう」と発言したことで、橋下龍太郎首相の次は小渕恵三首相という流れが生まれたとも言われています。

橋下龍太郎内閣で特に記憶したいのは日露首脳会談と消費税の増税ではないかと思います。橋下首相とエリツインロシア大統領との間でクラスノヤルスク合意が結ばれ、2000年までに平和条約を締結し、北方領土問題を解決すると明言されましたが、2016年のプーチン大統領来日でもかたがついておらず、今に至るまでやっかいな懸案として課題が残されています。

もう一つ、大きいのは消費税が3パーセントから5パーセントに引き上げられたことです。消費税の増税は村山内閣時代に決められたことですが、5パーセントから将来的に8パーセント、更に10パーセントへと引き上げられたのが民主党政権時代に自民党も賛成して決められたわけで、増税というやっかいな仕事を非自民の時代に押し付けるという構図がはっきりと見て取れると同時に、本当に上げるかどうか、今回の場合では橋本龍太郎政権に判断が託されたわけですが、日本の経済の状態がバブルの崩壊から回復しているように見えたことで、橋下首相は増税を決断し、日本は更に長いデフレの時代へと入って行ってしまいます。現代では当時の景気回復は循環的な回復にすぎず、本格的な回復とは呼べなかったと考える人が多く、橋下首相はそこを見誤ったのだと(本人も晩年に同様のことを述懐しています)捉えられています。また、個人消費が経済の主体である日本経済がいつまでも回復しないのは、ちょっと経済が良くなると消費税を増税するからだとする、構造的要因を指摘する人もいます。

経済を良くするには金融緩和や政府の財政出動などの手法が一般的ですが、金融緩和にはインフレの不安があり、財政出動すれば財政のバランスシートが悪くなるという不安が生まれます。過去20年間、経済を良くするか国の財政を良くするかは延々と議論されてきた一方で、最近ではヘリコプターマネーで金融緩和をやりまくったとしても日本の財政破綻はないとするリフレ派の意見もよく聞かれるようになり、仮にリフレ派が正しければ、財政健全化を目指して増税をしたり政府の財政出動を鈍らせたりすることはナンセンスで、足りない分は円を印刷すれば全てオーケーということになりますから、一体何のためにここまで悩んで来たのかとちょっとあっけにとられてしまいます。

橋下龍太郎は政策通を自認していたともされていますが、ちょっと救いの手をさしのべればピンチを脱したはずの山一證券を潰すようなポカもやってしまっています。大病をして若く亡くなってしまった方ですので、あまり悪く言うのはよくありませんが、橋下政権期の増税はかなり長く日本にその痛みを強いることにはなってしまったと思います。

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村山富市内閣‐日本がいきりなりいろいろ暗くなった時代

羽田孜内閣を作った後、小沢一郎は社会党抜きの統一会派を構想し、社会党が激しく反発します。非自民で構成されていた与党ですが、社会党が抜ければ少数内閣に陥ることになり、社会党が内閣不信任決議案に賛成する姿勢を見せたことから、一旦羽田が総辞職し、禊を済ませて改めて羽田首班内閣を作ることで小沢と社会党が合意します。

ところが羽田総辞職して首班指名選挙が行われる段になり、自民党と社会党が連携して村山富市を擁立します。羽田再選はほぼ不可能の情勢となり、小沢一郎はかつて自民党時代に担いだ海部俊樹を擁立し、自民党の票が分裂することを期待しますが、結局村山富市が過半数を制し、国民が唖然とする中、村山富市内閣が登場します。

村山内閣の時代には阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が同じ年に相次いで発生し、バブル崩壊の後遺症がわりとはっきりと見えてきた時期とも言われ、「世界で一番豊かで安全な日本」という神話が崩れていくというか、日本はそれ以前の箱庭のような世界で楽しく暮らしていればいい時代が終わり、何かもっと違う厳しい世界へと入っていくのではないかという何とも言えない暗い気分が世の中を覆います。

村山富市内閣の時代の著名な仕事としては、戦争に対する謝罪と反省を述べた村山談話が閣議決定されたことと、「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」が国会で行われたことと言えるかも知れません。村山談話は現在に至るまで踏襲されており、そういう意味では今も日本国の正式な意思の表明として今も効力を持っていると言えますが、村山首相は更なる賠償については「サンフランシスコ条約の他、その他の二国間の条約などで解決済み」としています。村山首相はビッグピクチャーとして日本は悪かったので謝罪と反省をするものの、個別具体的な何が悪かったのかについては議論しないという姿勢で自民党と社会党とのバランスを取ろうとしたのかも知れません。

村山首相が個別具体的なことについては議論しないという姿勢を取ったことは、個別具体的な議論があり得るということを暗に示したとも言え、私個人としては一連の出来事によって「日本の戦争の責任」とは何を指すのかについてより具体的な議論ができるきっかけになったと前向きに評価することもできないことではないと思います。漠然としたイメージで日本が悪かったとか悪くなかったとか語るよりは具体的に何がどう問題なのかを考えるきっかけにはできたかも知れません。左右のどちらも関係なく、何がどう悪かったのかを議論することは、悪くなかった部分も明らかにできるとも言えますから、必要なことのように思えます。

村山富市内閣は経済が好転しないことを理由に総辞職し、橋下龍太郎内閣が登場することになります。橋下龍太郎内閣では、社会党が社会民主党と党名を変更し、やがて連立からは遠ざかることになり、自民・公明の連立内閣が育っていくことになります。

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