佐久間象山の海防策

佐久間象山は幕末の蘭学者として子弟に吉田松陰や勝海舟のような超大物がいたことや、アメリカとの交渉事と担当したことなどでつとによく知られています。更に最期は京都で暗殺されるという運命を辿っていますから、尚のことドラマチックで、しかも残っている写真もやたらと迫力がありますから、そういった意味でも印象深い人物です。

松代藩士でもともとは儒学を勉強していた学者ですが、幕府が藩主を海防掛に任命したことで顧問官のような立場になり、急ぎ蘭学に取り組み魏源の『海国図志』を取り寄せたり、オランダ風説書に目を通すなどをして海防のための基本政策のようなものをまとめます。海防策、海防論、海防八策などと呼ばれます。

彼の海防論は目を見張るほど正鵠を射たもので、イギリスが現在、中国を好き放題に切り取っており、中国のことがだいたい終われば次は日本を狙ってくるであろうこと、日本の武士は白兵戦には強いが海戦にはそもそもノウハウが全くないため非常に心もとないこと、仮にイギリスの江戸上陸を阻止することができたとしても、先方は江戸が大都会で食料物資の集まる大消費地であることを知っており、太平洋のどこぞの島を占拠して軍艦を数隻でも浮かべておけば、日本列島の周囲を巡る廻船を襲撃して江戸に大きなダメージを与えることが可能であることなど、シーレーンまで見通して現状の厳しさを藩主に訴えています。その上で、日本では西洋軍艦の建造が長らく禁止されていたが、将軍家慶の英断でそれが可能になったことを高く評価し、まずはオランダ船を20隻ほど購入して操練し、ノウハウを得、ゆくゆくは自前の西洋軍艦が持てるようになるべきと具申しています。西洋からマスケット銃が入って来た時、日本人は見よう見まねでそれを試作し、ゆくゆくは本格的な銃の大量生産国になったという過去の歴史をよく踏まえた上で、まずは西洋軍艦に触ってみようというわけです。また、西洋軍艦は金属でできているわけですが、長崎でいろいろ輸入するために国内の銅貨がどんどん流出しているのを制御し、その銅を用いて軍艦の資材に充てるという提言もしています。鉄の船と銅の船が戦えば、勝敗は明らかでまず間違いなく鉄の船が勝つはずですが、木の船よりは頑丈なことは間違いないでしょうから、とりもあえずも金属の確保ということを考えていたようです。慧眼と言えます。

その後日本では尊皇攘夷思想が強くなり「西洋かぶれ」と見做された象山は上にも述べたように暗殺されてしまいます。ですが、象山はそもそも儒教を学んだ人であるため、人間観や世界観は儒教を基礎にしており、道徳は東洋が優れており、芸術(ここでは技術のこと)は西洋が優れているという発想法が彼の出発点であり同時に生涯を貫いた結論であったようにも思えます。人間性から生活習慣まで西洋風にすべしと考えた福沢諭吉とはこの点で大きく異なりますし、或いは世代の違いというものもあるのかも知れません。



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