アメリカ映画『ツリーオブライフ』の父親と浄化

ショーンペンが少年時代を回想します。少年時代の彼の父親はブラッドピットです。映画の前半では宇宙の始まりや生命の進化を表現する映像にわりと時間をかけていて、軽く『2001年宇宙の旅』を連想させます。映画のタイトルが『ツリーオブライフ(生命の樹)』ですから、地球の誕生があって、恐竜とか魚類とかいろいろな生き物が登場して、やがて人類が登場し、その生命の樹の末端に我々がいるのだということを表現したいのだろうと私は受け取りました。卑近な言い方で恐縮ですが、禅寺に行って「あなたが生まれるまでに、どれほどの多くのご先祖様がいたのか考えたことがあるのか」と言われるの発想のものかも知れません。

ブラッドピットはマジメでかつかなり恐い父親です。アメリカの田舎の方へ行くと、そういう家庭は決して珍しくはありません。日本よりも家父長制が根強く残っているのではないかと私は考えていますが、お父さんが厳しい家庭というのは、言い換えるとアメリカの普通の家庭であるとも言えます。

ただし、ショーンペンはその父親に対してエディプスコンプレックスを抱くようになっていきます。母親への性的な関心が生まれたことを示唆する場面も入っていますので、母親を独占する父親に対して反抗心を持つという古典的なフロイト心理学を題材に扱っていると考えることもできるかも知れません。

大人になったショーンペンはオフィスで働いているらしいのですが、何の仕事をしているのかは分かりません。いつも憂鬱な表情をしているので、仕事はそんなに順調ではないのかも知れません。そうは言ってもショーンペンが映画に出る時は大体いつも憂鬱そうな表情をしていますし、この映画の監督は『シンレッドライン』でも登場人物がやたらと憂鬱な表情を浮かべる場面が多いので、監督の傾向みたいなものがそこに現れていると言うこともできなくもなさそうです。

『ツリーオブライフ』でも登場する人はみな憂鬱そうな表情をしています。笑顔を見せることもありますが、それはまるで憂鬱な出来事の前ぶれのような役割を担っているかのようであり、笑顔はすぐに憂鬱な現実へと引き戻されていってしまいます。

そういう意味では観ていて暗くなる、憂鬱な映画です。ショーンペンがエレベーターに乗って降りると、この世ならざる空間へと誘われます。そこには彼の少年時代の人々が待っていて彼を迎え入れてくれます。なぜエレベーターに乗ったら過去の人々と会えるのかという説明は一切ありません。そこは観客の想像に任されています。任されているというか、「心の中で起きた出来事なんだから真実だ」で監督は押し切る覚悟なのかも知れません。

私は父親と過ごしたことがほとんどなく育ったので、まともなエディプスコンプレックスを持っていません。或いは気づいていないだけで、周囲の目上の男性に対してエディプスコンプレックスを持っているのかも知れず、その自覚が足りないだけかも知れません。なので、この映画の主題に対しても私個人は一知半解という感じです。

いずれにせよ、宇宙、地球、恐竜のCGなどはどれも美しく、音楽も荘厳であり、それらの映像と音楽によって、この映画は現実生活を描くことを目的としているのではなく、人間の内面にある魂の浄化であるということを示しているように感じられます。少年時代の懐かしい人々と短い時間を過ごした後、イタリア映画の『ひまわり』みたいに、画面いっぱいにひまわりが咲いている風景が映し出されます。私にはそれが魂の浄化がなされたことを示すのではないかと思えます。繰り返しになりますが、なぜエレベーターに乗って上に行ったら魂が浄化されるのかについての説明はありません。

しかしながら、過去の自分のトラウマやコンプレックスが浄化されることは生きとし生ける全ての人にとっての人生の課題であるとも思えますから、この映画にはそういう意味での意義があるのかも知れません。ここにエレベーターに乗っただけで魂が浄化される人物がいる以上、我々にもそれはまた可能であるというメッセージが込められているのではなかろうかと私には思えました。

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アメリカ映画『ミニオンズ』の1968年

アメリカのアニメ映画『ミニオンズ』は1968年に設定されています。

考えてみると、1968年は世界的に激しい年だったと言えるかも知れません。日本では東大闘争があり、アメリカではベトナム反戦運動が盛り上がりを見せ、フランスでも学生運動があり、ベトナム戦8争の戦地ではソンミ村事件が起き、アポロ計画はまだ月に上陸していませんが、アポロ8号が月を周回しています。『ミニオンズ』という映画では、そういう時代性を意識して作られている気がします。

ついでに言うと『カリオストロの城』も1968年に設定されているそうです。

そんな風に思うと、ミニオンたちがスカーレットに命じられて王冠を盗みに行った時、地下へ降りていく場面はなんとなく『カリオストロの城』を連想させます。エンタメへの造詣がとても深い人たちによる制作でしょうから、カリオストロの城を知らないはずがありません。きっと、分かって、分かる人には分かるようにそう制作されているのではないかと思えます。

王冠を守るご老人が「何十年もここで盗人が来るのを待っていた」と言う台詞がありますが、これは『インディジョーンズの最後の聖戦』で何百年もキリストの聖杯を守り続けた騎士を連想させるものです。

エリザベスII世の王冠を盗むという物語ですから、ところどころ荘厳な音楽が流れる場面があり(短いですが)、これはやはり映画『エリザベス』を意識しているのではないかとも思えて来ます。

この他、アポロによる月上陸場面の撮影スタジオが登場したり、アビーロードでビートルズと思しき人物たち(足だけ)が登場したりと、時代性、都市伝説、各種エンタメへのオマージュが満載されています。ぱっと見子ども向けの作品ですが、実は大人も楽しめる仕掛けがたくさん込められていると言っていいかも知れません。音楽にもいろいろ凝っていますが、私は洋楽がよく分からないので、詳しい人が見ればきっと分かる、『バックトゥザフューチャー』でマイケルJフォックスが最初はノリノリで、後の方で激しくエレキギターを弾きますが、それと同じように、洋楽に詳しい人には「あー、分分かる!」という感じに作られているのだろうなあと思います。

悪玉は女性のスカーレットであり、善玉はイギリスのエリザベス二世女王ですので、まさしく女性の時代です。悪い人も良い人も女性がメイン、女性が主役です。私は男ですが、大学生の時にフェミニズムを叩き込まれていますので、「女性が主役の時代」を普通に受け入れることができます。

作画も凝っており、ウォーレスとグルミットみたいな感じに制作されている部分もありますので(どの程度CGで、どの程度手作りかは素人の私には判別不能)、アニメを見るのが好きな大人には絶対にお薦めできると思います。ニューヨークとロンドンの街の描写もいいです。素敵です。あー、ニューヨークかロンドンに住みてえなー、とついつい思います。

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アメリカ映画『トリフィドの日(人類SOS)』のマッチョな冷戦

60年代らしい、レトロな感じのSF映画です。

ある日の夜、流星群が夜空いっぱいに飛び散ります。翌日になると、流星群を見た人は全て失明しています。目の手術のために包帯をしていた主人公の男性ビルは朝になって包帯を解いてもらうはずが誰も来ないので自分で包帯をとります。世界は一変しており、街を歩く人は盲目の人ばかりです。文明が機能しなくなり、人々の規律が失われていきます。ネヴィルシュートの『渚にて』では人類が滅亡するその瞬間まで矜持を守り抜く人々の姿が描かれますが、この映画ではそんなことはありません。ここぞとばかりに悪さをする人もたくさん登場します。

トリフィドという肉食の植物が各地で繁殖し、人を襲います。植物なに動きます。まるで動物ですが植物という設定になっています。各地で人が襲われ、瞬く間に人がいなくなっていきます。

主人公のビルは荒れたロンドンで女の子に出会います。学校から逃げ出して貨車に隠れて夜を過ごしていたために流星群を見ておらず、失明していません。二人はロンドンから離れてボートでフランスに逃れます。棄てられた自動車がたくさんありますから自動車に乗ってパリに行き、パリも全滅状態だということを知ります。ラジオでは「こちら東京、街が火事です」みたいなことも流れています。日本人の役の人は全然日本語が言えていませんので「こちら東京、街が火事です」は私の好意的な解釈です。

フランスの田舎の方で目の見える人に出会います。目の見えない人たちを助けている屋敷へと誘われます。ですが屋敷には流星群を見なかったので失明から逃れることができた受刑者たちが、文明の崩壊をいいことに脱走し、屋敷でどんちゃん騒ぎをしています。なんじゃこりゃと思っているうちにも周囲は肉食植物のトリフィドに囲まれています。

慌ててビルと女の子と屋敷に住んでいた女性との3人で脱出します。残された目の見えない人々は受刑者ともどもトリフィドの餌食です。途中で馬車に乗り換えますが、他の車が見つかると馬も放棄です。わりと簡単に「現実的に」いろいろ見捨ててスペインを目指します。スペインの米軍基地ならなんとか助けてもらえるかも知れないからです。ラジオ放送はほとんど流れなくなっていますが、それでも周波数が合うとアメリカ軍の救援に関する放送を聴くことができます。潜水艦に乗っていた人たちは流星群を見なかったので問題なく行動できるため、生きている人はアメリカ軍基地へ来いと言っています。

最終的にはビルと女の子と屋敷にいた女性は見事危機を切り抜けて、途中で出会ったスペイン人夫婦と生まれたばかりの赤ちゃんも一緒にアメリカ軍に助けてもらうことができます。

灯台で研究生活している夫婦が海水をかけるとトリフィドが溶けることを発見してめでたしめでたし。人々が神に感謝して終わります。

60年代のアメリカらしく、主人公のビルはソフトマッチョな中年男性です。力が強く、喧嘩に強く、知恵と見識があり、いろいろな道具を使いこなせます。ラジオも発電機も修理できます。私のように手先の不器用な男にとってはうらやましい限りです。第二次世界大戦後のアメリカの理想の男性像という雰囲気です。舞台はヨーロッパですが、主人公のマッチョな感じが「this is amerca」という感じです。病室でタバコを吸う場面がありますが、今では考えられません。時代を感じます。

冷戦という時代背景も見逃せません。流星群が核兵器だとすれば、トリフィドなる奇怪な肉食植物は敵のスパイか工作員、或いは敵軍の上陸を連想させます。意思を持って拡大していく様子からナウシカの腐海にもちょっと似ているかも知れません。。最後にアメリカ軍の潜水艦に助けられるというのもそういう意味ではよく考えられています。ヨーロッパまで助けに来てくれる兵隊さんありがとうという感じになっています。『風が吹くとき』の老夫婦が静かに核戦争後の誰もいなくなった世界で死を受け入れていくことを思うと、この映画はそのような危機もアメリカンスピリットで乗り越えることができるぜ、という感じです。

レーガンとゴルバチョフの会見で冷戦が終わったと知った時、少年だった私は「ああ、これからの世界は平和になるのだ。しかも日本は西側で勝った側だから気分いい」と思ったものです。しかし世界はそんなに簡単ではなかったということはその後の歴史を学べば明らかと言えるかも知れません。やがてシン・ゴジラが制作されるのだと思うと、SFから時代を読み取ることもできそうです。

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アメリカ映画『シンレッドライン』とナウシカとキリスト

ガダルカナル島の戦いを描いたアメリカ映画である『シンレッドライン』は戦場のヒロイズムを完全に拒否する内容の映画です。そのうえで、人間が殺し合う中で、人は如何にあるべきかを問いかける内容になっています。

主人公の男性はガダルカナルと言う南の島に来て、その自然に魅せられ、自然を愛し、土地の人々をも愛しています。また、部隊の仲間を愛し、敵(日本兵)を憎むと言うことがありません。基本的には自然や子どもと戯れることを好みますが、戦場に立てば率先して危険な任務を引き受けます。嫌味を言う上官にも反感を持ちません。

戦場では人間性が失われていくことが常だと思います。私は戦場に行った経験がありませんから、想像するしかないですが、普通の感覚、善良で良識を持つ市民の意識はバランスを失い崩れて行くとしても、不思議ではないだろうと思います。

ガダルカナル島に上陸し、見えない日本軍からの攻撃に怯えて前進するアメリカ兵の姿はまるでベトナム戦争の映画を観ているのではないかと思うほど、恐怖と苛立ちに満ちています。オリバーストーンの『プラトーン』は私には多少悪趣味なところがあると感じられるのですが、『シンレッドライン』ではそういう印象は受けませんでした。

多くの戦友が死に、死闘を超えてようやく日本軍のトーチカを陥落させた時、投降する日本兵を殺害するという明らかな国際戦時法違反の場面もありましたが、これもヒロイズムを拒否する制作者の姿勢を示すものだと思います。日本兵がバラバラと出てくるところはちょっとカッコ悪いと言うかどんくさい感じがして、『グレムリン』が日本兵をイメージして作られたという話を思い出したりもしましたが、後半ではわりとちゃんとしていて、喜怒哀楽を持つ普通の人間として、または感情的にならずに降伏を勧告するまともな軍人として日本兵が描かれており、憎むべき敵を倒してやっぱりアメリカ最高だぜ、映画を観るなら『インディペンデンスデイ』か『トップガン』だぜ的なものとは完全に一線を画しています。

主人公の男性は戦友が死に行く時に微かな笑顔をみせます。優しい表情で看取る、寄り添うという感じです。捕虜になって落胆する日本兵に対しても同様の優しい表情を向けます。憎むということがありません。

斥候として3人1組で前進した時に日本軍に発見されます。1人が撃たれて倒れたとき「自分がここで食い止めるから、急いで部隊に帰って知らせるように」と残りの一人に促します。そして今にも死にそうな戦友に寄り添います。

私はここまで観て、ああ、ナウシカと同じなのだと感じました。勇敢であり、自己犠牲的であり、死に行く者や弱い者に限りない優しい眼差しを向ける。男女の性別の違いがあるだけで、その理想とするところ、制作者が描こうとしているものは同じなのだと感じることができました。

最後は一人で日本軍に取り囲まれます。降伏を勧告されますが、彼は銃を取り、その当然の結果として撃ち殺されます。これはイエスキリストを象徴していると考えるのが妥当ではないかと思います。諸々の人間の罪と弱さを全身で引き受けて、死んで行きます。自分の命で贖います。

しかしながら、主人公の彼は福音書に書かれているようなイエスキリストとは違い、奇跡を起こすことはありません。無力で、ただ目の前に存在する自然と人を愛し、人間の罪を命で贖う姿は遠藤周作さんのイエスキリストイメージとも一致するように思えます。

最後の方で、上官役のショーンペンが、「自分の目で見ることによって創造している」という主旨のことを言います。「見えるものは全て自分が創造しているもの」と言い換えてもいいかも知れません。ユーミンの「目に見える全てのことはメッセージ」にも近いものだと思います。「天国はあなたの心の中にある」という聖書の言葉にも通じる考え方であり、もうちょっと敷衍するとすれば、ある意味では形而上学的であり、さらに踏み込んで言えば宗教というボーダーを超えた人間学的な要素があり、心理学的な要素もあると言えると思いま

大変に深い映画です。戦場で燃えさかる火がとても美しく映し出されます。人の死んで行く姿と南国の美しい自然の対比があります。また、主人公の男性の深い優しい表情は、演技であれができるのはほとんど詐欺師に近いのではないかと思えるほど美しく、普段でもあんな感じだとすれば、本物の神様なのではないかと思ってしまいそうなほどに神々しいです。繰り返して見るべきとてもいい映画だと思います。『わが青春のマリアンヌ』の主人公の男の子も鹿とか犬とか寄ってくる神様キャラですが、どっちがより神様キャラかと問えば、『シンレッドライン』の勝ちと思います。

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アメリカ映画『ハードキャンディ』の狂気

ローティーンの女の子をネットでナンパして、場合によっては殺害に至ってしまうろくでもない30代の男を、簡単に言えば主人公の少女が成敗するという内容の映画です。

男はカメラマンで、ローティーンの女の子を連れ込んではいかがわしい写真を撮影したり、もっと酷いことをしたり、命を奪うところまでやってしまうというとんでもないやつです(本人は殺害現場にはいたが、殺害していないと主張しています)。これだけでも充分に狂気をはらんでいますが、成敗する少女も充分に狂気ではないか思います。

その女の子はエレンペイジがやっています。独特の輝きと影の両方を持つ、凄い人ですが、彼女が彼の「カモ」を装い、ネットで男と知りあうと、うまくひっかけられたふりをして目論み通りに男の家に入り込みます。スタンガンで電気ショックを与えて男を動けなくし、男だとちょっとこれは見ていられないという心境になる、酷いリンチをする場面もありますが、そこはそうとして、彼女は男が少女の殺害を記録した写真を男の自宅で発見することに成功します。

更に、男の過去の恋人を呼び出します。その女性は男にとっては忘れられない、その生涯でおそらく唯一真剣に惚れた相手で、その女性と別れたことがきっかけでローティーン少女ナンパを始めたのですが、この期に及べば、殺害の証拠まで握られているわけですから、その最愛の女性が来たら、刑事罰を受けることを心配する前に、真剣に惚れた女性に自分が変質的かつ悪質な犯罪者だとばれてしまうことを恐れます。

さあ、どうする?とエレンペイジがたたみかけ、取引は成立。男は自らを罰する(自分で死ぬ)ことを選び、エレンペイジは男の犯罪は秘密にしてやるということになります。男が飛び降りた瞬間、かもね、みたいなことを言う、残酷な演出までついています。

ローティーンを狙う犯罪者に自らけじめをつけさせるという意味でエレンペイジは正義の味方であり、その目的遂行のために自分が囮になって敵地に飛び込むという意味ではまさしく英雄です。しかし、やり方を間違えれば自分が殺される可能性があるわけですから、たった一人でそれをするにはある種の狂気が主人公の少女の中に必要なのではないかという気が私はしました。そう考えると、もし現実だったら末が恐ろしいです。

エレンペイジという女優さんにはそういう狂気を感じさせるものが微かにあるように私は思いますので、この役ができる人は他にいなかったのではないかという気もします。ナタリーポートマンではかわいすぎます。エマワトソンでは高貴すぎます。リブタイラーだと全然違う話になってしまいそうです。エレンペイジにしかできません。この役を引き受けるこの人は凄いです。

エレンペイジは赤いパーカーを着て男に会いますが、これは狼をやっつける赤ずきんちゃんという意味だそうです。考えてみると赤ずきんちゃんという童話はかなり怖いです。一応ハッピーエンドになってますが、現実だとして考えてみると青ゲットの男事件なみに怖いです。

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アメリカ映画『アメリカンクライム』の虐待の連鎖と心理

アメリカ映画『アメリカンクライム』の虐待の連鎖と心理

実際に起きた虐待殺人事件を基にした、とても深刻な問題を扱った映画です。スクリプトは裁判記録に残っているものを使ったということですから、よりリアルに、実際に起きたことに対して忠実に作られていると考えていいと思います。

主人公のシルビアはエレンペイジという不世出の女優さんが演じています。『ハードキャンディ』でも凄い役をしていますが、美人というだけではない深みのある、一度見たら忘れない不思議のある雰囲気のある人です。

シルビアの一家は旅芸人をしています。トムハンクスの『ビッグ』に出てくるみたいな簡易遊園地を作り、子どもを集めていろいろな娯楽施設を運営するような感じです。仕事で各地を回りますから、子どもたちをどこかに預けなくてはいけません。ほんのちょっとしたきっかけから、子どもたちがガートルード・バニシェフスキーの家に預けられます。子だくさんな家なので、まあ、一人二人増えたって同じ苦労だというわけです。ここまでなら『羅生門』のラストと同じです。

しかし、バニシェフスキーという女性が虐待体質の人物だということが僅かずつ明らかになっていきます。何かと理由をつけては暴力をふるったり、暴言を吐いたりします。口にするのもはばかられるような酷い虐待が続き、それは次第にエスカレートしていきます。

シルビアは同世代の男性と友達になり、深い仲になった可能性が示唆されます(映画ではその可能性を示唆する作りになっていましたが、実際の事件の司法解剖では二人の関係は友達以上、恋人未満であったことを示唆しています)。

いずれにせよ、シルビアがそういう行為を行ったと信じたバニシェフスキーは彼女をあらゆる侮辱する言葉で罵り、監禁し、最終的には死ぬまでその虐待は続きました。中年に達した女性の若い女性に対する嫉妬ということもありますし、おそらくはバニシェフスキーも酷い虐待を受けて育ったのではないかと考えることもできると思います。

このような虐待で恐ろしいのは、家庭という閉ざされた世界であるために第三者の目、特に大人の目が届きにくく、仮に問題がありそうだと思われても「家庭内のこと」「虐待ではなく躾」などの言葉の壁によって介入することが非常に難しいことです。虐待を止める人が誰もいない、どこへも救いを求めることができないまま、拷問が続きます。子どもにとって「親」「保護者」のような立場の人に抵抗することは心理的な壁が大きく、虐待が日常化してしまうとそれを受け入れる以外の選択肢を持てない場合が多いです。脱走しても暮らす場所がありませんし、肉体的な抵抗は相当な決心を必要とします。

この事件はその典型例と言えるかも知れません。なぜこの映画が『アメリカンクライム』と題されたのか、一つはおそらくは、この犯罪は人権を重視するアメリカの市民社会に対する挑戦であるということがあると思います。そしてもう一つは同じ事件から取材した映画のタイトルが『隣の家の少女』というタイトルから推測できるように「自分たちの社会に潜む病巣」と制作者がとらえていたからではないかと思います。

虐待の連鎖という言葉は以前からよく使われています。バニシェフスキーは犯罪者ですが、救済を必要とする人物とも言えます。この辺り、どうやって少しでも解決していくか、よくよく考えなくてはいけないと私はつくづく思いました。

非情に観ていて辛い映画です。「やめてくれぇっ映画を止めてくれっ」と思います。映像がきれいで、時々挿入される音楽がご機嫌な感じなので余計に悲劇性が増します。エレンペイジが好きなので、もっと辛いです。

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アメリカ映画『ハードキャンディ』の狂気

アメリカ映画『八月の鯨』の老いても尚ある人生

とても美しい映画です。メイン州の海岸沿いの別荘で老姉妹は毎年夏を過ごします。何十年も前から、メイン州のこの別荘で、八月に沖に現れる鯨を見るのです。姉がサラで妹がリビーです。リビーは年齢で目が見えなくなってしまっていて、サラの世話がないと生きていけません。リビーには娘がいますから、娘のところで世話になるという選択肢もありますが、どうもそれは幸福な選択だとリビーは考えていないようです。リビーは目が見えなくなってからだんだん性格が悪くなり、選ぶ言葉もだんだんひどくなっています。

海がとてもきれいです。アメリカ東海岸のカナダに近いところですから、自然の景色が赤毛のアンみたいな感じに思えてきます。

姉妹は毎日を規則正しく、身ぎれいに生活しています。家屋の故障で修理の人を呼んだり、新しい窓を作るかで悩んだりしています。年老いてもそういう煩わしいことはきちんと解決していかなくてはいけない、年老いても人生は続くのだと私に伝えています。

亡命ロシア貴族の老人の男性の奥さんが亡くなります。元貴族の男性がサラとリビーの家の夕食に参加します。表面的には友好的な訪問ですが、実は恋活なのです。元貴族の男性は次の伴侶としてサラがふさわしいのではないかなあと考えていて、サラもまんざらでもなさそうなのです。リビーがいらつきます。夕食の席でもいろいろと嫌なことを言い、男性は自分は歓迎されていないのだと判断して帰宅します。サラは謝罪しますが、恋愛はタイミングです。この恋活はお流れになってしまいました。リビーにしてみれば、自分ひとりだけおいてけぼりにされるのが怖いのです。恋路を邪魔されたサラがリビーを叱責しないのは、二人だけの生活にも満足はあり、姉妹の愛も大切なものだと考えているからです。

最後の場面では二人は海へ鯨を見に行きます。リビーには見えません。サラが「もう鯨はいないわよ」と言うとリビーは「そんなこと分からないわよ」と言います。人生は終わったと思っても、人生は続くと言う意味のことがこもっているのかも知れません。

登場するおばあちゃんがこぎれいで、美しい老い方について考えさせてくれます。人は必ず老いる以上、誰もが必ず直面する問題です。美しいというよりもこぎれいでちゃんと生きる、毎日を大切に生きる、生活を守る、そういったことの大切さをしみじみと思わせてくれるいい映画です。自分も老齢になったらかくありたい思い、かつ、自分はそのようにできるだろうかということにも考えさせられた作品です。

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『ゴッドファーザー』から見えるアメリカ社会の本質的な部分

アメリカ映画の『ゴッドファーザー』が、イタリア人移民の家族の物語を描いたものだということはよく知られています。

お父さんのヴィトーコルレオーネは少年期にシシリーからニューヨークへ移民し、一代で強力なイタリアマフィア組織を築き上げます。アルカポネほど浮ついた感じのする人物ではなく、労働の価値を知り、弱者を愛し、困っている人を助ける人格者です。しかしヴィトーコルレオーネがどれほど強いボスになろうとも、彼は最後まで裏街道の人生を歩くことしかできません。決して昼間の顔にはなれません。

一方、息子のマイケルコルレオーネは違います。大卒で、しかも、何といっても第二次世界大戦で戦った退役軍人です。アメリカ生まれで、上院議員でも州知事でも目指そうと思えば目指せます。

アメリカは人種、民族、宗教の違う人々が集まって作られた国家ですが、以前は人種のるつぼと呼ばれたものの、最近では人種のサラダボウルと呼ばれます。人種は溶け合っているのではなく、同じ皿の上にそれぞれに乗っかっているだけだと表現されます。大統領選挙の度に候補者の人種、ルーツ、宗教について取り沙汰されることは、それがアメリカでは敏感な問題なのだということを示しています。イタリア系の人はイギリス系やフランス系の人たちに比べると下のランクに見られることが多いようです。ヴィトーコルレオーネはそのような差別をも跳ね返す黒いスターと呼んでも良い存在です。一方で、マイケルは違います。繰り返しますが、生まれた瞬間からアメリカの市民権を持っていて、大卒で、退役軍人です。アメリカでは退役軍人には強い尊敬が払われます。ベトナム戦争以降は多少、ややこしい感じで語られることもありますが、『ゴッドファーザー』の時代背景は第二次世界大戦直後です。ベトナム帰還兵のような暗いイメージはありません。もしかしたら、メンタル面で苦しんだ元兵隊さんも大勢いたかも知れないですが、そういうことは上手に隠蔽されています。隠蔽可能なほどに社会に成長力があり、勢いがあり、祝勝ムードの漂う時代です。

マイケルコルレーオネは父親後を継ぎ、マフィアのボスになります。父親からすれば、ボスよりも政治家になってほしかったに違いないですが、いろいろな経緯でボスになります。「血」で説明することも可能かも知れません。或いは本人の性格で説明することもできるでしょう。マイケルの役はアルパチーノです。内側に激しいものを秘めている感じが非常によく合っています。ロバートデュバルが弁護士のトムヘーゲンの役をしています。アイルランド系の孤児で、ヴィトーコルレオーネに拾われて大学も出させてもらっています。その恩義に対する忠誠心は強いもので、彼は全身で心は血縁を超越すると主張しています。ダイアンキートンが若くて美しいです。久々に見ると驚きで椅子から落ちそうになります。

『ゴッドファーザー パート3』では、アルパチーノとダイアンキートンの間でもうけられた二人の子どものうち、息子は大学進学を拒否してなんとオペラ歌手になります。娘の方は敵方のマフィアに殺されてしまいます。マフィアの世界は厳しい。と同時に、少なくとも息子はその血を敢然と拒否したということができます。70年代が舞台ですので、時代の変化というものが表現されているのかも知れません。

とはいえ、移民制限の話題が持ち上がったりする昨今、移民の心はアメリカを語る上で欠かせない要素です。ソクーロフ監督の『太陽』でも、日米戦争の遠因に排日移民法があることを匂わせています。そういう意味では、ヨーロッパからアメリカへやって来た人々の物語である『ゴッドファーザー』と日本からアメリカへ行った人々を描いた『カポネ大いに泣く』は共通した問題意識を持っていると言えるかも知れません。

『ブレードランナー』の父殺しのAI

『ブレードランナー』は1982年に公開された映画で、テクノでパンクでクールで深刻なSF映画としてよく知られています。サイバーパンクと呼ばれる分野を開拓した作品として、今も多くの支持を集めている映画だと思います。

2019年の近未来、人類の宇宙開発が進み、人造人間が宇宙で奴隷的な労働をしています。頭は人類最高クラスに良いです。体力は普通の人間より遥かに優れています。しかし、感情がありません。即ち自我がありません。なので黙々と奴隷労働をします。ところがしばらくすると感情が生まれてきます。自由がほしくなります。奴隷労働が嫌になります。反乱を起こします。それでは人間が困ります。本気を出されたら人間は勝てません。そのため、時限装置が付けられています。4年経ったら自然に死にます。それらの人造人間はレプリカントと呼ばれています。人間よりも優秀で、人間のために働く今で言わばAIのようなものです。ただ、インターネットがありません。当時はインターネットの概念はあっても普及していません。ですが、それ以外は結構、未来を予見しているような気もします。

映画は公開版とディレクターズカットがあります。公開版では内蔵電池が切れてしまいます。ディレクターズカットでは遺伝子工学によって生み出された人造の細胞の寿命が尽きて死んでしまいます。混乱します。更にファイナルカットがあります。もっと混乱します。続編の話があります。ますます混乱します。原作の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』とはかなり内容が違います。いよいよ混乱します。何度も似たような場面をちょっと変えて撮るので、主演のハリソンフォードが切れまくったという話があります。しかし続編にも出演するそうです。良かったです。

6体のレプリカントが宇宙船から脱出して地球に来ます。しかし彼らには時間がありません。何とかして長生きしたいです。また、自由もほしいです。しかし警察がレプリカントを追い詰めます。デッカード刑事をハリソンフォードがやっています。一人また一人と殺していきます。6人脱走したはずなのに5人しか出てきません。いずれにせよレプリカントは残り2人になってしまいます。一人は可愛い女の子タイプでもう一人はアーリア人風美男子で超マッチョです。生き延びる方法を模索するため、開発者の博士を訪問します。もちろんダマしで訪問します。博士は希望がないことを伝えます。遺伝子工学的に一度設定されるとどんなにやっても無理だと伝えます。切れば血が出ると言う意味ではレプリカントは立派な生命体ですが、開発した人類はそういうことへの尊厳を無視しています。

男のレプリカントが博士を殺します。博士を殺すときの表情と演技がすばらしいです。レプリカントにとって開発者の博士は父親と同じです。レプリカントは自分の運命を呪い、父親を殺します。殺した後の表情も素晴らしいです。やってしまった感とそうするしかなかった感の両方が混じっています。アメリカ映画は本気を出して作ると凄いです。演技が凄いです。『ブレードランナー』の場合は、人形のふりをする人間の役者さんが複数登場します。一回観ただけでは気づきません。何回も観ると「あ、ここにいる」とか分かります。こういうことは相当に訓練して自分でもやる気を出さないとうまく演じられないと思います。そういう本気の凄さがアメリカ映画には時々感じられます。そうでないアメリカ映画もたくさんあります。いい加減しろ観客なめてんのか。と言いたくなるのも。しかし、繰り返しますが本気出したら凄いです。

可愛い女の子タイプのレプリカントはデッカード刑事と対決して銃で撃たれて死んでしまいます。死に様も壮絶です。死にたくない、生きていたいということをわがまま娘風に表現します。心中を想像すると気の毒です。可哀そうになって、感情移入してしまいます。でも、死んでしまいます。最後に残った男のレプリカントがデッカード刑事を追ってきます。最初の公開版ではデッカード刑事がいよいよ殺される寸前になったところでレプリカントの電池が切れます。ディレクターズカットでは死期を悟ったレプリカントがデッカード刑事の前で自分の思い出を語ります。殺されると思ったデッカード刑事は唖然とします。そしてレプリカントは死にます。お葬式を想像させます。最後のレプリカントは自分の最後を誰かに看取ってほしかったのだという印象を抱きます。人間的な感情移入をどうしても抑えきれません。いい映画です。
実はデッカード刑事もレプリカントなのだという話もあります。裏の裏まで読まないといけない映画です。何度も鑑賞することに耐えられるクオリティを持っていますので、繰り返し観るうちに、その都度違う感想を抱きつつ、映画の作者の心に深入りしていくことができるのではないかという気がします。

この映画で描かれる近未来のアメリカは東洋人で溢れています。白人が少なくて香港みたいにみ見えます。近未来のサイバーパンクは香港のイメージが似合うのかも知れません。1980年代はベトナム戦争で手傷を負ったアメリカが方向性を見失い始めている時期です。それまで普通だと思われていた伝統的な価値観が壊れていく時代です。ファッションや文化はユニセックスへと向かう時代です。ただ、今、2016年から振り返れば、ゼノフォビアを感じさせなくもありません。

この映画をもっとべちゃっと粘着質にしたらエヴァンゲリオンになります。もっとクールに無味乾燥な感じにしたら『2001年宇宙の旅』になると思います。

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『博士の異常な愛情』のアイロニーを解読する

『博士の以上な愛情―或いは私は如何にして心配することを止め水爆を愛するようになったか』は、どんな内容の映画かということについては大変知られていることだと思います。

アメリカ軍の空軍基地司令官が共産主義の陰謀論を自分の頭の中で妄想し、先手必勝を確信し、独断でソ連周辺を飛び回っている爆撃機に水爆の投下を命じます。冷戦の時代です。キューバ危機とかあった時代です。一瞬でもそういう妄想が頭に浮かぶ人が多い時代です。通常、核攻撃を大統領の命令なしにできるはずはありません。しかし、この映画では命令系統の盲点をついて司令が独断でできるようになっています。アナログの時代ですので、今のデジタルの時代よりは盲点は多いかも知れません。とはいえ物語ですので、実際にそのようなことは起こり得ないと思いますし、実際に起こりませんでした。

むしろ関心を持ちたいのは、この映画に込められたアイロニーの数々です。注意深くみていくと、随所にアイロニーが散りばめられていることが分かります。というかアイロニー満載です。司令官の爆撃命令を受け取った爆撃機の機長は部下に「平然と水爆を落せるやつは人間じゃない」と話します。エノラゲイに対する暗然たる批判になっていることに気づきます。司令が自分の組み立てた妄想をイギリスから派遣されてきた副官に話します。司令はソフトマッチョな感じのするカウボーイ風のナイスガイです。監督は冷笑的に「どんな人間が戦争を起こすのか」を観客に問いかけています。コカ・コーラの自動販売機が登場するのも何をかいわんやというところです。私はコカ・コーラなしでは生きていけない人間ですが、その自動販売機の登場に、監督の言いたいことが入っています。あまりに直接的すぎて、ここで書くのは憚られるほど明確です。

ソビエト連邦が、もし先制攻撃を受けたときのための備えとして死の灰と放射線で全人類を滅亡させる「皆殺し装置」を開発しており、不幸にして爆撃機がソビエト連邦への攻撃に成功してしまうため「皆殺し装置」が発動してしまいます。

ドクターストレンジラブがアイロニーの究極の存在です。元ナチスで、アメリカに帰化した彼は、科学技術の責任者としてアメリカ政府の高官になります。彼は「皆殺し装置」が発動されたことについて、大統領に対し、選ばれた者だけが地下に避難し、原子力でエネルギーを得て100年後の放射線の半減期まで耐え忍ぶよう提案します。核で世界と人類が滅びるというときに、やはり核で生き延びようとする逆説が生きています。

福島原子力発電所の事故が起きて以降、日本人は基本的には原子力発電に対して失望していると私は思います。一時的な使用はもしかするとありかも知れないですが、恒常的な使用はあり得ないと感じている人が多いと思います。50年も前に作られた映画ですが、311以前に観るのと、以降に観るのとでは感じ取れることも変わってくるような気がします。

これはもはや謎と言っていいですが、キューブリック監督はいったい何と戦っていたのだろうか…ということを私はしきりに考えます。推測するしかできませんが、他の作品も一緒に観ることで、おぼろげながら、その意図を知ることはできるかも知れません。とはいえ、それは、もはや個人のレベルでそれぞれに想像力をたくましくする他はないような気もします。

ついでになりますが、ピーターセラーズという役者さんが一人で三役こなしていて、それぞれに別人に見えるところがすごいです。大統領とドクターストレンジラブとイギリス人副官をこなしています。誰かに教えてもらえなければ、簡単には気づきません。ただ、個性が強いので一回目に観たときに「なんかあるな」くらいには気づくかも知れません。一回気づけば簡単にわかりますが…。

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