サルトル‐私は何かは私が決める

サルトルは「人間は自由という刑に処されている」と述べました。なんとなく、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』と対比関係にあるのではないかという気もしてきますが、要するに自由には責任が伴うため、自由に生きることには責任相応の苦痛も引き受けなくてはいけません。それができないのであれば、フロムが言ったように自由から逃走せざるを得ず、ホッブスのレヴァイアサンか風の谷のナウシカの巨神兵に全てを預けてしまい、主体性をなくしてうことになってしまいます。

サルトルはそれを赦されることではないと考えました。人間は生まれて来た時はまだ内面が確立されてはいないけれど、やがて成長するに従い、内面が確立し、自分が実際に存在すると感じることができる、実存を獲得します。

問題はここからであり、実存を獲得した人間には当然に選択の自由が与えられており、私がいつ誰と何をどのように行おうと、それは私の勝手というものなのですが、やる以上は責任を持たなくてはいけません。法律論的にそうだという議論も可能でしょうし、道徳的な観点からそうだということも可能でしょうし、あるいは特定の選択をした自分に対して責任があるというような言い方もできるはずです。

それをもう少し敷衍して考えるとすれば、私が何者であるかは私自身で決めると言ってもいいかも知れません。慈悲深い人間である私、或いは悪徳な私、清貧な私、または欲深い私、信心深い私、または無神論者の私、そういったものは全て自分で選んで決めることができますし、選んだ以上は責任が生まれるのです。それはもう「自由という刑」が執行されている状態であり、人としての尊厳を保つためにはこれは受け入れなければならない刑だというわけです。

このような考え方はやはりニーチェの超人を源とするのではないかと思えます。超人とは何かを考えた時に、それはサルトルの示したような自由という刑を受け入れるだけの覚悟を持つ人間のことであり、それはおそらくはアドラー的人間観とも共通するはずです。人は何にでもなれるとアドラーは言いましたが、サルトルはそれを実行せよと私たちに迫ります。責任を持つ主体として何かを選び取ることは、その行為自体が社会参加であり、それをアンガージュマンと言うそうですが、それは個々人が世界に対して責任を負うという厳しい考え方であり、猛々しく颯爽としていますが、果たしてサルトル本人がどこまでそれを実践できたかについてはやや微妙な気がしないわけでもないですねえ。

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ハイデガー-私は必ず死すべき存在である

ハイデガーは20世紀で最も著名な哲学者とも呼ぶべき人物かも知れません。しかし、ナチスの勃興期に於いて支持を表明したことが、戦後に於いて彼に追放されるという不運をもたらします。

それまでとは全く違う、新しい何かが登場した時、それはとても魅力的に見え、それ以前の伝統とか習俗とかそういったものは古臭い、陳腐なものに見えてしまいがちです。たとえばニーチェが神はんだと言ったことの背景には、19世紀の燃料機関の発達というとんでもなく画期的で、かつそれが人間の手によって生み出されたという驚きがあったからです。神の手によらず、人の手によって作られた燃料機関に魅了され、ニーチェは神よりも人に可能性を感じたのだと言ってもいいかも知れません。

ハイデガーがナチスに出会った時、ニーチェが機会文明と出会ったようなときめきを覚えたのでしょうか。それはあり得ないようなことではないかも知れません。エーリッヒ・フロムは『自由からの逃走』で、ナチス勃興期に於いて特に顕著に彼らを支持したのは若者たちであったと述べています。ナチスの制服やポーズや行進がいかした感じに見え、小さな商店を開いているような父親たちの姿が古臭い、陳腐で威厳のないものに見えたことが、ナチスに対して若者が熱狂した理由なのだとしています。ですから、ハイデガーもそういった陶酔に引っかかってしまったとしても、不思議なことではなかったのかも知れません。「ナチスのような集団を支持するなんて信じられない。ばかじゃね」という態度を取るよりも、「ナチス的なものは歓喜や興奮、熱狂や陶酔とともにくる。自分にそれを見定める力があるかどうかは常に自問されなければならない」という態度を保つことの方が賢明のように思えますが、時として賢明であることは熱狂することより遥かに難しくなるはずです。熱狂と陶酔は恋愛と同じで気持ちいいですから、人はそちらへ流れやすいものではないかという気がしてしまいます。

そうとして、ハイデガーは人は自分が死ぬということをよく自覚して生きるべきと説きました。これを「死の先駆的決意性」と呼ぶらしいのですが、要するに死を覚悟して今を生きろということに尽くされるのではないかと思えます。そういったことを日々の習慣とか、或いは日常生活、いわゆる終わりなき日常にかまけて死を忘れ、己の天命を忘れることなく生きよ。というような感じでしょうか。だとすれば、それはやはりニーチェに共通する部分があるように思えます。ニーチェは超人という概念は提示しましたが、超人と言っても人は人ですので、必ず死ぬという運命から逃れることはできません。その上で、「行きて汝のなすべきことをなせ」と要求することは、ハイデガー流に言えば「死の先駆的決意性」と言い換えることができるかも知れないですし、アドラー的な過去にとらわれず今を生きろということにも通じるのではないかという気もします。

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ニーチェ‐私は闘う人である

ニーチェが生きた時代である19世紀後半は、現代よりもより強く無神論がヨーロッパに広がった時代ではないかと思います。燃料機関の発達と自然観察の進歩により、それまで神という神秘的な存在によって司られていたであろう自然現象の多くが説明されるようになり、神の不思議な力が働いているということに疑問を持つ人が増えました。極めつけはダーウィンの進化論で「人は神によって作られたのではなく、猿かそれに似た生き物から進化したのだ」という議論が展開され、信じる人と信じない人との間で喧々諤々されたようです。アフリカや東南アジアにヨーロッパ人が入ることが頻繁になったことで、ゴリラやオランウータンのような、人間とよく似ている上に知性もある生き物が見つかったことも、彼らと人間は祖先を同じくするのではないかと感じる人も多かったはずです。スペンサーが社会進化論を言い出して本気で議論されたりということも起きます。現代であれば、量子技術の発達により自然現象があまりに緻密にできていることに驚嘆したり、通常の物理的な説明が通用しないことの壁にぶち当たったりするため、かえって神のような超越的存在がいると考えた方がなんでも説明がつくのではないのかと考える人もいるみたいなので、むしろ当時の方が、無神論は深刻だったのかも知れません。念のためにつけたしますが、私が個人が特定の宗教に肩入れしているとか、或いはその逆の無神論を信じているとか、そういうわけではありません。19世紀の後半のヨーロッパの気分のようなものについて述べたいと思い、無神論や進化論について言及してみました。

さて、そのような時代に生きたニーチェは、これはもう言い切ってしまう方がいい、ぐだぐだああでもないこうでもないと言ってないで、蹴りをつけた方がいいとして、無神論の立場を選びました。有名な言葉ですが「神は死んだ」というわけです。また彼は、キリスト教は弱者の社会に対する恨みを煽っているとし、そのような復讐感情をルサンチマンと呼び、敢然とキリスト教との決別を宣言します。

ニーチェは、神に頼らず慈悲も請わない強き人、「超人」という概念を作り出し、人は超人を目指すべきという結論に辿り着きます。超人は自分で考えて判断し、障害があれば闘う決意を持つ存在です。私の個人の印象ですが、このような人間観はアドラー心理学に近いものがあるのではないかと思います。アドラーは過去の体験は関係なく、常に明日を見て、挫けず、めげず、拗ねず、くさらず、歩くべきだと説きました。ニーチェの超人と似ているように思えてなりません。ヨーロッパの思想体系はそれぞれに複雑に絡み合っていますので、アドラーがニーチェを意識していなかったと論証することの方が難しいくらいかも知れません。

ニーチェの著名な著作に『ツァラトゥストラはこう言った』がありますが、その内容については、四月ごろにブログで書いてみたいなあとなんとなく考えています。

フランス啓蒙思想-神の支配と王の支配と法の支配

ヨーロッパでは王権神授説を振りかざす絶対王政が威力を持つ時代が続きましたが、18世紀に入るあたりから、そういった絶対王政を否定し、民主主義、三権分立、カトリックの伝説や教義を絶対的に信じるわけではない実証主義が登場します。啓蒙思想と呼ばれるものです。

特に有名な人物がモンテスキューではないかと思います。『法の精神』を著し、三権分立を説いたモンテスキューは、王の気分次第でなんでもできる、王が命令した法律はなんでも通用するとする価値観を否定し、法律には条文を云々する前に自然法があって、イギリス風に言えばそれはコモンセンスに基づくものであって、もうちょっと言うと法治主義ではなく法の支配があるべきと考えたのだと言えるとも思えます。
法治主義であれば、法律に書いてあることはどんなに理不尽なことでもまかり通るため、ソクラテスのように「悪法も法なり」ということになるのですが、法の支配であれば、たとえ法律に書いてあったとしてもそれが明らかに理不尽な内容であった場合には条文よりもその精神に基づいて判断されなくてはいけないということになります。今日まで続く普遍性を持った思想と言えるのではないかと思えます。

ヴォルテールの場合、神と教会を問題にしました。私個人はカトリックを批判したりする目的でこのブログを書いているわけではないのですが、少なくともヴォルテールはカトリックを批判しました。福音書イエスキリストの人生を読めば、感動するところはたくさんあり、人を愛するとはどういうことかということについて、考えさせられたり、啓発されたりする部分があることは事実ですが、処女の女性が子どもを産んだり、人間が水の上を歩いたり、死んだ後に三日してから生き返ったりするというのは合理性という面では納得できるとは言いかねます。カトリックではそれを奇跡と呼び、奇跡が神性の証なので納得しないほうがいけないということになるわけですが、問題はそのドグマ自体よりも、カトリックに異端指定されると袋叩きにされる、追放される、殺されるという個別の人間に具体的な危険が迫ることにあったとも言え、宗教戦争で人が殺されまくるという歴史もヨーロッパは経験していますから、ヴォルテールは宗教的寛容が必要であると考えました。また、自然秩序そのものが神であるとする理神論の立場を採るに至りますが、これは遠藤周作さんの『深い河』にも共通する形而上の立場とも言え、多分に仏教の法とも通じ合うのものがあるのではないかと思えます。

啓蒙思想の思想家たちは百科全書派とも重なりますが、具体的で観察可能な知識を積み重ね、タランベールのようにそれらの知識を利用して実証的な議論をするという発想がその根本にあったと言えると思います。百科全書派の中にはディドロという人物もいて、彼も具体的かつ観察可能な事実から諸事について検証・思索することを重視したため、唯物論へとつながっていきます。神が実在するかどうかはの中の問題であって、物理的には観察不可能ですから、観察可能な事象を積み重ねようとすれば唯物論へとつながっていくことは理解できないわけでもありません。

最近は量子研究が盛んになり、どんなにミクロな世界、さらにはナノの世界、もうちょっと言えばパラレルな世界へと入り込んで行ったとしても整然とした秩序があり、そこに神という設計者がいたのではないかと思いたくなる面もありますし、人間の心が観察対象に影響を与えうるとする世界があると言われるようになって、即ち、心と物理はつながっているということになってきているため、唯物論を完全に受け入れるべきかどうか、個人的には判断に迷うところではありますし、唯物論は飽くまでもカトリックとの対立軸として理解されるべきものではないかとも思いますので、カトリックに関する議論を忘れて唯物論だけを取り出して、絶対的な真理として議論することも難しいのではないかなあ、馴染まないのではないかなあとも思えます。難しいことなので断言することはできないところではありますが。

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ルソーと格差社会とピケティ

フランス革命のわずか前の時代まで生きたルソーはなかなかに壮絶な人生を送った人です。幼少期に孤児になり、少年期には労働に従事させられます。現代の人権感覚から言えば児童労働はゆるされない重大な人権に対する挑戦ですので、その点からも同情すべき点の多い人生を送った人と言えます。多少の時期的なずれはありますが、ヴィクトルユーゴ―の『レ・ミゼラブル』を連想させられます。

16歳で労働現場を脱走し、上級社会の夫人に拾われ、学問や音楽の教育を受けることができるようになります。松本清張の『砂の器』を想起させるドラスティックな人生の変化です。しかし、40代を過ぎるまでは社会的に認められることはなく、不遇な時期が長かったとも言えるかも知れません。

彼はそのような人生を送ったからか、人間社会にはびこる不平等を強く批判し、それを『人間不平等起源論』と書物にまとめ、文明が発達する前の自然な状態に帰れば、搾取も階級もない自己保存と惻隠の情だけの人間社会が営まれるようになるため、人々はそこを目指すべきだ、自然に帰れと言う議論を展開します。当時のフランスがまだまだキリスト教の影響の強い時代であったことを考えれば、アダムとイブが知恵の実を食べてエデンの東に追放される前の状態へ帰るというようなイメージがあったのかも知れません。ホッブスが自然状態が「万人の万人に対する闘争」とした点に於いて、自然状態に対する考え方が決定的に違いますが、これは両者の王制に対する考え方の違いなのかも知れません。ロックはより人間に対する信頼が厚かったため、ルソーに近いと言えますが、ロックが人間は理性を働かせることができるから秩序を維持できるのだと考えたのに対し、ルソーは素朴な感情面に於いて人には愛情関係を結ぶ力があるから秩序を維持できるのだとした点では違いがあると言えます。また、ロックが権力の集中を防止するために三権分立を考えていたのに対し、ルソーは人民への権力の集中を考えていましたから、その点での違いもあると言えます。人民への権力の集中というような言い方をすると、社会主義革命を連想してしまいますが、ルソー自身は一定程度の個人財産の所有は容認していますので、共産主義とは若干の違いがあります。あ、ということは、やっぱり社会主義、あるいは社会民主主義といった感じでしょうか。サンダースさんみたいな感じのことを考えていたのかも知れません。

彼の考えによれば、富める者はますます富み、搾取される側は永遠に搾取されるということですので、ピケティが証明したことを既に200年以上も前にルソーが論証していたと考えてもいいのかも知れません。

ピケティは格差社会の解消のためには富裕層に対する資産税を世界で同時に実施するしかない(要するにそれは実現不可能である)としていますが、ルソーの場合は格差のない社会にするためには全ての人々が直接民主制という形で意思決定に参加することによって格差の適正化を目指すべきだと考えました。彼はそのような手法によって確立された意思を一般意思と呼び、ひとたび決められた一般意思に対して人々は必ず従わなければならない、そのように契約するべきだとして社会契約説を唱えるに至ります。

40代で社会的成功に手が届いたルソーですが、当時のフランスのアンシャンレジームを否定する思想であったために危険思想の持ち主として犯罪者扱いをされ、指名手配されるはめになり、放浪生活に入り、不遇のうちに人生を閉じます。なんと気の毒な人物なのかと同情を禁じ得ません。ルソーは社会主義の源流であると同時にブルジョア革命の源流にもなったとも言えますので、大変に重要な人物として位置付けられていますが、メルヴィルの『白鯨』が彼の死後評価されたり、ゴッホの作品がやはり死後に評価されたりということはありますので、真実の天才は或いは死後に評価されるものなのかも知れません。人間の精神が死後も存在するかどうかは古代ギリシャ時代から議論のあるところではありますが、もし唯物論的に死後のなんかないということであれば、自分が評価されたことが全く分からないわけですから、本当に浮かばれません。とはいえ唯物論であれば死後に浮かばれるも浮かばれないもないわけではありますが。エピクロスが「死んだら何にも分からなくなるから死ぬのは怖いと思わなくていい」というのが真実なのかも知れません。個人的には死後の世界はあると思いたいところですが、こればっかりは死んでみないと分かりません。ちょっと脱線し過ぎですのでこの辺で。

ロック‐人間に巨神兵は不要である

ホッブスは人間は自分を保存するために他者を滅ぼす自然な権利があると考えたため、結果としてレヴァイアサンを想定し、レヴァイアサンは『風の谷のナウシカ』の巨神兵と同じような超絶的に圧倒的な存在で、そのような強力な存在による支配によって人々が支配されてこそ治安や平和が維持されると考えたわけです。

しかし、ロックは人間をそのような「万人の万人に対する闘争」をするような愚かな存在であるとは考えませんでした。人間は理性的な存在であるため、そもそもが共存共栄ができる、自力で平和な状態を達成できる、それだけの叡智の存在だと考えたわけです。

しかしながら、やはり明確なルールというものは確立されなくてはいけません。しかしそのルールの確立には巨神兵みたいなものを必要とするわけではありません。市民が一定の手続きに基づいて意思決定をする、即ち民主主義的手法によってルールは確立できるとしたのです。また、飽くまでも市民の同意を得た上で、レヴァイアサンではなく国家が治安維持なりルールの確立なり、或いは確立されたルールの執行なりを委託されて同業務を行うのがあるべき姿と考え、国家と市民とは契約関係にあるとして社会契約論を唱えました。

民主主義と社会契約論がようやくここに登場してくるわけです。

ただし、国家が常に誠実に市民との約束に基づいて行政を執行するとは限りません。仮にそのような理想的ではない行政の執行が行われた場合、市民は例えば革命という手段によって国家を打倒することができるとし、それを抵抗権を呼びました。アメリカの独立戦争につながる思想の登場とも言えます。

いずれにせよ、市民が契約を結ぶ対象である国家が誠実な行政を執行することについては、革命とかに至る前にある程度は調整可能は機能が必要であり、それをロックは議会制民主主義に求め、更には三権分立も提唱します。ここでの三権分立には司法権は入っておらず、立法権、行政権、連合権(外交権)の3つがその分立に当たります。現代では外交権が独立していると立法との齟齬が生じる恐れが大きいですから、外交権は内閣にある(日本の場合であれば、立法府から選ばれた人物が行政府の長になるわけですから、ある程度、統合された意思決定と外交が可能になる)と考えるのが通常ではないかと思えます。

また、ロックは宗教的寛容も唱えます。長く宗教戦争が続いたヨーロッパで、宗派が違うという理由で殺し合っていたのでは平和と秩序は永遠に訪れることはないと彼は考えたのだと思いますが、その状態を打破するためには、他者の宗教に対しては寛容でなくてはならないと考えたわけです。また、政治が特定の宗派に肩入れしたり、逆に特定の宗派を排斥することがあると、結果としては宗教的寛容が失われてしまいますので、宗教分離も同様に必要であるともしました。

しかしながら、ロックや無神論とカトリックに対しては不寛容な立場を採ります。当時の社会的価値観から言って無神論を唱えたら袋叩きに会いますから、それはそれでやむを得ないようにも思えますが、ヨーロッパ諸国の君主の上に君臨して国家を超越した存在であるローマ教皇の存在は宗教分離に違反するとしたものの、ヨーロッパの宗教戦争はカトリックvs非カトリック(プロテスタント)によって続いたわけですから、カトリックに対して不寛容であるとすれば、宗教的寛容という発想そのものが骨抜きになるのではないかとも思えます。ただ、当時は英国国王とローマ法王が激しく対立する時代でしたので、結局はロックもその対立構造からは自由ではいられなかったということなのかも知れません。

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グロティウス‐法の支配、人の支配、神なき世界

ヨーロッパの中世の思想は神の存在証明にその力が入れられ、また近代の入り口においては人とは何かに関して考えることに力が入れられたものの、神の存在が絶対的な前提でなければ語ることができず、例えばデカルトのように人と神と対比して人のことを考察しつつも神の存在も同時に証明するという議論の手法がとられました。

その点、神の存在を前提としない議論を展開したオランダ人のグロティウスはメルクマールとして記憶されるべき人物ではないかと思えます。グロティウスは『戦争と平和の法』という著書の中で、神が存在するかは問題ではなく、たとえ神が存在しなかったとしても、人は相互に信義を重視し、人道を重視し、関係性を構築していかなければならないと考えました。神が存在するかどうかはともかく、或いはいかなる神を信じるかどうかもともかく、または神に対する信仰のあり方が宗派によって違ったりすることはともかくとして、人はまず第一に自然法の問題として人を殺してはいけないなどの議論の余地のないほどに明確な人道は、たとえ法律に書かれていないとしても、重視されなくてはいけないと考えたわけです。

これこそまさしく、いわゆる法の支配の基本的な考え方と言うことができ、法の支配とは即ち神ではなく人による支配であり、その後の近代ヨーロッパにおける思想哲学の基礎へと発展していく第一歩になります。神を信仰したい人は信仰すればいいし、信仰したくない人は信仰しなければいいけれど、信仰に対する考え方が違うということで相争う必要はなく、それとは別に人間的なルールを確立しましょうということですから、現代の我々の価値観とも矛盾しないものであると思えます。ヨーロッパにおける長い宗教戦争に於ける殺し合いの歴史に飽き飽きしてしまった、いい加減そいうことは止めにしたいという、当時の社会的な雰囲気もあったのかも知れません。

グロティウスは近代自然法の父とも呼ばれます。信仰に対する考え方を超えた国際法の枠組み作りを提唱しており、国際法の始まりと言われる後のウエストファリア条約に通じるもの言えると思います。

ロック‐人間はディープラーニングする存在だ

デカルトは「我思うゆえに我あり」として、自分の主観だけは絶対的にその存在を疑うことができないと考え、それは人間は生まれながらにして主観を持っていると考えましたが、イギリス人のロックはその主観さえも絶対的かつ生得的なものとは言えないとの考えに至りました。

ロックによると、人間は生まれた時に全く白紙の状態であり、その状態を「タブラ・ラサ」と呼びました。多分、ラテン語ではないかと思います。タブラ・ラサと言ったらなんか重々しいものみたいに思えてきますが、要するに白紙状態ということのようです。フランス語でエクリチュールと言ったらなんか凄い難しい概念みたいに思えてきますが、英語で言ったらただのライティングというのと同じ感じかも知れません。

さて、それはともかく、完全に白紙の状態ということは、心も存在しないということではないかと思えます。私はど素人ですが、脳科学によると人は生まれて来た後に他者や環境の存在を認識することで自己を認識するように神経細胞が発達していくのだそうです。これが本当だとすれば脳科学的な見解(多分、脳科学者の世界の一派の人たちの考え)と、ロックのタブラ・ラサ的人間観には共通するものであると考えることができるかも知れません。

更に言うと、ロックはイギリス経験論的な立場から人間は様々な経験を繰り返し経ることにより、まずは単純な実感、甘いとか寒いとか熱いとか冷たいとかの実感を経て、複合的な考え、これぐらい寒いと暖房だなとか、これぐらい甘いと糖尿病になるかも知れないななどの推論を導き出すことができるようになると考えましたが、私はロックの人間観は今はやりのAIのディープラーニングと全く同じことなのではないかという気がします。

AIもまた、様々なデータをディープラーニングし、それら膨大なデータを基にシミュレーションをし、こうすれがゲームに勝てるとか、経済はこれから良くなるとか悪くなるとか、株は上がるとか下がるとかなどの未来に対する推論を立てることができるようになるとされています。

以上のような人とAIの共通点に気づくと、やがてAIは人間そっくりに、感情や自我を持つようにもなっていくのかも知れません。

しかしながら、人には心があり、心には、たとえばチョコレートという言葉を聴いたらぱっとキットカットみたいなものを思い浮かべるとか、北海道と聴いたら北の国からの場面を思い出すとかという作用があります。果たしてAIにそういう作用をさせることができるかどうかが乗り越えなければならない壁であるというようなことを、私はえらい先生の音声で聴いたことがあります。その辺りは科学技術の進歩と発展を見守るしかないかも知れません。

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デカルト‐神と私、精神と肉体、感情と理性の二元論

デカルトは「方法的懐疑」という手法を通じて真理に迫ろうと考えました。即ち、いかなるものに対して疑いの目を向けてみる、例えば「東京湾は東京都に隣接している」という命題があった際、本当に東京湾と東京都は隣接しているのか、地図を見れば隣接しているように見えるが、地図が間違っているかも知れないし、自分の目が間違っているかも知れない、経験的に正しいと思っていることも、五感の経験が錯覚や夢のようなものではないという保証はないと考えたわけです。そして、それを突き詰めた結果、それについて考えている自分の主観が存在するということだけは疑いようのない事実であるとの結論に達し、有名な「我思う、故に我あり」に辿り着きます。

認識していることがどれだけ正しいのかわからない不完全な私が存在することを前提に、不完全が存在する以上、論理的に考えて完全が存在する余地は残されており、その思索の結果として完全な神は存在すると結論します。パスカルは人間が理性で考えて神が存在すると結論すること事態が傲慢不遜であると批判したと言いますが、神の存在証明を論理的帰結に求めるか、神秘的経験に求めるか、聖書的奇跡に求めるかは当時のヨーロッパ人にとっては重要な問題だったのかも知れません。現代人であれば、神は主観の問題であるということで結論に代えることも可能ではないかとも思えます。私は個人的に、それを神と呼ぶかどうかは別として、いわゆるサムシングレートみたいな存在はあるのではないかなあと思ってはいますが、これも主観に過ぎません。

さて、デカルトの立場であれば、神を経験的に感知することはできませんから、理性を用いて演繹的にその存在を証明しかないということになり、いわゆる大陸的合理主義としてイギリス経験論との対比関係と位置付けられています。

この演繹的思考法を用いれば、神であろうと宇宙人であろうと地底人であろうと演繹的のその存在、不存在を論証することが可能になります。詭弁に陥りやすいため、注意は必要ですが、詭弁はいつの時代にも存在すると考えれば、デカルトに限らず、いかなる学問にも共通して注意しなければならないとも言えそうにも思います。

デカルトはこの演繹的思考により、精神は肉体とは別個の存在であるとの立場に立ち(主観を持ち考えている私は肉体の存在不存在とは直接関係しない)、精神と肉体の二元論に至ります。考えに考え抜いたわりには普通の結論のように思えなくもありません。真理は常識の中に存在しているのかも知れません。

心の動きに於いても理性と感情の二元論で説明することが可能であり、デカルトは理性によって感情を抑制することをその道徳律としました。フロイトが人間の心を意識と無意識に分けたのは、デカルトの理性と感情の二元論に対するカウンターパートであると考えていたのかも知れません。理性と感情がはっきりしていれば、理性によって感情を支配することは論理的に可能ですが、人は必ずへんな癖があったり、わかっちゃいるけどやめられないことがあったり、うまく説明できないけどどうしてもやりたいことがあったりする、非論理的な側面を持っており、しばしば理性によってコントロールすることに限界が生じます。そのため、デカルトの思考法だけでは日常生活に応用することに限界があるため、フロイトとしては意識と無意識という分け方を用いることによって、人間の心をより実際に近い形で説明できると考えたのではないかとも私には思えます。

よくポストモダンで脱二項対立という言い方がされましたが、まずはデカルトの二元論を知らないと、ポストモダンの意味するところもはっきりせず、理解に苦しむことになると思います。尤も、二元論だの二項対立だの脱二項対立だのというのはヨーロッパ人の教養から生まれて来た発想法であるため、日本人がそのことで悩む必要はないかも知れません。日本の場合、例えば能の世界観であったり、或いは盂蘭盆の習慣であったりというように、そもそも死者と生者の境界が曖昧で、その曖昧さを楽しむという独特のスタイルがありますので、それはそれで大切にすればいいのではないかとも思えます。

フランシスベーコン‐良くも悪くも現実主義

イギリス経験論哲学の祖とも言えるフランシスコベーコンですが、その発想法の原点は徹底したリアリズムにあったようです。そのため、古代ギリシャ哲学が「宇宙の真理」を探求したことに対しては軽蔑的な態度で臨んでいたとも言われます。観察することによって知識や真理に到達するという点では古代ギリシャ哲学とも共通する部分はあるように思えますが、ベーコンは「役に立つ知識」を重要し、役に立たない知識には関心を持たなかった、或いは「そんな知識を得るための努力は無駄としか思えない、思索にふけって神とか世界とか善とかについて考えるやつってばかじゃね?」くらいに思っていたらしいのです。ベーコンはイギリス近代思想の礎になったとも言えますが、フランス近代思想の礎となったモンテーニュとはその点によって違うがあると言ってもいいかも知れません。

どうも、そのような発想法を持つに至った背景には若いころに苦労し過ぎたということがあったのではないかとも思えます。父親の遺産を受け継ぐことができず、青年期は借金に苦しんだといいます。その後は法曹の世界で活躍し、政治の舞台にも登場して栄達していくわけですが、出世のためには手段を選ばないところがあったらしく、結構、えぐいこともやっていたらしいです。晩年期に入ってから、収賄の罪に問われて失脚し、著述や研究に没頭する日々に入ります。ある時、雪で冷やせば肉の保存期間が長くなるのではないかと考え、その実験をしているときに肺炎になってしまい亡くなってしまいました。想像ですが、ベーコンとしては「もう一花咲かせてやりたい」という思いが強く、「冷蔵技術を確立すれば儲かる」という動機で上のような実験をしたのではないかと思えます。

そのように書くと、人間的に問題のある人で、なんだかなぁ…という結論になってしまいかねませんが、彼の残した4つのイドラという概念は大変に説得的でかつ教訓的でもあると思えます。一つが「種族のイドラ」、次が「洞窟のイドラ」、続いて「市場のイドラ」、そして最後に「劇場のイドラ」があります。イドラとは偏見を意味しており、種族のイドラとは人間という種族が本質的・内在的に有する偏見で、洞窟のイドラは個人的な思い込み、井の中の蛙大海を知らず的なもので、市場のイドラとは市場で飛び交う種々雑多な情報に右往左往させられることを指し、劇場のイドラとは権威にひれ伏しそれを崇拝し、無批判に信じることを指しています。

以上の四つのイドラに自覚的になることはより良い人生を送る上で特に大切なことのように思えますが、ベーコンの場合は以上の4つのイドラを利用して出世したい、おいしい思いがしたいという側面が強く、そういう意味では本人もまた深い業によってイドラに取り込まれた人であったと言えるかも知れません。もっとも、我々人間でも多かれ少なかれイドラを抱え込んでいると言えますので、ベーコンだけが特別にどうとも言い切れず、ベーコンの人生を自分の問題として観察すると、新しい叡智を得られるかも知れません。

ベーコンが以上のようなイドラという概念を著述するに至った経緯は、いわゆるイギリス経験論というある種の研究法則を用いたことがあるわけですが、全ては実験的に経験してみないと分からない(下手な考え休むに似たり)という考え方は現代人の実践主義にも通じるものであるとも思えます。経験論的帰納法によって得られる見解のことを一般に知恵と呼ぶと私は理解していますが、そういう面に於いては、徹底した現実主義者であったベーコンから学べる点もあるように思えます。