トランプ大統領の交渉手法はこれだ

ドナルドトランプが大統領に選ばれて一年半、一方で「何をするかわからない」と不気味がられる反面、「めちゃくちゃな公約を公約通りに進めている」とやはり不気味がられている。要するに不気味がられているのだが、彼の全てを知ることはできないものの、彼のアジア関連の外交を見る限り、一定の手法があることが分かる。

中国の習近平国家主席が訪米した際、チョコレートケーキかなんかを食べている時にシリアにトマホークを撃ち込んだという知らせが入ると言う、人の食欲を敢えて萎えさせるような手法で脅しをかけたが、この時の米中間で話し合われた主たる話題は貿易と北朝鮮の核問題だった。トランプは貿易不均衡の是正を要求したわけだが北朝鮮が交渉材料になり、北朝鮮の核放棄を中国主導でできるなら貿易不均衡については目をつぶるというわりと分かりやすい取引が行われた。

で、しばらくそれで様子見に入ったわけで、その間に北朝鮮の金正恩委員長が訪中し、或いは中国主導で北朝鮮の核廃棄もあり得るかという観測も生まれたが、結局のところ北朝鮮サイドが自分たちのバックには中国様がいるということを世界に知らしめるだけの効果があっただけで、中国主導による北朝鮮の核放棄は実現されなかった。その結果を受けてトランプは北朝鮮と直接協議することにしたし、躊躇なく中国製品に大規模な関税をかけることを決心したのである。要するに一旦、チャンスを与えて相手のお手並みを拝見し、話しが違うということになればアメリカファーストの原則で押していくのだ。

この手法は北朝鮮に対しても行われていると私には思える。シンガポールで史上初の米朝首脳会談が行われたが、一方で具体的な中身が何もないという批判があった反面、事実上アメリカの勝利、または事実上北朝鮮の勝利など様々な評価があちこちで行われた。だが、上に述べたようにトランプは一旦相手にチャンスを与えて約束が実行されるかどうかをお手並みを拝見するという手法になるので、現状は北朝鮮が約束を守るかどうかの見極め期間と言うことができる(2018年7月12日)。見極め期間が終わりトランプが相手が約束を守らないと判断した場合、これまでに公言した通りの強硬な手段がとられる可能性は充分にあるわけだが、北朝鮮が核を放棄することは私はあり得ないと思っているので、一切は私の想像だが北朝鮮サイドは如何にしてあたかも約束を守ろうとしているかと信じさせる期間を引き延ばそうと努力するだろう。従っていつまで見極めるかのせめぎ合いということになる。

とはいえ、仮に強硬手段を選ぶ場合、周辺関係諸国との合意や協力は必要になる。日本は敗戦国でアメリカ様の言いなりになるのが宿命ではあるが、安倍晋三首相は押せ押せでトランプ大統領に迫っているはずだが、もう一つの主要なアクターである韓国の文在寅大統領は下げ下げで行くはずである。韓国から在韓米軍を撤退させて台湾にある程度の規模の海兵隊を置くというプランがあるとまことしやかに語られることもあり、にわかに信じることはできないが、絵空事とも思えない。韓国、台湾に関することもトランプ大統領は取引条件を示し、取引が成立するかどうかを見極め、決断するというやり方を繰り返すだろう。ヨーロッパは完全にトランプのアメリカに愛想をつかしているので、欧米連合で国際社会が動くということは当面は考えにくい。日米同盟が世界の一方の軸になり、巨大な中国が一帯一路で場合によってはヨーロッパで仲良くするというカウンターパートという新しい世界の構図が見えてこなくもない。しばらくすればインドも主要なアクターとして浮上してくる。

要するにはっきりしていることは日本がアメリカ様とどこまでも行く以外の選択肢を持っていないということだけで、あとはそれ以外がアメリカにつくか中国につくか現状では何とも言えない。ヨーロッパ、韓国、インド、台湾が果たしてどっちにつくかを見守りたいところではある。繰り返しになるがヨーロッパはトランプを見放しているので中国よりに傾く可能性はある程度あると言える。台湾は政権交代が起きれば大きく政策が変わるので、時期総統選挙の結果を見ないことには何とも言えない。韓国はなんとなく中国につきそうな気がするが、意外と親米勢力も健在なので見通せない。インドは日米同盟につくのではないだろうか。

全て私の想像です。いいですか。私の想像ですからね。念押ししますが、想像ですよ。




北朝鮮は戦争ではなく外交を選んだ。勝ったのは中国だった。

現在、2017年4月15日の午後2時ごろです。政権に近い人たちからはXデーとささやかれ、あわや第二次朝鮮戦争、または第二のキューバ危機かとすら思えた緊迫感のある日々が続きましたが、もっともやばいと言われた15日の午前が何事もなく穏やかに過ぎましたので、戦争になるリスクは大きく減少したと思えます。安全資産である日本円に買いが集まっていましたが、週明けからは円高に揺り戻していくのではないかと思えます。数日前、私なりに戦争にはならないと思うという主旨のことをなるべく穏やかに書いたのですが、やっぱり戦争にはならなかったと言うことになります。北朝鮮にとっては核実験という派手なことはやれなかったものの、「SLBM持ってるぞ。ついでに言うとICBMも持ってるぞ。なめんなよ」と世界に見せることができたわけですから、それなりに満足できる内容だったかのも知れません。

一時、軍需産業関連の関連の株価が上がっていると話題になりましたが、数日前から下げ始めており、株式市場でも戦争は回避されるという見方が強まりつつあったとも思えます。週明けからは反動もあってもっと下げるのではないかという気もします。

振り返ってみれば、アメリカがどこまで本気で戦争するつもりだったのかは微妙と思えます。まず第一にシンガポールからオーストラリアへ向かうはずだった空母カールビンソンが思いつきのように日本海行きを命じられ、一週間くらいかけて(要するにわりとゆっくり)北上したという辺り、「カールビンソンが行きますよ」という威嚇以外の意味はなかったとも思えます。

もし戦争になった場合、懸念されるのはソウルに大量の砲弾が撃ち込まれることと、日本に何が飛んでくるか分からないというところでしたが、38度線の砲台は固定されたものなわけですから、トマホークで計算して打ち込めばよく、カールビンソンの戦闘機が出ていく理由はありません。ミサイルを打つための可動式の発射台については、トマホークで狙うことには限界がありますから、戦闘機を使うことは理解できますが、仮に数時間で全て叩く(一つでも残っていれば日本に何かが飛んでくる)ということであれば、横須賀のロナルドレーガンも日本海に行っているべきで、わざわざ狙ってくださいと言わんばかりに横須賀で整備しているのは悠長な話です。ということは、最初から必ずしもアメリカは本気を出していなかったのかも知れません。やろうと思えば勝てるだけの戦力は集めた上で、場合によっては韓国と日本が焦土と化しても、ま、いっか。という感じで考えていたのかも知れません。少数精鋭の暗殺部隊を送るという話もありましたが、山の中の個人宅を狙うのではなく、警護の固い宮殿の中に複数の影武者たちと警備兵を充実させている国家元首をこっそり空挺部隊のようなもので送り込み、目的を達成するというのは土台からしてやっぱり無理な話だったと言えなくもありません。

それでも、戦争になったら日本と韓国に向けて存分に大暴れして滅びゆく覚悟を北朝鮮がしたならば、そうなったかも知れません。しかし、今この段階で核実験をしていないということは北朝鮮の側は矛を収め、アメリカも矛を収めるのをじっと待つという戦略を採用したものと見受けられます。何にもやらなければ滅亡必至の戦争を回避できるのですから、何にもやらないというのは理にかなった判断と思えます。太平洋戦争が始まる前に昭和天皇が「戦争準備を主とするのではなく、外交を主とせよ」と意思表示したことは全くまともな判断であり、それでも戦争をした当時の日本の指導者の愚かさということまでが私の脳裏を去来します。

一連のできごとで最も印象に残ったのは中国の立場が大きく好転したことです。中国は北朝鮮を説得するとアメリカに約束し、実際に北朝鮮を思いとどまらせることができたわけですから、堂々とその成果を主張することができます。一部では今の北朝鮮を中国がコントロールすることはできないとも言われていましたが、滅亡必至の行為を思いとどまらせるのはそんなに難しいことではなかったかも知れません。やったら死ぬよと言われれば、大抵の人はやらないのが合理的というものです。その結果として得るものは大きいもので、トランプさんは中国を為替操作国とは認定しないと発言し、今後の貿易不均衡についてもあんまり厳しいことは言わないともツイッターでつぶやいています。先日の米中首脳会談では、「100日以内になんとかしろよ」と約束させられた習近平さんですが、この約束はチャラにしたところで誰に文句を言われるわけでもなく、大手を振れるというものです。今回のことで一番お得な思いをしたのは中国だったかも知れません。北朝鮮に対しても、アメリカに「体制の変更は求めない」とも言わせたわけですから、これからは命の恩人です。

今後は米中蜜月も視野に入る可能性もあります。トランプさんが大統領に就任する前、台湾の蔡英文総統と電話で会談したことを自らツイッターで明かしたことで大いに話題になり、CIAはトランプさんの就任前にアメリカに立ち寄った蔡英文さんと直接会談させることも狙っていたフシがありますが、これは実現しませんでした。CIAとトランプさんの関係は現在に至るまでも微妙というかかなり隙間風が入り込む状態と見てまず間違いないと私は見ていますが、これは世界最大の予算を持つインテリジェンス機関をトランプさんが活用できていないということも意味しています。政府人事は現在に至るまで不安定で、人事の目玉であったとも言えるバノンさんも冷遇されつつあるわけですから、トランプ政権は足元がまだまだ弱いということは間違いないと言えそうです。当初、明らかに中国に対して冷たい態度をとっていたトランプさんは、就任後少しずつ態度が穏健になり、おそらくは中国ロビーの涙ぐましい努力があったものと想像できます。娘さんと娘婿だけを頼りに政治をしているトランプさんは裸の王様状態になっており、中国ロビーにとってはそれが幸いして、入り込みやすかったのかも知れません。トランプさんは今後も情報源が乏しい中でのかじ取りをせざるを得なくなるため、中国ロビーの努力次第では米中蜜月大いにあり得ると思えます。北朝鮮が核実験を見合わせたことで、米中蜜月のお膳立ては整ったとも言えますから、今後はアメリカのAIIB参加なども含んだ方向転換も考えられます。その場合、戦争になったら有事モードで返り血も覚悟していたフシが見受けられる安倍首相は踊らされた感が残ってしまい、うまく形容することのできない、わけのわからない感じになってしまうということにもなりかねません。国際社会は一寸先は闇でござんす。安倍首相はオバマさんに対しては平身低頭で何とか乗り切り、トランプさんに交代してからはもうちょっと伸び伸びやれるかもと期待していたはずですが、ところがどっこい…相手にされなくなる…。ということもないとは言えません。こういうことを書いたからといって、私がそれを望んでいるというわけではないですよ。念のため。

とはいえ、戦争になっていたら、数百万人の死者が出ることも不思議ではなく、コロニー落としなみのマスマーダーになった可能性もあるわけですから、戦争にならなかったということは、祝すべきとも思います。

金正恩さんは、このたびのことで「強いことは正義だ」と学んだのではないかと思います。シリアのアサドさんやリビアのカダフィさんのような半端なことをしていればトマホークも撃ち込まれるし、場合によっては殺される。しかし、自分は強いのだ。強いからアメリカも手を出すのをためらったのだと認識したはずです。そう認識するのが普通です。もし、金正恩さんが賢明な人であれば「力は使うものではなく、見せるものだ」とも学んだかも知れません。日本はそれを見せられる側であり続けることになります。日本は外交で負けたと判断してもさほど間違っていないのではないかという気がします。

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報道の自由と取材の自由

「報道の自由」が果たしてどこまでゆるされるのか、虚報や誤報は別としてその内容が真実だとしても、なんでもかんでも報道していいのかというのは結構議論のあるところというか、それぞれ人がそれぞれに意見があるのだろうと思います。なんといってもマスメディアには権力を監視するという大切な役割がありますから、そこに制限がかけられることは望ましいことではありません。原則として、無制限であるべきで尾はないかと私個人は思います。報道は取材しないとできませんから、「取材する自由」についても同様に広く求められるべきと思います。尤も、それは飽くまでも権力の監視に限ったことだと思いますので、それ以外のことではある種の節度が求められるかも知れません。

報道の自由に関する議論としてよく話題にされるのが、いわゆる西山事件と呼ばれるものです。毎日新聞の西山記者が外務省の女性事務職員と男女の仲になり、その関係性を利用して沖縄返還に関する秘密の電文を入手し、それを社会党の議員に渡して国会で暴露されるという展開のもので、刑事事件にまで発展しています。

私個人の意見ですが、報道の自由という観点から論じるのなら、新聞記者には外務省の秘密文書を世に問うという権利は当然に認められなくてはならないものだと思います。しかしながら、この事件で世間の耳目を集めたのは、記者が事務職員の女性と男女の仲になるという手段で情報を手に入れたということです。この点に関しては感情的な面でいやーな気分にどうしてもなってしまいますし、当時も激しく批判されたようです。男女の情を利用して秘密情報をと手に入れるというのはほとんどスパイ映画みたいな話になってしまうのですが、情報を手に入れるためにそのような人間的感情を弄ぶというのは、やはり許容の範囲外なのではないかという気がしないわけでもありません。

そういう意味では、取材の自由や取材源の秘匿については新聞記者は広くその権利を認められてしかるべきとは思えるのの、そういう権利があるからこそ、ネタのためには何をやってもいいのかどうかについては節度のようなものが求められるのではないかと思えます。

また、西山記者の事件で問題にされたのは、自分の勤務する新聞紙上で公開するとすれば、ジャーナリズムと権力との闘いとも言えますので、新聞がんばれ!と応援したくなるかも知れないのですが、当該記者はそういう手段を採らず、野党の議員にネタを流して国会で暴露させています。そういう風になるともはやジャーナリズムですらなく、権力の監視とは別の話になってしまいますので、裁判所もわりと厳し目な判断をしたのではないだろうかという気がします。

西山記者はその後毎日新聞社を退社しましたが、21世紀に入り、アメリカで日米間の秘密文書が公開され、確かに密約があったことが確認されたとも言えますが、西山さんがテレビに出演して「俺の取材した内容は正しかったじゃないか」的な感じのことをお話ししていらっしゃいましたが、テレビを見ている人の中には「いや…問題はそこにあるのではなくて…」と絶句した人が多かったのではないでしょうか。

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鳩山一郎内閣‐55年体制の確立

鳩山一郎が公職追放された時、吉田茂は「鳩山さんの公職追放が解ければ政権をあなたに返す」と言質を与えたと言われていますが、実際にサンフランシスコ条約で日本が主権を回復しても吉田茂は自身の政権を継続させる方向を模索します。しかし疑獄事件で不人気となり、総辞職へと追い込まれました。

鳩山一郎が後継首相の座につき、盟友といわれた三木武吉が自由党と民主党を合併させる保守合同を成し遂げ、自由民主党が誕生します。自民党の党是には自主憲法の制定が明確にされており、議会の3分の2以上の勢力を得て改憲することを目指していましたが、いわば、彼らの悲願とも言える憲法改正は今日まで為されていないのは周知の通りです。一方、左派と右派に別れていた社会党も合併し、自民党と社会党の二大政党制的な状況が生まれ、その後数十年、これが続くことになります。

鳩山政権ではアメリカの占領状態を完全に終わらせる(外国の軍隊が完全にいなくなる)ことを目指し、日米安保条約の破棄と日米相互防衛条約の締結をアメリカに打診しますが、ダレスは「日本に自主防衛できるわけねえだろ」と一蹴されたと言われています。この経験から、後に岸信介が日米安保条約の改訂の方向へと進んで行くことになりました。

外交ではソビエト連邦を訪問してフルシチョフの会談し、日ソ共同宣言を出すことに成功し、サンフランシスコ条約に参加していなかったソビエト連邦と平和条約の締結のないまま国交を回復させます。領土問題はあいままなままとされ、後のプーチン訪日鰻の香りで銭を獲る外交へと21世紀まで懸案が引き継がれてきました。日ソ共同宣言では平和条約を結べば歯舞色丹は引き渡すということになっていますが、日本側としては国後択捉も返してほしいということで、平和条約を結べば国後択捉は固定化してしまうという懸念から、積極的に踏み切れない面があるようにも見えます。ロシア側としては歯舞色丹のような小さな島だけでもお情けだくらいに思っているでしょうから、敗戦国にとって領土問題はなかなか難しいことだと我々は何十年も思い知らされ続けていると言ってもいいかも知れません。

鳩山一郎政権の時代、原子力の導入もやっており、その背後には正力松太郎の陰もちらつき、更にその先には多分CIAもいたでしょうから、米ソ間で多元外交をやろうという鳩山一郎の意思を見出すこともできますし、日米相互防衛条約を拒否したダレスの本音は「日本に自立させたくない」というところだったと見る方が実情には近いものだったのかも知れません。

鳩山一郎内閣の次は短命の石橋湛山内閣が引き継ぎます。

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北方領土は還ってこなかった件

ロシアのプーチン大統領の訪日は、肩透かしといえば肩透かし、進展があったと言えば進展があったとも言える、なんとも微妙な感じのものでした。ただし、個人的には「北方領土ではこれまでにない新しい体制で経済協力を行う」ということになったのは、蟻の開けた穴がいずれはダムをも崩壊させるのと同じような効果をもたらすのではないかとも思えます。

プーチンさんは訪日のしばらく前から北方領土の返還については否定的な発言が目立つようになり、一方で経済協力については大変に熱心であるととれる発言も多かったわけですが、どこにどんな裏が仕込まれているのかと多くの人が腹の内を探ったと思いますが、結果としては事前に出していたメッセージはまさしくそのまんまだったと言え、案外、裏を探る必要もないのかも知れません。

プーチンさんとしては鰻の香りだけかがせて銭を取りたいと思っていたように思えますが、北方領土は別の新しい枠組みということに同意したということは、将来、鰻の本体を食べられる可能性を日本に残したとも言え、そこはあまり悲観的にならずに、日本の得点になったと評価していいのかも知れません。

北方領土の開発が新しい体制・枠組みで行われるということは、ロシア側が暗黙裡に領土問題の存在を認めているということを、今後の開発過程で常にはっきりさせられるということでもありますから、長い目で見れば、還ってくる可能性を感じさせてくれるものだとも言えます。

あまり大きな予断を持つわけには行きませんが、北方領土の地域がジャパンマネー抜きでやっていけないところまで影響力を発揮することができるようになれば、そのこと自体が交渉カードになるとも言えます。もっとも、それこそサラミスライス戦略でゆっくりじっくりじわじわと一進一退しながら交渉が続いていくということにもなりますので、なかなかしんどい、我慢強さを要求される作業になっていくのだろうと想像できます。担当する人は相当に苦労することと察してしまいます。

さて、現状、ロシアは西側からの経済制裁の対象になっている一方で、ドナルドトランプ次期アメリカ大統領はプーチン氏に親近感を持っているとも言われています。今後、どっちに転んでどうなるのかさっぱり見当がつきませんが、もしかするとポスト冷戦構造が終わっていくき、ヤルタ体制ともマルタ体制とも違う、新時代が始まるかも知れないとも思えます。

一部では日米露同盟みたいなことを言う人もいるみたいです。そんなことが実現したら世界史の教科書を書き直させる凄い展開だとも思えます。今後の注目点としては、ドナルドトランプさんが就任後にロシアに対してどう出るか、シリアに対する出方と連動するでしょうから、その辺りを注意してウオッチしたいと思います。

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平沼騏一郎内閣‐欧州は複雑怪奇

第一次近衛文麿内閣が総辞職した後、後継首相に指名されたのは枢密院議長の平沼騏一郎でした。平沼騏一郎は司法界の出身ですので、政党政治家でもなければ軍人でもなく、また名門貴族でもない一味違ったタイプの首相と言えるかも知れません。

しかし、閣内では親ドイツと新英米で対立があり、近衛文麿を無所任大臣として起用している辺りには、ある程度、傀儡色の強い部分があったという印象も残ります。全体主義色の濃い国民徴用令もこの時に出されています。近衛文麿の体制翼賛体制には否定的でありながら、国民徴用令を出すというあたり、なんとも理解に苦しむところが残ります。半年あまりで潰れてしまった内閣ですので、さほどの仕事ができたとも言えません。

ただし、記憶すべき出来事はいろいろと起きています。日本の運命がいよいよ暗転するという時に、指導力を発揮した形跡は見当たりません。この時期にノモンハン事件が起きており、最近の研究ではソ連側の被害の方が大きかったことが指摘されていますが、それでもやはり大陸に於ける動員力の違いがはっきりした事件と言え、その後の日本帝国にとって重要な研究材料になったはずですが、結局はその教訓が生かされたとも言い難しというところです。

米英強調・反共・親ドイツという3つの要素が三つ巴になっていましたが、そこに独ソ不可侵条約という不測の外交的な爆弾が投下されます。この独ソ不可侵条約そのものがアドルフヒトラーのトラップのようなものですが、ドイツと提携しつつソビエト連邦に対抗するという基本的な軸が崩れて「欧州の天地は複雑怪奇」という言葉を遺して総辞職に至ります。

英米協調でありながらアメリカからは日米通商航海条約の破棄を通告されてしまい、本音は親英米でドイツの勢いを利用して防共という点では松岡洋右と共通項を持ちながらも対立しているなど、当時の政治家は支離滅裂感が強く、私にはこの段階ですでに日本政府は当事者能力を失いつつあったのではないかと訝し気に感じてしまいます。

平沼騏一郎が退陣した後は、阿部信行内閣、米内光政内閣の二つの短命政権が続き、いよいよ運命の第二次・第三次近衛内閣の時代を迎えます。とはいえ、平沼騏一郎が首相に就任した時点では、日本は既に後戻りのできない峠を越えていたのではないかとも思えます。知れば知るほど、返す返すもがっくり来てしまう昭和史です。ろくに首相として仕事のできなかった平沼騏一郎氏がなぜA級戦犯で終身刑を言い渡されるのかも別の意味で残る謎です。


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プーチンには北方領土を還すつもりがなさそうに見える件

クリミア侵攻以来、西側からハブられて孤立気味のプーチンさんが来日することで、これは北方領土が還ってくるのかと一時は色めき立つ雰囲気も出ていましたが、安倍さんとプーチンさんとのペルーでの会談の様子では、プーチンさんにはどうも北方領土を還すつもりはそもそもなく、鰻の香りで銭を取ろうとという腹が見え隠れしていたようです。

安倍首相がぶら下がりで記者に話した内容によると「道は見えてはきたが乗り越えなくてはいけない山がいくつもある」とのことらしいので、ロシア側からかなり険しい道のりになることを示唆されたのではないかと思えます。プーチン大統領は安倍首相に「ロシアの国内事情について説明した」らしく、民主国家の必殺技とも言える「国内世論」を盾に経済協力だけを進めて「北方領土のことは忘れましょ♪」と言っているに等しいようにも思えます。ロシアも建前上は民主国家ですので、ソ連時代をよく知っているプーチンさんとしては「民主主義にはこんな便利な言い回しがあるのか」と民主主義の使い勝手の良さを実感しているかも知れません。

交渉の詳しい内容については知る由もないですが、日本側に対して北方領土の共同開発という大義名分で出せるものは何でも吐き出させて国境線の画定については先送りというのがやはりロシアの狙いのように感じられます。双方の立ち回り方次第ですが、ロシアとしては北方領土を打ち出の小槌にしたいというか、今を機にそうしてやろうというのが本音ではなかろうかと思えます。橋下龍太郎さんとエリツインさんとの川奈会談と同じ結果に終わる可能性大かも知れません。共同声明は出されるでしょうけれど、玉虫色で一読しただけでは何を言いたのかはっきりせず、よーく読んでみると北方領土が還ってくる見込みはないのだという内容になることをついつい想像してしまいます。

既にロシア関連株に買いが入り、関連した経済人の動きもあるようですから、北方領土への投資話を溶かしてしまうわけにもいかず、安倍さん的にはかえって始末悪いという状態になっているかも知れません。

安倍政権は現状安泰と言ってもいいくらいですが、年が明ければ来年のいずれかの段階で解散総選挙を打たないと、その次の年まで持ち越せば「追い込まれ」解散に陥りかねません。経済では打てる手を打って、日銀でいろいろやってもらって現状になっていますので、短期的にこれ以上何かを望めることもなさそうなので、外交で成果を挙げたいと考えていらっしゃるはずですが、これは場合によっては来年で安倍政権の命運尽きるということも想定した方がいいのではないかと思えなくもありません。追い込まれずに解散するには来年の秋ごろがタイムリミットと思えますが、その時に有権者に何を訴えるか、安倍さんとしては悩ましく思っているかも知れません。拉致問題の解決はどうなったのでしょうか…。

その場合、次の内閣では延期した消費税の増税については「前に決まったことだから」という名分でベルトコンベア式に増税されて消費の落ち込み、経済の冷え込み、東京オリンピックの実態を伴わないバブル、2020年以降奈落の底。という最悪の流れも見えてこないわけではありません。

んー。外交で進展しないのであれば、せめて消費税の増税を永久凍結、できれば5パーセントまで下げるという公約でパーッとやってもらえないものでしょうか。

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第一次西園寺公望内閣

西園寺公望という人物をもし、簡単にまとめて表現するならば「開明的なお公家さん」というのが適切かも知れません。戊辰戦争では実際に戦線に立ったという経験を持ち、若いころは軍人志望でしたが、後にフランス語を勉強し、パリにも10年ぐらい留学してお金も充分にもらった上での楽しい前半生を送ります。フランスで自由主義的な空気に触れたことで、社会主義的な傾向を持っていた人という印象も多少は受けますが、イギリス型立憲君主制を理想としていたと言われています。

帰国した後はぶらぶらしたり、新聞社の立ち上げに乗っかったりなどしていますが、やがて伊藤博文に見出され、おそらくはフランス語の翻訳・通訳が助かるというのも大きく働いたと思いますが、政治の世界に入って行きます。伊藤博文が立ち上げた立憲政友会の創設メンバーの一人であり、日露戦争中は長州閥の桂太郎内閣に協力しますが、日露戦争が終わった後にいわば見返りとして次の首相の座を得ます。政治家として原敬を育てますが、原敬はわりと性格が激しかったため、西園寺に詰め寄るということもあったらしく、途中から西園寺と原敬は険悪な雰囲気になったとも言われています。

第一次西園寺内閣は主たる仕事は日露戦争後のいわば新秩序の形成で、日露協約、日仏協約を結ぶことで幕末以来の不平等外交を実質的に終わらせたというのは注目に値すると言っていいかも知れません。既に保護国化していた大韓帝国に対しては韓国統監の権限強化を認めさせる第三次日韓協約を結んでおり、日本の帝国主義を一歩進めたという面もあったとすることも可能かも知れません。

当時は日露戦争の戦勝で日本の帝国主義が自信を持ち始めていた時期と重なるため、韓国を日本の植民地にするべきだという意見も出始めており、伊藤博文は保護国の状態で結構という立場で、西園寺公望としてはそのバランスをとるのに苦慮せざるを得なかったという面もあったことでしょう。

山県有朋が西園寺公望のリベラル志向を警戒して西園寺下ろしを始めたことに気づくと、西園寺はさっさと首相を辞めてしまいます。後ろ盾になってくれたであろう伊藤博文が韓国統監になって中央政治との距離があったことも陰に陽に影響していたかも知れません。

政権は再び桂太郎に移り、第二次桂太郎内閣が組織されますが、当面は西園寺と桂がキャッチボール風に政権をやりとりする桂園時代が続くことになります。

西園寺公望は政党政治の確立に積極的でしたが、昭和に入ると政党政治に絶望するようになっていき、自らの手で政党政治を終わらせていきます。


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クリミア戦争と日本



1850年代は世界史的にも日本史的にも大きな転換点を迎えていた時代と言えます。

1850年代の日本で起きた大事件と言えばペリーの来航とその結果としての日米和親条約、更にプチャーチンの来航とその結果としての日露和親条約と領土の確定、1858年の安政五か国条約などがあり、日本は列強の力に屈して国是たる鎖国を捨て、不平等条約を締結せざるを得なくなるという辛い時代でもあります。しかし一方で、植民地化されるような憂き目に遭うことはなく、不平等条約だけで済んだという見方もできるのではないかと思います。

1853年から1856年までの間、イギリス・フランス・オスマントルコ連合軍とロシアとの間で第ゼロ次世界大戦とも言えるクリミア戦争が行われ、列強はその戦争に忙殺されていたために、日本がまだ世間知らずのひよっこだった状態の時に軍事力で蹂躙されるという最悪の事態に至らずに済んだと見ることも可能ではないかと思います。

ペリーが江戸湾沖に出現したことはショッキングな事件と言えますが、列強の中ではまだ新興国の部類に入るアメリカはクリミア戦争に参加しておらず、英仏がクリミア戦争に忙殺されて太平洋の方が手薄になった力の空白になったこともあって、ペリーは場合によっては琉球占領まで構想するという大胆さを見せることができました。日本は少しずつ外交を学び、列強とわたりあうようになっていきますが、クリミア戦争がなければ英米仏露で日本に侵攻して分け合うなどという事態が起きなかったとは言い切れず、わりと外交が素人で正直なアメリカ人のペリーと、クリミア戦争中であんまり派手にやれずに物腰柔らかなロシア人のプチャーチンとの間で慣らし運転をし、その後で英仏という真打登場ですので、日本人にとってはやりやすい順番だったと言えるかも知れません。

また、ペリー来航後の江戸幕府の軍事力の増強は目覚ましいものがあり、特に軍艦はお金にいとめをつけずにバンバン外国から輸入しており、1860年代にはそう簡単には手出しさせないところまでそれが育っていきます。アメリカの南北戦争が終わり、大量のエンフィールド銃が日本に入ってきますが、これも含んで驚くべき猛スピードで近代化が進められたとも言えそうです。

ここまでばっちり備えておいて鳥羽伏見の戦いで幕府軍がぼろ負けしたというのはもはや謎で、錦の御旗の登場くらいでしか説明がつかないのですが、佐幕派討幕派合わせて相当な軍事力を備えていたというのが植民地にならずに済んだ背景にあると思えますので、繰り返しになりますが1850年代という微妙な時代を比較的穏便に過ごせた日本は幸運だったと捉えることができると思えます。



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ナポレオン戦争とフェートン号事件



長崎の出島にイギリス船籍の軍艦が入港し、オランダ人商館員を一時拘束するという前代未聞の事件が、江戸時代後期の1808年に起き、江戸幕府の関係者が右往左往するという事態に陥ります。

この事件はナポレオン戦争と直接絡んでおり、また、長崎の出島がヨーロッパ人の目からどう見えていたかということが分かるという意味でも興味深い出来事ではなかったかと思います。

フランス革命の後の1794年、フランスはネーデルランド連邦(オランダ)に侵攻し、同地ではフランスの衛星国のバタヴィア共和国が樹立されます。1798年に、フランスではナポレオンによるクーデターが決行され、ナポレオンは統領政府を樹立し、第一統領(または第一コンスルとも)に就任します。コンスルとは古代の共和制ローマの執政官のことで、ナポレオンが古代ローマを強く意識していたことが分かります。

1804年にナポレオンは自身がフランス皇帝であると宣言し、続く1806年にはバタヴィア共和国を廃止して同地にホラント(オランダ)王国を樹立して弟のルイ・ボナパルトを国王に即位させます。

この時点でオランダ本国及び世界中のオランダの植民地がナポレオンの影響下に入ったことになります。ネーデルランド連邦共和国の統領を世襲していたオラニエ=ナッサウ家のウイレム5世はイギリスに亡命し、海外のオランダ領がフランスに接収される前にイギリスの方で押さえてほしいと要請します。イギリスから見れば千載一遇のチャンスですので、おおいに乗り気で、世界再征服戦争のようなことが始まります。

日本との貿易を独占していたオランダ東インド会社は1794年に解散しており、当時の長崎の出島はほぼ孤立した状態に陥っていましたが、一応はオランダ国旗を掲げ、ナポレオンに屈従したわけではないということを示していました(当時の日本人にとってはおよそ感知しないことではありました)。

そしていよいよ、フェートン号事件が発生します。イギリス海軍のフェートン号が、ウイレム5世の依頼というこれ以上ないくらいまっとうな大義名分で長崎へ入港します。長崎の出島は日本の江戸幕府の視点からすれば、オランダ人を隔離・管理する目的で設置された場所ですが、ヨーロッパ人の目から見れば、オランダの海外領土という風に理解されていたことが分かります。

しかしその手口は、入港時、オランダ国旗を掲げて偽装し、2人のオランダ商館員が小舟で近づいてきたのを拘束するという荒っぽい方法で、フランスからの解放を大義名分としているにも関わらず、これでは解放者なのか侵略者なのかさっぱり分からんという展開になってしまっています。更に、オランダ商館員の返還を求めた長崎奉行所に対しては水、食料、燃料の提供を要求し、さもなくば長崎港に停泊中の船を焼き払うという脅迫を行います。これでは海賊と同じです。

当時、長崎港の警備は鍋島藩が担当していましたが天下泰平の世の中で「どうせ大したことは起きない」と高をくくっており、イギリス軍艦に対抗するだけの戦力がありません。長崎奉行は周辺の各藩に軍の出動を命じますが、それらの軍が到着する前に長崎奉行所が要求された品物を提供することで解決し、フェートン号はオランダ商館員を解放して悠々と引き揚げたのでした。

実際に人を拘束して脅迫したという意味では、ペリーの黒船来航以上にショッキングな事件で、ペリーがいかに紳士的であったかを理解できるとすら言えそうです。

このことで、鍋島藩は大いに面目が潰れましたが、教訓となり、鍋島藩はその後、いち早く産業の促進と軍備の増強に着手するようになり、逼迫する藩の財政に関しても思い切った構造改革を実施して、幕末にはやたらめったら強い藩に生まれ変わっていくことになります。

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