『火垂るの墓』をもう一度みて気づく「無責任の体系」

高畑勲監督が他界されたことを機に、『火垂るの墓』についてよくよく考える日々が続き、もう二度と見たくないトラウマ映画だと思っていましたが、やっぱりもう一回見ないと何とも言えない…というのもあって、改めて見てみました。ネットで広がる清太クズ論は私の内面からは一掃され、それについては完全否定するしかないとの結論に達しました。

父も母も家もない状態で、清太は妹を守ることに全力を尽くしており、金にものを言わせようとした面はありますが、最後に頼れるのはお金と思えば清太が金を使うことは正しく、更に言えば盗みをするのも妹と生き抜くためにはやむを得ません。それこそ非常時です。空襲で家を焼かれなかった人の数倍、清太個人にとってはとても支えきれない大非常時と言えます。

西宮のおばさんが悪いのでしょうか?私は自信をもって西宮のおばさんが悪いと断言できますが、悪いのは西宮のおばさんだけではないというのがこの作品のミソではないかと思います。とはいえ、まずは西宮のおばさんを糾弾するところから始めたいと思います。確かにおばさんにとっては、清太と節子の兄妹は厄介者です。しかし、親を亡くして焼け出された兄妹に対し「疫病神」だのなんだのと言っていびり倒すのは間違っています。印象的なのは清太が決心して節子とともにこっそり西宮のおばさんの家を去ろうとした際におばさんと不意に遭遇してしまった時の様子です。おばさんは「気いつけて」「せっちゃん、さようなら」と言い、心配そうに二人の後ろ姿を見送ります。おばさんは大人なのです。出て行こうとする二人に対して「何をバカなことを考えているのか。二人で野宿でもするのか。いいから家にとどまってこれからのことをよく考えなさい」と説諭してしかるべきです。しかし、心配そうに見送るだけなのです。いびり倒した上に心配そうに見送るだけのおばさんに非があって当然です。おばさんの家には少なくとも三畳間が余っているわけですし、食料がないと言っても清太と節子の食料の配給もあったのです。二人は野宿者となり、配給すら受け取れない状態へと自滅していく様子がおばさんにはありありと見えたはずです。にもかかわらず、心配そうに見送るだけしかしない大人の責任とは問われなくてはいけません。

この作品では大人の「無責任」が随所で強調されています。たとえば清太が盗みを働いた農家の男は清太を殴り倒し、おさない妹がいることを知りながら「自分が受けた被害」だけに憤慨して警察に突き出します。西宮のおばさんは「助け合い」を清太に強調しましたが、おばさんも所属する大人の世界は我が事のみを考える世界だったわけです。警察官は清太に優しいですが、水を飲ませるだけで今後の二人を助けるきっかけを与えようとまでは考えません。警察官も無責任なのです。清太が母親の着物やお金と交換に食料をもらいに行っていた農家のおじさんも清太にお金がないと分かった瞬間に食料の提供を拒み「うちではそんなに余っていない」「お金や着物のことを言っているのではない」「おばさんに頭を下げろ」と米のおにぎりを食べながら諭しますが、はっきり言えば交換できる物のないやつに与える飯はねえというわけです。

節子が亡くなって荼毘にふすために必要な材料を買いに行ったとき、お店の人が呑気そうに「今日はええ天気やなあ」と言いますが、その表情が実に幸せそうであり、清太にとって重大事である節子の死に対する慎ましい態度というものを見せようとする気遣いすらありません。

高畑勲監督が『火垂るの墓』は反戦映画ではないと言っていましたが、今回改めて見てよく分かりました。これは戦争の悲惨さを描く作品なのではなく、丸山眞男が唱えた「無責任の体系」を描く作品だったのです。ですから、美しい日本とか、助け合いの日本とか、公共道徳に優れた日本とか言ってるけど、お前らみんな、清太と節子を見捨ててるじゃん。と監督は言いたかったのではないかと私には思えます。丸山の無責任の体系のその中心に天皇がいるという議論には私は賛成しかねます。天皇制があるから戦争中の日本人が無責任だったのだという議論そのものが無責任だと私には思えるからです。新聞が煽り、国民も多いに沸いて主体的に戦争に関与し、ある人は儲けも得て、戦争に敗けたら〇〇が悪いと言い立てて自分には責任がないと言い張ろうとする姿こそ無責任です。そしてそれは少なくとも『火垂るの墓』が制作されたその時に於いても同じなのだと高畑監督は主張したかった。だから最後に現代のきらびやかな神戸の夜景のシーンを入れたのではないかと私は思います。

余談というかついでになってしまいますが、統制経済を導入し食料を配給制にして、隣組に入っていないと配給すら受けられないとする、ちょっとでもコースから外れたら即死亡という体制翼賛的国民総動員社会を作ったのは近衛文麿です。国民総動員の名のもとに国民の自由意思を制限し、全てをお国に捧げざるを得ないように仕向けた結果、戦争も敗戦も自分には何の責任もないというロジックが生まれたとすれば、敢えて私は清太と節子が死んだのは、近衛文麿がせいだと言いたいです。

トラウマ映画の『火垂るの墓』ですが、今回は初見ではなく節子が死ぬことは最初から分かってみていましたし、いろいろな情報を得て感情面でも中和してみることができましたから、心理的ダメージは少なくて済みました。もう一回見たいかと問われれば、もう二度と見たくありません。



スキルが身につかない仕事は存在しない

よく言われていることですが、「非正規雇用でスキルが身につかない仕事に就いている人」が大手メディアでは社会問題のように語られています。私にはどうしてもそれが理解できないので、ここで反論を書いてみたいと思います。

それは、果たして雇用形態が如何にあれスキルが身につかないということがあり得るのかということです。私はアルバイトであれ、派遣であれ、必ずなにがしかのスキルが身につくと考えています。たとえばコンビニの例を考えてみましょう。最近のコンビニの店員さんはどこへ行っても親切ですから、接客のための教育が内部でかなり行われているに違いないと私は想像しています。ですので、CAとかホテルとかの仕事に就いていないとしても、コンビニで接客を学ぶことは可能です。更に、コンビニに行くとキャンペーン的なことが行われていますし、言うまでもないことですが消費者がより沢山の品物を手にするよう、関連商品を並べて置くなどの工夫がなされています。利用者である私ですら気づいているわけですから、アルバイトで働いている店員さんが気づかないはずがありません。たとえ言われた通りにやっているだけだとしても、自然と気づいてくるはずです。セブンイレブンやファミリーマートなどの大手コンビニ業者が知恵を尽くして考え抜いたマーケティング戦略の現場の最前線がアルバイトの人たちです。初めのうちは分からなくても、だんだんマーケティングに関する現場の知識が増えていきます。コンビニがどのようにして運営されているのか、仕入れ、配置など学べることが山のようにあるはずなのです。ですから、コンビニの店員さんをしている人にスキルが身につかないということは原理的にあり得ないのではないかと私には思えます。

さらに言えば、コンビニの店員さんを続けている人は社会的な信用という点で劣っていると言えるのでしょうか?もちろん一部上場企業で働いている人の方が銀行からの融資は受けやすいでしょう。しかし、コンビニの店員さんを10年続けている人がもしいるとすれば、その人はコンビニ運営の隅々まで知り抜いている人のはずですから、将来何らかの実業を始めたいという時にコンビニで店員さんをした経験が生きないはずがありません。仕事力としては当然信用があると思いますし、少なくとも「スキルが身につくとはっきり言える仕事以外はしたくない」と思ってひきこもっている人よりははるかに社会的な信用もあると考えるべきです。仮にそう考えない人がいるとすれば、それはそう考える人がコンビニの店員さんを見下しているのです。

コンビニの店員さんだけではありません。肉体労働をする人、工場で派遣労働をする人など、全ての人にそれは当てはまると思います。必ず何か学ぶことがありますし、実際に業務を経験しているということは何物にも勝る武器であると私には思えます。もちろん、今後はAIが多くの仕事を奪っていくとも言われていますから、それについてはベーシックインカムで対応すべきだと個人的には考えていますが、たとえそうであったとしてもAIに指令を出すのは人間なのです。そして今、まだAIはそこまで進化していません。今後、5年、10年先の本格的なAI時代を迎えるに当たり、AIに適切な指令を出すことができる人は、それまで何かしらの仕事をしていた人に違いありません。ここに異論のある人がいるとは私には思えません(異論があってもいいですよ♪)。

私がなぜ、このようなことをここで述べているのかというと、「非正規雇用のまま40代になってしまったロストジェネレーション」を憐れむ声がばかりが世の中に広まっており、もはや手遅れ、ごめんなさいあなたの人生はあきらめてね。的な内容のものがあまりに多いからです。

ロスジェネであろうと新卒であろうとシニアであろうと、私はあらゆる人に可能性があると信じています。もっと幅の広い、よりよい人生を得る可能性は誰にでも、充分にあるのだということを示したくて、ここで述べてみました。特にひきこもってしまった人、非正規で長くやっていて「どうせ自分は…」と思っている人に、人生は様々な可能性に満ちているということを伝えたいです。ひきこもっている人は、いきなりアルバイトはきついでしょうから、ボランティアから始めてみるのも手だと思います。半年一年続けていれば、ボランティア関係者から信頼を得られます。まじめにボランティアに長期かかわってくれる人はそう多くないので、運営サイドにとってはありがたい存在なのです。その人たちのネットワークから、やがて自分にちょうどいいアルバイトを紹介されるかもしれません。そして、ボランティア経験が評価されて簡単なアルバイトに採用され、やればやるほどスキルが身に付き、10年後、20年後にはビジネスオーナーになるというのは合理的です。不合理的でも絵に描いた餅でも空想でも妄想でもありません。

一つだけ注意しなければいけない点は人生には波があるということです。いい時と悪い時は交互にやってきます。悪い時期に入ったとき、「どうせ自分は…」と投げ出さないことです。一時撤退、戦線後退、なにがしかの潮時みたいなものはあるでしょうけれど、嫌になってしまうようなことが起きたときに退場してはいけないということだけは注意しないといけません。退場してしまえば、またゼロからのやり直しです。リングの上に上り続けること、たとえそれがどんなに小さなリングでも、どんなに安いリングでもリングの上に居続けることによって人生には次のステップが用意されていきます。私も時々嫌になって今の仕事を辞めたくなります。しかし、上に述べたような考え方を持っていますので、投げ出さずにリングにしがみつき、試合を継続しています。



「関西帝国」の復活を感じた件

桜の季節になったものですから、思い切って鎌倉、京都、奈良、更に大阪を歩きまわってみることにしました。歩くのが好きなものですから関東と関西の景勝地を一挙に見てしまおうという、わりと無駄に労力を使うことをしてみたわけです。鎌倉はともかくとして、関西をこれほどじっくりと歩いたのは10年ぶりくらいのことです。

気づいたのは関西地方はやはり値打ちのある凄い地域だということでした。かつて故中島らもさんが『西方冗土‐カンサイ帝国の栄光と衰退』で、関西地方の凋落ぶりを相当に嘆いていました。というのも、関西地方は確かに人口も多く、経済規模も大きいのですが、人の動態のようなものを見ると地縁血縁でだいたいのことが決まっていく田舎体質であり、東京への対抗意識は強いものの、東京に負けていることは分かっていて、しかしそれを認めようとせず、「関西の方がうどんがおいしい」という何の役にも立たない慰めを並べ立てて自己変革しようとしないというのがらもさんの持論であったと理解しています。

さて、今回改めて関西地方をよくよく歩いてみて、神社仏閣の見事さには目を見張るものがありました。これだけの世界遺産級の建築物が集中している地域というのは世界的にも珍しいのではないでしょうか。驚いたのは観光客の多さです。もちろん、10年前にも関西地方の観光客は多かったですが、桁が違うという印象です。着物レンタルが流行していますから、外国人の観光客が大勢、和服姿で歩いています。中国人や韓国人はもちろんですが、白人の姿も目立ちます。確かにレンタル用の着物は化学繊維でちょっと安っぽいですが、そもそも凋落する一方だった和服産業はこれでそれなりに潤っているはずです。

特に驚いたのは奈良です。以前に奈良を訪問した際には観光客はいるものの全体的にまばらであり、マニアが敢えて訪れる観光地といった印象が強いものでした。ところがどっこい、今回訪れてみると観光客がいるわいるわ、鹿にせんべいをあげるという奈良独特の体験型観光が世界の観光客に受けているらしく、国籍問わず中国人もアメリカ人もフランス人も鹿せんべいを買っています。また、個人的には奈良市街地から東のエリア、興福寺、東大寺、界隈の立派さ、見事さに感嘆せざるを得ませんでした。1000年以上も前に相当な都市整備が行われたということの斬新さのようなものを実感させられたというわけです。商店街も歩いてみましたが、10年前はゲームセンターかマニア向けの古美術の店くらいしかなかったのが、観光客向けのレストラン、ショップが立ち並び、全体に歩いている人のボリュームがぐぐっと上がっています。奈良を歩いた時、原則全員関西弁だったのが、行きかう人の話す言葉に慎重に耳を傾けてみたところ、標準語を話す人の数もなかなかなもので、かつてマニア向け地方都市だった奈良が、国際観光都市に大きく飛躍していると結論せざるを得ませんでした。

大阪は10年前とさほど印象は変わりませんでしたが、より観光客向けにカスタマイズされている感が強かったです。関西は世界の観光客を集めることで生き延びると腹をくくったと私には感じられました。考えてみれば、現代的でクールな都会的な雰囲気を大阪で味わい、ちょっと足を延ばせば世界遺産級の建築物が密集している京都があり、鹿にせんべいを食わせることができる奈良があるという意味で一回の訪日で日本のハイライトみたいなところをぐっと体験できる関西地方は観光地としては非常に恵まれた地域なのは当然のことです。以前勤めていた会社で「関西地方はもはや復興不可能なのではないか」と言っている人もいましたが。そんなことは全然ありません。世界に対する集客力という点では、関東が大都会東京+その延長線上みたいな横浜、ちょっと歴史ある鎌倉というラインナップなのに対して、大都会大阪+京都・奈良というラインナップの方が魅力的なはずです。高層ビルを見たいという人には東京よりも上海やドバイの方が魅力的に映る可能性もあり、東京ディズニーランドが無敵の集客力を誇っている時代がありましたが、今や上海にも香港にもディズニーランドがある時代で、希少性という点で相対的に凋落の兆しを見せています。一方で大阪のUSJはハリーポッターが大うけしているらしく、最近の関西は盛り上がっているらしいと聞いてはいましたが、なるほどこれは本物の波が来ていると大いに納得できました。京都・奈良の建築物の価値は半永久的に認められるでしょうから、長い目で見ると関西地方はなかなかに恵まれているわけで、その真価を発揮していると言ってもいいかも知れません。このように関西の観光産業が発展した理由としては、一つにアジア周辺地域の経済発展を無視することはできません。韓国や中国、台湾の人たちが豊かになり、ヨーロッパやアメリカの人たちよりは日本に対する知識が豊富ですから、日本へ旅行するなら関西をという発想に至りやすいのだろうと思います。もう一つの要因として関西空港の整備が進みLCCの受け入れが容易になったということもあるようです。つい最近まで関西はもうだめだと言われていましたが、ところがどっこい大復活しており、これは日本人全体にとって好ましい現象と思えます。

あと、付け足しになりますが、奈良を歩いて感じたのは、奈良が里として整備された地域であるということでした。車窓から見た印象ではあるのですが、関東地方は人の密集している地域か森林もしくは丘陵地帯なのに対し、関西地方の平地では人がまんべんなく分布して暮らしており、民家と農地がある程度均等に広がっています。自然と人間の開発が一体化した「里」が成立しているわけです。弥生時代からクールな産業であった農業を徹底して推し進めた結果の地域開発の結実と受け取ることもできますから、私はその点でも関西の底力のようなものについて考えざるを得ませんでした。

関西って凄いのね。



ハンナ・アーレントとアイヒマン

ハンナ・アーレントと言えば『全体主義の起源』という著作が大変有名です。反ユダヤ主義が如何にして台頭したかを分析し、更にそれが如何にしてナチズムと結びついたのかを大衆の心を見据えつつ分析を加えた大著です。

ナチズムによるユダヤ人迫害、ホロコーストは大変に重い問題ですから、慎みのある態度で向かい合うべき事柄です。アーレントはかくも重大な事態を招いたことの大きな要因として大衆の思考の停止を指摘しています。近代市民社会は各市民の自発的参加を前提としています。近代以前の王侯貴族が意思決定をし、大衆は搾取の対象でしかなかったのに対し、革命によって王侯貴族の支配を打破した近代市民は自らの生命財産を守ると同時に社会の秩序を維持するために政治に参加して意見を述べ、時には論争し、義務や責任の履行が求められます。

しかし「大衆」ですから数が多すぎ、政治に参加できていると自覚できるとタイプと、所詮私は小市民、何を発言しようと誰も耳を傾けてはくれないし生命の確保はできるとしても、大した財産があるわけでもないという無力感を感じるタイプに分かれていきます。無力感を感じる人たちの方が近代社会ではもしかすると多数派なのかも知れないですが、そういう人たちは思考停止に陥り、自分に代わって考えてくれる人、または分かりやすい言葉を使ってくれる指導者に導かれたいという望みを持つようになるとアーレントは指摘します。アーレントはこのようなタイプの人たちが分かりやすい言葉で方向性を指し示してくれるアドルフヒトラーに魅せられたと分析しているわけですが、この分析はエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』に近いものと言っていいかも知れません。

『全体主義の起源』という大著を著した後、世界的に注目されたアイヒマン裁判が始まります。彼女もアイヒマン裁判をよく観察し『エルサレムのアイヒマン』という著作を著します。命令に従い義務を履行しただけだと主張するアイヒマンの姿は、いわば『全体主義の起源』で指摘した、思考を停止した人の個別具体的な一例であったということになるかも知れません。

彼女はアイヒマンにはたまたまアドルフヒトラーと同時代にドイツに生まれたことにより、たまたま人道に反した義務を課せられた不運があったという趣旨のことを述べ、受け取り方によってはアイヒマンの主張には一理あるという意見になるわけですが、結論としてはそれでも悪に服従したことの罪によって死刑にならなくてはならないとしています。ただし、絶対悪であるはずのナチス幹部に一理あるかのように受け取れる言論は激しい批判を浴び、彼女は多くの友人をなくしたと言われています。

現代人の価値観から言ってナチズムを肯定することはできませんし、ファシズムに加担することはできません。しかし同時に、或いは自分がアイヒマンの立場に立った場合に抵抗できるかという自問も必要なことかも知れません。日常生活の中で見て見ぬふりをして見過ごす問題は数多く存在しているかも知れず、多くの人はそれはともかく日々の自分の責務を果たすことを優先せざるを得ないのではないかと思います。私ももちろんその一人です。ナチズムを正義だと信じて行動した人が多くの人々と、現代の価値観が正義だと信じて行動する我々に大きな相違はないかも知れません。書いてるうちに堂々巡りの袋小路に入りそうになってきたので、そろそろやめておこうと思いますが、上に述べたような自問は忘れるべきではないでしょう。人は常に過ちを犯す可能性がありますが、私は正義を遂行している思った時、それが本当に正義なのかを立ち止まって考える作業をすることで少しは過ちを少なくすることができるかも知れません。アーレントの議論はナチズムという過去の出来事を扱ったものではあるものの、現代人にも直接関係するものではないかと思えます。



レヴィ・ストロースの脱近代な『野生の思考』

最近はあまりポストモダンというような言われ方はしなくなってきましたし、構造主義という言葉も以前ほどは流行っていないと思います。とはいえ、現代人の教養みたいな感じで語り継がれ、読み継がれ、且つポストモダンの元祖というか構造主義の元祖というか、その親分みたいな超絶大御所がおなじみレヴィ・ストロースです。

彼は第二次世界大戦に従軍経験もありますから、近代の限界というものを実感として持っていた人だったと言えるかも知れません。近代は大量生産、技術革新、たゆまぬ増大、たゆまぬ成長をその大原則として持っています。大量生産と飽くなき成長は近代の持つ宿命とすら言えるかも知れません。そして現代人、または近代人は古い因習を捨ててその近代というシステムに順応し、そこを生きるということこそより価値の高いものだと信じてしまうものなのかも知れません。成長と自由経済的資本主義が近代の一方に存在するとすれば、そのもう一方に資本家を否定し再分配を重視する社会主義、共産主義が存在します。自由経済と共産主義経済のどちらがいいということではなく、どちらもそれなりに近代的な「完成」を目指して突き進むことをその宿命と信じられていたかも知れません。そしていつか完成するという前提で完成度を上げることに全力が注がれてきたとも言えるかも知れません。その過程にはファシズム、戦争、革命もあって、人間は進歩し、やがて世界は完成すると考えられていたかも知れません。

しかし、レヴィ・ストロースはそのような世界観から脱却せよというわけです。何故なら、人間は進歩しなくても、完成しなくても、生まれた時に既に完全な存在だからです。ヨーロッパの近代は確かに生産性を上げましたが、それは生産性のみに注目しているからであって、世界各地の非ヨーロッパの諸地域、諸民族もそれぞれに完全性を持っていて、儀礼や神話のようなものは前近代的で非論理的なものではなく、当然に合理性と妥当性を有しており高度に世界を認識する体系をそれぞれに持っていると彼は考えたわけですね。

もちろん、今どき、ヨーロッパ世界から発信されたものには高い価値があって、それ以外の世界から発信されたものの価値が低いと信じている人はいないでしょう。ですが、それを思想・哲学の観点から世界にばーんとぶっ放した元祖みたいな人がレヴィ・ストロースなわけですから、我々が非ヨーロッパ人であっても、だからと言って私たちの価値は棄損されないと信じることができるのも、レヴィ・ストロースの間接、直接のご利益を受けていると思っていいのではないかとも思います。日本でも戦争中に『近代の超克』が議論されたこともありましたが、実際には何を議論しているのかよく分からないというか、ヨーロッパ近代を否定するために結局は戦時中の知識人エリートはヨーロッパ近代の概念と用語しか持ち得なかったという反省点があるように思えます。その点、レヴィ・ストロースは突き抜けていたとも思えるわけです。サルトルともやり合うわけです。

もちろん、それにはヨーロッパが二度の世界大戦で疲弊したことが大きな背景にあると思います。生産性が向上した結果、人間を大量に死に追い込むこの世界はなんなのかという根本的な疑問があったに違いありません。フランスは戦勝国と言っても微妙な勝ち方で、ドゴール将軍の自由フランスが存在した一方で、ヴィシー政府はナチスと協力してイギリスと戦争していたわけですし、パリ解放の時にアイゼンハワーがいい人だったのでドゴール将軍に勝ちを譲ったという一応、戦勝国の体面はぎりぎり保ったというあたりの機微がレヴィ・ストロースをして脱近代を意識させたのかも知れません。日本ではアメリカというザ・近代に圧倒されたという実感があったでしょうから、むしろ近代信奉へと戦後は舵を切ったように思えますし、ぶっちぎりで勝ったアメリカもやっぱり俺たちの近代は正しいぜという風になっていったわけですが、フランスのそのあたりの微妙さがレヴィ・ストロースを生んだ土壌だったのかもとも思えます。


エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』とナチズム

エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』はあまりに有名すぎて私がここでどうこう言うまでもないことかも知れません。「社会心理学」という分野にカテゴライズされてはいますが、基本的にはフロイトやアドラーの近代心理学の基礎を踏まえ、それを基にドイツでナチズムが勃興した理由を考察している超有名な著作です。

内容の大半はサディズムとマゾヒズムに対する一般的な説明に終始しており、まさしく心理学の解説書みたいな感じですが、サディズムとマゾヒズムが対立項として存在するのではなく、同時に同一人物の内面に存在するとする彼の指摘は我々が普段生きる中で意識しておいた方がいいことかも知れません。

曰く、サディズムを愛好する人物は相手から奪い取ることに満足を得ようとすると同時に、権威主義的であるが故により高位の権威に対しては進んで服従的になり、自らの自由を明け渡すというわけです。ですので、ある人物は自分より権威のある人物に対しては服従的なマゾヒストであり、自分より権威の低い(と彼が見做した)人物に対してはサディストであるということになります。人はその人が社会的にどの辺りの地位に居ようと、権威主義的である限り、より高次なものに対して服従し、より低次と見做せるものに対しては支配的になるということが、連鎖的、連続的に連綿と続いていることになります。

この論理は私にはよく理解できます。誰でも多かれ少なかれ、そのような面はあるのではないでしょうか。権威は確かに時として信用につながりますが、権威主義に自分が飲み込まれてしまうと、たとえサディズム的立場に立とうと、マゾヒスト的立場に立とうと、個人の尊厳と自由を明け渡してしまいかねない危険な心理構造と言えるかも知れません。

フロムはアドルフ・ヒトラーを分析し、彼自身が大衆の先導をよく心得ていたことと同時に権威に対して服従的であったことを明らかにしています。イギリスという世界帝国に対するヒトラーの憧憬は、チェンバレンがズデーデン地方問題で譲歩した際に、軽蔑へと変化します。なぜなら如何に抗おうととても勝てないと思っていた相手に対して持っていてマゾヒスト的心理が、相手の譲歩によって崩れ去り、なんだ大したことないじゃないかと意識が変化してサディズム的態度で臨むようになっていくというわけです。

自由都市はドイツ発祥です。ですから、本来ドイツ人は自由と個人の尊厳を愛する人々であるはずですが、第一次世界大戦での敗戦とその後の超絶なインフレーションと失業により、絶望し、他人に無関心になりヒトラーというサディストが現れた時、喜んでマゾヒスト的に服従したともフロムは指摘しています。ドイツ人のような自由と哲理の伝統を持つ人々が、自ら率先してナチズムを支持し、自由を明け渡し、文字通り自由から逃走したことは、単なる過去の奇妙かつ異例なできごととして片づけることはできず、如何なる人も状況次第では自由を明け渡し、そこから逃走する危うさを持っていることがこの著作を読むことによってだんだん理解できるようになってきます。

私はもちろん、自由と民主主義を支持する立場ですから、フロムの警告にはよく耳を傾けたいと思っています。簡単に言えば追い詰められすぎると自由から逃走してしまいたくなるということになりますから、自分を追い詰めすぎない、自由から逃走する前に、自分の自由を奪おうとする者から逃走する方がより賢明であるということになるのかも知れません。





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昭和史67‐ビルマルート爆撃

とある情報機関の発行していた機関紙の昭和15年12月1日付の号では、ビルマの援蒋ルートを日本軍が爆撃したことに関する記事が掲載されていますので、ちょっと紹介してみたいと思います。当該の記事によると「イギリスをはじめアメリカやロシアは飛行機、自動車、弾丸、鉄砲を重慶に売り込んで蒋介石の後押し」をしていると述べられており、イギリス、アメリカ、ロシアの真の目的は日本と蒋介石政府の双方を弱らせて東洋の土地を奪うことだとしています。

で、メコン川の遥か上流のヒマラヤ山脈を伊豆の踊子の如く九十九折りになって重慶へと向かうトラックを足止めするために、ヒマラヤ奥地の橋を爆撃したという武勇談が述べられているわけですが、この段階でイギリス、アメリカをはっきりと「敵認定」していることが分かるほか、当該記事ではソビエト連邦も敵認定していることが感じ取れます。

爆撃した橋は「功果橋」と呼ぶらしく、その橋が果たして誰の所有なのか、イギリス領ビルマの範囲内なのか、それともチベットなのか或いはちょっと見当のつかない場所なのかは検索をかけてみてもわからなかったのですが、蒋介石政府にたどり着く前の地点を攻撃しているわけですから、既にイギリスとは戦闘行為が始まったと受け取ってもいいくらいの事態に昭和15年末頃の段階で発展していたということが分かります。

日中戦争が始まった当初、アメリカはモンロー主義で、芦田均の『第二次世界大戦外交史』ではイギリス、フランスオランダは当初日本と事を構えて東南アジアの植民地を失うことを恐れていたとも書かれてありましたから、そもそも欧米と事を構えることを日本帝国の当局者も想定していなかったのではないかと思います。早々に戦争を終わらせていれば、太平洋戦争になることはなかったかも知れません。ところが、延々といつまでも戦争が終わらず、近衛文麿はここぞとばかりにそもそもの持論である全体主義的統制経済をやり始め、軍需品が必要ですから民生品が品薄になり物資不足で資金も不足という深刻な事態に陥りつつある中で、愈々欧米諸国とも事を構える決心を堅めつつあるあたり、読んでいる現代人の私としては背筋が寒くなる思いです。

当該の情報機関は当初は台湾とその対岸の広東、南京あたりの情報収集及び戦果の宣伝みたいなことをしていたのですが、だんだん手を広げるようになり、フィリピンインドネシアインドシナと範囲が拡大して今回とうとうビルマまで手を出したという感じです。「東亜共栄圏」なる言葉が公然と使われ始め、日満支(汪兆銘政権)だけでなく、東南アジア全域を含む日本経済ブロックを作ろうとしていたわけですが、どうも当初からそのような想定をしていたわけではなく、どこかの時点で「行けるところまで行こう」という発想になったように思えます。行けるところまで行こうとすれば、必ず欧米の大国と戦争になるまで突き進むことになりますから、そういう決心をした段階で日本帝国滅亡フラグが立ったも同然とも思え、かえすがえす「馬鹿なことを…」と思はざるを得ません。広田内閣の五相会議で南進が採用され、近衛内閣の閣議で南進が改めて正式に国策として採用されたことから、官僚主義的に深く考えずに国策通りに進んだのかも知れません。一旦決まった政策について臨機応変できないあたり、今ももしかするとあまり変わらないのではないかという気もします。援蒋ルートを断ちたい陸軍と日本経済ブロックを作りたい政治家と、宮崎滔天や頭山満みたいな民間の大アジア主義がぐちゃっと混ざって肥大したという感もなくもありません。精工に練られた構想というわけではなく船頭多くして船山に登る式の場当たり的、ご都合主義的な拡大主義が見て取れます。

一重に蒋介石との戦争に勝つために遠いビルマまで爆撃に出かけ、英米と険悪になり対抗策としてドイツのアドルフヒトラーと結ぶという悪手を選び、滅亡への坂道を転げ落ちようとしている日本帝国の姿を追うのは心理的なダメージが強いですが、取り敢えず手元の資料は全部読む覚悟で読み進めています。

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台湾近現代史33‐映画と女性‐三宅やす子・ソビエト

日本統治時代の台湾で台湾映画愛好家のために結成されたサークルである台湾シネリーグが発行していた『映画生活』の昭和7年5月20日付の号で、神谷千代子さんという人が「シネマ・女性」という題で原稿を寄せています。当時の時代の気分をよく知ることができるのではないかと思いますので、ちょっと紹介してみたいと思います。著者の神谷美千代さんについて検索してみましたが、どういう人なのかは分かりませんでした。

まず冒頭で、

 シネマは近代資本主義が生んだ新しい芸術形態の一つであります。近代女性と呼ばれる言葉もまた近代資本主義と関連したモメントに於いて意義を持っています。

と述べています。映画と近代女性(自由を謳歌する新しい女性)とは、ともに近代資本主義の産物であるという点で共通しているというわけです。大正デモクラシーを経た後の時代のことですから、そういう気分というものが少なくとも日本で盛り上がり、台湾にもその余波のようなものが漂っていたことを上の文から知ることができます。

続いて三宅やす子さんという当時活躍した女性作家のことが述べられています。1932年1月に亡くなった方ですので、当時としては、追悼文的な意味もあったのかも知れません。

故三宅やす子さんなんか、そういう点で作家として近代女性の先駆‐と云ふとおかしいが‐をなした人ではないでしょうか。

とされています。三宅さんが武蔵野館に映画を見に行った時に涙を拭くためのハンカチを持って行ったというエピソードが紹介されていますが、当時は女性が映画館に行くことすら憚られていた、社会的な圧力が強かったということが偲ばれます。他にも三宅さんの著作でボクシングやラグビーを観戦する女性について書かれていることに触れており、そういう女性は「不良少女」と呼ばれて肩身の狭い思いをさせられたけれど「婦人の社会的地位の高まりにつれて」そういうことはなくなった。しかし、まだまだ封建的な考えを持つ人が多くて困る、特に台湾ではまだまだそのあたりが進んでいないということが述べられます。私、いろいろ当時の資料を読んだことがありますが、平塚雷鳥ばりの女性論が書かれている当時の刊行物を初めて発見し、大いに驚ろきました。こういう感じのものを探していたんですが、ようやくたどり着いたという感じです。

著者はここで、映画を観たりスポーツを観たりするというだけでは単なる「退廃したモダニズム」になってしまうけれど、「文化的啓蒙」という観点から映画鑑賞の文化を推進するべきと主張します。そして、理想として掲げているとがソビエト連邦の様子です。

少なく共自らの文化を創造する任務を背負ふ近代女性といふことでありたひと思ひます。そのよき例をソヴェートの女性に見出すことによって一層はつきりするでしょう。そこではスポーツもシネマも文学も大衆の手によって自らの利益のためにその輝かしき前途が祝福されて居ります。×動的文化の単なる享楽とは大いに意義が違います。

気になるのは×の部分です。おそらくは反動の反が伏字になっていると思えますが、これが果たして検閲によるものなのか、それとも自主規制なのかははっきりしません。私が過去に見たことのある資料では、検閲された部分は白抜きになっており、×印を見たのは今回の記事が始めてです。

この×印は他にも「××党一味の中に多数の婦人が参加した事実」という記述もあり、まあ、たぶん、共産党だと思いますが、当時は満州事変後であり、日本の国際的な孤立が始まった時期であり、日本国内にはソヴィエト連邦と連携することで危機に対応するべきだというグループと、共産主義を敵視するグループの両方が存在しましたから、そういった微妙な波の動きをこの記事から感じとることができなくもないように思えます。

『映画生活』では、やたらと「リーグへの逆宣伝」に言及する記事が多いのですが、英米との関係の雲行きが怪しくなりつつある中で、「映画みたいな西洋かぶれなことをやりやがって」という逆宣伝だったのかも知れません。資料を読み進めるうちに、また新しい発見があれば、その謎も解けてくるのではないかと思えます。

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岡田斗司夫と宮崎哲弥と藤井聡

大阪の朝日放送が制作している『正義のミカタ』という国際で派報道バラエティ番組があり、多分、東京以外では全国ネットで放送されていると思いますから、この番組を知っているという人も多いのではないかと思います。

東野幸治さんが司会でほぼ中央やや向かって右寄りに立っており、画面右側にはほんこんさんなどのタレントの人たちが市井の声の代弁者みたいな立場で、画面左側には様々な分野の専門家が座り、その専門家の人たちから毎回3,4人が画面中央に出てきて、それぞれの分野の関連するニュースを解説するわけですが、「専門家」にとっては公開処刑とまでは言わないまでも、話し方が下手だとほんこんさんにヤジられ、内容が甘ければ宮崎哲弥さんに鋭く指摘され、行儀が悪ければ東野幸治さんに怒られる、それがほぼ全国ネットで生放送で流されるという、かなり緊張を強いられるであろう構成になっています。

大体、宮崎哲弥さんの鋭い指摘とほんこんさんの市井を代表するヤジで番組が回っているという感のある番組なのですが、更に京都大学大学院教授というとてつもない肩書を持つ藤井聡さんが宮崎さんの隣に座り、ご意見番的な立ち位置にいて、ちょっと前までは岡田斗司夫さんが専門家よりも詳しいのではないかと思えるほどのミリオタぶりを発揮し、実に細かい説明をする上に、イギリスのEU離脱を予言し、トランプ大統領の当選まで予言するというツワモノで、本来なら脇役、またはちょい役的なスパイス的な感じで番組に来ているはずの岡田斗司夫さんの発言に興味がそそられるというおそらくは番組の制作サイドでも想定していなかったであろう、おもしろい状況が生まれていたのですが、その岡田斗司夫さんが番組に登場しなくなりました。岡田さんの定位置には元オール巨人の弟子で今は弁護士という、特殊な経歴を持つ方が座るようになっています。

当初は、まあ、岡田斗司夫さんが出ない日もあるでしょうよという程度に思っていたのですが、全く出てこなくなった、ああ、外されたのか…ということが分かってきたというか、私の分析力が甘くて、今まで外されたことにも気づかなかったわけですが、まず間違いなく外されたのだろうと現状では言えるわけです。あんなにコメントがうまい人がなぜ外されるのだろう、前の方がおもしろかった…と私は思ったのですが、藤井聡教授が岡田斗司夫さんのことを腹の底から嫌いらしいことには私は気づいており、それは岡田斗司夫さんがプレゼンターとして中央で話した回で岡田さんが藤井教授に話を振っても一切無視するという分かりやすい態度をしていたから、そう思えるのですが、そういった人間関係が作用したのではないかという気がしないでもありません。

岡田斗司夫さんは、派手な異性関係がネットで暴露され、そのことについては宮崎哲弥さんは、宮崎さん自身がそもそもサブカル的な方面にも詳しい人ですから岡田斗司夫さんに対する理解はあったように思え「まあ、それはそれ」みたいな感じの反応をしているように見えたこともあったのですが、藤井教授としては、そういった浮ついた感じが赦せないと思ったのかも知れません。或いは異性関係のことはなくても、サブカルで飯を食ってる雰囲気が最初から気に入らないとかそいうこともあったのかも知れません。想像するしかないですが。

私が岡田斗司夫さんのことを心配する必要はないのですが、痩せればかっこいいので、前みたいにもう一回ダイエットしたほうがいいのではないかと思えてなりません。

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台湾近現代史22‐昭和7年の主要東京映画館封切記録

日本時代に台湾で結成された台湾シネリーグという映画愛好家のサークルが発行する『映画生活』の昭和7年12月29日号を読んでいて、ちょっと珍しいと思えるものを見つけることができました。「主要東京映画館封切記録」というものです。当時、どんな映画が東京で公開されていたかを知ることができるわけで、台湾研究の資料としても利用可能と思いますが、当時の日本、東京について研究する資料としても或いは利用可能、もちろん映画史研究にも利用可とも思います。台湾で生活する日本人の多くは、きっと東京の情報がほしいと思ったに違いありませんから、こういうのを読みたがったでしょうけれど、台湾人にとっても当時の東京は憧れというか、いわゆる花の都ですから、東京の情報をほしいと思った人は多かったのではないかと思います。

公開作品が羅列されているだけのページなのですが、ちょっと、どういったものが公開されていたかを見てみたいと思います。

9月15日
パ社 『ハリウッドは大騒ぎ』(「パ社」とはパラマウント社のことではないかと推測できます)
不二 『金色夜叉』(不二という映画会社があったようです。私は知らないんですが…金色夜叉とは現代人からみてかなりシブイ感じがしなくもないですね…)

9月22日
パ社『我らは楽しく地獄へ行く』
WB社『ブレナー博士』(「WB社」とはワーナーブラザースのことではないかと)

9月29日(又は30日)←原文のママです
パ社『歓呼の罪』
FOX『貞操切符』(なんつうタイトル…)
MGM『間諜マタ・ハリ』(お、出ました。名前だけは知っている。マタハリの映画ですね)
WB『マネキン英雄』
松竹『恋の東京』
東活『侠客忠臣蔵』(年末にはちょっと早いのでは…?)
河合『微笑む東京』『お江戸裏町』

10月6日
パ社『明日は晴れ』
WB『ヴェニスの夜』
UA『ロビンソン・クルーソー』
日活『1932年の母』『浪人しぐれ笠』
不二『もだん聖書』

10月13日
パ社『今晩は愛して頂戴ナ』(は、はれんちな…)
FOX『ほ々えみの街』
WB『二秒間』
独ネロ『アトランテイド』(やっぱ、ドイツ表現主義みたいな感じの映画なのでしょうか)
松竹『青春の夢いまいづこ』
日活『天晴れ、三度笠』『白夜の饗宴』

10月20日(又は22日)←原文でこうなっています
FOX『黒い駱駝』
松竹『女は寝て待て』(ん?意外と人生の真理だったりする?)
日活『無軌道市街』
河合『親分子分』『下宿屋の娘』(漱石のこころみたいな感じなんでしょうか)

などなど。

知らない作品ばかりです。字がつぶれてしまって読めないものや、ちょっと大変でここに書ききれなかったものもありますが、全体ではこの二倍以上の作品が羅列されています。時代的にはもしかしたら最先端のものでトーキーもあったかも?くらいでしょうか。チャップリンの最初のトーキーが『独裁者』で、これが1941年ですから、このころは正しく無声・弁士の映画から移り行く最中。弁士で生きていくつもりだったのが失業してしまったという人が増える一方、トーキーよりも弁士がおもしろおかしくしゃべってくれるのが映画の醍醐味じゃないか、という客層も確かにいたらしく、その辺りは当時も議論になったこともあったようです。技術革新とともにとある職業がなくなり、とある職業が増えるというのはAI時代を目前にした我々も同じかも知れません。上に挙げた作品の中で、今でも普通にみられる作品は、多分、ないかも知れません。フィルムが残っているかどうかも疑わしく、或いは一部は映画会社の倉庫に眠っているかも知れません。観たというツワモノがいらっしゃたらお知らせくださいませ。
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