三島由紀夫と石原慎太郎

三田文学で石原慎太郎が文壇生活五十年を振り返るという趣旨の対談をしているのを読み、やはり三島由紀夫に関する回想が最も興味深いものだった。三島由紀夫はその是非は別としてあまりに特殊な存在であり過ぎる。

作品と文章の完成度の高さは入念であり、彼らしい完璧主義的であり、美しく、繊細且つ逞しい。三島由紀夫に関わることで『宴の後』事件というものがあるが、プライバシーの侵害で訴えられたのに対して、人間を科学的に描くという純粋な文芸表現であると彼は反論した。文芸とは人間を科学的に描く行動であるとする、彼の小説に対する信念が披歴された、ある意味貴重な事件である。

人間を科学的に描くという信念はヨーロッパの自然主義小説に由来するはずだが、果たして人間を科学的に描くということが真実に可能なのかどうか、私には分からない。フランス自然主義を模倣しようとした明治小説の自然主義スタイルについて、江藤淳は「(自然主義文芸を)やりおおせたと思っている」人々の作品だと鋭い指摘をしている。柄谷行人は田山花袋は小説に書いたことよりもっと他人に言えないことをしているはずだとこちらもかなり鋭いところを突いている。他人に言えないことは隠し抜きつつ人間の真実を描こうとすること自体に論理矛盾があり、人は誰でも他人に言えないことはあるはずだから、結局のところ、科学的に人間を描く文芸というものは存在し得ないのではないかと私には思える。

それはさておき、当該の対談では、川端康成が三島由紀夫に対して強い拒否感を持っていたと石原慎太郎は話していた。三島由紀夫の晩年の生き方は確かに常人には受け入れ難いものがある。私的軍隊なるものを組織し、自衛隊の施設に入り込み、幕僚を縛り付けて演説し、果てるという彼の動きには理解し難いものがある。もし共感する人がいるとすれば、それはその人の自由なので、私は否定しない。いずれにせよ、石原慎太郎の対談している内容に拠れば、三島由紀夫が自決する直前のころ、そういう彼に川端康成が拒否感を持っていたというのは初めて読んだ。どちらかと言えば両者の絆が強いという物語の方が流布していると私は理解していたから、意外だと言えば意外だったが、考えてみれば確かに私的軍隊を持つ小説家を受け入れ難い存在だと思ったとしても不思議ではない。大岡昇平も三島由紀夫の新宅に呼ばれた際、悪趣味だと思ったが言えずにいたという趣旨のことを話しているのを読んだことがあるので、三島由紀夫は周囲との人間的距離感に苦しんだに違いない。苦しむが故により言動が過激になったのではないだろうか。

三島由紀夫が自決して果てた後、川端康成は現場を見たという。石原慎太郎も現場まで行ったが、現場そのものは見ずに立ち去ったそうだ。以後、川端康成は三島由紀夫の亡霊を見るようになり、後を追うかのようにして自ら命を絶っている。石原慎太郎は対談で見なくてよかったという感想を述べていた。私ももし、現場に立ち入る権利を持つ人間だったとしても見たくない。私は小説について作者の人生や背景というものをあまり考えず、作品そのものと対話することをより重視するのがいいと思っているが、今回の石原慎太郎の対談を読むことで、私は三島由紀夫という人の心の中を少しは想像することができるようになったし、過去に読んだ三島作品を思い出し、彼がどういう心境でそういうものを書いたのかについて想像することもできた。やはり作品理解には作者の人生と背景を知ることの重要性は否定できない。

三島由紀夫はその過激な人生と精緻な文章力によって、常人には測りがたい内面を持つ人という印象がどうしても強い。そのため、私は三島由紀夫理解は自分には一生できないだろうと思って諦めているところがあったのだが、今回のことで多少は相対的に見ることができるようになったと思えるし、その点は有益だった。



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三島由紀夫の『憂国』をどう理解するか?

 三島由紀夫さんが226事件に取材して書いた『憂国』は、若き日本軍の将校が226事件の報を受けて「皇軍相討つ」を避けるための究極の手段として自ら命を絶つという作品です。
 読む人によっては死を美化するだけの陳腐な作品だと一蹴してしまうかも知れません。この稿ではもう少し、ほんの少しだけ深堀して考えてみたいと思います。

 題名の『憂国』が示す通り、国家を憂うが故に死を選ぶということになりますが、国家とはそもそも手に取って触ったり自分の目で見たりすることのできない存在です。それをフィクションと呼ぶこともできますが、国家は法人であるとも言え、みんなで存在することにしようと決めた、決まり事であるとも言えます。

 いずれにせよ、目に見えないものを深く憂うなどということが本当に人間に可能でしょうか?家族や恋人、或いは自分自身のことは目で見て手で触ることができるため、深く心配することは可能です。実体があると信じることができるからです。

 それ故に三島は若き将校が死を選ぶ直前、若い妻とのエロチシズム溢れる場面を濃厚に書き込んだのではないかという気がしてきます。軍隊にいる以上、一朝ことが起きれば命をすすんで捨てる覚悟が必要とされます。しかし国家は実体があるのかどうか、実感することができません。しかし、目の前の若くて美しい妻の存在は自分の五感で感じ取り、その存在を実感できます。若い将校はその実感できる妻と国家が不可分の存在であるというように認識していたと三島は言いたかったのではないかと思えなくもありません。

 「皇軍相打つ」を避けるということは、皇軍すなわち仲間もやはり存在を実感できる国家の一部であったためで、人間的なつながりと「国家」を重ね合わせたということではないかとも思います。

 仮にも戦後を生きた三島が単純な国家主義や民族主義だけで固まっていたとは考えられません。彼は彼なりに国家なるものを実感するための一つの仮説として『憂国』を書いたのではないかと私には思えます。