脳と自慰行為の関係を真剣に考えた幸福論

六週間ほど自慰行為をやらないという実験的なことを続けていたのですが、夜毎、「今日はもうやってしまおうか、いやもう一日我慢しよう」という自己内対話がぐるぐると回り続け、ここまで思い詰めるのなら、やってしまおう、自慰をするのが普通のことだと考え、昨日、自慰をしたわけです。この六週間、心身の変化は感じてはいたのですが、その効果が断酒によって得られているものなのか、丹田呼吸法によるものなのか、それとも減煙か、自慰行為禁止かの判断がつかなくなってきており、自分の心身への変化も知りたいという思いもありました。ただ、エッチな画像の助けが必要なので、その方面の検索をかけ、画像の力を借りて行いました。動画はなんとか踏みとどまりました。まあ、こんなものかとその瞬間は思ったのですが、減煙中にもかかわらず、昨夜はすぱすぱと吸いたいだけ吸うという感じになり、今朝も吸いたいだけ吸っていることに気づきました。また、驚くべきことにだるいというか、かったるい感じがありました。もうちょっと頭の回転もちょっとだれた感じになっており、学生から外国語に関する質問を受けた際、ちょっとうまく答えられないというがっかりなことすら起きてしまいました。

見た目にも変化がありました。このところ節制を続けていることで(普段は白米もなるべく避けています)、表情に鬼気迫るものがあるというか、良くも悪くも迫力が出ていて、奥二重の目が細い二重になるという謎の現象も起きており、果たしてこれは自慰行為をしないことの効果なのかどうか疑わしく思っていたのですが、奥二重に戻っており、ああ、なるほど、いわゆるおな禁の効果は少しずつ出ていたのだということが分かりました。

心理的にも変化がありました。帰宅中、断酒したにもかかわらず、お酒が飲みたいという心境になったのです。そこは思いとどまりましたが、食事はいつもよりかなり多めでした(今日は担当するコマが3つもあったので、体力勝負ですから確かに、多めに食べる日ではあるのですが…)。

だるい、頭が鈍る、細い二重が奥二重に戻る、食べる量が増える、お酒がほしくなる、タバコの量が増える

と、マイナスなものが一挙に出てきましたから、いわゆるおな禁は効果があったのだということを、今回久々に自慰行為をやってみて知ることができました。

さて、ここで気になるのはなぜ、なぜ、そのようなことが起きるのかということです。以下はド文系の私の仮説です。エッチな画像を見て自慰行為をすると、脳の快楽系の神経に電気が走るはずです。そして快楽系の神経が刺激されると、快楽系は更に刺激を求めるようになり、「もっと、もっと」という信号を出してくるのではないかと私は推論します。お酒がほしくなったり、タバコの量が増えたり、更に食事の量まで増えたのですから、エビデンス面から見ても悪くない推論です。

ここまで考えて、私は脳そのものの機能ということに考えが及びました。即ち「不幸な人は生涯不幸である」ということの理由が分かった気がしたのです。不幸や不満を感じるとき、脳のそれに相当する部分に電気が流れ、刺激されるはずです。不幸を感じる神経系統が刺激されると、活発化し、もっと、もっと不幸を。と本人の意思とは関係なく不幸を求め、結果として不幸な人生になるのではないかと思えるのです。

快楽と幸福は別なものです。快楽の神経系統が刺激されると、脳の当該部位はより強い刺激を求めるようになり、その衝動に従い続けると最悪の場合は身を滅ぼします。一方で幸福の神経系統を刺激することがもし可能であれば、脳の幸福を感じる神経系統がより強い刺激を求めるようになり、結果として幸福な人生を得ることができるという帰結を得ることができました。

さて、オナニーの話題であるにもかかわらず、幸福を得る方法論へと話題はシフトしてきたわけですが、幸福になるためには快楽の神経系統への刺激をなるべく避ける、不幸の神経系統の刺激もなるべく避ける、幸福への神経系統を強めることを意識するべしということになります。この場合の幸福とは、美しい自然を見てそれを美しいと感じる、普通の街の光景であってもそこに幸福の種子を見つける、退屈な人間関係であっても、そこに幸福の種子を見つけるという努力を必要とするものではないかと思います。この努力を怠ると、退屈を埋めるために快楽を求め、快楽追求体質になってしまい、脳の機能の問題として無限に快楽を追及し続け、破滅するということになりかねません。宝くじで大金を当てた人が不幸になるのは、大金がいきなり転がり込んできたことで快楽系統が極端な刺激を受けてとまらなくなり、無駄にジェット機や無人島を買うという愚かしい行為に走り、野垂れ死にしてしまうということではないかとも思えます。

幸福の神経系統が極端な刺激を受けるとすれば、脳が無限に幸福を追求することになりますが、快楽の神経系統が壊れるくらいの刺激が宝くじに当たることだとすれば、幸福の神経系統が極端に刺激されることは滅多にありません。従って日々の生活の中に幸福の種子を見出していくことが幸福な人生を歩む唯一確実な方法ではないかとも思えます。ああ、お日様があって幸せ。月があって幸せ。木が葉をつけていて幸せ。などのようなことに「幸せだ」という反応を示すように自分を訓練し、突き詰めていくと家族がいて幸せ。家族がいなかったとしても孤独なら孤独の楽しみを見いだせて幸せ。今の仕事があって幸せ。仕事がなかったら自分を振り返る時間が持てて幸せ。いい人に出会うと幸せ。頭に来る人に出会ったら、世の中にはいろいろな人がいるものだと知ることができて幸せ、この程度で済んで幸せ。などなど、様々な日々の出来事にああ、幸せ、幸せという認識を持つように自分を訓練していれば、脳の幸福を感じる神経系統が刺激され続け、脳が幸福な人生を創造するということになります。ですから、いわゆるアファメーションで私は幸せだ幸せだと言い続けていると幸せになるというのは全くの嘘というわけではないわけです。私はついてる、私は運がいいと言うと運が良くなるというのも全く間違っているというわけでもなさそうに思います。おそらくは半分はアファメーションなどによって幸福を感じる脳の部位を鍛え、残りの半分は仕事をがんばるとか挑戦するとかという行動が必要なのでしょう。幸福脳を鍛えることと、行動が車の両輪というわけです。

自慰行為を六週間断ってみて、一回やってみたことで我ながら大きな気づきを得たように思います。さて一つだけ心配なのは、使わなければ機能が低下するのではないかということです。機能が低下することを私は望んではいません。真剣ですから、敢えて書きますが男性器は筋肉の部類に入るのか、内臓の部類として捉えるべきかで分かれてくると思います。もし筋肉と同じ性質を持つとすれば、歩けば歩くほど足腰が鍛えられるのと同様に、男性器も使えば使うほど機能が向上するということになります。一方で、内臓と同じだとすれば、お酒を飲めば飲むほど肝臓への負担を大きくし、極端な場合は病気になってしまいます。お酒を飲めばお酒に強くはなりますが、それはお酒に対して麻痺しているだけで、アルコールを分解する肝臓への負担が変わるわけではないでしょう。

経験的にですが、使わなければ退化するように思えます。ド文系の仮説なので、確実ではないのですが、経験的に、以前実験的に毎日のようにしていた頃のパートナーから「大きい」と言われました。毎日は使い過ぎかな…と考えていたのですが、筋肉同様に発達していたと見るべきように思えます。また、六週間全く使わないことで、小さくなったな、しぼんだかもという印象はありましたから、経験的には筋肉と同じもののように思えます。一方で、解剖学的には性器は内臓の一部として扱われるのではないかとも思いますから、私の経験だけをどこまで信じていいか、或いはおえらい専門家の言うことよりも自分の経験を信じるべきか…など、結論は出しかねるところです。

一応、最後に今後の方針のようなものを書いておきたいのですが、ストイックな生活を送ることで心身に良い効果が得られるということはかなりはっきり言えますので、これは続けたいと思っています。自慰行為についてはしばらくまたやめてみて、再び同様の効果が見られるようになってから、画像や動画に頼らず、想像力で行為をしてみてはまた違った知見を得られるのではないかと考えています。エッチな動画や画像を見ることは、依存症のリスクがあり、脳の働きを低下させる恐れがあると思いますが、想像に頼った自慰行為の場合、脳の前頭前野が鍛えられる可能性は残されています。本当にあほみたいなことを真剣に考えて書いていますが、わりと人生の奥義のようなところに近づいている気もしなくはありませんので、ご容赦願います。

タバコを半日やめてみて気づいたこと

今朝から禁煙と思って臨みましたが、半日で挫折しました。禁煙ビジネスの鴨にされたくないという思いが強いものですから、インターネットでいろいろ検索をかけ、自己努力でどんな禁煙方法があるかを調べてみたところ、「朝最初の一本を吸わない」という大変興味深いものを見つけました。朝の寝起きの一本は体が欲しているというよりは単なる習慣みたいなところがあると私も思いましたので、今朝からやってみることにしたのです。

結果、お昼過ぎまで吸わずに過ごすことができましたが、その間、「なぜ私はタバコを吸うのを我慢しなければならないのか」という自問が幾度となく去来し、常にタバコを吸うべきかどうかを考え続けるという状態になり、まあ、とりあえず、寝起きの一本は吸わなかったのだからということで、半日の禁煙には成功したと思い、吸うことにしました。

その結果、気づいたのですが頭がクラクラし、頭重感を覚えました。その頭重感は二時間ほど続き、今日は図書館に行く予定があったのですが、図書館から帰宅するまで、吸いたいという衝動はありませんでした。帰宅してパソコンを開き、ブログを書く時点で吸いたいという衝動が生まれたため、今日のところはこれで「修行」は終了ということにし、今も一本吸ったところです。

今日の成果は自分は半日程度ならとりあえずタバコを吸わなくても過ごせるということが分かったことと、少し間をおいてタバコを吸うと頭がクラクラして気分が悪くなるということが分かったことです。今吸ってみたところ頭重感もなく、むしろ充実した気分になりましたが、「自分は一定の条件下ではタバコを吸うと気分が悪くなる」ということに気づけたことは、タバコを必要としない人間になるための第一歩ではなかったかと思います。

タバコによる健康リスクは確率論に過ぎないと私は思っていますが、社会的圧力には屈せざるを得ないとも思いますので、今後も禁煙の努力は模索するつもりです。朝の最初の一本をとりあえずやめてみるということを続けることは、毎日最低でも一度はタバコで頭がクラクラするという経験をすることになると思いますから、自分の意識の深いところに「タバコは気分が悪くなる」を刷り込むことに効果があるように思います。

以前、半年やめたときは20キロ以上太ってしまい、元の体重に戻すのに苦労しました。当時はむしろ糖尿病の危険を感じ、喫煙を再開しました。今朝はコーヒーを四杯飲みましたので、経済的にはタバコを吸う方がいいという勘定になってしまいます。タバコは依存だということは納得していますので、自分にはタバコは必要ないと思い込ませる努力をするしかないかも知れません。

さて、今回の禁煙への努力は「太らずに」ということと「仕事に支障をきたさない」というあたりのバランスをとりながら、じょじょに進めてみたいと思います。

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そろそろタバコをやめてみようか…

ストイックがマイブームなのですが、とりあえず断酒は2か月成功で、もう全然飲みたいとは思いません。なくても平気ということが自分でもわかっているので、大変らくです。健康効果は抜群で疲れにくくなったし、脳のストレス耐性が上がったことは間違いありません。で、次にやめたのがエッチな動画や画像の検索ですが、これも意外と簡単で、youtubeで討論番組とか見たりするようにしており、他にも本を読むと手段に訴えているうちに全然見たいと思わなくなりました。自慰行為も全然したいと思わなくなりました。あまりに楽なので自分でも驚いているほどです。

さて、あと残るタバコとコーヒーです。コーヒーは社会的に許容されているので、まあ、辞めなくてもいいやと思っているのですが、自分がタバコを本当にやめられるかどうか、自身がありません。一応さっき最後のタバコを吸い、ライターと灰皿とタバコをパソコンの後ろ側に隠しました。目に入ると吸いたくなるけど完全禁止にするとコンビニに走って買いに行くことになるので、いざとなったら吸えることを担保した上での禁煙ということにしてみたわけです。

以前何度も禁煙に失敗していますが、そこには「なぜあんなに楽しいたばこをやめなくてはならないのか」という心理状態が働いていて、タバコをやめることにすいて強い不満を持っていましたから、続きませんだ。あるいは太り過ぎてしまい、しかも抜け毛まで増えたので、緊急再開という感じでした。

さて、今回は私には理論的な支柱があります。すなわち、依存症を排除すれば脳がよくなり、脳がよくなれば人生は自動的に良くなるという脳科学にど素人な超ど文系の私が考えた推論なわけですが、これをタバコに適用したいと思うのです。タバコが依存症であることには私は同意できます。そして、依存症を減らせばそれだけ人生は良くなり成功するという仮説を持っています。この理論武装で自分を納得させようというわけです。実際にお酒をやめたら体調はよくなったし、エッチな動画や画像を見ないことは、脳の機能向上と同時に自分の倫理性の高さに自信を持つことができるというメリットがありました。ですから、タバコをやめて数日でそういうメリットを享受できるかどうかが一つのポイントになると思います。お酒は三日もやめたら全然ほしくなくなった、エッチは動画や画像には「やーめた」と思った当日から関心がなくなりました。依存症はやめられるということも分かったし、依存症を減らせば毎日がより良くなるというエビデンス(体調が良くなり、お金も余るようになり、自分を律しているという自信が得られる)がありますから、私の頭脳に対してそれを説得することは可能です。

ただ、以前辛かったので、果たして今回成功するかどうかには強い不安は感じています。大学で授業するときは強い緊張感とプレッシャーがありますから、もし今からやめて大学の授業をしてみてあんまり辛くなかったら「なんだータバコ吸わなかったおかげで、かえって授業うまくやれたわ」という自信につながり、すっと辞められると思います。この数日が勝負です。わりと単純な人間なので、効果あると確信できれば未練なんて吹き飛んでしまいます。お酒にもエッチ画像にも未練は一切ありません。全く吸えないという状態にするのではなくPCの裏に灰皿とタバコとライターを隠すことで、トリガーはなんとか目に見えないようにしつつもいざとなったら吸えるという状態にしてあります。さて、もう寝ますが果たして成功できるかどうか。数日が勝負です。あ、脳にいいと気づけば、やめられるでしょう。体重の増加はいやなので、水ばっかり飲むことになると思います。続けば報告しますし、続かなくても報告します。とりあえず、まずは明日の朝までがんばって次に昼までがんばってできれば夜までがんばって更に翌朝までがんばることができれば、私の推論では危険状態からは脱すると思います。やってみます。

自慰行為禁止の心身への影響を考えてみる

最近ストイックにはまっている私は、自慰行為というものも一か月やめています。インターネットではあたかも無限の効果があるかのようなことが書かれていますが、実際どうなのかを確かめてみたいというのもあってやめてみたわけです。正直に言うと、身体に対しては大して大きな変化は現れませんでした。自慰行為をすると貴重な栄養素と男性ホルモンが失われるが、反対に自慰行為を禁止すればそれらが体内にためこまれ、顔つきが端正になり、筋肉もついて体が引き締まり、もてるようになるという半分都市伝説のようなことが言われています。しかし、そのような人は自慰行為禁止+筋トレ、食事制限など生活改善に取り組んでいる人が多く、体が引き締まるのは筋トレや食事制限で十分に説明できると思います。肌がきれいになるとか抜け毛が減ると言うのは少なくとも私には実感ができませんでした。顔色が良くなったとは言われましたが、それはむしろ断酒の効果によるものではないかと思います。

以上のように身体に関することだけに限ってみれば、大して効果ないと私は結論しつつあるのですが、精神に関してはかなりの違いがあるのではないかと思います。ネット時代ですからエッチな動画や画像は無限に閲覧することが可能です。自慰行為をする際にそういった動画や画像を見て行う場合が一般的だと思いますが、それらの動画や画像をみることはある種の依存症に陥る可能性があります。依存症は脳のストレス耐性を弱めると私は経験を通じて結論しているのですが、エッチな動画や画像を見ることをやめることにより脳のストレス耐性を更に高めることができるのではないか、結果として脳が鍛えられ、より成功する人生へと歩み出せるのではないかと思います。私は一か月、一切そういったものを見ていないのですが、現在は全く見たいと思わなくなっています。以前は男性である以上、必要だと感じていましたが、全然見なくても困らないということは、私は依存症に陥っていたのだと結論することができると思います。

自慰行為の禁止(いわゆるオナ禁)よりもエッチな動画や画像を禁止する(いわゆるエロ禁)にことにより脳の機能が向上するというのが私の個人的に得た感想です。異性との性行為を望み、同意の上でそれを行うのであればもちろん健全なことだと思いますが、デジタル情報の再構成に過ぎないエッチな動画や画像はやめた方がより健康的に生きることができるかも知れません。少なくとも私は脳の機能が上がったように感じますし、密かにそういうものを見ない男性なのだということについて、自己評価を上げることができました。これは大きいと思います。

以上がいわゆるエロ禁の効果と言えますが、画像や動画を見ずに行うにしても、自慰行為そのものが、ここは意見が分かれるところでしょうけれど、精神にはあまりいい効果はないのではないかと思います。というのも、自慰行為は代償行為ですので、私は個人的には敗北感が伴います。人によっては罪悪感があるそうです。私は他人に迷惑をかけないのであれば、罪悪感を持つ必要は一切ないと考えていますが、代償行為で自分を一時的に慰めていることの敗北感がセットでついてくるのです。自分に対して申し訳ないとも思いますから、自分に対する罪悪感も生まれているのかも知れません。自慰行為をしなければ、敗北感を感じなくて済みますし、もしも、日々自慰行為をするとすれば、私の場合は日々、敗北感にまみれるということになってしまいますから、自己評価を下げることにつながりかねません。おそらく多くの人の心理は私と変わらないと思いますので、敗北感を自分に与えないために、高い自己評価を保つために、自慰行為を禁止するというのは効果があるのではないかと思います。

一方で、手軽なストレス解消として推奨するサイトもあるようです。これは考え方によって分かれるところでしょう。私は「エロ禁」をすることで脳のストレス耐性が強まり、結果として自慰行為の必要性も下がるのではないかと今は考えているので、当面はこれを続けてみようと思っています。自慰行為を禁止して筋トレや瞑想、節制、読書などに励む人が顔つきが良くなったり、痩せたりしたなどの経験をネットに報告している事例が多くみられるのは、ストレス耐性が高まった分を自己訓練に励むことができるので、結果としてそういう効果を得ているのではないかと思います。そういう意味では間接的には確実に効果があるとも言えると思います。ストレス耐性が上がれば更にストイック自己改革に取り組むことができていきます。但し、「オナ禁」は結構ハードルが高いですから、他の軽度の依存症をやめていき、少しずつ脳のストレス耐性が上げてから臨むのが理想的かも知れません。

渡辺淳一さんの小説で、自慰行為の際に想像していた女性と結ばれるという内容のものがありましたから、あるいはイメージトレーニングの効果はあるかも知れませんので、そういう効果を期待する人は動画や画像に依存せず、脳内でイメージすることで自慰行為をするというのは方法論としてはあり得ます。確かめたことがないので分かりませんが…

私も節制が進み体重が一か月で5キロくらい落ちています。あと5キロくらい落としたいなあとも思います。糖質への依存が下がり、そんなに食べなくてもよくなった結果ではないかと考えています。今は節制が楽しいので、節制生活を続けるつもりです。私にはまだタバコ依存とコーヒー依存があります。コーヒーはやめなくてもいいかなあとは思っていますが、いずれはタバコをやめようと思います。タバコについては私個人はそこまで健康に悪くないと思っていますし、社会的圧力に負けているとも思うのですが、この世間様の圧力はもはや抗いきれないほど強くなっていますので、どうせやめるのであれば、自分が依存症をなくすことでどれだけストレス耐性があげられるかという新しいチャレンジをする心境で臨めば、やめやすいのではないかと推論しています。

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ストイックな生活をすると、読書せざるを得なくなる

最近、ストイックがマイブームになっており、食事も糖質系をかなり制限している他、お酒ももちろん飲まないし、エッチな動画や画像も一切検索しないという修道院みたいな生活を送っているのですが、最近になって、ようやくなのですが、時間が余ってくるという感覚を得るようになってきました。

以前なら夜寝る前にお酒を飲みつつエッチな動画や画像を検索するというかなり堕落した感じの生活を送っていたわけですが、当時の私にとっては仕事もがんばってるし、ストレスも抱え込んでいるんだから、寝る前にそれぐらいの自分へのご褒美もあっていいよね。という感覚でした。

しかし、お酒とエッチな動画と画像の検索をやめてみたところ、かえってストレスを感じにくくなり、おそらくは脳のストレス耐性があがったのだと思いますが、それらが全然自分にとって必要ないということに気づくことができました。

で、しばらくは、あー調子いいな程度の感じだったのですが、おそらく脳の機能がより向上(回復かな?)したからなのか、一日に処理できるタスクが次第に増え、夜になると時間が余るようになってきたのです。

やることがありませんから、読書でもするしかありません。しばらくは読書するのがとても嫌になっていた時期がありました。職業がら本は読まざるを得ないというか、読書が仕事みたいなところがありますので、読書という行為そのものが物憂げに感じられるようになってしまい、帰宅後に本に手が伸びなくなってしまっていたわけです。ですが本当に最近になってなのですが、「読書でもするか」という心境になるというか、余った時間を他に消費することができなくなってきてしまい、読書せざるを得なくなってきています。読書は脳にいい効果があるに違いない(はず)と思いますから、今はいろいろなことが正のスパイラルに入っているように思えます。とてもいいことですから、いろいろなことに感謝したい心境です。

正のスパイラルを一応、順番に書くと、お酒を飲まない→脳のストレス耐性が回復する→糖質制限を無意識にやっている→脳のストレス耐性が回復する→痩せる→エッチな動画や画像も見ない→脳のストレス耐性が回復する→読書する←いまここ。な感じでしょうか。今後の理想としては、コーヒーをもう少し少なくすること、掃除をもっと徹底すること、タバコをやめることにつながっていけばいいなあと思っています。あー、まあ、コーヒーは別にいいかも知れないですが。

タバコへの依存が一番強いと思っていますので、これはおそらく最後になるかと思います。その前に回復した脳による掃除モードの発動に期待です。掃除という行為は脳を鍛えるはずですし、生活空間がきれいになれば、脳の機能は更によくなるはずです。私は果たしてどこへ向かっているのかと、多少スリリングですが、いけるところまで行ってみたい、新しい自分に出会いたいという感じを抱いています。では、これから読書します。

あーそうそう、自慰行為もしていません。自慰行為については賛否両論あるようですが、それについてはまたいずれ。

読書が脳にいい理由を考える

私は一応、読書家を自負していて、過去、数千冊読んできて、もう何冊読んだかもわかりませんし、読んだ分野も多岐にわたっていて却って専門性が低い自分を殴ってやりたくときも多々ありますが、今回は知識やお勉強というインプットとは違った観点から読書について考えてみたいと思います。

というのはどうも読書には脳を活性化させる効果があるらしいのです。私、ドがつく文系ですので理系的なことはざっくりとしかわからないのですが、いずれにせよ知識と得るということよりも脳の機能を上げるという観点からも読書は人生よりよくするのに効果があるらしいのです。

思うに、読書は文字情報だけで場面を想像しなければなりませんから、それが脳の訓練になるということなのではないかと思います。たとえば遠藤周作先生の作品では印象画を想像させるような風景と色の描写が多く、読んでいる側はそれを自分の脳の中で再現するという作業を要求されます。これがきっと脳にいいのでしょうねえ。正岡子規の俳句なんかも写実主義ですから、読み手は文字情報だけでぱっとその情景を思い浮かべるという作業を自動的にやることになるので、パソコンにデジタル情報が届いた結果Jpeg画像がpc画面に再構成されるのと同じような感じで脳が情報を処理して映像を思い浮かべるという流れがいいのだと思います。

では学術書の場合はどうでしょうか。一応、学者の末端の末端にいますので学術書は読まざるを得ません。学術書は文系であっても抽象性の高い議論が延々と続けられる場合があります。〇〇主義とか〇〇理論みたいなのがごろごろと出てきて、丁寧に説明してくれるわけでもありません。人名も出てきますが、マニアックになればなるほど聞いたこともない人物に焦点が当てられていたりすると写真もないので映像を思い浮かべるということが困難になります。徳川慶喜とか武田信玄みたいにドラマとか映画とかになっていたりすると、そういう情報から頭の中で再構成することもできますが、戦前の〇〇省の〇〇課のなにがしとかになるとちょっと難しくなってくるわけです。

ですが、学術書の場合でも抽象的思考を鍛えることになるわけですから、脳にはやはりいい訓練になるはずです。自由と民主主義は手で触ることはできません。しかし概念としては理解できます。そういうものを理解するという訓練が脳に悪いはずがありません。

なぜここまで脳、脳と繰り返し述べているのかというと、個人的に脳を鍛えるのがマイブームになっており、脳が鍛えられれば人生を更によくすることができるに違いないという、自分で建てた仮説のもとに、依存症を減らせばその分脳が鍛えられるという実験的なことを考えていて、これまでにお酒とエッチな動画と画像を断つということをやってみたら少なくとも心理的には大きな改善が実感できるようになり、要するに脳の機能が上がったってことでしょうと勝手に結論に至り始めていますので、これまで依存症になるものを断つというネガティブリスト的手法をとっていたのが、最近は脳にいいことをやってみる(たとえばよく歩く)というポジティブリスト的アプローチに関心を持つようになってきたというわけなのです。

もちろん、私はコーヒーとタバコへの依存がかなり強いので、先にそれを断ってみてはどうだろうかとも思いますが、コーヒーは単純においしいと思えるし、タバコはお酒をやめてからますますおいしく感じるようになってしまい、さて、どうしたものかと考え中です。コーヒーはともかく、タバコは社会的圧力が強いですから、近い将来やめたいと思っています。しっかりやめられたらこのブログにも経過を書きたいと思います。

ついでになってしまいますが、お酒をやめて二カ月になりますが、体調は非常にいいです。人生で今が一番疲れにくくなっているのではないかという気がしますし、インドア大好きだった私が少しアウトドアに関心を持つようになってきました。お金もその分使いませんから、お酒は二度と飲みたいとは思いませんねえ。精神的にも悪いことをあまり考えなくなって、特に朝起きた時の心境は以前とは雲泥の差です。お酒やめて本当に大正解だと思います。

エッチな画像や動画を見なくなって一か月ですが、また見たいとは全然思いません。今後一生見なくてもオーケーな自信はあります。ただ、精神的に何かいい面があったかというと、実感はあんまりないです。そういうのを見ないとモテるようになるという説もネットでは見かけますが、それも特に実感しません。精神的にも実利的にも同じ…というところでしょうか。自分がそういうものを見なくなった分、もしかすると倫理的に向上したと言うことはできそうに思いますし、それに対する自信は多少はつきましたが、かといってお酒をやめたときくらいの大きな変化を感じたかと言えば、そんなこともありません。男であれば誰でもエッチな画像や動画は見ると思いますが、そういうものへの依存症の弊害は指摘されているところでもありますから、少し長めのスパンで観察すると違いに気づくかも知れません。集中力が増しているのは確かなので、断酒といわゆるエロ禁の複合効果があるのかも知れませんが、断酒だけで説明がつくような気もします。「エロ禁」は真剣かつ真面目な内容ですから、その方面でもいい変化を感じたら、ブログで報告するつもりです。