アメリカ映画『ツリーオブライフ』の父親と浄化

ショーンペンが少年時代を回想します。少年時代の彼の父親はブラッドピットです。映画の前半では宇宙の始まりや生命の進化を表現する映像にわりと時間をかけていて、軽く『2001年宇宙の旅』を連想させます。映画のタイトルが『ツリーオブライフ(生命の樹)』ですから、地球の誕生があって、恐竜とか魚類とかいろいろな生き物が登場して、やがて人類が登場し、その生命の樹の末端に我々がいるのだということを表現したいのだろうと私は受け取りました。卑近な言い方で恐縮ですが、禅寺に行って「あなたが生まれるまでに、どれほどの多くのご先祖様がいたのか考えたことがあるのか」と言われるの発想のものかも知れません。

ブラッドピットはマジメでかつかなり恐い父親です。アメリカの田舎の方へ行くと、そういう家庭は決して珍しくはありません。日本よりも家父長制が根強く残っているのではないかと私は考えていますが、お父さんが厳しい家庭というのは、言い換えるとアメリカの普通の家庭であるとも言えます。

ただし、ショーンペンはその父親に対してエディプスコンプレックスを抱くようになっていきます。母親への性的な関心が生まれたことを示唆する場面も入っていますので、母親を独占する父親に対して反抗心を持つという古典的なフロイト心理学を題材に扱っていると考えることもできるかも知れません。

大人になったショーンペンはオフィスで働いているらしいのですが、何の仕事をしているのかは分かりません。いつも憂鬱な表情をしているので、仕事はそんなに順調ではないのかも知れません。そうは言ってもショーンペンが映画に出る時は大体いつも憂鬱そうな表情をしていますし、この映画の監督は『シンレッドライン』でも登場人物がやたらと憂鬱な表情を浮かべる場面が多いので、監督の傾向みたいなものがそこに現れていると言うこともできなくもなさそうです。

『ツリーオブライフ』でも登場する人はみな憂鬱そうな表情をしています。笑顔を見せることもありますが、それはまるで憂鬱な出来事の前ぶれのような役割を担っているかのようであり、笑顔はすぐに憂鬱な現実へと引き戻されていってしまいます。

そういう意味では観ていて暗くなる、憂鬱な映画です。ショーンペンがエレベーターに乗って降りると、この世ならざる空間へと誘われます。そこには彼の少年時代の人々が待っていて彼を迎え入れてくれます。なぜエレベーターに乗ったら過去の人々と会えるのかという説明は一切ありません。そこは観客の想像に任されています。任されているというか、「心の中で起きた出来事なんだから真実だ」で監督は押し切る覚悟なのかも知れません。

私は父親と過ごしたことがほとんどなく育ったので、まともなエディプスコンプレックスを持っていません。或いは気づいていないだけで、周囲の目上の男性に対してエディプスコンプレックスを持っているのかも知れず、その自覚が足りないだけかも知れません。なので、この映画の主題に対しても私個人は一知半解という感じです。

いずれにせよ、宇宙、地球、恐竜のCGなどはどれも美しく、音楽も荘厳であり、それらの映像と音楽によって、この映画は現実生活を描くことを目的としているのではなく、人間の内面にある魂の浄化であるということを示しているように感じられます。少年時代の懐かしい人々と短い時間を過ごした後、イタリア映画の『ひまわり』みたいに、画面いっぱいにひまわりが咲いている風景が映し出されます。私にはそれが魂の浄化がなされたことを示すのではないかと思えます。繰り返しになりますが、なぜエレベーターに乗って上に行ったら魂が浄化されるのかについての説明はありません。

しかしながら、過去の自分のトラウマやコンプレックスが浄化されることは生きとし生ける全ての人にとっての人生の課題であるとも思えますから、この映画にはそういう意味での意義があるのかも知れません。ここにエレベーターに乗っただけで魂が浄化される人物がいる以上、我々にもそれはまた可能であるというメッセージが込められているのではなかろうかと私には思えました。

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