谷崎潤一郎『小さな王国』から、お金について考える

谷崎潤一郎の短編に『小さな王国』というものがあります。東京育ちの主人公は学者を志してはいましたが、生活のために学者に専念するわけにはいかず、小学校の教師になります。結婚し、子どもも生まれ、家族が増えていきますから、お金がどんどんかかるようになります。もちろん俸給は上がっては行くものの、物価の上昇もあって東京ではとても生活が維持できないと考えた主人公は北関東の某所で教師の職を得て移り住みます。

さて、主人公は小学校で沼倉という少年に出会います。第一印象はあか抜けない、田舎の普通の少年という感じでしたが、話しをさせてみるとそこそこ頭がいい少年だという印象を主人公は抱きます。主人公が驚愕するのは、この沼倉少年が子どもたちに対して通常ではあり得ないほどのカリスマ性を発揮し少年たちを統率しているという事実を知った時でした。しかもジャイアンのように腕力にものを言わせるわけではなく、沼倉少年は物静かに黙考して筋の通った判断をし子どもたちがそれに従うというわけで、得体の知れない、末恐ろしいような気さえさせる、本物のリーダーの資質を持っている少年だったわけです。

そういう児童が反抗的な場合は教師は手を焼くことになりますが、沼倉少年の場合はそういうわけではありません。聞き分けがよく、教室全体の雰囲気を維持することにも協力的で、少年たちは沼倉少年に服従を誓い続ける以上、彼の命じた通りに教師にとっては実にやりやすいペースで物事が進んでいきます。沼倉少年は様々な罰則を少年たちに対して宣言しており、少年たちは制裁を恐れて沼倉少年に従うわけですが、当該の罰則は沼倉少年本人をも拘束を受けるものであり、あたかも法の下の平等が沼倉少年の指導の下に生まれて来たかのようにすら見えてきます。沼倉少年はなかなかの名君主、または颯爽とした大統領みたいな立場と言っていいかも知れません。

主人公の教師は沼倉少年が協力的で助かるなあとしばしいい気分で過ごしますが、再び驚愕せざるを得ない事実を知ります。沼倉少年が独自に紙幣を発行しているというのです。同じ学校に通う主人公の息子が小遣い銭ではとても買えないようなものを時々買って帰るので、問い詰めると沼倉紙幣を使用しているのだと白状します。現物を見てみると、金額を印刷した紙に「沼倉」という判が押されており、この判が押されていれば有効というわけです。この紙幣は沼倉少年の配下の少年たちの間だけで通用するもので、大人たちには絶対内緒というルールがあり、主人公の息子はルールを破ったことになりますが、万引きしたわけではないということを証明するために洗いざらい吐露したというわけです。放課後になると配下の少年たちは某所に集まり、油屋の息子は家から油を、服屋の息子は家から服を持ってくるという感じで市場が開かれ、沼倉紙幣を使って取引が行われるというわけです。

ここまで来ればもはや国家です。主人公ははてどうしたものかと考えますが、それよりも先に自分の生活苦を考えなければならないという現実にぶち当たります。赤ちゃんのミルクが次の給料日が来る前に切れてしまうのです。主人公は沼倉少年に「先生もまぜてくれないか」と頼み、沼倉紙幣を受け取ります。そしてミルクを買いに行き、そこで、あ、俺は今なんてばかなことをしているんだろうと気づくところで物語は終わります。

この物語の面白さはいろいろなものがあって、例えば沼倉少年というある種の天才を如何に描くか、或いは意外と平凡な人生を送ってしまったと思いつつ惰性で生きている主人公に焦点を当てるかということでも違ったおもしろさが見つかるでしょうけれど、ここでは沼倉紙幣について考えてみたいと思います。

お金には実態がなく、中央銀行が適当に出している紙でしかないことは、議論の余地がありません。もちろん信用ある国家の発行する通貨には相応な信用がつくわけですが、金本位制の時代のように、完全に担保されているわけでもありません。日本円が日本で流通できるのは、みんなが10000円札という紙に価値があると合意しているからに過ぎず、これはドルであろうとポンドであろうと人民元であろうと違いはありません。そのように考えると、沼倉紙幣は沼倉少年に信用がある限り、少なくとも沼倉信者にとっては実質的に価値があると認めても一向に差し支えないのではないかという気がしてきます。もちろん、沼倉紙幣には弱点があって、それは紙幣と交換し得る物資はその紙幣共同体に参加する少年たちが家から持ってくる(言わば、輸入)に頼らざるを得ません。ましてや沼倉紙幣は大人からの信用はありませんので、円との互換性もありません。従って、闇経済化せざるを得ないという面はあります。しかし、市場が立ち、やがて自分で生産して沼倉紙幣と交換する人物が現れれば、当該の紙幣は円との互換性がなくとも信用を維持しやすくなり、更に発展すればやがては誰もが認めるようになって円でもドルでも交換できるというところまで発展したとしても、それは現実的ではないかも知れませんが論理的にはあり得るわけです。ビットコインと同じです。岡田斗司夫さんの提唱する1オカダも同じような感じだと思います。

この作品が世に出たのが1918年ですから、現代とは違い金本位制が根強く支持されていた時代です。このような時代によくもまあ、通貨は発行したもの勝ちみたいな発想の作品が書けたものだと驚くあまりですが、1917年にロシア革命が起きており、世の中には社会主義や共産主義という新しい価値観が今後どのように広がるのか、全く無視することもできないという空気があったでしょうし、アナーキズムもそれなりに流行していましたから、沼倉紙幣が発行されるという発想は、谷崎本人の脳裡にそのような新しい時代の始まり、今までとは違った未来像がふと立ちあらわれて作品化されたのかも知れません。おもしろいお話しです。人間心理という点からも、政治経済という点からも、或いは近現代史という視点からも楽しむことができると思います。
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司馬遼太郎『関ケ原』を読むと、関ケ原の戦いわけのわからない部分がわりとよく分かるようになる

関ケ原の戦いのわけのわからない部分は、一般的に豊臣秀頼を擁立した石田三成と徳川家康が戦ったということで説明されています。しかし、だとすれば豊臣政権という正規政権を守るための戦いであるにもかかわらず、なぜ秀吉七本槍と言われた福島正則が徳川家康につき、加藤清正は事実上の局外中立みたいになっていたのかということとがよく分かりません。

いろいろ読んでもわかったようなわからないような感じで上手に全体像をつかむことが分かりません。これは関係者、世間一般、などなどそれぞれにこの戦いの位置づけが違うことから説明が難しいややこしいことになっていることに原因があります。

まず、石田三成は徳川家康を謀反人と位置づけ、自分たちが豊臣政権の正規軍であるという立場を採って戦いに臨みます。一方の徳川家康ですが、そもそも上杉征伐を豊臣政権の正規軍という体制で行うために出発し、その途上で石田三成の旗揚げを知りますから、徳川家康こそが豊臣政権の正規軍という立場で、石田三成こそ謀反人という立場で戦いに臨むわけです。

ついでに言うと朝廷から見れば、関ケ原の戦いは石田三成と徳川家康の私闘という立場で事態の推移を見ていたものと考えられます。関ケ原の戦いから徳川家康の将軍就任まで3年もかかっているという事実は、朝廷が豊臣政権を正規の政権と見做していたため、私闘で勝っただけの徳川家康に将軍職を与える正当性があるとは当初考えていなかったことを示すものと思えるからです。

徳川家康に福島正則がついたのは関ケ原の戦いを大嫌いな石田三成をやっつけるための私闘と位置づけ、豊臣政権の正当性は一切毀損されないと思っていたかららしく、福島正則、加藤清正ともに豊臣政権への忠誠心は厚いものがあったと言われていますから、簡単に言うと大局観のようなものが全くなかったと考えるのが正しいように思えます。

百戦錬磨の大狸の徳川家康は、それをうまいこと言って、豊臣政権に挑戦するわけないじゃん。この戦いは豊臣政権の簒奪を狙う石田三成をやっつけるための戦いに決まってるじゃんという立場を貫き、まんまとそれに乗せられたという感じでしょうか。

もちろん、徳川家康は怪しいなあ、豊臣政権を潰して自分の政権を作ろうとしているんじゃないかなあと思った人は多いはずですが、そこからは心理戦も絡んできます。内心、徳川家康が次の天下を獲るだろうけど、豊臣政権に挑戦するのはスジが悪い。でも、表面上家康と三成の私闘ということなら、問題ないよねという立場で次の権力者徳川家康にすり寄るものが続出します。石田三成は嫌われまくったということで有名ですが、石田三成が嫌いな人は上に述べたような理屈で家康につくわけです。

一方、大局をきちんと見ていて、徳川家康をほうっておくと豊臣政権は潰されるよね。という立場で戦いに臨んだのが宇喜田秀家。漁夫の利でなんかとれるといいなあと思っていたのが毛利輝元。という辺りになるのではないかと思います。

さて、この戦争で誰がどちについたのかについては二人の女性の要素も無視できません。一人は秀吉の正妻である北政所、もう一人は秀頼の母親の淀殿です。北政所の目には、秀頼を生んだ淀殿に豊臣家を乗っ取られたような心境でしょうから、淀殿・三成同盟にシンパシーはありません。徳川家康に肩入れし、秀吉に恩を感じる大名に家康に加担しろとけしかけます。一方淀殿は三成と同じく人望にかけ、諸大名への影響力はありません。

突き詰めると、豊臣家内部の人間関係が分裂していたことが、徳川家康に隙を与えたとも言え、あらゆる権力が滅びる時はまず内部の崩壊があるということがこの場合にも当てはまるのではないかと思えます。司馬遼太郎さんの『関ケ原』を読むとその辺りのややこしいところがよく分かるようになります。

この戦いの以降、大坂の陣で豊臣家が完全に滅ぼされるまでの間、豊臣は豊臣で政権掌握者、家康は家康で政権掌握者というちょっとよく分からない曖昧な状況が続きます。これを終わらせるために家康は難癖をつけて大坂の陣を起こすわけです。

元々秀吉によって出世させてもらった豊臣家臣で家康に加担した大名たちを家康は快く受け入れていますが、戦争が終わった後はばんばん潰しています。家康が内心、裏切り者を軽蔑していたことを示すものではないかとも思いますし、やはり裏切るというのはいい結果をもらたらさないという教訓も含んでいるような気もします。

司馬遼太郎さんの作品に言及すると、島左近かっこいいです。私もかくありたいものです。

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原田眞人監督『関ケ原』の2人の女性の愛

原田眞人監督の『関ケ原』、観てきました。原田監督は「男にとって女性とは何か」を考え抜き、それが作品の内容に反映されていると私には思えます。で、どういう視点になるかというと、男性は女性に愛されなければ生きていけない(ある意味では独立性のない)存在であると規定し、女性から愛されるとどうなるか、愛されなければどうなのか、ということを問いかけてきます。たとえば『自由恋愛』では圧倒的な経済力にものを言わせて2人の女性を手に入れたトヨエツが、最後、女性たちに見放され悲しく退場していくのと対照的に女性たちは女性たちだけで存分に輝く世界が描かれます。『クライマーズハイ』では、妻に愛されなかった新聞記者が、妻以外の女性に愛され、後輩女性記者とは恋愛感情抜き(潜在的には恋愛感情はあるが、顕在化しない状態)で仕事に向き合います。

『関ケ原』では、石田三成を愛する伊賀くノ一の初音と徳川家康を愛する、これもはやはり伊賀のくノ一の蛇白(だったと思う)の2人は同じ伊賀人でありつつ、敵と味方に分かれるという設定になっています。石田三成を美化するスタンスで描かれ、徳川家康のタヌキぶりを強調する感じで描かれていますが、純粋で真っ直ぐな石田三成は行方不明になった初音を思いつつ、戦いに敗れて刑場へと向かいますが、その途上で初音が現れ、あたかも関係者でもなんでもないふりをして軽く会釈をします。石田三成と初音はプラトニックな関係ですが、その分、清潔感があり、石田三成という人物のやはり純粋さを描き切ったように感じられます。生きているということを見せるために彼女は現れたわけですが、石田三成は彼女の無事を知り、安心して刑場へと送られていきます。『ラセーヌの星』というアニメでマリーアントワネットが2人の子供が脱出できたことを知り、安心して刑場へと向かったのと個人的にはダブります。

一方で、徳川家康は話し上手で女性を魅了することも得意です。関ケ原の合戦の最中に陣中に現れた刺客に対し、白蛇が命がけで家康を守ろうとしますが、家康は彼女と刺客をまとめて切り殺してしまいます。原田作品ファンとしては、たとえ時代物映画であったとしても「女性を殺す」というのは最低の行為ということはすぐに察することができますから、家康という人物の悲劇性が描かれているというか、家康が自分の命のためには自分を愛した女性をためらいなく殺してしまう悲しい人生をおくった男という位置づけになるのではないかと思います。

徳川家康は役所広司さんが演じていますが、悪い奴に徹した描かれ方で、多分、この映画のためだと思いますが、全力で太っており、ルックス的にも悪い奴感が全開になっており、監督の求めに応じて役作りをしたこの人は凄い人だとつくづく思えてきます。

原作を読んだことがなかったので、すぐに書店に行き、原作を買い、現在読んでいるところですが、原作と映画にはかなりの違いがありますし、原田監督としては原作を越えた原田色をしっかり出すということを意識したでしょうから、原作と映画の両方に触れてしっかり楽しむというのがお勧めと思います。

原田監督の作品は、分からない人には分からなくていいというスタンスで作られているため、予備知識がないとなんのことか分からない場面や台詞がたくさん出てきます。私も一部、ちょっとよく分からない部分がありましたが、それはみる側の勉強不足に起因していることになりますから、原作を読んだり、他にもいろいろ勉強してまた映画を観て、そういうことか、と納得するのもありかも知れません。

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エマワトソン主演『美女と野獣』の紳士的な愛

エマワトソンが『美女と野獣』の主演をしたことは有名な話ですから、今更ここで強調しなければならないニュースとも言えませんが、この映画の展開を見ると、果たして女性はどのような男性にどのように愛されたいのかをはっきりと分かるように描かれているように思えて、ちょっとブログに書いてみたいと思いました。

エマワトソンは読書が好きな田舎町の娘さんです。本を通じて世界の広さを知ることに深い喜びを得ている女性です。彼女を狙う優男は、一見確かに立派な風貌に見えるのですが、残念ながら気質というか矜持というか、そういうものを持ち合わせているわけではなく、エマワトソンを自分の嫁さんにするためにいろいろな悪知恵を働かせたりします。もう一人、エマワトソンから愛されることを切実に願う城主がいます。美しいものだけを愛するという偏愛が過ぎたために呪いがかけられ、自分はみにくい野獣に変身させられ、かしづいていた召使いたちはろうそくの燭台や食器、クローゼットなどの家具に姿を変えられてしまいます。時間切れになると元の人間には戻れなくなるという、けっこうえげつないというか残酷な時間とのレースを強いられる運命です。

諸事情があって(諸事情は割愛)、エマワトソンがお城で暮らすようになり、野獣の城主が実はきちんとした躾と教養を身に着けていることを知り、二人の関係は急速に近づいていきます。お城の食器や燭台たちも真剣な面持ちで二人が結ばれるよう祈ります。なぜなら、城主と召使たちにかけられた呪いは、城主が真実に愛された時だけ解かれることになっており、時間切れは刻刻と迫っており、エマワトソンに嫌われてしまったら、もうあきらめるしかありません。彼らは懸命に彼女を楽しませ、喜ばせ、二人が愛し合う関係になれるよう努力しますが、そこに悲報が届きます。エマワトソンにとってかけがえのない存在である父親が優男に拉致られてしまったというのです。愛する父親を救うために彼女は城を出なくてはいけません。城主=野獣は、さあ、行きなさいと彼女が馬に城を離れることを赦します。

この寛容さ、この寛大さ、もしかすると帰ってこないのではないかという葛藤、それでも彼女の意思を尊重するという紳士ぶりに私は感動し、私もかくありたいとつくづくと思ったのでした。男も女もそうですが、どうしても好きな人のことは引き止めたいと思うものです。そこをぐっとこらえ、帰って来ないのなら、それが彼女の意思だとすれば、それはそれでしかたがないとふんぎりをつける男前ぶりを見ならいたいです。

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昭和史43‐円谷英二撮影『皇道日本』のプロパガンダと映像美

日中戦争の真っ最中に撮影された東宝の国策映画『皇道日本』は、古事記、日本書紀を基に日本がいかに美しい神の国かということを宣伝する目的で制作されたものです。天照大神、ニニギノミコト、神武天皇のエピソードからざっと明治天皇まで、総ての天皇ではないですが、何人かの天皇をピックアップして紹介し、その歴史の「正統さ」「美しさ」が強調されています。戦争中のことですから、八紘一宇、万世一系、大和魂、日本精神等々の言葉も用いられ、国威発揚が目的とされていることが一回見ればわかる内容になっています。制作に関係した組織のそうそうたるところも目を引きます。賛助がどどんと「内閣情報部」、後援が内務省、文部省、陸軍省、海軍省、更に鉄道省、南満州鉄道株式会社、同盟通信社に対し情報提供に対する謝辞が述べられています。続いて宮内省への謝辞。更に「謹告 本映画に関しては全編を通して処々に皇室に関する畏き御写真が映写されますから凡て脱帽の上拝しませう」という言葉が出てきます。仰々しい、どうだ、ありがたみたっぷりだろうという始まり方です。

内容は既に述べたように「美しい日本」なわけで神武天皇の苦労した話とか、後醍醐天皇が苦労した話とか、明治天皇の美談とかが語られています。この作品が台湾の女学校で上映されたことは資料で確認していますが、想像ではあるものの、朝鮮半島、関東州、満州国などでも上映会のようなものが行われた可能性は十分に高いと思います。

私は個人的にこの映画を押し広めたいとか、日本は神の国だからすばらしいのだとか、そういうことを言いたいとは思いませんが、映像は美しいです。なにせ、撮影者円谷英二さんの出世作です。神社、絵画、深山幽谷がゆっくりとかつ流れるように撮影されています。当時、フィルムは高価な貴重品ですから、限られた資源の中で計算しつくし、考え抜いて効果的な画面配置と画像の速さを決めたに違いありません。色んな神社が撮影されていますので、谷崎潤一郎の陰影礼賛をも連想してしまいます。私は国家神道がいいとは思いませんが、「神社ってありがてえ。今度、行ってみっか」くらいの心境になることはできそうな感じの作品と思います。雅楽の場面もあって、円谷英二さんですから、迫力のある雅楽の映像になっており、それがのちにゴジラやウルトラマンへと昇華されていくのかというムネアツを抱いて鑑賞することも可能と思えます。

日本帝国にとって国体=天皇は国是ですから、日本人が日本国内で日本は美しいと自画自賛することはそれでもいいと思いますが、植民地の人たちにもそのように思わせようという宣伝工作が工作が熱心に行われ、それがいわゆる皇民化なわけですが、果たしてそれが効果的なことと言えるのかどうか、個人的にはちょっと疑問に思えます。キリスト教の場合、博愛の精神、人類の罪を自らの命で贖ったイエス様の尊さという普遍的大義名分はありますが、日本神道は民族の物語なので、ユダヤ教に近い性質のものとも思え(民族の定義は長くなるのでまた別の機会に)、民族の物語を別の民族の人たち、朝鮮半島や台湾や満州の人たちに伝えたところで共感を生むのかどうか、疑問に思えてなりません。しかしながら、たとえば溥儀は天照大神に対して深い信仰心を持っていたという話も聞いたことがありますから、宣伝次第で人の心は移ろうものともいえるのかも知れません。宣伝、プロパガンダとは奥の深いものと思えます。

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昭和史40‐新興キネマ映画『亜細亜の娘』

とある情報機関の発行していた機関紙を今、順番に読んでいるところですが、回を追うごとになんとなくページ数が少なくなっており、しかも広告も入るようになり、更には独自情報もだんだん少なくなって、官僚なり学者なりにいろいろ書かせているので、予算的に厳しくなってきたのだろうと想像しているわけですが、昭和14年の段階でこれですから、これはアメリカとの戦争は、そりゃあ、無理ってもんですぜとつくづく思わざるを得ません。

で、それらの広告の中で、ちょっとおもしろい広告がありました。新興キネマという映画会社が作った『亜細亜の娘』という映画の広告が入っています。で、推奨が陸軍省と海軍省となっており、それだけでもちょっと仰々しい感じがありますが、更に賛助として陸軍省、海軍省、外務省、更には中華民国維新政府が賛助に入っています。中華民国維新政府とは上海を中心としたエリアに行政権を持っていた日本の傀儡政権なのですが、ほどなく汪兆銘の中華民国臨時政府に吸収される短命の政権です。まあ、ちょっとおもしろいというか、興味深いのは、その政権が賛助していた(要するに金を出していた)というところで、全力を挙げて作成された宣伝映画、プロパガンダ映画だということが分かる点です。

その宣伝文句は次のように書かれています。戦争は断固!勝たねばならぬ!!敗戦国は惨めである!戦塵立込める現地に未曾有の大規模なロケーションを敢行し、支那軍陣地を背景に描かれた国境を超越した人間愛と祖国愛を血潮で綴る事変哀話である。

とのこです。果たして内容がどういうものなのか、以上のような情報からなんとなく想像するしかありませんが、中国人の若い女性が敗戦国民であるがゆえにえらい苦労をしたという筋立てではなかろうかと勝手に推測します。監督が田中重雄という人で、戦後もいろいろ作品をとった人みたいなのですが、あんまり真面目な映画を作った感じの人ではなかったようです。原作が林房雄で、林房雄は当初はプロレタリアート文学から出発した人ですが、その後は保守に転向し、なんとなくあっちへふらふらこっちへふらふらな感じの印象の人なのですが、『亜細亜の娘』を書いた時期はプロレタリアートから転向した後ですので、悪い言い方をすれば権力に対する御用作家みたいになってしまっていた時期のものです。御用が全て悪いとも言い切れませんし、映画を見たら実は意外と面白かったという可能性もなくもないですが、機会があれば一度見てみたいです。京橋のフィルムアーカイブとかに頼めば見せてもらえるものでしょうかねえ…。

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台湾近現代史30‐田中絹代と鈴木傳明と宮崎直介

台湾の映画愛好家のための雑誌『映画生活』昭和7年6月17日付発行の号に宮崎直介という人物が寄稿しています。宮崎氏の原稿によると、台湾シネリーグの会員でもないし、会費も払っていないにもかかわらず、東京の自分のところに会報が送られてくるし、原稿まで書いてくれと言われ、実際的な会員扱いになって心苦しいというような趣旨のことが書き出しになっています。

結構、手慣れた文章である上に、文末では「いづれ台北に帰りますから、その時はまた改めてリーグの皆さんのお仲間に入れて頂きたいと思いますので、それを楽しみにしていゐます」とされています。どうやら、この宮崎直介氏は相当に台湾と縁が深いらしいのでちょっと検索してみたところ、台湾の鉄道を題材にしたと思しき『坑道』という短編小説を書いた人物のようです。『「台湾鉄道」作品集1』(緑陰書房 2007)所収という情報を得ましたので、関心のある方はそちらを読んでみるといいかも知れません。台湾の日本人小説家と言えば、西川満が一番知られていますが、宮崎直介という人も同じような感じの人なのかも知れません。私も機会を見つけてもう少し詳しく調べてみたいと思います。

さて、この宮崎氏は東京で暮らしながら、業界人と交際があったらしく、田中絹代と鈴木傳明(この鈴木傳明という人は映画俳優で、あちこちの映画会社をわたり歩いた人物。昭和14年にハリウッド出演話が持ち上がり、渡米するものの、紹介してくれる人が急逝してしまい、頓挫するものの昭和16年まで滞在。その後はあんまり映画の方での活躍はなく、実業家として後半生を生きた人だったようです)と思しき人物のエピソードが書かれています。田中絹代が初めてトーキー映画に出演して、周囲が大変心配したということが書かれています。田中絹代の初トーキー出演作は検索してみたところ『マダムと女房』という松竹映画らしいのですが、宮崎氏の原稿によると、田中絹代は「冷蔵庫」を「レイロウコ」と言ってしまうので、関係者が心配したというもので、活舌が悪いくらいのことでこんな風に言うのはいかながなものかと私は思うのですが、これは言わば、ちょっとした自慢話、台湾の仲間のための土産話のような感じで扱われています。俺はこんなことも知ってるんだぜ感があって、ちょっと好感は持ちにくいですが、続いて傳明に書けと何年も頼まれていた話を書くとして、旅芸人に激励のための拍手を送ったエピソードが書かれています。これは、売れない旅芸人であっても、その心情を思えば拍手くらいしてあげなくてはいけないという話で、この部分はなかなかにハートウオーミングと言えるかも知れません。

同じ号では、編集後記みたいなところで匿名の原稿なため、誰が書いたかはわからないのですが「台湾シネリーグは高級ファン層の集まる場だから、逆宣伝を受けている。そんなのに負けるな」みたいなことが書いてありました。以前、このブログで台湾シネリーグに対する逆宣伝について述べられているページを紹介し、果たしてそれがなんなのか…みたいな感じになっていましたが、どうも単なる感情論のようです。田中絹代をけなす内容といい、「逆宣伝」に頭に来ている様子といい、こつこつ読んでいるうちに、世知辛い印象が湧いてきてしまいます。

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台湾近現代史28‐トーキーか弁士か

日本統治時代の台湾の映画愛好家のサークルだった台湾シネリーグの機関紙『映画生活』の昭和7年6月17日付の記事に「入会の挨拶」という欄があり、越村という人が原稿を寄せています。同じ日付で新規入会者の名簿もあり、名前も住所も公開するという、現代ではちょっと考えられないようなのどかな欄もありましたが、台湾人と思しき名前の人が2人、あと20人くらい日本人の名前があり、公民化とかそういうのはもうちょっと先になりますが、自発的に日本名を名乗っていた台湾人もいた可能性がありますから、さらに数名、台湾人が参加していたかも知れません。いずれにせよ日本人が中心の会になっていたことは間違いがないと言えますが、台湾人が排除されていたというわけではないように思えます。汪時潮という人の原稿が掲載されたこともあります。紹介制で入れるサークルであったため、人脈の違いみたいなところもあったかも知れません。

で、越村さんの入会の挨拶では、台湾シネリーグが鑑賞会を行った『市街』というアメリカ映画と『若き日の感激』という松竹映画について論じられています。曰く、アメリカと日本の国民性の違いのようなものがよく出ているということらしいです。私はどっちの映画もみたことはないですが、『市街』はスピーディなギャング映画で、『若き日の感激』はわりと淡々とした感じの恋を描いているらしく、アメリカ映画が激情を描いているのに対し、日本映画は思慕を描いている点で国民性に違いがあるというわけです。今でも日本人はアメリカ人と比較して論じることを好むように私は思いますが、この傾向はこの時代から既に存在していたことがわかります。両者の理解し難い壁のようなものがあるとまで論じられていて、やはりこのころから時代の空気としてはアメリカを仮想的として見るというものがあったのだろうという気もしなくもありません。

ちょっと興味深いのはこの方の挨拶の最後の方で

最後にトーキー外国物の日本版に対し依然弁士の洗練された(十分に研究の怠らぬ)●●(印刷された文字がつぶれていて判読不能)が私共にすら、何れ丈け映画を楽しむ上に必要であるかを強調して筆を置きます。

と述べられていることです。この越村さんという人は、よほどトーキーが嫌いなのでしょう。『若き日の感激』も『市街』もトーキー映画であり、明らかに時代はトーキーへと移っているわけですが、弁士の講談風(想像)の口調をよく楽しんだ人であったに違いありません。現代人の感覚からすれば弁士がしゃべる映画とか面倒で見たくないと感じると思いますから、やはりどの時代に青春期を送ったかみたいなことは価値判断に大きな影響を及ぼすという証左の一つなのかも知れません。この越村さんという人はちょっと考え方が堅いのかなあと思わなくもありません。

今でも映画は別に3Dである必要もないし、VRである必要もないと思う人がいる一方で、3DやVRがめちゃおもしろいと思っている人もいますから、トーキーかサイレントかというせめぎあいと同じようなことを我々も経験しているのかも知れません。いずれ、映画はVRが当たり前という日が来るかも知れません。

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台湾近現代史23‐映画評論記事から読みとる仮想敵としてのアメリカ

台湾の映画愛好家のために発行されていた『映画生活』という雑誌に「フィルムトピックス」という欄があり、昭和7年12月29日号で木野荒男という人が映画事情についてあれこれと書いています。木野荒男というのは、おそらくは「私は気の荒い男ですよ」という意味のペンネームであり、自由にぶった切って評論させていただきますという意思表明のようなものと思いますが、さほど荒っぽいことは書いていないものの、なかなか興味深いことも書いています。

フランスの外人部隊に言及した上で「よく英国あたりの芝居でも外人部隊が出るのだがこの戦隊に日本人でジュウジュツの達人が入隊していると言う劇が二三年前にあった」と述べています。私、随分前に観た映画で日本人のスキー選手が「バンザーイ」と言ってジャンプする場面があったのですが、何の映画かもどういう映画かも全然覚えておらず、印象に残っているのは「バンザイ」が全然まともに言えていなかったことだけを覚えていて、最近はアメリカ映画に出てくる東洋人はすっかり中国人ばかりになってしまいましたが、ちょっと前までは『人類SOS』や『インディペンデンスデイ』みたいに日本人とはとても信じられない発音で東洋人が日本語を話すというのが、ほとんど伝統芸能というかある種のマンネリズムの美意識すら感じさせるくらいに「通常」だったのですが、この木野荒男さんが取り上げている柔術の達人とやらもその類であると思われ、些細なことではあるものの、戦前から日本人が調味料として欧米の演劇や娯楽に用いられていたことが分かります。

木野氏は続けて「シルビア・シドニーが『マダム・バターフライ』に出ると言ふニュースは耳よりの話だがその背景にナガサキの四十人とかゲイシャガールが現れるさうだから、さぞかしハリウッドで考える日本であらう」と述べており、なかなこの辺り、アメリカの日本に対するオリエンタリズム構造に木野氏が気づいていることが分かります。もっとも、日本人も『南進台湾』とか『サヨンの鐘』とかで植民地に対するオリエンタリズム構造は持っていたわけですので、この辺りはどっちもどっちみたいなところがなくもないかも知れません。

更に木野氏は「欧州戦争のおかげでハリウッドが世界に君臨してゐたが、近年欧州映画は断然ハリウッドに対して立上った。クレエルやバプストやエイジェンシュタインがハリウッドを震撼した。特に政府の絶大な援助を有するユーエスエスアールの飛躍は注目に値する」としています。

エイジェンシュタインは『戦艦ポチョムキン』や『イワン雷帝』のような新しいソ連映画の潮流を産んだ人であり、モンタージュ理論の実践者として知られる人です。クレエルが誰かはちょっと分からないのですが、バプストはオーストリアの人で、昭和7年と言えば1932年、ナチスがドイツで政権を獲る直前の時期であり、ヒトラーは世界的な注目を集め始めていました。バプストは後にゲッベルスから賞賛されるという人生を辿ります。ユーエスエスアールとはもちろんソビエト連邦のことです。

既に満州事変が起きた後のことであり、松岡洋右が日本の孤立を恐れ、特にアメリカに如何ににして対抗するかで頭を悩ませていた(結果としては失敗したわけですが…)時期になりますから、日本の外交は少しずつ四苦八苦していくわけで、木野荒男氏の原稿から当時の空気がじわっと伝わってきます。即ち、仮想敵であるアメリカのハリウッド映画は所詮、ゲイシャガール程度のものしか作れない。一方で、日本の味方になってくれるかも知れないソビエト連邦では新しい映画の潮流が産まれ、ドイツ語圏にもバプストがいるというわけです。木野氏は欧州の映画を持ち上げていますが、明らかに欧州大陸の方であり、イギリスは「敵」認定していることが分かります。

ソビエト連邦で政府が映画に注力しているというのも、日本もそうしなければならないというある種の督促、焦りが滲んでおり、じわっと危機を感じていることが察せられます。古い雑誌を調査・研究すると、当時の人が実際何を感じていたのかに触れることができるため、なかなか有効なものだと思います。

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台湾近現代史22‐昭和7年の主要東京映画館封切記録

日本時代に台湾で結成された台湾シネリーグという映画愛好家のサークルが発行する『映画生活』の昭和7年12月29日号を読んでいて、ちょっと珍しいと思えるものを見つけることができました。「主要東京映画館封切記録」というものです。当時、どんな映画が東京で公開されていたかを知ることができるわけで、台湾研究の資料としても利用可能と思いますが、当時の日本、東京について研究する資料としても或いは利用可能、もちろん映画史研究にも利用可とも思います。台湾で生活する日本人の多くは、きっと東京の情報がほしいと思ったに違いありませんから、こういうのを読みたがったでしょうけれど、台湾人にとっても当時の東京は憧れというか、いわゆる花の都ですから、東京の情報をほしいと思った人は多かったのではないかと思います。

公開作品が羅列されているだけのページなのですが、ちょっと、どういったものが公開されていたかを見てみたいと思います。

9月15日
パ社 『ハリウッドは大騒ぎ』(「パ社」とはパラマウント社のことではないかと推測できます)
不二 『金色夜叉』(不二という映画会社があったようです。私は知らないんですが…金色夜叉とは現代人からみてかなりシブイ感じがしなくもないですね…)

9月22日
パ社『我らは楽しく地獄へ行く』
WB社『ブレナー博士』(「WB社」とはワーナーブラザースのことではないかと)

9月29日(又は30日)←原文のママです
パ社『歓呼の罪』
FOX『貞操切符』(なんつうタイトル…)
MGM『間諜マタ・ハリ』(お、出ました。名前だけは知っている。マタハリの映画ですね)
WB『マネキン英雄』
松竹『恋の東京』
東活『侠客忠臣蔵』(年末にはちょっと早いのでは…?)
河合『微笑む東京』『お江戸裏町』

10月6日
パ社『明日は晴れ』
WB『ヴェニスの夜』
UA『ロビンソン・クルーソー』
日活『1932年の母』『浪人しぐれ笠』
不二『もだん聖書』

10月13日
パ社『今晩は愛して頂戴ナ』(は、はれんちな…)
FOX『ほ々えみの街』
WB『二秒間』
独ネロ『アトランテイド』(やっぱ、ドイツ表現主義みたいな感じの映画なのでしょうか)
松竹『青春の夢いまいづこ』
日活『天晴れ、三度笠』『白夜の饗宴』

10月20日(又は22日)←原文でこうなっています
FOX『黒い駱駝』
松竹『女は寝て待て』(ん?意外と人生の真理だったりする?)
日活『無軌道市街』
河合『親分子分』『下宿屋の娘』(漱石のこころみたいな感じなんでしょうか)

などなど。

知らない作品ばかりです。字がつぶれてしまって読めないものや、ちょっと大変でここに書ききれなかったものもありますが、全体ではこの二倍以上の作品が羅列されています。時代的にはもしかしたら最先端のものでトーキーもあったかも?くらいでしょうか。チャップリンの最初のトーキーが『独裁者』で、これが1941年ですから、このころは正しく無声・弁士の映画から移り行く最中。弁士で生きていくつもりだったのが失業してしまったという人が増える一方、トーキーよりも弁士がおもしろおかしくしゃべってくれるのが映画の醍醐味じゃないか、という客層も確かにいたらしく、その辺りは当時も議論になったこともあったようです。技術革新とともにとある職業がなくなり、とある職業が増えるというのはAI時代を目前にした我々も同じかも知れません。上に挙げた作品の中で、今でも普通にみられる作品は、多分、ないかも知れません。フィルムが残っているかどうかも疑わしく、或いは一部は映画会社の倉庫に眠っているかも知れません。観たというツワモノがいらっしゃたらお知らせくださいませ。
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