迫水久常著『大日本帝国最後の四か月』で知る「終戦」の手続き

1945年4月、鈴木貫太郎内閣が誕生してから終戦までの期間については様々な著作や研究がありますから、終戦が決まるまで、相当なすったもんだがあったことはよく知られていると思います。いよいよ決着がつかなくなって「聖断」なる、ある種の非常手段によってポツダム宣言を受諾するという意思決定がようやくなされたわけですが、鈴木内閣で内閣書記官長という半分官房長官みたいな立場に居た迫水久常という人物の手記を読むと、そこに至るまでの制度的な手続きが大きな壁になっていたことが分かります。

まず第一に旧憲法では天皇に和戦の大権があることになっています。しかし、明治時代は元老という憲法に規定のない最高権力者たちによる寡頭政治で意思決定がされていて、首相も元老が指名し、戦争するかしないかみたいな大事は元老が決めて軍隊が動き、首相は軍のお手伝いというようなものでした。その後、大正デモクラシーを経て最後の元老の西園寺公望が「憲政の常道」を掲げ、元老の影響力を少なくし、民主政治で選ばれた政治家が首相になるということを慣例化させようとしますが、軍人以外の政治家が首相になると殺されるというのが続いたために途中から断念して軍人首相時代に入り、やがて行き詰まりを見せて、近衛文麿というお公家様内閣が事実上日本帝国にピリオドを打つという流れになります。近衛在任中に西園寺公望が亡くなり、元老の首相指名という慣例も消滅しましたが、議会による首相指名ができませんでしたから、元老に代わって重臣会議が開かれるようになり、そこで首相指名が行われるということになります。何が言いたいかというと、太平洋戦争を終わらせる場合、重臣たちが「うん、やめたほうがいいよね」と言わなければ首相から「戦争やめましょう」とは言えないということです。

しかも、迫水氏の著作に拠りますが、ポツダム宣言の受諾は外交条約を結ぶのと同じになるから、枢密院の了解を得る必要があり、当時の平沼騏一郎枢密院議長を昭和天皇の聖断の場に立ち会わせることで、手続きを簡略化しようとします。

更にメインディッシュになるのが陸海軍で、有名な話ですが当時の阿南陸相が辞表を出せば内閣不一致で総辞職。改めて重臣会議で首相を指名して閣議を開き、枢密院の了解も経なければならないということになるので、ぎりぎりまで主戦論を唱えていた阿南陸相の辞表カードには周囲が相当びびっていたという話もあるようです。さりながら、阿南陸相は8月15日の未明に自決していますので、関係者からの評価は高く、迫水氏も阿南陸相が主戦派の陸軍首脳をなだめつつ心中では終戦に持ち込みたいというアクロバティックなことをやろうとしていたとして、その「腹芸」に感服したという趣旨のことを著作で述べています。

要するにポツダム宣言を受諾は首相、軍、枢密院、重臣が全員一致しなければ実現しないようになっていて、それぞれが「制度的手続き」を盾に取り主張をぶつけ合い議論が前に進まないという事態に陥ってしまいます。そうこうしているうちに原子爆弾も使用され、ソビエト連邦も攻めてくるという絶体絶命な状況が訪れます。にもかかわらず議論がまとまらず昭和天皇に決めてもらうという異例の手続きを踏むことになりました。ここで難しいなあと思うのは通常、天皇は自分から意見を表明しないことになっているにも関わらず、本気になって意見表明しようと思えばできないわけでもなく、天皇の意見が通るか通らないかはその時々の政治状況によって異なり、終戦の場合はたまたま天皇の意見が通ったという制度上の曖昧さです。昭和天皇の責任があると言おうと思えばいくらでも立論できますし、反対に昭和天皇には責任はないと言おうと思えばこれもまたいくらでも立論できるのです。法学論争が神学論争とは言い得て妙なりです。

昭和天皇は戦後、憲政上の問題として鈴木内閣が処理しなければならない案件であったけれど、内閣で意見が一致せず、自分に意思決定を依頼してきたので、それを受けたという見解を示しています。これだけでも現代人にとっては何を言っているのか分からない…と思えるような内容ですが、更に軍と枢密院というファクターが入ってくるわけで、高級官僚だった迫水氏が手続きに振り回されていたことに気の毒とすら思えてきます。

太平洋戦争末期、日本の主要都市は大体燃やされてしまい、それでも憲法を維持した国家が機能していたことには驚きも覚えますが、この期に及んで徹底抗戦か降伏かで議論が割れたということには正直あきれてしまいます。しかも制度的手続きを盾に取るという場合はどうしても「ためにする議論」がまかり通りやすくなり、政争やってる場合かよと突っ込みたくもなるのです。ポツダム宣言の受諾通告に際しても、当初「天皇の国法上の地位を変更しない」という前提で受諾すると通告する案があったのですが、迫水氏の回想では平沼枢密院議長が「天皇の大権を維持する」と文言を変更するように主張し(昭和天皇の回想では天皇が法源であることを前提とすると話が出たとなっていたと思います)、天皇の「大権」なり、天皇が「法源」なりという外国人には分かりにくい概念をねじ込んだというのも理解に苦しむところです。一刻も早く戦争を終わらせなくてはいけない時に神学論争してる場合かよとついつい思ってしまいます。平沼氏が検察出身で法律の専門家らしいところを見せたかったのかも知れません。

というわけで、日本帝国はその最期に於いて法の手続き論争をしていたというお話でした。


2018年末衆議院解散説

現在(2017年)の衆議院議員は2018年末に任期の満了を迎えます。一般的な見方、政治ウオッチャーの常識みたいなことを言えば、通常、2018年になる前に首相は衆議院の解散を模索するはずです。過去の経験則から、任期満了にともなう解散総選挙では首相の求心力を維持することが難しく、スケジュール解散などと揶揄されて与党が数を減らすというのがパターン化されており、解散総選挙の先送りは現職の首相にとっては座して死を待つに等しく、政権を維持したいのであれば最後の一年に入る前に解散を打つに違いないというわけです。過去、もっとも分かりやすい例としては、小泉純一郎さんが優勢解散で大量に議席を獲得した後、後任の首相たちが自分の手で解散して敗北することを恐れて一年ごとに辞任するというなんか変な話になってしまい、ババ抜きゲームの結果みたいに麻生太郎さんがスケジュール的にやむを得ず解散を打ち、惨敗したというのがあります。もちろん、リーマンショック以来経済ががたがたで、そういう点で運が悪かったとも言えるかも知れません。

さて、現在の首相は安倍晋三さんです。55年体制が始まって以来、初めて二度目の首相の座に就いたというだけでもただ者ではないわけですが、近年稀にみる長期政権になっており、過去の長期政権の例で言えば、桂太郎さんが合計で長期やったものの、二度目、三度目の任期はかなりぼろぼろになっていたことを思えば、最盛期に迎えているように見える安倍政権は極めて珍しい、異例な、一般論では語れない状況が生まれているとも思えます。

で、安倍晋三さんには3つの目標があると言われます。1つはアベノミクス。これはまだまだ道半ばとは言うものの、失業率が3%を切るという快挙に至ったこともまた事実であり、ゆっくりゆっくりと効果を上げているとも言えますが、これは今辞められると全部沈んでしまうでしょうから、日本の本格回復までがんばってもらいたいところではあります。で、2つ目が憲法改正。果たして何をどう改正するのかというところから議論されなくてはいけない、意外と漠然とした目標で、お試し改憲みたいな話も出て、そんなことで本当に大丈夫かと私は不安に思いましたが、最近では憲法9条に第三項で自衛隊を明記するということでどうも安倍さんの腹が固まった、多分、公明党もそれならオーケーという話になった、維新も多分乗ってくるということで、ようやくどうするつもりかが見えてきた感があります。自衛隊は過去の大地震でどれほどがんばってくれたかが国民の目にもよくわかっていますので、自衛隊の存在が憲法で確認されること事態には反対しないというコンセンサスなら得られると安倍さんは考えたのかも知れません。最高裁判所は統治行為論で自衛隊が違憲か合憲かについては判断しない、ということは少なくとも違憲だという判断は出していない、悪く言えば逃げており、良く言えば司法は万能ではないから判断の分をわきまえていると考えることもできますが、いずれにせよ、公明党、最高裁等々の諸要因を考慮して、自衛隊について書き込むというところに狙いを定めたと言えるように思えます。

そして3つ目は東京オリンピックの時に自分が首相をやるという目標も持っています。これについては個人的な利得、私利私欲の範疇に入るかも知れませんし、「東京オリンピックの時に誰が首相なのか」は個人的には関心もありませんので、論じないことにします。

で、ここから何を論じるのかというと、以上の3つの目標を達成するための「解」はどこにあるのかということになります。一般論で言えば、上の3つの目標はどれもそれだけで難治であって、これを全部達成するというのはかなりの神業と言わざるを得ません。しかし、そこを狙うため、安倍さんは、どうも任期ぎりぎりまで解散しないのではないかと思えてきます。

今の若手の自民党の議員さんの中には、とても次は当選できないと言われている人が多く、実際にみっともないことが週刊誌に書かれることも多く、次の総選挙で自民党が現有勢力を維持することはまず不可能との見方があります。前回の衆議院選挙でも東北地方では小沢王国が存在感を見せており、小沢王国はさらにがちがちに固めていると考えていいわけですから、次回選挙では過半数は維持できてもそれ以上はちょっと望めないという予想が立ちます。とすれば、憲法改正を本当にやりたいとすれば、現有勢力でやるしかありません。天皇陛下のご攘夷、テロ等準備罪、〇〇学園、北朝鮮ととても選挙をやってる場合ではない課題が目白押しで、それを全部片づけてからいよいよこれから改正論議ということになれば、2018年の任期ぎりぎりまで日程を取る以外にはないのではないかという気もします。そうやって、最後は衆議院選挙と憲法改正の国民投票を同時に行い、最終判断では有権者に任せる(民主国家ですから、最終判断についてはそうせざるを得ません)というシナリオがあるのではなかろうかと思えます。私が改憲してほしいとか、してほしくないとか、そいうことではなくて、首相の胸中を「忖度」すればそういうことになると思えるわけです。

もちろん、自民党が政権党から転げ落ちるという不安要素は残ります。なにしろ任期満了に伴う解散ですし、小選挙区制の選挙制度では、ちょっとした風向きの違いで大きく勝ったり大きく負けたりするわけですから、任期満了解散はリスクです。繰り返しになりますが、小沢一郎さんにそれだけ時間を与えてしまうのもリスクと考えているはずです。もちろん、任期満了に伴う解散が政権党に不利なのは、解散の大義名分に乏しく、有権者に訴えかける材料が少なくなってしまうというものがあるからなのですが、憲法改正もセットでやるとなれば、賛成反対はともかく、大義名分としては充分です。

個人的には、更に消費税の減税を公約に入れてもらえないかと、どさくさでもいいので、消費税増税をねじ込んでもらえないかと思います。金融緩和はそれなりに効果を上げているわけですから、ここで消費税の減税があれば、日本経済は一機に回復。東京オリンピックもシナジー効果になって日本は一機に21世紀バブルも夢ではないと思うのですが。

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憲法の私人間効力

果たして憲法は何のためにあるのか。という疑問を一度も持ったことがない人はいないのではないかと私は思います。憲法は確かに重要なものですが、人間の歴史を見ると、憲法がない時代の方が圧倒的に長く、日本では100年ちょっと前に明治憲法が作られ、現行の平和憲法も70年余りの歴史しかなく、本当に憲法がないと困るのか?という疑問が湧くときがあります。

もちろん、我々の民主主義を担保するためには憲法は必須のものと思いますから、民主主義の概念がまだ最近のものである以上、憲法がまだ最近のものであることもやむなしと言えるのかも知れません。

憲法の最大の主旨は国家権力に一定の拘束をかけることを目的にしており、その点で争いはないと思いますし、基本的人権の尊重が憲法で明記されることによって、国家権力の濫用に歯止めがかけられ、我々は民主主義を享受することができるだとも言えると思います。

では基本的人権(たとえば思想信条の自由)は私人間に於いても有効なのでしょうか。人間関係の多くが優位と劣位で構成されます。特に雇用主と被雇用者の間には歴然たる権力関係があるとも言えますから、国家と同様に拘束を受けるべきなのでしょうか。それともその辺りには相当程度の自由があると言えるのでしょうか。

大変に有名な事件ですが、東北大学の院生が化学製品の大手企業に採用された後、在学中学生運動に参加していたことが発覚したことで、試用期間後に解雇され訴訟に至るという事例がありました。日本人は憲法で思想信条の自由があるため、たとえ企業であったとしてもそれを犯すことはできないから、雇用関係に於いて過去に学生運動に参加したことを理由に解雇するのは不当であるというわけです。憲法が私人間でも効力を持つのかという点が注目されました。

裁判所の判断では、憲法の効力が直接私人間に及ぶことはないという立場が採用され、間接的にはそれはあり得ても、直接的にはあり得ず、企業はどんな人を雇用するかについては相当に高い事由を有しているという結論が示されました。

この事件では原告と被告が和解し、原告は十年以上の裁判での闘争を経た後に職場に復帰したわけですが、結果としては憲法の効力がやたらめったらと広い範囲に及ぶのは困るものの、個人の生活や人生にかかわることだから、そこはなんとかしましょうよという原則NOで例外的YESのような解決が図られたのだと理解することもできるのではないかと思えます。裁判所が違憲審査を認めることはまずありませんが、訴訟に至った場合、個別具体的な救済の手を打つことで、まあまあなんとか。としている事例が多いように思うのは、私がまだまだ浅学だからでしょうか。

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日本の国家原理

明治に入り、伊藤博文憲法の起草に取り掛かりますが、これは意外とやっかいな仕事だったようです。というのも、ヨーロッパでは憲法を持っているかどうかが文明国かどうかを判断する大きな基準と見られていましたが、ヨーロッパに於ける憲法は大原則として王権との闘争、王権の制限、場合によっては王権の否定というところから憲法の原理や思想が育まれてきたのに対し、日本の天皇の場合はヨーロッパの王権とその性質を異にしているため、イギリスやフランスの憲法ではあまり参考にはならなかったからです。そもそも天皇が租税権を有していない、或いは有しているとしてもそれは形式的なものに過ぎず、現実問題としては権利の行使はない、または委任された政府が判断して課税、分配をしているという国情に於いて「天皇は税金を自由に課税できない」などのような項目を盛り込んだところで意味がありません。

伊藤は知恵を絞り抜き、天皇が天照大神の子孫であることを理由に、あたかも王権神授説と見まごうような条文を盛り込みながら、天皇を事実上無力化し、形式上は全ての権力(司法、行政、立法、軍事)が天皇に集中しているようにしておきながら、事実上の権力分立を図るという、うまい具合な感じの憲法を作り上げます。ただし、現代の我々の憲法でいうところの「基本的人権」には思想が及んでおらず、ヨーロッパ型の市民社会的な憲法を書くことには伊藤にも躊躇いがあったのかも知れません。そういうことはゆっくりと時間をかけて進めるべきという発想がおそらくは伊藤の内面にあったのではないかとも想像できますし、もしかすると山県有朋あたりの横やりもあったかも知れません。伊藤本人はイギリス崇拝主義みたいなところもあったわけですから、まさか本気で天皇権神授説みたいなことを考えていたわけでもないでしょう。

さて、太平洋戦争が終わり、GHQによってようやくというべきか、めでたくというべきか、日本人の手で書かれなかったという意味で残念ながらというべきか、判断に迷うものの、ルソーの社会契約説を基礎とする日本国憲法が作られ、それが現代の我々の国家原理となっています。また、ワイマール憲法を参照して社会権も盛り込んである上に、ナチスドイツを産んだ反省から間接民主制に徹しており、更に天皇については「象徴」という便利な言葉でその存在を保障していますので、いろいろな意味でなかなかよく作られている憲法と言えるように私には思えます。

論争の的になるのは憲法9条になるわけですが、英米法風に判例を積み重ねて自衛隊を実質合憲としていくというのも一つの方法のように思えますし、裁判所が統治行為論を採る以上、個人的にはそれもありかなあと思います。ただ、どうしても、どうしても、現行憲法では具合が悪いと考える人もいるでしょうけれど、もし、憲法を変えるとすれば、個人的には憲法9条第二項に但し書きを書き加えるのがいいのではないかなあと思います。即ち「但し、自衛権はこの限りではない」または「但し、自衛権及び国際貢献に於いてはこの限りではない」と付け加えれば、だいたい丸く収まるというか、現実にも一致させていくことができるのではなかろうかという気がします。

稀に、日本には自衛権がないと考える人もいるように思えますが、ロックが唱えた生命、財産、自由、平等」の自然権の確立を考慮すれば、自衛権がないと国民の自然権も守れませんので、自衛権に関してはあると考えるのが自然なことではなかろうかと思えます。

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政治家の靖国参拝と政教分離

今さら言うまでもないことですが、日本は憲法で政教分離することに決められています。しかしながら、もしそれを厳密にやるとなると結構難しい問題もはらんできます。

政治家が特殊な宗教に入信しているなどの極端な例を持ち出す必要はなく、むしろ政治家が地元のお寺の檀家さんだったり、あるいは初詣でご近所の八幡神社に参拝したりというようなことは、日本人の一般的な生活の一部と言えますので、そこまで政教分離がーっと言うのはもしかすると少し無理があるのではないかなあと思えなくもありません。小沢一郎さんが熊野詣をしたことがありますが、そういうのもダメなのかと言えば、かえって日本人の生活感覚から乖離してしまうのではなかろうかという気もしてしまいます。

一応、目的・効果基準という概念があるらしく、政治が特定の宗教に対して「宗教的意義を持ち」かつ「援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」をしてはいけないということで線引きがされているようです。

三重県津市で市立体育館を作る際、地鎮祭を行ったことが政教分離の原則に反するのではないかという訴訟が起きたことがありましたが、これについては最高裁で「専ら世俗的行為」にあたるとして訴えが退けられたという判例があるようなのですが、一方で愛媛県知事が靖国神社や護国神社に戦没者遺族援護の一環として公費で玉串料を納めたことは最高裁で違憲だという判断がくだされているそうです。

公費で玉串料を納めたところで判断の違いが出たのではなかろうかという気がしなくもないですが、三重県津市の地鎮祭の件でも神主さんにはお車代くらいはお渡ししているのではないかという憶測は可能のようにも思えますので、そのへんはいいのだろうかと個人的には疑問に思えなくもありません。

さて、地方自治体の長が地元の神社の神主さんと仲良くするとかなら特に目くじらを立てて騒ぎ立てることもないように思えるのですが、総理大臣が靖国神社という論争のある場所に出かけて行くことの是非についてはどう考えればいいのでしょうか。中曽根康弘首相が靖国神社に参拝したことも訴訟で争われましたが、地方公共団体の首長の場合、住民訴訟という手段で問いかけることができるのに対し、国家に対しては住民訴訟という仕組みはなく、国家賠償請求ということになるわけですが、これについては違憲の可能性は絶対ないとは言えないけれど、原告に具体的な被害が出ていないという理由で退けられているようです。

なかなかの変化球のようにも個人的には思えるのですが、靖国神社については靖国神社そのものが政治論争の真っただ中にあるようにも思え、私もどう思っていいのか分からない…と立ち止まらざるを得なくなってしまいます。小泉純一郎さんが「心の問題だから私の自由」というのも一理あると思えますが、かくも政治性の強い論争の的になっている宗教施設に総理大臣が行くことが絶対に正しいのかと議論の刃をつきつけられれば「ぐぬぬ…」ともなってしまいそうな気がします。

私は母方の祖父が戦死していますので、何度か靖国神社に行ったことはありますが、総理大臣とか天皇陛下にも参拝してほしいとかは特に思いません。私個人の意思で行きたい場所に行きたい時に行ければそれで文句はありません。もうちょっと言うと総理大臣と天皇陛下が参拝したとしてもそんなに嬉しくもありません。私には関係のないことなので、どっちでもいいというのが本音です。愛媛県の知事が玉串料を納めたのがよくなかったみたいなので、玉串料は私費でやっていただければオーケーなのではなかろうかとも思います。尤も、天皇陛下の場合、「私費」があり得るのかという素朴な疑問は残るわけですが…。

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日本国憲法と抵抗権

現行の日本国憲法について、私は個人的にはなかなか悪くないとは思っているのですが、なんとなく、どうもすっきりしないもやもやしたものがあります。それは抵抗権が明記されていないことです。

現行憲法の草案を書いたのがGHQで、本来明治憲法には改正規定が書かれていなかったにもかかわらず帝国議会で改正手続きを経て「改正」されたことになっています。明治憲法が「法治主義」(法律にさえ書き込めば何をやってもいい。言論弾圧でも思想弾圧でもなんでもありじゃ、おらー)なのに対して、現行憲法では「法の支配」(法にはその規範となるべき精神やモラルがある。法の理念に反するようなことはたとえ法律に書き込んでもオーケーになるわけねえだろ、そんなのは無効だ。ぼけ)に変更されました。一般に前者が大陸法と呼ばれ、後者が英米法と呼ばれます。

GHQの草案は、天皇という日本独特の存在に配慮を示しつつ、英米法的な精神を日本に根付かせたいとの願いを込めて書かれたものと私は個人的に理解しています。

ただ、そうなると一つだけ解せないのが日本国憲法には「抵抗権」が明記されていないことです。アメリカの独立宣言(憲法の一部というか、根幹と言ってもいいかも知れないですが)では革命の権利(暴政に対して抵抗する権利)が明記され、修正条項でも武装の権利が明記されています。抵抗するためには武装が必要ですので、念入りに修正条項に武装の権利を盛り込んだのだと言えます。

これはアメリカ建国の根本理念に関わる問題ですので、たとえGHQの憲法草案チームが法律の素人だったとしても知らないはずがありません。普通の日本人が憲法9条を知っているのと同じくらい、常識的に知っていたはずです。

しかし、日本国憲法に抵抗権が書き込まれなかったのは、もしそれを書き込むと当時日本を占領中だったGHQに対して抵抗権を盾に暴動なり反乱なり旧軍の蜂起なりがあることを懸念して敢えて書かなかったのではないかという気がします。暴政に対して抵抗する権利はほとんど基本的人権と言ってもいいくらいですから、ここはもしかすると現行憲法の瑕疵と言えるかも知れません。もちろん、選挙がしょっちゅう行われて有権者がこいつダメダメじゃんと思えば落選させることもできるわけですから、敢えて抵抗権を主張する必要はないとも言えますし、現代の解釈では抵抗権はあまりに自明の権利なので書いてなくてもそれ権利はあるのだという考えもあるようです。そうすると国の自衛権も書いてないけど明々白々に存在するという解釈の余地を認めることにもなりますから、私にはそれぞれの立場の人が自分の都合のいい部分だけを主張しているように見えてしまうようにも思えます。

さて、憲法に関する論議には八月革命説を欠かすことはできません。1945年8月に革命が起き、その結果として現行憲法が生まれたのだとする説です。ただし、その説を採る場合、誰が革命をしたのかという点が極めて重大のように思えます。当時の状況から見て、革命の行為主体はアメリカ軍ということになってしまい、外国の軍隊が革命を起こすということは原理的にあり得ず、それはいわゆる「侵略」ということになってしまわざるを得ないのではないかと思えます。そういう意味で八月革命説はちょっと無理があるのではないかなあと思えます。

このあたりのことは「神学論争」の範疇とも思えますので、あんまり深入りすると疲れるだけという気もします…。

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憲法と歴史

戦後日本では改憲か護憲かで何十年も論争が続いてきたわけですが、それらの議論が必ずしも実りのあるものではなかったようにも思え、憲法論争には「つきあっていられない…」と思うこともありますが、それはそうとして今回は憲法を歴史という観点から考えてみたいと思います。

それぞれの国にそれぞれの憲法があるわけですが、どの憲法もその国の歴史的背景を前提にして編まれていると言われます。そのため、憲法を理解するためには歴史に関する理解が必要だともよく言われるわけです。

たとえばイギリスの場合、王が重税を課すという大問題がありました。マグナカルタとか革命などを何度も経てその都度、王の権力は制限されるようになり、課税に関する議論は議会がするように転換していきました。やがて現在のように「君臨すれども統治せず」という不文律におさまっていくわけですが、そこへ至るには王の課税する権利を段階的に制限していった歴史があるということを理解してようやくイギリスの「書かれざる憲法」に触れることができるのかも知れません。

フランスの場合も王が重税を課すというのが大問題になりました。ルイ14世あたりが派手に戦争をやっては負けるを繰り返し、戦費はひたすら国民への課税で賄い、ルイ16世の時代になると課税できる対象がなくなるという深刻な事態に陥ります。最後は免税特権を持つ貴族への課税を検討し、大反発を招き、結果としてはルイ16世は王侯貴族の中で孤立状態でいわゆる大革命を迎えます。ロシア革命が成功した背景には軍が皇帝を見棄てたという伏線がありますが、ルイ16世の場合も味方を失い、裸の王様状態になっていたと言えます。そのような歴史的物語を背景にしているため、フランスでは王権そのものを否定することが重要な理念の根幹をなしていると言ってもいいかも知れません。

アメリカの場合もやはりイギリス本国からの課税が深刻な問題だと受け取られていました。「代表なくして課税なし」という有名な言葉がありますが、イギリスの支配から脱して、自分たちの税金の使い道は自分たちで決めるという独立独歩の精神がアメリカ建国の理念と言えます。ボストン茶会事件はつとに知られていますが、現代よく論じられるティーパーティー運動はそのようなアメリカの歴史の物語を前提としているため、賛同者が集まったのだと言えるようにも思えます。

さて、日本の場合ですが、伊藤博文が憲法を書く際に大変に困ったのは日本の天皇とヨーロッパの王権とは似て非なるものだということだったと言います。江戸時代の天皇に徴税権などというご立派なものはく、幕府から賄い金をもらっている状態でしたので、平安時代ならまだしも今さら天皇の徴税権云々などというのは全くのナンセンスです。そういう事情から古事記の記述に照らして「万世一系」という理念を用いて天皇を規定し、憲法を書いたと言われています。憲法が歴史的経過を前提としているものだとすれば、そのあたり、伊藤も相当に知恵を絞ったのだとも思えます。

さて、現行の日本国憲法ですが、そういう意味ではこの憲法も歴史的経過を前提としていると言っていいのだろうと思えます。即ち、過去の戦争の反省から不戦の誓いをするということがその出発になっています。国を挙げて大戦争を始めた挙句ぼこぼこにやられたというのは紛れもない日本独特の歴史的背景であり、そういう意味ではなかなか正しい主張が書かれた憲法のようにも私には思えなくもありません。

さて、しかしながら、実態と合わない場合は改憲すべき。という意見もあるでしょう。例えばイギリスの立憲君主制はこれからも形を変えていくものと想像できますし、王室の人物の不品行が酷い場合、国民の意思で王制が廃止されるということも、実際にはそんなことは起きないとは思いますが、選択肢としては存在しているわけですから、その辺りのことも含んでいろいろと変化していくことで現実に柔軟に合わせて、結果的には王制が続いていくということになるように思えます。アメリカの場合も奴隷制度を廃止するために憲法の修正条項が加えられました。その後、その修正条項の理念に合わせて白人以外の人にも教育を受ける権利や政治に関わる権利が認められていったわけですから、アメリカ人が深く考え、市民とは何かを問い直し、憲法の精神に合わせて少しずつ変化していったと捉えることもできるのではないかなあと思います。更に言えば、憲法に限らず法律は条文に書かれていないことはコモンセンスで埋めていくということが多いです。日本の場合もコモンセンスで埋めていくということでいいのではないかなあと思わなくもありません。コモンセンスも変化していきますから、柔軟にやっていくということが求められるようにも思えます。

ついでに述べるとすると、「マッカーサーがおしつけた憲法だから反対だ。自主憲法が必要だ」という意見があるのも尤もなことです。「幣原喜重郎がマッカーサーに平和憲法を提案したから現行憲法はおしつけではない」という意見には賛同しかねます。憲法の内容がいいか悪いか以前に、幣原喜重郎とマッカーサーが国民の知らないところで密約したという話ですので、だからいいんだとはちょっと思えません。

そうは言っても前文なんかなかなかいい感じな内容なじゃないかともおもったりします。

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幣原喜重郎内閣‐平和憲法を書いたのは誰か?

終戦直後に登場した東久邇宮稔彦王内閣は、当初こそ皇族首相による指導力を期待されていましたが、かえって共産主義革命を煽りかねないという不安が頭をもたげ、短命で総辞職します。続いて木戸幸一主導で首相指名されたのが幣原喜重郎でした。久しく政界から遠ざかっていましたが、過去の親英米協調外交路線が評価されての政界復帰となります。

幣原喜重郎首相時代、やはり最大の注目点は新憲法です。新しい憲法は果たして誰が書いたと考えるべきでしょうか。当時GHQに示された松本烝治案がマッカーサーによって拒否され、マッカーサー三原則に基づいてアメリカ軍の法律チームが新憲法草案を書き、日本の議会で多少の修正が行て現行憲法になったと言われていますが、一方でマッカーサー三原則の一つである非武装平和主義は幣原喜重郎の方からマッカーサーに提案し、それをマッカーサーが受け入れて同三原則が作られたとも言われています。

仮に幣原喜重郎が発案者であったとすれば、「アメリカ人が書いた憲法を押し付けられた」という歴史観は正しくないということになり、日本人が自発的に考え出した憲法だという議論をすることは可能です。ただ、一方で、国民の知らないところで幣原とマッカーサーが個人的に話し合って「密約」したとすれば、それをして日本人の総意と解釈することも難しいことのように思えます。更に言えば、マッカーサーの同意を得なければ自由に作れなかったという意味で、制限下に作られた憲法であることは議論の余地がないのではないかとも思えます。

一方、70年変更して来なかったことは日本人がその憲法に同意しているからだという議論があり、またその一方で、改正のハードルが高すぎて憲法が改正できないようにマッカーサーが仕組んだのだという陰謀論めいた議論もあります。

私個人の意見ですが、アメリカでは憲法の修正には議会の3分の2以上の賛成と4分の3以上の州の賛成を必要としていますので、日本の議会の3分の2以上の賛成と国民の過半数の賛成は必ずしもハードルが高いというわけでもないように思えます。日本がこれまで憲法を変えて来なかったことの背景には別の要因があるのではないかと思えます。

私個人の経験から言いと、アメリカ人はわりと天真爛漫ですので、そこがアメリカ人のいいところなのですが、あんまり細かいことは気にせず、憲法を書いたのはアメリカ人だが、それを保持し続けているのは日本人だから、日本人は自分の意思で現行憲法を使っているのだと思っている人が多いように感じます。一方で、中華圏の人は現行憲法には敗戦国の日本に対する懲罰的な意味が込められており、それを変更しようとすることは日本人が過去の反省を忘れる歴史修正主義だというように認識している人が多いように感じます。アメリカ人と中華圏の二種類しかサンプルがなくて申し訳ないのですが、中華圏の人とこの手の議論をする場合は相手が感情的に反論してくることが多いので、そういうことはなるべく議論しないようにしています。

永久平和の理想も確かに尊いものですから、現行憲法が悪いとは私は必ずしも思いませんが、現実と乖離している面があるのもまた確かかも知れません。法律に書いていないことは慣習なりコモンセンスで埋めていくのが法律の基本ではないかと私は思っていますので、安全保障や国際貢献に関しては必要に応じて対応することにして、わざわざ感情的な議論を引き起こす憲法改正のような手続きに出なくてもいいのではないかと私個人は考えています。

それはそうとして、幣原喜重郎内閣では第22回衆議院総選挙が行われ、それは婦人参政権もあるという画期的なものでした。その結果は日本自由党が第一党で、日本進歩党が第二党というもので、過半数を獲る政党はなく、幣原喜重郎は日本進歩党に近く、紛糾が生まれ、総辞職に至ります。幣原喜重郎の次は、いよいよ吉田茂の登場です。
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