ジュリアンアサンジ死亡説を考える

ジュリアンアサンジの「やらせ説」は以前からあった。なぜかわからないがwikileaksはヒラリー・クリントン氏に対する狙い撃ちを続け、それは確実にトランプ氏の大統領選挙での勝利に影響したと考えられているためだ。私もwikileaksの活動がなければ、あるいはヒラリー氏が勝利していたのではないかと思う。少なくともいわゆるストリームメディアのほとんどがヒラリー押しであり、トランプを泡沫扱い、または愚か者扱いしていたことは詳細に述べるまでもないことだ。馬鹿ですけべなだけのおっさんよりも、元大統領夫人で国務長官、ホワイトハウスでの経験は長くて手腕も確かなヒラリー氏の方がいいに決まっている。その上アメリカ史上初の女性大統領が登場するのだ。女性大統領が登場することに異論のある人はいないに決まっている。ヒラリー以外誰を選ぶのか?というのがそれらのメディアの主たる論調であり、メディアがここまで持ち上げる以上、ヒラリー氏が勝利すると誰もが思ったに違いない。

しかしwikileaksの活動によりヒラリー氏には裏の顔があるということが世の中に知れ渡ってしまい、私もまともにwikileaksが公開した情報を読んだわけではないが、どうもヒラリーはなかなかの食わせ物らしい、あの顔を見ろ。日本のどこかの知事と同じで自分中心な高飛車女じゃないか。という印象どうしても植え付けられてしまったのである。

アメリカではどの州が共和党を応援し、どの州が民主党を応援するかは大体決まっている。人口の多い両海岸沿いは民主党支持者が多く、広大だが人口の少ない内陸部では共和党支持者が多い。その中に揺れ動く州と呼ばれる地域が幾つかあり、それらがどちらに着くかによって勝敗が決まる。筆者が暮らしたことのあるミシガン州は比較的民主党支持者の多い地域だが、開票のニュースを見ると共和党の色に染まっており、これを見たときに私はトランプが勝ったと思った。

いずれにせよ、あれだけ馬鹿にされたおもしろいだけのおじさんを大統領に押し上げるのにwikileaksは多いに貢献した。そしてハリウッドから徹底的に嫌われた。「やらせ」を疑うのも理解できなくはない。いや、やらせだと考える方がいろいろと辻褄が合うのではないかという気すらしてくる。

現在もアサンジ氏はロンドンのエクアドル大使館に逃げ込んだままで、一歩も外に出ない生活を続けていることになっている。共和党の議員から恩赦をしてはどうかという提案が出た言われるが、wikileaksが共和党の仕込んだやらせだということの傍証のように思えなくもない。

そのアサンジ氏が死亡しているという説は現在ネットで広まっており、熱心にアサンジの死亡の手がかりを収集し分析を加えている人が多い。全く信用できない分析もあるが、鋭いところを衝いていると思わせるものもある。

たとえばwikileaksはスタッフが大幅に入れ替えられた可能性が指摘されている。これが事実だとすれば、アサンジとwikileaksが切り離されたと見ることができる。更に今年に入ってアサンジ氏に面会に訪れた友人が面会を断られるという出来事もあった。外の世界に飢えているはずのアサンジ氏が貴重な友人の面会を断るということは考えにくい。多忙ということもないだろう。最近はアサンジ氏本人によるtwitterへの投稿もなく、エクアドル大使館の窓から支援者に顔を見せることもない。インターネットを利用した情報発信も新しいものを見つけることができない。

アサンジがdead man`s switchを発動させたと言う人もいる。暗号としか思えないツイートを残しており、危機的状況に陥った彼が仲間に解読コードを知らせたというわけだ。そこまでは理解できるが、命と引き換えの保険にあたるdead man`s switchを発動させたのならば、それに相応しいだけの暴露情報がwikileaksから出されてもいいはずなのだが、そういった話はない。Wikileaksがアサンジから切り離されているとすればそういうことにはならないかも知れないが、アサンジの弁護人たちは現在も活動中なのだ。情報暴露は不可能とは言えない。アサンジ氏の弁護人が鉄道事故で亡くなったことを陰謀論のように語るサイトもあるが、彼の弁護人は複数いる。もっとも、一人亡くなったことは警告だったと受け取ることもできるかも知れないが。

イギリスの秘密機関MI5やMI6のようなところがアサンジ氏を殺害することは不可能ではないように思える。大使館は治外法権だが、ライフラインはイギリス側が握っている。アサンジを逃がさないためにあらゆる抜け穴は抑えてあるだろうし、見取り図も持っているかも知れない。以上の諸要素を考えてみると、アサンジが今この段階で生きていないとしても、それは驚くには当たらないのかも知れない。上に共和党議員による恩赦の提案について触れたが、共和党のフィクサー的存在として知られるロジャーストーン氏はアサンジ氏と食事したと知人に伝え、後に「あれはジョークだ」と言ったという。アサンジを利用し尽くした共和党にとって最早用済みになり見捨てたと見ることもできなくはない。アサンジが死んだかも知れないという可能性を示唆する情報は溢れており、一方でアサンジが生きていることを証明するものがないのであれば、死んでいると考える人が増えるのも理解できる。だが、死んだと言い切れるだけの証拠も存在しないのも事実だ。

私が不思議に思うのは、もしMI5なりMI6なりがアサンジ氏を殺害したとして、死体はどう処理されたのかということだ。朝、エクアドル大使館の職員がアサンジ氏が亡くなっている姿を発見したとして、死体を放置しておくわけにはいかない。燃やすか搬出するか、埋めるかしなければならない。死体と一緒に暮らしたいとは思わないだろうから、放置するとは考えにくい。しかし誰にも気づかれずに荼毘に付すことは不可能だし、死体を地下に埋めるというような冒涜的な行為を何も悪いことをしていない、正当な職務を遂行しているだけの職員たちはやりたがらないだろう。搬出するしかないが、搬出されたという話はない。

また、エクアドル大使館員はイギリスに対して堂々と抗議することができる。エクアドル大使館がアサンジを受け入れた理由がイギリス対する嫌がらせが目的だったとすれば、アサンジ殺害がもし事実であれば、イギリスを堂々と批判する格好のチャンスである。敷地に入ってきて殺人を行ったのである。いかなる理由があれ、正当化できるものではない。ネット上では生きている証拠が見当たらないことを理由に死亡説を採用しているところが多いが、死体の処理という現実的な問題に触れているところを見つけることはできなかった。そしてこの話題は「死体の処理はどうするのか?」に答えられなければ、完全に答えたことにはならない。

だがもし、アサンジ氏が誘拐された場合はどうだろうか。イギリス側がそれを実行することはおそらく十分に可能なはずだ。この場合、アサンジ氏は隔離されているかも知れないし、或いはどこかで殺されたかも知れないが、エクアドル大使館で死体の処理をすることは事実上不可能であるという難題が解決することになる。とはいえ、これもやはりとてつもない外交問題だ。敷地に入り込み誘拐したのである。戦争を始める理由にすらなり得る。戦争はしないだろうが、イギリスを非難する絶好の機会になることは確かだ。しかし、そのような動きはない。エクアドル大使館は彼が生きていることを前提に活動している。

このように見ていくと、アサンジ氏は共和党の仕込み、やらせだった可能性は十分にあるが、殺された可能性はそこまで高いのではないだろうかと思えてくる。ただ、生きている証拠もないのだから、いずれ本人が出てくるまでは死亡説の噂は流れ続けることになるだろう。だが、窓から顔を見せればすむだけのことをしないというのは理解できない。人間なのだから窓の外くらい見たいはずだ。やはり死んでいるのだろうか…

BC級戦犯裁判‐岡田資中将のケース

戦後、東京裁判でA級戦犯が裁かれましたが、ほぼ同時進行、場合によっては少し遅れてBC級戦犯裁判もアジア太平洋各地で行われました。果たして戦勝国により敗戦国を裁く裁判が公平公正なものになり得るかという議論はもちろんありますが、大変に興味深いケースとして終戦時東海軍司令だった岡田資中将の裁判があります。

終戦前の半年間はアメリカ軍による絨毯爆撃、無差別爆撃が日本各地に対して行われたわけですが、民間人や民間施設に意図的な攻撃を加えることは戦争犯罪だという認識に立ち、岡田中将は撃墜されてパラシュート降下した米兵を捕虜としてではなく戦争犯罪人として裁き、死刑の宣告をして執行させたということが問題になりました。

但し、死刑の宣告を下す手続きが不公正なものであったということが問題にされました。岡田中将は1945年7月に軍律会議の略式手続きで死刑の決定をしたわけですが、死刑という重い刑に対し弁護士もつかない軍率会議をしかも略式手続きで進めてしまったということで、適正手続きを経ていないということが問題視されたわけです。

軍律会議は軍法会議とはまた違うもので、戦時下の慌ただしい中、軍司令官が行政権と司法権も掌握して軍律を定め、軍律違反者には軍司令官が判決を下すことができるという三権分立もなにもあったものではないという仕組みであり、弁護士もつきませんから、検察側はその問題を指摘し、というかその問題に絞って被告を攻撃するという方針で臨みます。

一方、ここが大変に興味深いことですが、被告と弁護人は①責任は軍司令官一人にあって、部下には一切責任がないという立場を貫き、②激しい爆撃下で略式手続きをするのが精いっぱいだった、当時としては最善を尽くしたということを主張し、③激しい爆撃下というのがどれくらい激しかったかということを立証するために、当時のアメリカ軍の爆撃が無差別爆撃で戦争犯罪に値するということを立証するという構えをとりました。

岡田中将はその裁判の時に部下に責任を押し付けることなく、自分一人が全てを引き受けるという姿勢で臨んだことから、人格的に日米関係者双方から高く評価され敬意を集めたと言われています。また、岡田中将のみが死刑判決を受け、実際の執行にかかわった部下たちが死刑判決を受けなかったことは、実質的に被告・弁護側勝利とも言える判決だったと言え、知る人ぞ知る、希少なケースであったと言えると思います。

このような実質勝利を勝ち取ることができたのは、被告・弁護側の戦略が非常にうまくヒットを当てたということがあると思います。第一に、岡田中将が自分から「全て私の責任だ」と正面から主張したことは、裁判委員(米軍の法務関係者で、事実上の判事)に対する印象を良くしたようですし、検察もその態度には好感を持ったと言われています。担当検事は判決後に減刑嘆願の文書に署名までしたそうですから、岡田中将個人に対する感情は良かったのでしょう。次に、軍律会議の略式手続きが公正だったかどうかを争点にしようとしなかったこともいい戦略だったように思います。ここは私の考えになりますが、弁護士のつかない軍律会議の略式手続きで死刑判決を下し、しかも実行するというのははっきり言ってかなり乱暴のように思えます。被告・弁護人サイドは激しい戦時下であったので、最善を尽くしたと述べつつ落ち度はあったことも認めます。その上で、戦時国際法違反になる無差別爆撃が如何に酷かったかということを証拠や証人を集めて立証し「適正手続きをとっていたとしても、極刑になっただろう」と検察や裁判委員に思わせることに成功したことです。結果としては、岡田中将の落ち度は法の適正手続きの観点から見てあまりに簡単に進め過ぎたことだけが問題で、量刑として非道なものではないという印象を与えることになりました。

それでも岡田中将に死刑判決が下りたのは、無抵抗のアメリカ兵が殺されたこと自体は事実であるため、米国世論を納得させるためだったと見ることもできますが、関係した他の被告たちが寛大な処分が下された背景には既に冷戦が始まろうとしていた時代背景も関係があったようです。終戦直後は悪の枢軸を担った日本帝国の悪い奴らに慈悲は不要という心理状態があったに違いないのですが、アメリカの立場としては新しい脅威としてソビエト連邦が浮かび上がり、その脅威が日を追って濃くなっていく中、日本の再武装を望むようになり始めており、再武装に必要な軍経験者を次々と処罰している場合ではないという変化が起きてきました。死刑判決はなるべく少なくし、死刑を宣告した後も終身刑に減刑し、将来的な釈放にも含みを残すというように方針が変化したため、BC級裁判は結審が遅いものほど寛大な判決が下るようになったようです。ここは私の想像になりますが、A級戦犯の裁判が終わり、刑が執行された後は、アメリカ世論もある程度鎮静化してさほど厳罰を望まなくなったということも大きいかも知れません。

岡田資中将の場合は減刑されることなく、刑が執行されてしまいましたが、中将本人は相当覚悟が決まっていたらしく、裁判中から日蓮宗を基礎にした仏教研究に力を入れ、自身で理論化を進めて行ったそうです。死を受け入れるために、自分なりの死生観を作り上げる必要がきっとあったのだと思います。彼の仏教理論と、スガモプリズンで教誨師をつとめた花山信勝氏の理論とは対立もあったそうですが、東京大学の教授の花山氏と対立できるだけの理論武装をしたというのはそれだけでも凄いように思います。スガモプリズンの死刑囚で間では花山氏の指導よりも岡田中将から指導を受けたいという声も少なからずあったようです。花山氏の教えが仏様にすがって極楽浄土へ行けるのだという他力本願的で慰め要素が強かったのに対し、自分がより仏陀の精神に近づけるよう精進し、刑に向き合い受け入れるという岡田中将の姿勢の方が現実に執行に直面する囚人たちの心を掴んだのかも知れません。


死刑は廃止すべきか?それとも存置すべきか?

先日、ニコニコ生放送で死刑は廃止すべきか、それとも存置すべきかの討論番組をやっていましたから、私は熱心に視聴し、自分なりの考えをまとめたいと思いました。双方の論者に存分に自分の意見を述べてもらうという趣旨としてはさすがはインターネット、テレビではなかなかできない突っ込んだ議論がなされたと思います。

死刑については廃止すべきという論者には充分な論拠があるように思える一方で、存置すべきとする論者にも充分な論拠があるように思えますから、一概に絶対どちらかが正しいと言うことは当然できない難しい問題です。私は感情的には死刑を廃止してほしいと思っていますが、それは死刑が執行されたというニュースに触れると、どうしても気持ちが暗くなってしまうというごく個人的な感情の理由に拠ります。ですがそれは私が犯罪被害者遺族ではないから言えるのであって、もし自分が被害者または遺族になった場合、逆の感情を持つことは充分にあり得ます。

とはいえ、私は今の私を軸に考えていくしかないわけですが、被害者遺族の方が番組に熱心に「なぜ死刑でなくてはならないのか」を訴えてくれたことは、私にとって考えるための重要な材料にすることができました。個別具体的な事例については、私は猟奇的な内容を好みませんからここでは述べませんが、被害者遺族の方が訴えていたことには2つの軸があるように思えました。1つは復讐の感情です。犯人の自己中心的な動機により残虐に殺された人の遺族が復讐の感情を持つことは正当だと思います。また、社会にとってもそういう人間を葬り去りたいという動機が生まれてくることはやむを得ないのかも知れません。もう1つの軸は犯罪被害者が置いて行かれているということへの憤りでした。加害者は法律で様々な権利が守られており、法の適正手続きを経て刑が執行されることになります。それまでは生活もできますし、教戒師の人と話し合いを重ねるなどして刑を受け入れる心境になるまでの時間が与えられます。しかしながら、被害者はもちろんそのように手厚く殺されたわけではないですし、被害者遺族に手を差し伸べるということに法や社会が充分に意識しているかといえば、充分ではないかも知れません。本村弘さんは戦って戦い抜いて加害者に対し自分の納得できる刑を科すということができましたが、そこまで戦って疲労困憊しなくてはいけないということにそもそも問題があると言えるかも知れません。

できるだけ人に優しい社会にしたいとは誰もが思うことです。私もそういう社会が建設されることを望んでいます。だとすれば、死刑を廃止すべきと考える人と死刑を存置すべきと考える人の間で一致できる点は、被害者遺族へのケアやサポート、救済のための手立てをできる限り厚くすることではないかと思います。特別会計で予算を組んでそのための公的な組織を作り、重大犯罪の被害者遺族の方は一生涯苦しむことになるでしょうから、生涯をかけてサポートするような仕組みやプログラムを考えていくということにはおそらく異論が出ることはあまりないと思います。運用上の問題が出れば、その時に試行錯誤して改善すべきと思いますから、まずはそういう取り組みをするべきではないかも知れません。廃止派と存置派はこの点では一致できるはずです。

被害者遺族が最も望むことは復讐でしょうけれど、次いで望むことは加害者の真摯な反省と謝罪ではないかと思います。これもプログラムしていく。年に数回、加害者に手紙を強制的にでも書かせる。最初のうちは反省していないでしょうから、表面的な言葉になるかも知れませんが、繰り返し書いていくうちにだんだんと真実な謝罪や反省の言葉が生まれてくるようになるのではないかという気がします。日記を毎日書く人の文章がうまくなるのと同じような感じです。本村弘さんが戦った事件では加害者が死刑から逃れたくて謝罪の手紙を書き始めましたが、報道で見る限り、次第に内容に心や誠意が入り込んでいったように思いますし、それらの反省と謝罪の言葉を読んで、どうしても死刑にしなくてはならないとも言い切れない…と思った人は少なくないと思います。担当弁護士がこの事案を利用して自分の政治的主張を被告人述べさせようとしてそれまでの謝罪と反省の言葉を覆させてしまい、この事例では死刑判決が出されましたが、本村さんがその直後の記者会見で、もし謝罪と反省を覆すようなことをしなければ死刑は回避できたのではないかと話していたことを私は今も時々思い出します。そのような発言があったということは、被害者遺族である本村さんとしても、真摯な謝罪と反省の言葉を読み、心を動かされるところがあったということだと思いますし、多くの犯罪被害者の人たちにもそれはある程度、共通することなのではないかと推察します。

死刑についてはその存廃をすぐに結論することは難しいですが、被害者遺族の方たちに社会が手を差し伸べるということをでき得る限り手厚くしていくということと、加害者に謝罪と反省を徹底的に促す(教戒師のような立場の人がお給料をもらって、根気よく諭し、指導もする)ということを充分に行った上で、それでも遺族の方たちが加害者に対して死刑の執行を望むかどうかを問うてみるというプロセスがあってもいいような気がします。

法理論ということで言えば、私は法理論はド素人ですから、大したことは言えませんが、長期、場合によっては生涯、自由を奪うだけの刑(刑務所や拘置所に隔離する)を支持する立場と、死刑が存在することで社会が殺人を容認しないことを担保すると考える立場に分かれるようです。理論は大切ですが、死刑の執行は最終的には法務大臣の署名がなくてはいけませんから、政治判断に委ねられているとも言え、政治は人の心そのものです。人々が望まない政治は如何に理論的に整合性が取れていようとも、政治として成立しません。社会に参加する人の心が納得する形のものを目指す他はありません。

以上は私なりにより多くの人が納得できるあり方はないかということを考えてみた結果です。

『火垂るの墓』をもう一度みて気づく「無責任の体系」

高畑勲監督が他界されたことを機に、『火垂るの墓』についてよくよく考える日々が続き、もう二度と見たくないトラウマ映画だと思っていましたが、やっぱりもう一回見ないと何とも言えない…というのもあって、改めて見てみました。ネットで広がる清太クズ論は私の内面からは一掃され、それについては完全否定するしかないとの結論に達しました。

父も母も家もない状態で、清太は妹を守ることに全力を尽くしており、金にものを言わせようとした面はありますが、最後に頼れるのはお金と思えば清太が金を使うことは正しく、更に言えば盗みをするのも妹と生き抜くためにはやむを得ません。それこそ非常時です。空襲で家を焼かれなかった人の数倍、清太個人にとってはとても支えきれない大非常時と言えます。

西宮のおばさんが悪いのでしょうか?私は自信をもって西宮のおばさんが悪いと断言できますが、悪いのは西宮のおばさんだけではないというのがこの作品のミソではないかと思います。とはいえ、まずは西宮のおばさんを糾弾するところから始めたいと思います。確かにおばさんにとっては、清太と節子の兄妹は厄介者です。しかし、親を亡くして焼け出された兄妹に対し「疫病神」だのなんだのと言っていびり倒すのは間違っています。印象的なのは清太が決心して節子とともにこっそり西宮のおばさんの家を去ろうとした際におばさんと不意に遭遇してしまった時の様子です。おばさんは「気いつけて」「せっちゃん、さようなら」と言い、心配そうに二人の後ろ姿を見送ります。おばさんは大人なのです。出て行こうとする二人に対して「何をバカなことを考えているのか。二人で野宿でもするのか。いいから家にとどまってこれからのことをよく考えなさい」と説諭してしかるべきです。しかし、心配そうに見送るだけなのです。いびり倒した上に心配そうに見送るだけのおばさんに非があって当然です。おばさんの家には少なくとも三畳間が余っているわけですし、食料がないと言っても清太と節子の食料の配給もあったのです。二人は野宿者となり、配給すら受け取れない状態へと自滅していく様子がおばさんにはありありと見えたはずです。にもかかわらず、心配そうに見送るだけしかしない大人の責任とは問われなくてはいけません。

この作品では大人の「無責任」が随所で強調されています。たとえば清太が盗みを働いた農家の男は清太を殴り倒し、おさない妹がいることを知りながら「自分が受けた被害」だけに憤慨して警察に突き出します。西宮のおばさんは「助け合い」を清太に強調しましたが、おばさんも所属する大人の世界は我が事のみを考える世界だったわけです。警察官は清太に優しいですが、水を飲ませるだけで今後の二人を助けるきっかけを与えようとまでは考えません。警察官も無責任なのです。清太が母親の着物やお金と交換に食料をもらいに行っていた農家のおじさんも清太にお金がないと分かった瞬間に食料の提供を拒み「うちではそんなに余っていない」「お金や着物のことを言っているのではない」「おばさんに頭を下げろ」と米のおにぎりを食べながら諭しますが、はっきり言えば交換できる物のないやつに与える飯はねえというわけです。

節子が亡くなって荼毘にふすために必要な材料を買いに行ったとき、お店の人が呑気そうに「今日はええ天気やなあ」と言いますが、その表情が実に幸せそうであり、清太にとって重大事である節子の死に対する慎ましい態度というものを見せようとする気遣いすらありません。

高畑勲監督が『火垂るの墓』は反戦映画ではないと言っていましたが、今回改めて見てよく分かりました。これは戦争の悲惨さを描く作品なのではなく、丸山眞男が唱えた「無責任の体系」を描く作品だったのです。ですから、美しい日本とか、助け合いの日本とか、公共道徳に優れた日本とか言ってるけど、お前らみんな、清太と節子を見捨ててるじゃん。と監督は言いたかったのではないかと私には思えます。丸山の無責任の体系のその中心に天皇がいるという議論には私は賛成しかねます。天皇制があるから戦争中の日本人が無責任だったのだという議論そのものが無責任だと私には思えるからです。新聞が煽り、国民も多いに沸いて主体的に戦争に関与し、ある人は儲けも得て、戦争に敗けたら〇〇が悪いと言い立てて自分には責任がないと言い張ろうとする姿こそ無責任です。そしてそれは少なくとも『火垂るの墓』が制作されたその時に於いても同じなのだと高畑監督は主張したかった。だから最後に現代のきらびやかな神戸の夜景のシーンを入れたのではないかと私は思います。

余談というかついでになってしまいますが、統制経済を導入し食料を配給制にして、隣組に入っていないと配給すら受けられないとする、ちょっとでもコースから外れたら即死亡という体制翼賛的国民総動員社会を作ったのは近衛文麿です。国民総動員の名のもとに国民の自由意思を制限し、全てをお国に捧げざるを得ないように仕向けた結果、戦争も敗戦も自分には何の責任もないというロジックが生まれたとすれば、敢えて私は清太と節子が死んだのは、近衛文麿がせいだと言いたいです。

トラウマ映画の『火垂るの墓』ですが、今回は初見ではなく節子が死ぬことは最初から分かってみていましたし、いろいろな情報を得て感情面でも中和してみることができましたから、心理的ダメージは少なくて済みました。もう一回見たいかと問われれば、もう二度と見たくありません。


スキルが身につかない仕事は存在しない

よく言われていることですが、「非正規雇用でスキルが身につかない仕事に就いている人」が大手メディアでは社会問題のように語られています。私にはどうしてもそれが理解できないので、ここで反論を書いてみたいと思います。

それは、果たして雇用形態が如何にあれスキルが身につかないということがあり得るのかということです。私はアルバイトであれ、派遣であれ、必ずなにがしかのスキルが身につくと考えています。たとえばコンビニの例を考えてみましょう。最近のコンビニの店員さんはどこへ行っても親切ですから、接客のための教育が内部でかなり行われているに違いないと私は想像しています。ですので、CAとかホテルとかの仕事に就いていないとしても、コンビニで接客を学ぶことは可能です。更に、コンビニに行くとキャンペーン的なことが行われていますし、言うまでもないことですが消費者がより沢山の品物を手にするよう、関連商品を並べて置くなどの工夫がなされています。利用者である私ですら気づいているわけですから、アルバイトで働いている店員さんが気づかないはずがありません。たとえ言われた通りにやっているだけだとしても、自然と気づいてくるはずです。セブンイレブンやファミリーマートなどの大手コンビニ業者が知恵を尽くして考え抜いたマーケティング戦略の現場の最前線がアルバイトの人たちです。初めのうちは分からなくても、だんだんマーケティングに関する現場の知識が増えていきます。コンビニがどのようにして運営されているのか、仕入れ、配置など学べることが山のようにあるはずなのです。ですから、コンビニの店員さんをしている人にスキルが身につかないということは原理的にあり得ないのではないかと私には思えます。

さらに言えば、コンビニの店員さんを続けている人は社会的な信用という点で劣っていると言えるのでしょうか?もちろん一部上場企業で働いている人の方が銀行からの融資は受けやすいでしょう。しかし、コンビニの店員さんを10年続けている人がもしいるとすれば、その人はコンビニ運営の隅々まで知り抜いている人のはずですから、将来何らかの実業を始めたいという時にコンビニで店員さんをした経験が生きないはずがありません。仕事力としては当然信用があると思いますし、少なくとも「スキルが身につくとはっきり言える仕事以外はしたくない」と思ってひきこもっている人よりははるかに社会的な信用もあると考えるべきです。仮にそう考えない人がいるとすれば、それはそう考える人がコンビニの店員さんを見下しているのです。

コンビニの店員さんだけではありません。肉体労働をする人、工場で派遣労働をする人など、全ての人にそれは当てはまると思います。必ず何か学ぶことがありますし、実際に業務を経験しているということは何物にも勝る武器であると私には思えます。もちろん、今後はAIが多くの仕事を奪っていくとも言われていますから、それについてはベーシックインカムで対応すべきだと個人的には考えていますが、たとえそうであったとしてもAIに指令を出すのは人間なのです。そして今、まだAIはそこまで進化していません。今後、5年、10年先の本格的なAI時代を迎えるに当たり、AIに適切な指令を出すことができる人は、それまで何かしらの仕事をしていた人に違いありません。ここに異論のある人がいるとは私には思えません(異論があってもいいですよ♪)。

私がなぜ、このようなことをここで述べているのかというと、「非正規雇用のまま40代になってしまったロストジェネレーション」を憐れむ声がばかりが世の中に広まっており、もはや手遅れ、ごめんなさいあなたの人生はあきらめてね。的な内容のものがあまりに多いからです。

ロスジェネであろうと新卒であろうとシニアであろうと、私はあらゆる人に可能性があると信じています。もっと幅の広い、よりよい人生を得る可能性は誰にでも、充分にあるのだということを示したくて、ここで述べてみました。特にひきこもってしまった人、非正規で長くやっていて「どうせ自分は…」と思っている人に、人生は様々な可能性に満ちているということを伝えたいです。ひきこもっている人は、いきなりアルバイトはきついでしょうから、ボランティアから始めてみるのも手だと思います。半年一年続けていれば、ボランティア関係者から信頼を得られます。まじめにボランティアに長期かかわってくれる人はそう多くないので、運営サイドにとってはありがたい存在なのです。その人たちのネットワークから、やがて自分にちょうどいいアルバイトを紹介されるかもしれません。そして、ボランティア経験が評価されて簡単なアルバイトに採用され、やればやるほどスキルが身に付き、10年後、20年後にはビジネスオーナーになるというのは合理的です。不合理的でも絵に描いた餅でも空想でも妄想でもありません。

一つだけ注意しなければいけない点は人生には波があるということです。いい時と悪い時は交互にやってきます。悪い時期に入ったとき、「どうせ自分は…」と投げ出さないことです。一時撤退、戦線後退、なにがしかの潮時みたいなものはあるでしょうけれど、嫌になってしまうようなことが起きたときに退場してはいけないということだけは注意しないといけません。退場してしまえば、またゼロからのやり直しです。リングの上に上り続けること、たとえそれがどんなに小さなリングでも、どんなに安いリングでもリングの上に居続けることによって人生には次のステップが用意されていきます。私も時々嫌になって今の仕事を辞めたくなります。しかし、上に述べたような考え方を持っていますので、投げ出さずにリングにしがみつき、試合を継続しています。

「関西帝国」の復活を感じた件

桜の季節になったものですから、思い切って鎌倉、京都、奈良、更に大阪を歩きまわってみることにしました。歩くのが好きなものですから関東と関西の景勝地を一挙に見てしまおうという、わりと無駄に労力を使うことをしてみたわけです。鎌倉はともかくとして、関西をこれほどじっくりと歩いたのは10年ぶりくらいのことです。

気づいたのは関西地方はやはり値打ちのある凄い地域だということでした。かつて故中島らもさんが『西方冗土‐カンサイ帝国の栄光と衰退』で、関西地方の凋落ぶりを相当に嘆いていました。というのも、関西地方は確かに人口も多く、経済規模も大きいのですが、人の動態のようなものを見ると地縁血縁でだいたいのことが決まっていく田舎体質であり、東京への対抗意識は強いものの、東京に負けていることは分かっていて、しかしそれを認めようとせず、「関西の方がうどんがおいしい」という何の役にも立たない慰めを並べ立てて自己変革しようとしないというのがらもさんの持論であったと理解しています。

さて、今回改めて関西地方をよくよく歩いてみて、神社仏閣の見事さには目を見張るものがありました。これだけの世界遺産級の建築物が集中している地域というのは世界的にも珍しいのではないでしょうか。驚いたのは観光客の多さです。もちろん、10年前にも関西地方の観光客は多かったですが、桁が違うという印象です。着物レンタルが流行していますから、外国人の観光客が大勢、和服姿で歩いています。中国人や韓国人はもちろんですが、白人の姿も目立ちます。確かにレンタル用の着物は化学繊維でちょっと安っぽいですが、そもそも凋落する一方だった和服産業はこれでそれなりに潤っているはずです。

特に驚いたのは奈良です。以前に奈良を訪問した際には観光客はいるものの全体的にまばらであり、マニアが敢えて訪れる観光地といった印象が強いものでした。ところがどっこい、今回訪れてみると観光客がいるわいるわ、鹿にせんべいをあげるという奈良独特の体験型観光が世界の観光客に受けているらしく、国籍問わず中国人もアメリカ人もフランス人も鹿せんべいを買っています。また、個人的には奈良市街地から東のエリア、興福寺、東大寺、界隈の立派さ、見事さに感嘆せざるを得ませんでした。1000年以上も前に相当な都市整備が行われたということの斬新さのようなものを実感させられたというわけです。商店街も歩いてみましたが、10年前はゲームセンターかマニア向けの古美術の店くらいしかなかったのが、観光客向けのレストラン、ショップが立ち並び、全体に歩いている人のボリュームがぐぐっと上がっています。奈良を歩いた時、原則全員関西弁だったのが、行きかう人の話す言葉に慎重に耳を傾けてみたところ、標準語を話す人の数もなかなかなもので、かつてマニア向け地方都市だった奈良が、国際観光都市に大きく飛躍していると結論せざるを得ませんでした。

大阪は10年前とさほど印象は変わりませんでしたが、より観光客向けにカスタマイズされている感が強かったです。関西は世界の観光客を集めることで生き延びると腹をくくったと私には感じられました。考えてみれば、現代的でクールな都会的な雰囲気を大阪で味わい、ちょっと足を延ばせば世界遺産級の建築物が密集している京都があり、鹿にせんべいを食わせることができる奈良があるという意味で一回の訪日で日本のハイライトみたいなところをぐっと体験できる関西地方は観光地としては非常に恵まれた地域なのは当然のことです。以前勤めていた会社で「関西地方はもはや復興不可能なのではないか」と言っている人もいましたが。そんなことは全然ありません。世界に対する集客力という点では、関東が大都会東京+その延長線上みたいな横浜、ちょっと歴史ある鎌倉というラインナップなのに対して、大都会大阪+京都・奈良というラインナップの方が魅力的なはずです。高層ビルを見たいという人には東京よりも上海やドバイの方が魅力的に映る可能性もあり、東京ディズニーランドが無敵の集客力を誇っている時代がありましたが、今や上海にも香港にもディズニーランドがある時代で、希少性という点で相対的に凋落の兆しを見せています。一方で大阪のUSJはハリーポッターが大うけしているらしく、最近の関西は盛り上がっているらしいと聞いてはいましたが、なるほどこれは本物の波が来ていると大いに納得できました。京都・奈良の建築物の価値は半永久的に認められるでしょうから、長い目で見ると関西地方はなかなかに恵まれているわけで、その真価を発揮していると言ってもいいかも知れません。このように関西の観光産業が発展した理由としては、一つにアジア周辺地域の経済発展を無視することはできません。韓国や中国、台湾の人たちが豊かになり、ヨーロッパやアメリカの人たちよりは日本に対する知識が豊富ですから、日本へ旅行するなら関西をという発想に至りやすいのだろうと思います。もう一つの要因として関西空港の整備が進みLCCの受け入れが容易になったということもあるようです。つい最近まで関西はもうだめだと言われていましたが、ところがどっこい大復活しており、これは日本人全体にとって好ましい現象と思えます。

あと、付け足しになりますが、奈良を歩いて感じたのは、奈良が里として整備された地域であるということでした。車窓から見た印象ではあるのですが、関東地方は人の密集している地域か森林もしくは丘陵地帯なのに対し、関西地方の平地では人がまんべんなく分布して暮らしており、民家と農地がある程度均等に広がっています。自然と人間の開発が一体化した「里」が成立しているわけです。弥生時代からクールな産業であった農業を徹底して推し進めた結果の地域開発の結実と受け取ることもできますから、私はその点でも関西の底力のようなものについて考えざるを得ませんでした。

関西って凄いのね。


ハンナ・アーレントとアイヒマン



ハンナ・アーレントと言えば『全体主義の起源』という著作が大変有名です。反ユダヤ主義が如何にして台頭したかを分析し、更にそれが如何にしてナチズムと結びついたのかを大衆の心を見据えつつ分析を加えた大著です。

ナチズムによるユダヤ人迫害、ホロコーストは大変に重い問題ですから、慎みのある態度で向かい合うべき事柄です。アーレントはかくも重大な事態を招いたことの大きな要因として大衆の思考の停止を指摘しています。近代市民社会は各市民の自発的参加を前提としています。近代以前の王侯貴族が意思決定をし、大衆は搾取の対象でしかなかったのに対し、革命によって王侯貴族の支配を打破した近代市民は自らの生命財産を守ると同時に社会の秩序を維持するために政治に参加して意見を述べ、時には論争し、義務や責任の履行が求められます。

しかし「大衆」ですから数が多すぎ、政治に参加できていると自覚できるとタイプと、所詮私は小市民、何を発言しようと誰も耳を傾けてはくれないし生命の確保はできるとしても、大した財産があるわけでもないという無力感を感じるタイプに分かれていきます。無力感を感じる人たちの方が近代社会ではもしかすると多数派なのかも知れないですが、そういう人たちは思考停止に陥り、自分に代わって考えてくれる人、または分かりやすい言葉を使ってくれる指導者に導かれたいという望みを持つようになるとアーレントは指摘します。アーレントはこのようなタイプの人たちが分かりやすい言葉で方向性を指し示してくれるアドルフヒトラーに魅せられたと分析しているわけですが、この分析はエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』に近いものと言っていいかも知れません。

『全体主義の起源』という大著を著した後、世界的に注目されたアイヒマン裁判が始まります。彼女もアイヒマン裁判をよく観察し『エルサレムのアイヒマン』という著作を著します。命令に従い義務を履行しただけだと主張するアイヒマンの姿は、いわば『全体主義の起源』で指摘した、思考を停止した人の個別具体的な一例であったということになるかも知れません。

彼女はアイヒマンにはたまたまアドルフヒトラーと同時代にドイツに生まれたことにより、たまたま人道に反した義務を課せられた不運があったという趣旨のことを述べ、受け取り方によってはアイヒマンの主張には一理あるという意見になるわけですが、結論としてはそれでも悪に服従したことの罪によって死刑にならなくてはならないとしています。ただし、絶対悪であるはずのナチス幹部に一理あるかのように受け取れる言論は激しい批判を浴び、彼女は多くの友人をなくしたと言われています。

現代人の価値観から言ってナチズムを肯定することはできませんし、ファシズムに加担することはできません。しかし同時に、或いは自分がアイヒマンの立場に立った場合に抵抗できるかという自問も必要なことかも知れません。日常生活の中で見て見ぬふりをして見過ごす問題は数多く存在しているかも知れず、多くの人はそれはともかく日々の自分の責務を果たすことを優先せざるを得ないのではないかと思います。私ももちろんその一人です。ナチズムを正義だと信じて行動した人が多くの人々と、現代の価値観が正義だと信じて行動する我々に大きな相違はないかも知れません。書いてるうちに堂々巡りの袋小路に入りそうになってきたので、そろそろやめておこうと思いますが、上に述べたような自問は忘れるべきではないでしょう。人は常に過ちを犯す可能性がありますが、私は正義を遂行している思った時、それが本当に正義なのかを立ち止まって考える作業をすることで少しは過ちを少なくすることができるかも知れません。アーレントの議論はナチズムという過去の出来事を扱ったものではあるものの、現代人にも直接関係するものではないかと思えます。

レヴィ・ストロースの脱近代な『野生の思考』

最近はあまりポストモダンというような言われ方はしなくなってきましたし、構造主義という言葉も以前ほどは流行っていないと思います。とはいえ、現代人の教養みたいな感じで語り継がれ、読み継がれ、且つポストモダンの元祖というか構造主義の元祖というか、その親分みたいな超絶大御所がおなじみレヴィ・ストロースです。

彼は第二次世界大戦に従軍経験もありますから、近代の限界というものを実感として持っていた人だったと言えるかも知れません。近代は大量生産、技術革新、たゆまぬ増大、たゆまぬ成長をその大原則として持っています。大量生産と飽くなき成長は近代の持つ宿命とすら言えるかも知れません。そして現代人、または近代人は古い因習を捨ててその近代というシステムに順応し、そこを生きるということこそより価値の高いものだと信じてしまうものなのかも知れません。成長と自由経済的資本主義が近代の一方に存在するとすれば、そのもう一方に資本家を否定し再分配を重視する社会主義、共産主義が存在します。自由経済と共産主義経済のどちらがいいということではなく、どちらもそれなりに近代的な「完成」を目指して突き進むことをその宿命と信じられていたかも知れません。そしていつか完成するという前提で完成度を上げることに全力が注がれてきたとも言えるかも知れません。その過程にはファシズム、戦争、革命もあって、人間は進歩し、やがて世界は完成すると考えられていたかも知れません。

しかし、レヴィ・ストロースはそのような世界観から脱却せよというわけです。何故なら、人間は進歩しなくても、完成しなくても、生まれた時に既に完全な存在だからです。ヨーロッパの近代は確かに生産性を上げましたが、それは生産性のみに注目しているからであって、世界各地の非ヨーロッパの諸地域、諸民族もそれぞれに完全性を持っていて、儀礼や神話のようなものは前近代的で非論理的なものではなく、当然に合理性と妥当性を有しており高度に世界を認識する体系をそれぞれに持っていると彼は考えたわけですね。

もちろん、今どき、ヨーロッパ世界から発信されたものには高い価値があって、それ以外の世界から発信されたものの価値が低いと信じている人はいないでしょう。ですが、それを思想・哲学の観点から世界にばーんとぶっ放した元祖みたいな人がレヴィ・ストロースなわけですから、我々が非ヨーロッパ人であっても、だからと言って私たちの価値は棄損されないと信じることができるのも、レヴィ・ストロースの間接、直接のご利益を受けていると思っていいのではないかとも思います。日本でも戦争中に『近代の超克』が議論されたこともありましたが、実際には何を議論しているのかよく分からないというか、ヨーロッパ近代を否定するために結局は戦時中の知識人エリートはヨーロッパ近代の概念と用語しか持ち得なかったという反省点があるように思えます。その点、レヴィ・ストロースは突き抜けていたとも思えるわけです。サルトルともやり合うわけです。

もちろん、それにはヨーロッパが二度の世界大戦で疲弊したことが大きな背景にあると思います。生産性が向上した結果、人間を大量に死に追い込むこの世界はなんなのかという根本的な疑問があったに違いありません。フランスは戦勝国と言っても微妙な勝ち方で、ドゴール将軍の自由フランスが存在した一方で、ヴィシー政府はナチスと協力してイギリスと戦争していたわけですし、パリ解放の時にアイゼンハワーがいい人だったのでドゴール将軍に勝ちを譲ったという一応、戦勝国の体面はぎりぎり保ったというあたりの機微がレヴィ・ストロースをして脱近代を意識させたのかも知れません。日本ではアメリカというザ・近代に圧倒されたという実感があったでしょうから、むしろ近代信奉へと戦後は舵を切ったように思えますし、ぶっちぎりで勝ったアメリカもやっぱり俺たちの近代は正しいぜという風になっていったわけですが、フランスのそのあたりの微妙さがレヴィ・ストロースを生んだ土壌だったのかもとも思えます。

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エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』とナチズム

エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』はあまりに有名すぎて私がここでどうこう言うまでもないことかも知れません。「社会心理学」という分野にカテゴライズされてはいますが、基本的にはフロイトやアドラーの近代心理学の基礎を踏まえ、それを基にドイツでナチズムが勃興した理由を考察している超有名な著作です。

内容の大半はサディズムとマゾヒズムに対する一般的な説明に終始しており、まさしく心理学の解説書みたいな感じですが、サディズムとマゾヒズムが対立項として存在するのではなく、同時に同一人物の内面に存在するとする彼の指摘は我々が普段生きる中で意識しておいた方がいいことかも知れません。

曰く、サディズムを愛好する人物は相手から奪い取ることに満足を得ようとすると同時に、権威主義的であるが故により高位の権威に対しては進んで服従的になり、自らの自由を明け渡すというわけです。ですので、ある人物は自分より権威のある人物に対しては服従的なマゾヒストであり、自分より権威の低い(と彼が見做した)人物に対してはサディストであるということになります。人はその人が社会的にどの辺りの地位に居ようと、権威主義的である限り、より高次なものに対して服従し、より低次と見做せるものに対しては支配的になるということが、連鎖的、連続的に連綿と続いていることになります。

この論理は私にはよく理解できます。誰でも多かれ少なかれ、そのような面はあるのではないでしょうか。権威は確かに時として信用につながりますが、権威主義に自分が飲み込まれてしまうと、たとえサディズム的立場に立とうと、マゾヒスト的立場に立とうと、個人の尊厳と自由を明け渡してしまいかねない危険な心理構造と言えるかも知れません。

フロムはアドルフ・ヒトラーを分析し、彼自身が大衆の先導をよく心得ていたことと同時に権威に対して服従的であったことを明らかにしています。イギリスという世界帝国に対するヒトラーの憧憬は、チェンバレンがズデーデン地方問題で譲歩した際に、軽蔑へと変化します。なぜなら如何に抗おうととても勝てないと思っていた相手に対して持っていてマゾヒスト的心理が、相手の譲歩によって崩れ去り、なんだ大したことないじゃないかと意識が変化してサディズム的態度で臨むようになっていくというわけです。

自由都市はドイツ発祥です。ですから、本来ドイツ人は自由と個人の尊厳を愛する人々であるはずですが、第一次世界大戦での敗戦とその後の超絶なインフレーションと失業により、絶望し、他人に無関心になりヒトラーというサディストが現れた時、喜んでマゾヒスト的に服従したともフロムは指摘しています。ドイツ人のような自由と哲理の伝統を持つ人々が、自ら率先してナチズムを支持し、自由を明け渡し、文字通り自由から逃走したことは、単なる過去の奇妙かつ異例なできごととして片づけることはできず、如何なる人も状況次第では自由を明け渡し、そこから逃走する危うさを持っていることがこの著作を読むことによってだんだん理解できるようになってきます。

私はもちろん、自由と民主主義を支持する立場ですから、フロムの警告にはよく耳を傾けたいと思っています。簡単に言えば追い詰められすぎると自由から逃走してしまいたくなるということになりますから、自分を追い詰めすぎない、自由から逃走する前に、自分の自由を奪おうとする者から逃走する方がより賢明であるということになるのかも知れません。

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昭和史67‐ビルマルート爆撃

とある情報機関の発行していた機関紙の昭和15年12月1日付の号では、ビルマの援蒋ルートを日本軍が爆撃したことに関する記事が掲載されていますので、ちょっと紹介してみたいと思います。当該の記事によると「イギリスをはじめアメリカやロシアは飛行機、自動車、弾丸、鉄砲を重慶に売り込んで蒋介石の後押し」をしていると述べられており、イギリス、アメリカ、ロシアの真の目的は日本と蒋介石政府の双方を弱らせて東洋の土地を奪うことだとしています。

で、メコン川の遥か上流のヒマラヤ山脈を伊豆の踊子の如く九十九折りになって重慶へと向かうトラックを足止めするために、ヒマラヤ奥地の橋を爆撃したという武勇談が述べられているわけですが、この段階でイギリス、アメリカをはっきりと「敵認定」していることが分かるほか、当該記事ではソビエト連邦も敵認定していることが感じ取れます。

爆撃した橋は「功果橋」と呼ぶらしく、その橋が果たして誰の所有なのか、イギリス領ビルマの範囲内なのか、それともチベットなのか或いはちょっと見当のつかない場所なのかは検索をかけてみてもわからなかったのですが、蒋介石政府にたどり着く前の地点を攻撃しているわけですから、既にイギリスとは戦闘行為が始まったと受け取ってもいいくらいの事態に昭和15年末頃の段階で発展していたということが分かります。

日中戦争が始まった当初、アメリカはモンロー主義で、芦田均の『第二次世界大戦外交史』ではイギリス、フランスオランダは当初日本と事を構えて東南アジアの植民地を失うことを恐れていたとも書かれてありましたから、そもそも欧米と事を構えることを日本帝国の当局者も想定していなかったのではないかと思います。早々に戦争を終わらせていれば、太平洋戦争になることはなかったかも知れません。ところが、延々といつまでも戦争が終わらず、近衛文麿はここぞとばかりにそもそもの持論である全体主義的統制経済をやり始め、軍需品が必要ですから民生品が品薄になり物資不足で資金も不足という深刻な事態に陥りつつある中で、愈々欧米諸国とも事を構える決心を堅めつつあるあたり、読んでいる現代人の私としては背筋が寒くなる思いです。

当該の情報機関は当初は台湾とその対岸の広東、南京あたりの情報収集及び戦果の宣伝みたいなことをしていたのですが、だんだん手を広げるようになり、フィリピンインドネシアインドシナと範囲が拡大して今回とうとうビルマまで手を出したという感じです。「東亜共栄圏」なる言葉が公然と使われ始め、日満支(汪兆銘政権)だけでなく、東南アジア全域を含む日本経済ブロックを作ろうとしていたわけですが、どうも当初からそのような想定をしていたわけではなく、どこかの時点で「行けるところまで行こう」という発想になったように思えます。行けるところまで行こうとすれば、必ず欧米の大国と戦争になるまで突き進むことになりますから、そういう決心をした段階で日本帝国滅亡フラグが立ったも同然とも思え、かえすがえす「馬鹿なことを…」と思はざるを得ません。広田内閣の五相会議で南進が採用され、近衛内閣の閣議で南進が改めて正式に国策として採用されたことから、官僚主義的に深く考えずに国策通りに進んだのかも知れません。一旦決まった政策について臨機応変できないあたり、今ももしかするとあまり変わらないのではないかという気もします。援蒋ルートを断ちたい陸軍と日本経済ブロックを作りたい政治家と、宮崎滔天や頭山満みたいな民間の大アジア主義がぐちゃっと混ざって肥大したという感もなくもありません。精工に練られた構想というわけではなく船頭多くして船山に登る式の場当たり的、ご都合主義的な拡大主義が見て取れます。

一重に蒋介石との戦争に勝つために遠いビルマまで爆撃に出かけ、英米と険悪になり対抗策としてドイツのアドルフヒトラーと結ぶという悪手を選び、滅亡への坂道を転げ落ちようとしている日本帝国の姿を追うのは心理的なダメージが強いですが、取り敢えず手元の資料は全部読む覚悟で読み進めています。

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