『火垂るの墓』の清太の戦略ミス

世界に名だたるトラウマアニメ映画『火垂るの墓』についてここ数日、考え抜きました。高畑勲監督が他界されたのでいろいろ話題にもなりましたし、私も映画館で鑑賞して愕然として「なぜ自分はこのような絶望的な心境にならなければならないのか」というやり場のない苦しさを感じた一人ですから、いったい何が悪かったのか、どうすれば良かったのかということを考えざるを得なかったのです。以下、清太と節子はどうすれば生き延びることができたのかについて、結論をまず述べ、次いでその理由、続いて補足的な意見を述べたいと思います。

まず結論ですが、清太と節子は神戸の自分たちの家のあった焼け跡にバラック小屋を建てて寝起きしていれば助かったに違いない。です。

では理由を述べます。清太は西宮のおばさんのところに居候し、随分と嫌味を言われ現代の価値にして1000万を超える金銭を頼りに独立。田園と山の間みたいなところの「横穴」に棲みついて、最終的には兄妹共倒れの結末へと至ります。この過程が残酷すぎるのでトラウマ映画と呼ばれ、二度と見たくないと言う人続出で私も本当は二度と見たくありません。ネットでは清太が西宮で居候させてくれているおばさんに対する態度が悪く、お手伝いもせず、節子とごろごろしているだけのごくつぶしでしかないのに、プライドばかりが高くおばさんに頭を下げるくらいなら出て行ってやると大見栄を切って自滅へと突き進んだ清太の性格への批判が強いようです。また、高畑監督も社会との関係性を失ってはいけないというメッセージを込めているつもりで、現代の若者に共感してほしいという趣旨の発言をされていますが、ネットの意見も高畑監督のメッセージも清太にとっては酷でしかありません。

清太の家が空襲で焼けるのが昭和20年の6月で、清太が亡くなるのは9月です。僅か三カ月で考え方や生き方を改めなければ即死亡という無理ゲーをさせられた清太が気の毒に思えてなりません。清太の人生に対する敗因は私は決して西宮のおばさんに対して妥協しなかったからだとは思いません。高畑監督のメッセージは生きるためには嫌味を言われいびられる生活にも隠忍自重せよということで、現代の恵まれた若者はそういうことができていないというわけですから、要するに『火垂るの墓』は手の込んだ「近頃の若者は」という議論なのです。しかも高畑監督は若者に共感してほしいと述べていましたが、「近頃の若者は」論に共感する若者は皆無に等しいと私は思います。ところが戦争・空襲・敗戦という普通なら滅多に遭遇しない大災難という舞台設定を活用し、見るものが降参せざるを得ない作画の作りこみ、節子というイノセントな存在の徹底利用を行うことで、観たものはトラウマレベルのダメージを受けながらも「泣ける映画だ。凄い映画だ」とうなづかざるを得ないところまで追い込まれてしまいますので、実は高畑監督の「近頃の若い者は」という実はありがちな言い分に気づくことができないというか、節子の死を心理的に解消するのにエネルギーを使ってしまい、観客はそれ以上考えることに困難を感じるようになり、何をどう理解していいか分からなくなり、混乱するのです。

清太が自滅した最大の要因は自分と節子が戦死したエリート軍人の子女たちであるというメリットを活用しなかったことに求められると私はよくよく考えた末に結論するに至りました。ネットなどでは清太がエリート軍人の息子であったが故に無駄にプライドが高く、自滅したと語られていますし、高畑監督もその線で作ったように私は思います。しかし、逆なのです。エリート軍人というのは値打ちがあるので、しかも戦死しているのですからますます当時としては値打ちがあったに違いないのです。仮に以前住んでいた焼け跡にバラック小屋を建てて暮らしていたらどうなるでしょうか。血縁はなくとも地縁がありますから、「あそこの息子さんは海軍の偉い人の息子さんだ」ということをみんな知っています。そして、ここからが重要になるのですが、神戸市内の都市空間で生きていれば必ず誰かが「役所へ行って相談しなさい」とか「水交社を訪ねてみなさい」と助言してくれるはずです。或いはどこからかそういう情報が入ってきます。役所が戦死した軍人さんの子女を放っておくわけがありません。海軍の互助組織である水交社が無視するわけがありません。公的な支援を受けられる可能性は高く、海軍つながりでいけばお金持ちの支援者が現れる可能性も充分にあります。単に生意気中学生清太一人だけではないのです。幼い、誰が見ても何とかしないといけないと思わせる節子という存在がいます。兄妹セットで救おうとする社会のあらゆる要素を利用することができたに違いないのです。清太はエリート軍人の息子というプライドを維持しつつ成長し、将来は周囲の支援で大学に進学し順調な人生を得たかも知れません。当時の日本の状況から言えば、終戦直後から後はあれよあれよという間に経済発展していきますから、あのクリティカルポイントさえしのぎさえすればそれで良かったわけで、充分に可能性のあるシナリオです。

しかしながら、清太はまず西宮のおばさんという閉じた空間へ逃げ込み、次いで次に山と田園の間みたいなところにある横穴へと逃走するわけです。これではいけません。水交社を訪ねなさいと言ってくれる助言者に出会うことができません。兄と妹は資金力で生命を維持しようとしますが、農家のおじさんからは「お金の問題じゃない」と忠告されます。三宮のおばさんに頭を下げろというわけです。そんなことを要求する方が酷です。しかし残念なことに農家のおじさんにはその程度の知恵しかなかったのです。

神戸市内でバラックを建てるのは難しくなかったはずです。廃墟の焼け残りを利用して簡単なものを作ればよかったはずです。都市部なら炊き出しもあり、終戦後は米軍の救援物資もやってきます。清太が自滅したのは海軍エリート軍人の息子というプライドを捨てられなかったからではありません。自分は海軍エリート軍人の息子だというプライドを思い出させてくれる神戸の自宅跡を放棄したことにその要因があると私は思います。補足しますが、当時はお金を持っていても役に立たなかったという意見もネットにはありましたがそれも間違いです。国家が経済統制している裏側では闇マーケットが完全な市場原理で成立していました。物はあったのです。インフレはしたでしょうが、1000万を3カ月で使い切るということは考えにくいですし、新円切り替えはもうちょっと後のことです。新円切り替えと同時に貯金は紙くずになった可能性はありますが、そのぐらいの時期まで生き延びれば、繰り返しになりますが戦死者遺族への支援を受けられたと思料できます。清太クズ論がネットで見られますが、清太がクズだったのではなく、出会う大人に知恵がないのが悪かったと言えますし、なぜ知恵のある大人に出会えなかったのかと言えば、これには清太の戦略ミスがありますが、都市空間を避けた閉じた生活に入ってしまったからですね。


時代劇映画『十三人の刺客』の新しいvirと古いvir



江戸時代後期、前の将軍の息子にして現将軍の弟というやたらと血筋のいい明石藩の松平のお殿様があまりに性格が残虐すぎるために老中幕閣により暗殺が決定され、旗本を中心にした13人の暗殺部隊が動員、今風に言えばkeyresolve的に実行し、見事打ち取るという映画があります。史実とある程度重なる部分があり、ある程度違う部分があるらしいので、実際の歴史はちょっと忘れて物語に集中して考えたいと思います。個人的にはお殿様がおかしな人である場合、わざわざ暗殺部隊を送らなくても幕閣と大名の家臣が結託して殿ご乱心で座敷牢という流れでOkなのではないかとも思いますが、それでは映画になりませんから、まあ、大袈裟に切ったはったになるわけです。しかし、とてもおもしろいです。

2010年の新しいバージョンでは狂気の殿様の役は稲垣吾郎さんがやってます。自分で自分が狂ってるという自覚があって、「世の中が血で血を洗う戦乱になったらいいなあ」という願望を持つような、かなりいってしまっている人です。で、幕府から密命を帯びた13人の男たちが参勤交代の行列を待ち受け、策を用いて既定のルートを通れなくしてしまい、待ち伏せして袋小路に追い込み打ち取るわけですが、稲垣吾郎は最期に「こんなに楽しい日はなかった。礼を言う」と言って死んでいきます。悪い奴もそれなりに絵になるというパターンで仕上がっています。印象に残ったのは、お家のためと命がけでお殿様を守る明石藩士の顔がほとんど画面に映らないことです。旅装をして笠を被っていますから顔が見えにくいというのはあるでしょうけれど、ばたばた殺されていく端役の人たちの個性はあんまり見えないようにしたほうが演出的にいいという判断があったのかも知れません。

新しいバージョンの刺客たちの首領は役所広司さんがやってます。

もう一つ古い1965年のバージョンがあります。時代劇の巨匠、工藤栄一さんが監督しています。この映画では凶器のお殿様は自分の命は普通の人と同様に惜しいけれど、他人の命はそうではない、ただのわがままぼんぼんという感じになってます。で、おもしろいのは13人の暗殺部隊の首領と、明石藩の重役の頭脳戦みたいなところがかなりおもしろく描かれています。まあ、ちょっと忠臣蔵の頭脳戦の描き方に近いような気がしなくもありません。というか、多分、それなりにそういったことも意識していたのかも知れません。で、大勢の明石藩士が死にゆくわけですが、わりと顔がよく映っていて、襲われる側も殿を守るために必死という感じが伝わってきます。襲われる側の気持ちもよく理解できるというか、私はそっちに感情移入してしあい、ああ、気の毒だと思いながら見入ってしまったので、非常にエネルギーを使いましたが、観る側にエネルギーを使わせるのも映画の力量ですから、凄い映画だと私は素直に思いました。日本の時代劇映画は世界を席巻し、多くの才能に影響を与えていますが、時代劇を見れば見るほどそりゃそうだ、おもしろすぎると納得します。

古いバージョンは片岡千恵蔵が首領をやってます。

レヴィ・ストロースの脱近代な『野生の思考』

最近はあまりポストモダンというような言われ方はしなくなってきましたし、構造主義という言葉も以前ほどは流行っていないと思います。とはいえ、現代人の教養みたいな感じで語り継がれ、読み継がれ、且つポストモダンの元祖というか構造主義の元祖というか、その親分みたいな超絶大御所がおなじみレヴィ・ストロースです。

彼は第二次世界大戦に従軍経験もありますから、近代の限界というものを実感として持っていた人だったと言えるかも知れません。近代は大量生産、技術革新、たゆまぬ増大、たゆまぬ成長をその大原則として持っています。大量生産と飽くなき成長は近代の持つ宿命とすら言えるかも知れません。そして現代人、または近代人は古い因習を捨ててその近代というシステムに順応し、そこを生きるということこそより価値の高いものだと信じてしまうものなのかも知れません。成長と自由経済的資本主義が近代の一方に存在するとすれば、そのもう一方に資本家を否定し再分配を重視する社会主義、共産主義が存在します。自由経済と共産主義経済のどちらがいいということではなく、どちらもそれなりに近代的な「完成」を目指して突き進むことをその宿命と信じられていたかも知れません。そしていつか完成するという前提で完成度を上げることに全力が注がれてきたとも言えるかも知れません。その過程にはファシズム、戦争、革命もあって、人間は進歩し、やがて世界は完成すると考えられていたかも知れません。

しかし、レヴィ・ストロースはそのような世界観から脱却せよというわけです。何故なら、人間は進歩しなくても、完成しなくても、生まれた時に既に完全な存在だからです。ヨーロッパの近代は確かに生産性を上げましたが、それは生産性のみに注目しているからであって、世界各地の非ヨーロッパの諸地域、諸民族もそれぞれに完全性を持っていて、儀礼や神話のようなものは前近代的で非論理的なものではなく、当然に合理性と妥当性を有しており高度に世界を認識する体系をそれぞれに持っていると彼は考えたわけですね。

もちろん、今どき、ヨーロッパ世界から発信されたものには高い価値があって、それ以外の世界から発信されたものの価値が低いと信じている人はいないでしょう。ですが、それを思想・哲学の観点から世界にばーんとぶっ放した元祖みたいな人がレヴィ・ストロースなわけですから、我々が非ヨーロッパ人であっても、だからと言って私たちの価値は棄損されないと信じることができるのも、レヴィ・ストロースの間接、直接のご利益を受けていると思っていいのではないかとも思います。日本でも戦争中に『近代の超克』が議論されたこともありましたが、実際には何を議論しているのかよく分からないというか、ヨーロッパ近代を否定するために結局は戦時中の知識人エリートはヨーロッパ近代の概念と用語しか持ち得なかったという反省点があるように思えます。その点、レヴィ・ストロースは突き抜けていたとも思えるわけです。サルトルともやり合うわけです。

もちろん、それにはヨーロッパが二度の世界大戦で疲弊したことが大きな背景にあると思います。生産性が向上した結果、人間を大量に死に追い込むこの世界はなんなのかという根本的な疑問があったに違いありません。フランスは戦勝国と言っても微妙な勝ち方で、ドゴール将軍の自由フランスが存在した一方で、ヴィシー政府はナチスと協力してイギリスと戦争していたわけですし、パリ解放の時にアイゼンハワーがいい人だったのでドゴール将軍に勝ちを譲ったという一応、戦勝国の体面はぎりぎり保ったというあたりの機微がレヴィ・ストロースをして脱近代を意識させたのかも知れません。日本ではアメリカというザ・近代に圧倒されたという実感があったでしょうから、むしろ近代信奉へと戦後は舵を切ったように思えますし、ぶっちぎりで勝ったアメリカもやっぱり俺たちの近代は正しいぜという風になっていったわけですが、フランスのそのあたりの微妙さがレヴィ・ストロースを生んだ土壌だったのかもとも思えます。

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アニメ映画『打ち上げ花火上から見るか下から見るか』は大人が見ても勉強になるはず

『打ち上げ花火上から見るか下から見るか』という作品は、私の学生が「とても良かった」と言っていたので一度見てみようと思っていたのですが、最近ちょっとチャンスがあってようやく見ることができました。

絵もきれいですし、思春期のなんとも言えない心の動きが描かれるという点では凄いなあと、さすがは岩井俊二さんだとも思うわけですが、もう一回見たいと思うかどうか、何度も見たいと思うかどうかは、なずなというヒロインにリビドーを感じるかどうかによるのではないかという気がします。

ヒロインのなずなは学校の制服、スクール水着、白いワンピースと次々と着せ替え人形のように衣装を替えていくわけですが、それぞれ違った雰囲気があり、実年齢よりちょっと大人っぽく見えるという設定もなかなかにくいものがあって、こんな感じの女の子に魅かれるという人がいれば、ばっちりはまるというか、繰り返して見たくなる、その都度、わーーーと心の中が混ぜっ返されるみたいになってとりとめをなくしてしまうのが心地よくてまた見るという循環に入ることができるのではと思います。

意地悪な見方をすれば色仕掛けに引っかかっているわけですが、映画やアニメで色仕掛けにかかるくらいどうということもありません。好きな人にはたまらないのではないかと思います。

この作品が凄いなあと思うところはターゲットをティーンエイジからヤングアダルトに絞りきり、それ以外の鑑賞者については顧慮しない、大人が見たくないのであれば見なくていいという徹底した態度ではないかと思います。なずなはお母さんの再婚に強い反発心を持ち家出することを企図します。もちろんお母さんは容赦ありません。実の親ですし、同性の親子です。なずなが何をしようと泣き叫ぼうと、引きずってでも断固家に連れ帰そうとするわけです。お母さんの再婚相手のおじさんもお母さんに協力し「悪い大人」の一角を形成しています。

で、なずなを救いたい(顕在的願望)、そしてなずなと結ばれたい(潜在的願望)と思う男子がいろいろ捨てて頑張るというわけです。私も男子の気持ちが分かりますから、そういうシチュエーションになったら頑張る以外の選択肢はおそらく存在しないでしょう。しかし、無残には男子は強大な大人の前に敗れ去ります。しかし、なんでか分かりませんが、きらきら光る球を全力で投げると「もしもあの時」に戻ってやり直すことができるというタラレバが現実化するという夢のような状況が生まれます。球さえ投げれば「もしもあの時」に戻れますから、何回でも無制限です。メルモちゃんのキャンディとかドラえもんのタイムマシンとかなんでもありな世界になるわけです。人生にタラレバはない。人生は後戻りできない。結果を受け入れ、ただ前に進むべしと私はついつい思ってしまったのですが、それは無粋な大人の考えかも知れません。

ティーンエイジからヤングアダルトの時期は「もしもあの時、ああしていれば、こうしていたら」というタラレバに強い憧れを持つものだと思います。私もヤングアダルトのころはそうでした(今はヤングではない)。そういった若い人たちだけにターゲットを絞り、その世代の人たちの心をぐわっと鷲掴みにするこの作品は、大人が見ても勉強になるのではないかと思えます。共感できるかどうかは評価が分かれると思いますが、それを越えて人の心を掴むとはどういうことかという勉強になる気がします。

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映画『ダンケルク』とゴジラ

第二次世界大戦では、前半では枢軸国側の圧倒的優位に物事が進んで行きます。近代戦争は「資本力」が物を言いますから、冷静に考えれば資本力に劣る日本・ドイツが、世界一金持ちのトップ2を争うアメリカ、イギリスと戦争して勝てるわけはないのですが、少なくとも前半に於いては気合や戦術、集中力みたいなもので枢軸国が圧倒し「もしかしたら、日独が勝つかも」という幻想のようなもの、または不安のようなもの(立場によって違うでしょう)が世界に広がっていったと言えます。

そのドイツ圧倒的優位を象徴的に示すとともに、ゆくゆくはドイツの敗北をも予言することになった戦いが、ダンケルクの戦いです。フランスのダンケルク海岸に英仏が追い詰められ、逃げ場がなくなるわけですが、ドイツ軍がじわじわと包囲網を縮小していく中、海を渡ってイギリス側へと撤退する、史上最大規模の撤退戦であったとも言えます。ドイツ軍にとっては包囲戦で、英仏軍にとっては撤退戦なわけです。

で、ダンケルクの戦いでのイギリスまでの撤退作戦をダイナモ作戦と呼ぶわけですが、映画『ダンケルク』では、この撤退戦の難しさ、厳しさ、そして最後の鮮やかな成功を描いています。この映画をみて気づいたのは、英仏にとっての敵であるドイツ兵が全く、ほぼ完全に登場しないことです(最後にちらっと物語の展開上、やむを得ず、人影程度に、個性を感じさせない程度にドイツ兵が映りますが、それだけです)。

過去、第二次世界大戦関連の映画は何度となく制作され、とりわけドイツ軍の将兵を如何に描くかというのが演出の腕の見せ所のような面があったように思います。たとえば『バルジ大作戦』では、ナチスが理想とした金髪の沖雅也みたいに顔立ちの整った将校と、彼の身の回りの世話をする老兵の姿は、それぞれに個性を持ち、人間的感情を持っていることを表現することに演出サイドは力を入れていることが、一回でも見ればわかります。ナチスの将兵は時に冷酷に、時に人間的に、時に滑稽に、場合によっては優しい人として描かれたことも少なくはありません。どのように描くかは、演出の考え方次第ですが、ナチスという強烈なイメージを残した歴史的事象であるだけに、腕の見せ所でもあったと言えます。

ですが、ダンケルクでは彼らの姿は先ほど述べたように、ほとんど描かれません。ドイツ軍の飛行機は出てきます。Uボートも話題としては出てきます。ドイツ軍の砲弾の雨あられは描かれます。そのようなメカニックなものはふんだんに描かれるわけですが、人間としては登場しません。

このような演出には、実際には見えない敵が迫っているという不安を表現するのに効果があるように思えますが、敢えて言えば、ジョーズやジェイソンのような得体の知れない存在、日本の場合で言えば人間ではない敵という意味でゴジラのような素材としてドイツ軍を使っているという見方もできるのではないかと思います。尤も、ゴジラは鳴き声に哀切が籠っており、既に指摘されているようにゴジラは南太平洋で死んだ日本軍将兵たちのメタファーと捉えられるのが一般的ですから、ゴジラが必ずしも相応しいたとえではないかも知れないのですが…。

さて、ゴジラをたとえに出すのが正しいのかどうかはともかく、私はこの映画が戦争映画として成り立つのだろうかという疑問を若干持ってしまいました。戦争映画は敵と味方がそれぞれに人間であると描くことに、ある種の見せ場のようなものがあるのではないかという気がしてならないからです。ガンダムでも人気があるのは連邦軍よりもむしろザビ家の人間関係やシャアとセイラの兄妹愛の方にあるように思えますし、『スターリングラード』では冷酷で凄腕なドイツ軍将校が最後に負けを認める際に帽子を脱いで死を受け入れるというある種の騎士道精神を挟み込んでくるわけですし、『風の谷のナウシカ』でもクシャナの人物像は大きなウエイトを占めているわけです。

そう考えると『ダンケルク』という映画は戦争映画ではなくアクション映画なのではないか、或いはある種のサイコホラーなのではないかと言う気がします。それが悪いというわけではありません。確かに見応えのある映画ですから、一回は見てもいい映画だと思います。ただ、戦争映画としてはちょっと物足りないかなあと思ってしまいます。


ゴッホとテオと日本

後期印象派の画家で、現代でも多くの愛好家から支持されているゴッホは、生前はほとんど作品が売れなかったこともよく知られています。彼は画家としての成功を目指しつつ、画家として活動を始めたばかりのころは思うように絵が描けずに悶々としていたようです。彼は必ずしも楽しい人生を送ったとは言えませんが、少なくとも一人、彼を愛し支え続けた人がいました。弟のテオです。テオは彼自身が画商としての仕事をしつつ、画家としての大成を目指すゴッホを金銭的にも支援し、且つ、精神的にも信頼と愛情に溢れた手紙を互いに交換し合い、支えていたことは大変によく知られています。

ゴッホの作品はいくつかの時期に区分されるようですが、日本人にとって特に有名なのは、ゴッホが自ら命を絶ってしまう直前の時期に浮世絵に触発され、多くの作品を描いたことでしょう。

フランスで浮世絵に対する関心が集まり、LE JAPONという書籍が19世紀の末頃に発行されるのですが、彼はその書籍で紹介されている浮世絵に大きな魅力を感じたようです。ゴッホは何度も作品を模倣し、漢字まできちんと模倣して浮世絵の神髄のようなものをくみ取ろうとしたのかもしれません。「日本に行きたい」「日本に似ている南フランスで暮らしたい」とテオに伝えたこともあったようです。オランダ出身のゴッホですが、テオがパリで仕事をしていた時にパリで兄弟で同居していた時期もあります。ゴッホとテオの美しい兄弟愛が強調されがちなため、この時期、2人の関係がぎくしゃくしたことはあまり伝えられていませんが、おそらくはゴッホは近くいる人には疲れる人で遠くにありて思うのがちょうどいいような存在なのかも知れません。我々もゴッホ個人に接することはなく絵画だけを知っているので、その作品を称賛することができますが、実際に会うとそうはいかなかったかもとも思います。ゴッホのことを悪く言いたいのではないです。彼が人間関係を築くことが不得手だったことを気の毒に思えてなりません。

ゴッホとテオはゴーギャンと交流するようになり、やがてゴッホは南フランスでゴーギャンと一緒に創作生活を送るようになります。ですがやがてゴーギャンとも不仲になり、彼は耳を切るという想像を絶する自傷行為を行うようになってしまいます。亡くなってしまう直前のことですが、この時期に彼の才能は大いに開花し、後世に残る作品を尽きせぬ泉の如くに大量に生み出すようになります。『アルルの跳ね橋』『アルルの寝室』『夜のカフェテラス』『ひまわり』などの名作がこの時期に制作されました。

夜のカフェテラス。明るい黄色が日本の浮世絵から想を得たものと言われている(パブリックドメイン)。

人の心に触れる作品を作るということは並大抵のことではありません。創作とか創造とか、そういったことについて考えれば考えるほど、その難しさを思い知らされるような気がしますから、私にはゴッホが才能を大きく開花させた後、その評価を知る前に、先に精神的な限界に達してしまい、命を落としてしまったように思えてなりません。何かがビッグバンのようにバーッと大きく花開いて、突然クラッシュしてしまうようなイメージでしょうか。

宮崎駿さんの『風立ちぬ』で、伯爵様が「創造的な人生は10年だ」と話す場面がありますが、人には創造できる時期、それが頂点に達する時期と衰退していく時期、余力のみで生きる時期があるのではないかという気もします。普通はだんだん枯れてきて、その枯れ具合がまたちょっといい味になってマニアな客層が残るようにも思えるのですが、ゴッホの場合はあまりに急速に才能が開花し、短期間で仕事をし尽くした結果の死ではなかったかと思えます。溢れる才能があって若くして突然、神様の思し召しのようになくなる人が時々いますが、それは開花が急速すぎてクラッシュしてしまうからではないかと私はよく考えます。悪い意味ではなく、そのような人たちに対して気の毒に思う同情の心境と開花した力に対する敬意の両方が同時に私の中にせり上げてくるのです。

人生は様々ですが、ゴッホのような人生を送るのはさぞかし辛いことと思います。ゴッホが亡くなると、テオも後を追うように病死してしまいます。まるでゴッホを支援するという大仕事を終えたから、神様からもういいよと言われたかのようなタイミングです。ゴッホにとってのせめてもの幸運だったことは、テオの奥さんが兄弟の往復書簡を読み、感動を覚え、それを世間に発表し、彼の絵をプロモートし現代に至るまで子孫たちが作品を守り抜いていることだと言えるでしょう。多くの才能が誰にも気づかれることなく失われていくことを思えば、せめて現代に至るまで衰えぬ称賛を得ているということは芸術家にとっては誉れなのかも知れません。とはいえ生きているうちにいい思いもしたいものですが…。

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谷崎潤一郎『陰影礼賛』と自己嫌悪



谷崎潤一郎の著作である『陰影礼賛』は、西洋化に対する憎悪と日本文化に対する潜在的な自己嫌悪に満ちた文章ではなかろうかと私には思える。

冒頭、谷崎は和風の憚り(お手洗い、トイレ、御不浄のこと)を例に挙げ、その明媚なところを礼賛する。西洋的な真っ白な御不浄には和風のそれの持つ味わいにどうしても欠けるというわけである。

それに引き続いて谷崎は日本の伝統芸能、食器、建築などに陰影がどれほどの演出効果を果たしているかを力説しているが、読者としてはなぜ最初にお手洗いの話を読まされなければなかったのかがどうしても頭から離れなくなってしまう。いかなる文章であれ、大抵の場合、文章の冒頭がその文の命であるとすれば、谷崎には谷崎なりに御不浄から話を始めなければならない理由があったに違いない。

果たして、何故に谷崎は御不浄から話を始めたか。一つの見方として、谷崎は御不浄から能、伝統芸能、食器に至るまで遍くその美意識が通底しているということを言いたかったのかも知れないと言うこともできる。だが果たしてそれだけだろうか?

たとえば『春琴抄』では春琴は目が見えないという不完全さを持っているが、不完全であるが故に他人にはまねのできないコケティッシュさを持ち合わせ、あやしげに人を魅了する人物として描かれている。春琴抄を読んで彼女の容貌を想像し、そのコケティッシュさがおそらくは自分の想像を超えるであろうと思われてため息をついた人は多いはずだ。だが春琴は最後、何者かによって就寝中に熱湯を顔にかけられ、その妖しい美しさを失う。

『細雪』の雪子と春琴はある面でよく似ている。雪子は美しいが行き遅れの「年増」であり、最後はわざわざ書く必要があるとは思えないのに、雪子が何度となく腹をこわす場面で終わっている。これは『痴人の愛』にも共通する女性像だ。『痴人の愛』に登場するナオミはコケティッシュな可愛い美少女だが、前半から着ている服の襟首に垢がたまるなどの描写があり、彼女が決して神などではなく人であるということが暴露されている。しかも成長するに従い世間を知るに従って、慶応義塾の学生と浮気をし、更には外国人の恋人を渡り歩く。この段階で当初の偶像は完全に破壊されているが、主人公の譲治はそれを承知で彼女を養い続けるのである。痴人とはアホを意味するから、まさしくアホな譲治が浮気女のナオミから離れることができずにいるという物語になっている。

さて、陰影礼賛に戻りたいが、『春琴抄』『細雪』『痴人の愛』で見てきたように、谷崎には美しい偶像を破壊したいという衝動があることには議論の余地はないと思える。しかし『陰影礼賛』ではまず美しく書いて後で堕落させるといういつものパターンではなく、最初から御不浄を書き、それを賞賛するというやり方を用いている。平たい言葉を用いるならば、その絶望感はより深刻なものだと言わなくてはならない。日本文化を後から堕すのではなく、最初から堕すのだから実は他の作品に登場する彼が愛してやまない女性たちよりも更に救い難い惨状に日本文化は立ち至ってしまったとする嘆きを彼が書いているように思えてならないのだ。

日本文化は彼と直結していたに価値観に相違ないから、彼は自己嫌悪の表現として、日本文化を御不浄の描写から始めたのである。日本文化が堕落してしまったのは西洋文明の恩恵を不覚にも受けてしまったからであると谷崎考えていたに違いない。その西洋への憎悪の表現として最後のくだりでは西洋文明が生活に入り込んだことを象徴する室内装飾を敢えて全部剥ぎ取りたいという衝動に駆られる心境を、著者は告白しているのだから。


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夏目漱石が東京美術学校で行った『文芸の哲学的基礎』という講演は、明治小説とはどういうものかを理解する上でわかりやすいのではないかと最近は考えています。一般に日本近代文学に思想的支柱を与えたのは坪内逍遥で、それを最初に実践したのは二葉亭四迷だと言われます。そのこと事態は間違いではないというか、特に否定するべき要因はありません。ただ、坪内逍遥の『小説神髄』を呼んだ際の印象としては、この人は本当に小説とか文学とかそういったことを理解しているのだろうか…という素朴な疑問でした。人間の真実を描くとしてその範をシェイクスピアに求めていますが、やっぱり坪内逍遥が東京帝国大学でシェイクスピアの講座で単位を落としたことがトラウマになってやっきになって取り組んでみたものの、わかったようなわかっていないような…という印象を拭うことができません。また、二葉亭四迷の『浮雲』は、言文一致を目指し、更に「恋」を描こうとしましたが途中で挫折していますし、言文一致の範を江戸落語の口調に求めたためか冗長で中身がなく、退屈でとても読んでいられません。なるほど落語とは聴くものであって読むものではないという違った意味で感心してしまうような次第になってしまいます。

やはり、小説ってなんすか?と尋ねるならば、永遠の巨人とも呼ぶべき夏目漱石においでいただくのが相応しいのかも知れません。もちろん、現代小説と夏目漱石が直接リンクするとも考えにくく、漱石は今後も読まれ続けるでしょうけれどそれは源氏物語のように教養の一環として読まれ続けるであろうということであって、村上春樹さんと夏目漱石がリンクしてるとか、大江健三郎さんと夏目漱石がリンクしてるとかそんな風には思いません。

そうは言っても、明治小説という日本文学の一ジャンルに対して「あっしには関係のねえことでござんす」と言い切るだけの勇気がありませんから、漱石先生のこともちびっとは勉強しようと思うわけです。そして漱石先生が何を考えて小説を書いていたのか、つきつめれば明治人が小説とは如何なるものかについてどう捉えていたのか、もっと言うと、明治小説とは何かを理解する上で、漱石先生の『文芸の哲学的基礎』は大変に適したテキストなのではないかと思えてなりません。

漱石先生は言います。人間は実在しないと。私も、このブログを読んでくれている人も実在しないというのが漱石先生の立場です。しかし「こころ」はある。この心なるものが幻影なのか実在するのかは議論の分かれるところでしょうけれど、漱石先生が人間は実在しないが心はあると言ったのは、ヨーロッパの観念論哲学を前提とし、更に仏教的「無」の双方から考察した帰結としての人間観、世界観ではないかと思えます。ヨーロッパ哲学では人も物も実在しないが神を感知するために心を神は与え給うたということになるわけですが、仏教では心も夢みたいなものですから、全てをつきつめれば完全な無に到達するわけで、小乗仏教がその真理に近づくことで安心立命を得ようとするのに対し大乗仏教はせいぜいいい夢みましょうぜ、旦那となるわけです。いずれにせよ、漱石先生はヨーロッパの哲学のこともよく知っているし、東洋の哲学のこともよく知っているという稀有な大先生ですがら、そういうのを全て勘案して、当該の講演では心はあると言うことになったのだと思います。心も存在しないと言うことも不可能ではないですが、小説は心を書く手段なわけですから、心もないと言ってしまうと「文芸の哲学的基礎」も何もあったものではない、小説を書く意味もなくなってしまうという点で不都合なので、職業的な信念として先生は心は存在することを前提に講演を進めます。

で、いろいろ短縮して、小説は何を表現する手段なのかということに漱石先生は言及します。ある人は「人間の真実」が書かれていれば小説として成立すると考えるかも知れない。だけれど、ある人は「美」がなければ読むかいがないと思うかも知れない。またある人はヒロイズムが描かれることでカタルシスを得るという娯楽としての役割を小説に期待するかも知れないという風に小説に含まれる要素を先生は分類的に示し、何を書き、何を書かないかの取捨選択が迫られるという趣旨のことをお話しになっていらっしゃいます。

さてさて、これは意外と難しい問題です。人間の真実ってなんなんですか?から始まって美しいの定義ってあるんですか?ヒロイズムと自己満足はどこが違うんですか?と疑問が満載になってしまいます。人間の真実を描こうとするならば、田山花袋先生のような「若い女の子大好き」的自然主義で事足りるかも知れません。しかし、そこは漱石先生です。いろいろ必要だというわけです。人間の真実を描きつつ、美しいもの、例えば恋心を挿入しつつ可能ならヒロイズムを、自己満足的に陥らない程度に上手にヒロイズムをといろいろご注文があるわけで、少なくとも漱石先生はそういった自分の自分自身に対する小説とはかくあるべしという要求に応えようと非常に努力していらっしゃったことが分かるわけです。例えば『二百十日』のようにほぼ世間話に明け暮れながらも金持ちは華族様たちへの嫉妬を描きつつ、最後はちゃんと嵐に遭うというクライマックスも設けられているわけです。『こころ』の場合も、親友を地獄のどん底に突き落として自分だけ幸せになった罪悪感から死を選ぶという流れも、恋の美しさと欲望の醜さ、罪の意識に苛まれ死を選ぶという醜さとある種のけじめ、それを知った語り手が列車に飛び乗るというクライマックス。「先生」「高等遊民」という堕ちたヒーローなどなど。人間の本質は醜い!などと言って憂鬱にひたっているようではまだまだですし、革命的ヒロイズムにひたっているだけではお話にはならないというわけですね。このご講演の記録(現代に残っているのは先生によってある程度加筆修正されたもの)は、漱石先生がどういう考えで小説を書いていたのか、そして明治小説とは何かということの理解に大きな助けになると私は思う次第です。簡単に結論すると、私小説的自然主義はつまらないけど、人間の本質から離れたヒロイズムも意味はなく、私小説的要素を含みつつ読者を満足させるカタルシスへと至る様々なものが統合されていい小説になるという、そういうところに行きつきます。この講演の記録を読めば、漱石先生の小説もよりよく理解できるでしょうし、明治小説もより深く理解できるはずで最終的には現代の文芸に対する理解も深める手がかりにできるかも知れません。

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宮沢賢治『銀河鉄道の夜』‐死者の旅路

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のいわばハイライトになる場面は、沈んだ船からやってきた家庭教師と、彼が保護する二人のまだ幼い姉と弟と、ジョバンニとカムパネルラが邂逅する場面にあるのではないかと個人的には思っています。

家庭教師と姉弟が幻の銀河鉄道に登場することにより、読者は銀河鉄道は死者の乗る列車だということを理解するからです。そしてさらに、神様の御国へと行ける駅でこの3人は降りることも、この列車が天国へ行く列車だということが分かります。また、カムパネルラが最後にジョバンニに向かってさよならと言い、列車から落ちるようにして姿を消しますが、後でカムパネルラが川に落ちて見つからなくなってしまったことをジョバンニは知ります。他にもいろいろな場面がありますが、あまり長くならないように、ジョバンニ、カムパネルラ、そして沈んだ船に乗っていた3人に絞って、少し考えてみたいと思います。

まず第一に、家庭教師と姉と弟の3人は神の御国へ行くために、途中で下車します。銀河鉄道が死者の乗る鉄道だとすればなぜカムパネルラがそこで下車しないのか、また、神の御国が終点でなければその先どこへ列車がどこへ行こうというのかということが気になります。単純に考えれば、カムパネルラは確かに死んでいるのだけれど、神の御国に召されない、深い業を背負っているということになります。彼にはどこへも到着する場所がなく、列車の走る途中で飛び降りてしまうほか選択肢がなかったのだと言えます。「神の御国」という表現にはキリスト教的な発想法を感じられますが、ちょっと仏教的に言うと、先に降りた3人は成仏し、カムパネルラは成仏できず、無間地獄のようなところへ落ちてしまったことを意味しているのではないかという気がします。先に降りた3人は、ある意味では生きようとし、またある意味では他人を押しのけてまでは生きようとせず、更にある意味ではやむを得ざる運命を静かに受け入れたと言うことができます。一方でカムパネルラは他人を手伝って川に落ちたということになっていますが、多分に自ら命を絶った可能性を示唆しているのではないかという気がしてなりません。それゆえに死者の世界に入ったとしても先に降りた3人のような安寧や安楽、平和を手に入れることができず、闇の彼方へと去って行かざるを得なかったのかも知れません。

そして次に考えなくてはいけないのは、なぜジョバンニは死んでいないのかという疑問が湧いてきます。ジョバンニは学校でカムパネルラ以外に友達と呼べる相手はいなく、カムパネルラも次第にジョバンニを相手にしなくっていったという物語の前提があります。更に母親が病気で、父親は高い可能性で監獄に入っており、姉は本当に存在するのかどうかも怪しい感じで、学校の後は低賃金労働をして辛うじてパンや牛乳、角砂糖を手に入れる生活を送っています。ある人はそれをして、大正・昭和初期にかけての貧富の格差、労働者階級の辛さ、人間疎外という現象として説明しようとするかも知れません。私もある程度、それには賛成します。ですから、毎日がおもしろくないジョバンニは心の深いところでやけっぱちになっており、星祭りの夜、彼はもしかすると彼も自殺を考えていたかも知れず、それだけ死に近い存在になっていて、死者の旅路に使われる鉄道にちょっとした手違いでまだ乗り込んでしまったと見ることは可能です。また、ジョバンニが銀河鉄道の幻を見ているまさにその時、カムパネルラは川に落ちて死につつあったということを考えれば、ジョバンニはカムパネルラに呼ばれたと見ることも可能なように思えます。

さて、しかしです、銀河鉄道に乗って幸福感を得ていたのはジョバンニでしょうか。それともカムパネルラでしょうか。明らかにジョバンニがより強い幸福感を得ていたように私には感じられます。自分が死んだということを理解していたカムパネルラが多少なりとも憂鬱そうにしていたのは、ジョバンニが真相を知らなかったからだとも言えますが、一方でジョバンニにとっては自分を棄てたと思える友達のカムパネルラが一緒に旅をしてくれるということに深い感動、大きな癒し、そしてこれからもどこまでもずっと一緒に旅をしたいという切ない願いが心の中に宿っていることを読者は感じ取ることができます。とすれば、カムパネルラが一方的に呼んだのではなく、ジョバンニもカムパネルラを深層心理では声をからすほどに、いつも、絶叫せんばかりに呼んでいて、それが呼応関係になったということかも知れません。

しかしながら、ジョバンニは銀河鉄道から生還します。カムパネルラはジョバンニを改めてジョバンニを棄てた、一度拾うふりをしてもう二度棄てたと読むこともできます。友人に棄てられるというのは時に恋人に棄てられるよりも激しく心を痛めつけます。有名な作品ですから色んな意見があるでしょうけれど、私にはカムパネルラがジョバンニを死出の旅の共として不合格を出し、ジョバンニと一緒にいるよりも一人で暗い闇へと吸い込まれていくことを選んだということが、ジョバンニにとってどれほど切ないかということ思わずにはいられません。

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司馬遼太郎『最後の将軍‐徳川慶喜』の頭がいいだけの男の姿



司馬遼太郎さんの『最後の将軍‐徳川慶喜』は文庫本ではわりと薄いもので、すぐに読めてしまいます。『竜馬が行く』や『坂の上の雲』などのボリューム感に比べると、小品いってもいい感じの作品と言えます。『竜馬が行く』、『坂の上の雲』などが登場人物の仔細な人間関係、時代背景に関する豊富な知識と批評、同時代に起きた各事件に関する詳細がびっしり詰め込まれているのに対し、『最後の将軍‐徳川慶喜』では、主人公の思考回路と感情の機微に特化して描かれており、徳川慶喜という人はあらゆる意味で特殊な人と言えますから、その特殊な人物の内面だけに特化してみようという作者の意図を感じます。

たとえば新選組が池田谷事件を起こしたり、長州征伐で幕府軍が散々な目にあったりとしたことは、細かく描こうと思えばいくらでも資料を集めて細かく描けたはずですが、司馬遼太郎さんは今回の作品に関してはそういったことは必要最小限度に留め、徳川慶喜のリアクションとその思考パターン、行動パターンを読み解こうとしています。

で、簡単に言うと、史上初の水戸徳川氏出身の将軍なので、そもそも幕府内に人気がなく、幕府内から冷たい視線で見られているにもかかわらず討幕派からは当然敵の首領としていつでも寝首をかいてやると手ぐすねを引かれ、母親が有栖川宮の人なので、京都の公家の覚えはめでたいものの、公家は時勢次第でどこにでもなびくために全く信用できず、にもかかわらず、短い時間ではあったといえ、日本の最高権力者であり、彼は自分を守るために、ただひたすら自身の頭脳に頼り続けたというような評価が下されています。

自分の頭脳だけが頼りであり、稀に見る読書人・教養人であり、あわよくば長く日本を支配してやろうと思ってはいるけれど、それよりも何よりも自分が生き延びるということを最大の目的にして彼は周囲の人をはっきり言えば時には騙し、時には見捨て、必要に応じて沈黙し、必要とあらば誰にも負けない弁舌で演説をし、周囲に舌を巻かせるという、類稀なる才能を彼は発揮します。

頭が良いことはもちろん非常に強い武器ですが、ただそれにしか頼る事ができなかったというのは、またある種の不幸だったのかも知れません。それは本人にしか分かりらないことでしょう。政治家には向いていたかも知れませんが、鳥羽伏見の戦いであっさりと自分の将兵を見捨てたこと、江戸帰還後も松平容保など地獄の底までついてくるはずだった人物を見捨てたこと、それでいて弁舌の才を活かして大奥の支持を取り付け、命だけはとりとめるという辺りに、彼の頭脳のきわだって優秀な部分と、人間として大きな何かが欠けていたことの両方が提示されているように思えます。ただし、当時はちょっとあったらすぐ暗殺の時代ですから、義理人情とか言って、ここは俺が犠牲になってとか言っているとあっさり殺されていたかも知れませんから、自分の命を守るというかなり現代的な価値観に近い目標を持っていたであろう徳川慶喜としてはやむを得ないところだったのかも知れません。

京都で政治の頂点にいた時は多忙を極め、あそこまで仕事をした将軍はいなかったに違いありませんが、日本最高の権力者とはいえいつどこで足をすくわれるかも知れず、人材にも恵まれなかった彼の心境は吊るされた剣の下の玉座に座る王と同じようなものだったのかも知れません。

優秀な頭脳で権謀術数を展開し、自分の都合で人を見捨てまくった徳川慶喜に対する評価はその是非が分かれるところでしょうけれど、あれだけ頭がよくなければ殺されていたでしょうから、まあ、最終的にはやはり彼は自分の頭脳で自分を守ったと言っていいのかも知れません。天のたまものに感謝といったところでしょうか。徳川将軍最高クラスの頭脳を持つものが、最悪のタイミングで将軍になるというのは、何やら運命めいたものを感じなくもありません。維新後、旧幕臣たちが困窮するなか、一人趣味の生活を満喫した徳川慶喜は、やはり冷ややかな目で見られたようですが、そもそも他人に関心のないタイプだったに違いなく、本人は大して気にしていなかったかも知れません。自転車に乗り、多分、自動車にも乗り、油絵を描いて、写真を撮る。多芸多才な趣味生活は自分が満足すればそれでいいというその一点を目的に続けられ、彼は明治天皇よりも長生きし、大往生を遂げます。女性を多いに好んだと言いますが、将軍を続けていた方が女性には困らなかったでしょうから、その点だけが「惜しいなあ」と思ったかも知れません。ここは私の想像です。

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