昭和史77‐日米交渉暗号対応表

昭和16年11月26日付で東郷茂徳外務大臣から、ワシントンDCでアメリカのハル国務長官宛に送られた電報で、暗号対応表のようなものが見つかりましたので、ちょっと紹介してみたいと思います。当該の電報では、状況が逼迫しているので電報では時間がかかりすぎる場合があるので、電話で話し合わなくてはいけないから、その時のために「隠語」を使うことにするという趣旨のことが書かれています。電報は当然暗号電報ですから、その解読に時間がかかるわけですが、そんな悠長なことをしている場合ではないと、電話で話し合わなくてはいけないが盗聴されているだろうから、それに備えて暗号を使って電話で会話するというわけです。で、その対応表は以下のようになっています。

三国条約問題=ニューヨーク
無差別待遇問題=シカゴ
支那問題=サンフランシスコ
総理=伊藤君
外務大臣=伊達君
陸軍=徳川君
海軍=前川君
日米交渉=縁談
大統領=君子サン
ハル=梅子サン
国内情勢=商売
譲歩する=山を売る
譲歩せず=山は売れぬ
形成急転する=子供が生れる

となっています。11月26日の段階というのは、東条内閣は開戦の意思をほぼ固めていたころで、海軍は真珠湾攻撃のための準備万端整えていたころになります。この時期は、アメリカとの戦争を決意したけれども、その決意を悟られないために交渉を続けるようにと東条英機首相から東郷外相に意向が伝えられた上に、開戦予定日は秘匿事項として教えられないとも言われ、東郷外相からは「そんなことで外交交渉ができるか」と反発があったのと大体同じ時期です。

当該の電報では、譲歩する、譲歩しない、形勢急転するについての暗号も決められていますから、少なくとも東郷外相個人は日米交渉にまだぎりぎりの希望を抱いていたのではないかと推察できます。国内情勢についての暗号も決めていたということは閣内の意見が変わるかも知れないという期待も込められていたのではないかという気もします。そのように思いながらこの対応表を見ると、実に惜しいというか、ぎりぎりまで戦争回避の可能性はあったのではないかと思えて来ます。伊藤君と伊達君の意見が一致して商売で山を売ることになり、縁談がうまく進んで子供も生まれてくれれば良かったのになあと、残念な思いも湧いてきますねえ…。

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