ゴーン氏の人権

ゴーン氏の逮捕後、勾留期限の延長と再逮捕の繰り返しみたいなことになっている。ゴーン氏からの保釈請求は今のところ認められていない。で、最初の逮捕の時に「50億の所得隠し」という派手な見出しで報道されたが、だんだん具体的なことが分かって来ると、引退後に受け取る予定として日産とゴーン氏との間で合意されたもので、今はまだ受け取っていないし、ゴーン氏がこっそり隠れてやっていたとかそういうことでもないということが分かってきた。

で、意見が分かれて来るところが、ゴーン氏は何を根拠に今も勾留されているのか、そもそもの逮捕事実が曖昧過ぎはしないのかという批判もあるようだ。ここは思案のしどころのように思える。

日本の刑事捜査ではまず身柄をとって自白させ、犯人しか知り得ない事実をつかみ、有罪に持ち込むという手法はよくとられる。被疑者を外界から遮断することで心理的に追い込み、言葉で追い詰め、場合によっては「認めたら帰れる」などの甘言や「かつ丼食うか?」などの利益誘導によって被疑者は落ちるという流れになる。完全に落ちれば完落ちで、横山秀夫さんの小説では【半落ち】という言葉が使われた。被疑者が部分的に嘘を残している時は半落ちというらしいのだが、捜査陣が有罪に持ち込むための自白以外は曖昧にされたり、創作される場合もあり得るので、多くの場合が実は半落ちなのではないかとも思える。この捜査手法の有効なところは、悪いことをしてしまった人間を精神的に追い詰めて法の正義を実現できるところだが、たとえば被疑者の腹が据わっていて自白するようなタイプではない場合とか、本当に悪いことをしていない場合のデメリットも大きい。

外界から遮断された状態だと、無実の人でも捜査員から繰り返し、「君はこのようにして、あーやって、こーして、犯罪を犯したんだろ?」と言われ続けると、だんだんわけがわからなくなってきて自白してしまう例は時々あると言われている。そのため、取り敢えず身柄をとって自白に持ち込むという手法は被疑者の心理状態や人間性、性格によって結果が左右されてしまう可能性があり、通常、問題視される。特に最近は捜査の可視化と関わって問題視されることが多い。自白以外の証拠によって有罪に持ち込むことがより推奨され、理想的だと考えられている。自白以外の証拠が薄弱な状態で自白を得るために身柄を拘束することは人権にも関わる。

で、ゴーン氏に戻るが、ゴーン氏逮捕の場合、最初の逮捕の事実が曖昧なことを考えると、やや人権の問題に抵触するのではないかという気がしなくもないし、敏感な人なら抵触していると判断してもおかしくないように思える。このような内容で本当に有罪に持ち込めるのだろうかと首をかしげる人もいるのではないだろうか。リーク合戦による情報の混雑もあり、今はなんだか見通しが立たないように思える。

もっとも、ゴーン氏は「フランスで暮らしたい。裁判が始まったら日本に戻って来る」と言っていたらしいので、逃走の恐れありとみなされても仕方のないところではある。ゴーン氏の本音が「東洋の非文明的な刑事訴訟手続きに潰されるくらいならフランスに逃げよう」だとしても不思議ではない。日本で暮らすことを前提に保釈されるかどうかが今後の焦点になるが、しばらくは様子を見るしかないわけですが。









近代を構成する諸要素と日本

ここでは、近代とは何かについて考え、日本の近代について話を進めたいと思います。近代という言葉の概念はあまりに漠然としており、その範囲も広いものですから、今回はその入り口の入り口、いわゆる序の口という感じになります。

近代はヨーロッパにその出発点を求めることができますが、人文科学の観点から言えばビザンツ帝国が滅亡した後に始まったルネッサンスにその起源を求めることができます。しかし、それによって社会が大きく変動したかと言えば、そのように簡単に論じることができませんので、もう少し絞り込んでみたいと思います。

ある人が私に近代とは何かというお話しをしてくれた際、近代はイギリスの産業革命とフランスの市民革命が車の両輪のようにして前進し発展したものだということをおっしゃっていました。これは大変わかりやすく、且つ本質を突いた見事な議論だと私は思いました。

以上述べましたことを日本に当てはめてみて、日本の近代はいつから出発したのかということについて考えてみたいと思います。一般に明治維新の1868年を日本の近代化の出発点のように語られることがありますが、私はそれはあまり正確ではないように思います。というのも、明治維新が始まる前から日本では近代化が始まっていたということができるからです。

例えば、イギリスの産業革命が起きる前提として資本の蓄積ということがありますが、日本の場合、江戸時代という二百年以上の平和な時代が続いたことで、経済発展が達成され資本主義的な発展が都市部で起きたということについて、異論のある人はいないのではないかと思います。東海道などのいわゆる五街道が整備され、現代風に言えば交通インフラが整備されていたということもできるのですが、北海道や沖縄まで海上交通が整い、物流・交易が盛んに行われていました。特に江戸時代後半は江戸の市民生活が発展し、浮世絵でもヨーロッパから輸入した材料を使って絵が描かれたということもあったようで、当時の日本の貿易収支は輸入超過の赤字だったようですが、輸入が多いということは内需が活発であったことを示しており、江戸時代の後半に於いては豊かな市民生活による経済発展があったと考えるのが妥当ではないかと思います。大坂も商売の都市、商都として発展しましたが、大坂の船場あたりの商人の子弟などは丁稚奉公という形で十代から外のお店で住み込みで働き、やがて商売を覚え、独立していくというライフスタイルが確立されていたと言います。住み込みで働くことにより、勤勉さを覚えて真面目な商人へと育っていくわけですが、私はこのライフスタイルと勤勉であることを重視する倫理観について、マックスウェーバーが書いた【プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神】と同じ心理構造または行動パターンが生まれていたと考えてよいのではないかと思います。
さて、先ほども述べましたように江戸時代後半は江戸の市民文化が花開いたわけですが、経済的には一般の武士よりも成功した市民の方がより豊かな生活をしていました。興味深いのは、これは小林秀雄さんがお話しになっている音声を聞いて学んだことなのですが、当時のお金持ちはいろいろな遊びを経験して最後に辿り着くのが論語の勉強なのだそうです。つまり究極の道楽が勉強だというわけです。料亭のようなところでおいしいお料理とおいしいお酒を楽しんだ後で、論語の先生からお話しを聴いていたそうですが、このような文化的行動というのも、やがて維新後に起きる近代化に順応できる市民階層が江戸時代に形成されていたと言うことができるのではないかと思います。

さて、ここまでは経済のことをお話し申し上げましたが、次に政治についてお話ししたいと思います。江戸時代の武士は月に数日出仕する程度で仕事がほとんどなく、内職をするか勉強するか武術の稽古をするかというような日々を送っていたわけですが、結果として武士は知識教養階級として発展していくことになります。言い方を変えれば何も生産せずに、勉強だけしてほとんど役に立たないような人々になっていったということもできるのですが、彼らのような知識階級がしっかり形成されていたことにより、ヨーロッパから入って来る新しい知識を吸収して自分たちに合うように作り直すということができるようになっていたのではないかと私は思っております。

幕末に入りますと、吉田松陰がナポレオンのような人物が日本から登場することを切望していたそうです。中国の知識人である梁啓超もナポレオンのような人物が中国から登場しなければならないと書いているのを読んだことがありますが、ナポレオンは東洋の知識人にとってある種のお手本のように見えたのではないかと思えます。ナポレオンは人生の前半に於いては豊臣秀吉のような目覚ましい出世を果たし、ヨーロッパ各地へと勢力を広げて結果としてフランス革命の精神をヨーロッパ全域に輸出していくことになりました。ベートーベンがナポレオンに深い感銘を受け、【英雄】と題する交響曲を制作しましたが、後にナポレオンが皇帝に即位するという形で市民革命の精神を覆してしまうということがあり、大変に残念がったという話が伝わっています。

日本に話を戻しますが、幕末では日本の知識階級はナポレオンという人物のことも知られていたし、フランス革命や民主主義の概念のようなものもその存在が知られていたわけです。横井小楠や西周のような人が日本にもデモクラシーや立憲主義、三権分立のような制度を採り入れればいいのではないか、ヨーロッパの近代文明が成功している理由は封建制度から抜け出した市民社会の形成にあるのではないかというようなことを考えるようになったわけです。ですので、横井小楠が江戸幕府の政治総裁職を務めた松平春嶽のブレインであり、西周が最後の将軍の徳川慶喜のブレインであったことを考えますと、明治維新を達成した側よりも、明治維新で敗れた側の江戸幕府の方に政治的な近代化を志向する萌芽のようなものが生まれていたのではないかという気がします。徳川慶喜という人物の性格がやや特殊であったために、徳川を中心とした近代化は頓挫してしまいますが、あまり急激な変化を好まない徳川幕府を中心とした近代化が行われた場合、或いは帝国主義を伴わない穏やかな近代化もあり得たのではないかと私は思います。もっとも仮定の話ですので、ここは想像や推測のようなものでしかありません。

いずれにせよ、幕末期に政治権力を持つ人たちの中で、徳川慶喜、松平春嶽のような人は近代的な陸海軍の形成にも力を入れていましたし、立憲主義の可能性も模索した形跡がありますので、日本の近代化は明治維新よりも前に始まっていたと見るのがより実態に近いのではないかと言えると思います。








紀州のドンファンについて考える

昨年、紀州のドンファンが亡くなったことは大きな話題になった。人が一人亡くなっているにもかかわらず、同情的な意見はほとんど見られず、多くの人が、多分、おもしろがってなりゆきを見守っていたに違いない。

普通に考えれば奥さんとお手伝いさんが怪しいはずだ。年明け逮捕説も見たことがあるが、私は逮捕はないのではないかと思った。多分、もはや証明不可能な段階に入ってしまっているのだろう。警察としてはまずは奥さんとお手伝いさんを別々に取り調べして供述の矛盾をついて自白に追い込むというシナリオを考えたのだと思うが、そういう場合は48時間以内ぐらいにだいたい事態がはっきりしてくる。

取り調べをする側はプロだが、される側は素人なので、警察の取り調べを受けると動揺してしまい自白してしまうというケースは多い。しかし、この手法の欠点は、相手の腹が完全に座っている場合、自白に追い込めるとは限らないということだ。ましてや自白偏重主義は20世紀の手法であって、現代ではあまり通用しない。そして紀州のドンファンの場合、自白を得ることもできなければ、物理的な証拠を得ることもできなかったのだろう。

当の大金持ちは自ら命を絶ったということで処理されるか、ケイゾク捜査にされるかどちらかだという話をちらりと耳にした。紀州のドンファンという本については立ち読みしたことがあるが、あのような人物が自ら命を絶つとはちょっと考えにくい。しかし警察としては、体裁を整えなければいけないし、捜査本部もいつまでも存続させるわけにはいかないのでケイゾクということになるのではなかろうか。

紀州のドンファンが人々の興味を集める人物であったことは否定できない。人生の最期までしびれる話題を提供してくれたことに感謝したい。historiajaponicaは、一応、教養系兼徒然系なので事件について触れることは基本的にしないのだが、紀州のドンファンは、人生について考えさせられる、つかこうへいさんの『熱海殺人事件』風に言えば「いい事件」なので、触れさせていただくことにした。故人のご冥福を祈り申し上げます。



映画『非常時日本』の荒木貞夫

大阪毎日新聞社1933年に作った『非常時日本』という映画がある。youtubeで断片的なものを見ることができたので、ここにそれについての備忘を残しておきたい。この映画については『日本映画とナショナリズム』という研究論文集で詳しく触れられているので、それも参照しつつ述べたい。

で、この映画の内容なのだが、荒木貞夫が今の日本人は西洋的資本主義の享楽に溺れて堕落していてなっとらんと叱咤しており、続いて日本精神や皇国精神、皇軍がどうのこうのと延々と演説するもので、画面には荒木の演説の声とともに都市生活を楽しむ当時の日本の人々の姿が映し出されている。要するに荒木の批判する人々の姿とともに荒木のやや高めの声が流れ続けるという代物なのである。おもしろいかと問われれば、ちっともおもしろくない。全くおもしろくないと言ってもいいほどおもしろくない。荒木の演説そのものが空疎で何を言っているのかよく分からないからだ。

『日本映画とナショナリズム』という論文集では、日本のことを「皇国」と呼び、日本軍のことを「皇軍」と呼ぶのを定着させたのが荒木貞夫その人であり、その定着手段が今回取り上げているこの『非常時日本』という映画を通じてだということらしかった。当時の日本は既に大正デモクラシーも経験しているため、リベラリズムを受け入れて生きている人は多かった。この映画に映し出されている声なき都市生活者だ。そして既に世界恐慌・昭和恐慌も経験しているため、やや資本主義への疑念がもたれている時代でもあったが、実は30年代に入ると関東大震災からの傷も癒えはじめ、高橋是清の財政もばっちり決まって日本は世界恐慌からいち早く立ち直り、また大正デモクラシーの時代よろしく明るく楽しい資本主義の世界は始まりかけていた時代であったとも言える。

だが、満州事変後の日本は、結局は自ら新しい繁栄を放棄するかのようにしてひたすらに滅亡へと走って行ってしまい、残念ではあるが戦争にも負けてしまった。もし日本が満州事変とかやらずに明るく楽しい消費社会に突入していたら、世界の歴史は全く違ったものになっていたかも知れない。で、荒木貞夫は明るく楽しい消費社会を批判する演説をしていたわけだが、当然のごとくこの映画はヒットしなかったらしい。そりゃそうだ。当時の日本人は今の私たち日本人よりも遥かに娯楽を求めていた。私たちはある意味では娯楽に飽き飽きしている。ミニマリストを目指したり、プチ断食をしてみたりというのが流行るのは、娯楽と消費が限界に達して、ちょっと違ったことをやってみたいという風に世の中が変わってきたからだ。

一方で当時の日本人は洋服や洋楽を今よりももっと強く求めていたし、荒木貞夫の演説が心に届いたとも思えない。私は当時の帝国当局者の東南アジア向けのプロパガンダ放送に関する資料を読み込んだ時期があるが、東南アジア在住の邦人には時局に関するニュースや国威発揚の演説よりも西洋音楽の放送の方が需要があって、プロパガンダを流しても効果がないと担当者がこぼしていたのを読んだことがある。かように30年代の人々は戦争よりも消費と西洋を求めていた。

以上述べたことをざっくりと要約して結論するとすれば、1930年代、一般の日本人は西洋化、資本主義的消費社会、明るく楽しい資本主義みたいな方向に進みたがっていたが、満州事変以降、しっかり戦争をやって勝ちたい当局としては、たとえば荒木貞夫のようなおしゃべり好きをメディアに登場させて宣伝し、人々の戦意高揚をはからねばならなかった。従っていわゆる戦前的全体主義は1930年代以降に急速に盛り上がったもので、それ以前、そんなものは存在しなかった。ということができるだろう。無駄な戦争をやって敗けて滅亡したのだから、残念なことは残念だが、荒木貞夫みたいな人たちが権力の中枢にいることを許容する権力構造が存在した以上、いずれは破綻するしかなかったのかも知れない。







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白山眞理著『報道写真と戦争』で学ぶ日本帝国の宣伝活動

白山眞理著『報道写真と戦争』で学ぶ日本帝国の宣伝活動

日本帝国政府内閣に「情報部」なるものが設置されたのが昭和1937年9月だ。日中戦争と歩を同一にしており、日本帝国政府が当初から日中戦争を総力戦と位置付けていたことを根拠づける展開の一つだと言うことができる。情報部は一方に於いて内務省警保局から引き継いだ検閲の仕事をし、一方に於いては宣伝・プロパガンダの仕事をした。ナチスの宣伝省をモデルにしていたであろうことは論を待たない。

で、今回は検閲の方の話ではなく宣伝の方の話なのだが、当時の帝国の宣伝対象は大きく3種類に分類することができる。一つは帝国内地の臣民、もう一つは外地・植民地の人々、もう一つが諸外国だ。内閣情報部は帝国臣民に読ませるために『週報』を発行し、やがて『写真週報』を発行するようになるが、他に対外宣伝の目的で『FRONT』『NIPPON』などの雑誌を発行する。英語を含む複数の言語で発行されていたらしい。アメリカの『ライフ』誌をモデルにして発行したもので、これらの雑誌の発行を通じて「報道写真」という分野が対外宣伝のために確立されていく。

内閣情報部の対外宣伝写真がほしいという要請を受けて名取洋之助、木村伊平、土門拳などの著名な写真家たちが日本工房なる会社を銀座に設立し、実際に大陸に渡って写真を撮影して帰って来るようになるのである。白山眞理先生の『報道写真と戦争』は、彼ら写真家たちの戦争中の足跡を戦後に至るまで丹念に情報収集した画期的な研究書だ。

この著作を読んで見えて来ることは、「報道写真」とはそもそもヤラセだということだ。報道写真は記録写真とは全く違うものだ。記録写真は証拠として残すために撮影するものだが、報道写真は情報の受け手が感動する演出を施して、「これが真実だ」と伝達する役割を負っている。演出はするが芸術写真とも異なるというところが微妙で難しく、醍醐味のあるところだとも言える。私は以前新聞記者をしていたことがあって、この手の報道写真を撮影して歩く日々を送っていた。ヤラセなければデスクが納得する写真は撮影できないので、新聞の写真は大抵がヤラセだと思っていい。私は新聞記者がヤラセを日常的に行うことに疑問を感じたが、ヤラセが普通だったので私もそうするしかなかった。白山眞理先生の著作を読んで、この報道写真のルーツをようやく知ることができたと思い、私は長年の謎が一つ解けたような感動を覚えた。

もう一つ興味深いのは、戦争は確かに日本に於ける報道写真というヤラセ撮影の文化を生み出したが、それがアメリカの雑誌をモデルにしているということだ。日本兵の骸骨を机の上に於いてほほ笑んでいる少女の写真とか、硫黄島で星条旗を掲げるアメリカ兵の写真とか、ヤラセなければ撮影できるわけがない。マッカーサーも自己演出のために自発的にヤラセ写真をプレスに撮影させた。フィリピン奪還上陸の写真は自分がかっこよく見えるように撮り直しをさせたと言われているし、昭和天皇と並んで映った写真も、写真がもつ効果を熟知した上でやっていることだ。写真の技術が発達して報道に使用できるようになった時、ヤラセになることは明白な運命だったのだとすら言えるかも知れない。

もともと写真は高価な趣味で、明治時代は徳川慶喜のような元将軍クラスの人物でないと遊べなかった。昭和の初めごろになると誰でも記念写真を撮れる程度には写真は気軽な技術になったが、それでもフィルムと現像の費用を考えれば慎重を要する技術で、見るものを感激させる報道写真を撮影するためにはヤラセるしかなかったのだとも言えるだろう。しかし現代はスマートフォンの普及に伴い、誰でも無限に撮影と録音ができる時代が来た。プロのカメラマンが撮るよりも、現場に居合わせた素人が本物を撮影して報道機関に持ち込んだり、ネットに直接アップロードするのが普通な時代になった。過去、報道写真は時代を作るほどの影響力を持ち得たが、今後は通用しなくなりすたれていくのではないだろうか。



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子どもの虐待防止オレンジリボン運動に少額の募金をした話

子どもの虐待防止オレンジリボン運動に対して、Yahooの募金を通じて少額の寄付をした。家にいながら自分にとって負担に感じない程度に社会貢献できるのだから、今の時代は本当にいい時代だ。

私がこの運動に募金したい思ったのは、この運動は確かに必要な運動だと思ったからだが、具体的にどんなことがなされているかはよくは分からない。しかし、子どもの虐待を防止するための最も効果的な方法は「子どもを虐待することは許容されない」ということを様々な媒体にメッセージとして出すしかないだろうと思うので、私は自分のブログにも書くし、この運動にも募金するのである。

なぜメッセージを出す以外に方法がないように思えるかというと、子どもの虐待が家庭内で行われている場合、外の人々からは実際のところを目で見ることができないからだ。躾と称する虐待が無数に発生していることは容易に想像がつく。明白な暴力による虐待は防止されなくてはならないのは当然のことだが、言葉の暴力やネグレクトのようなものは線引きすら、やや難しい。そのため、親や大人の側が子どもを教育する際に、自分の躾が虐待の領域に入ってしまっていはしないかどうかをセルフエスティメートしなくてはならないのではないかと私は思うのだ。線引きが難しいことに第三者が介入することは尚難しい。そのため、虐待防止に効果があるのは大人や親の自己制御だ。とすれば、親が自分を省みるためのメッセージが様々な媒体で発信される以外に方法がないではないかと私は思うのだ。なので、オレンジリボン運動が存在するというメッセージ事態が有効だし、もし私の運が良ければこの私のブログの記事が何か効果が生むかも知れない。

もっとも、オレンジリボン運動は児童相談所や監視的な行動への支援もしているということらしいので、私の募金したお金はもう少し具体的なことに使われるのではないかとも思うが、いずれにせよ、私はこの運動の主旨に同意するので、募金したのである。動機としては私も小学生のころにちょっとえげつない目に遭わされたというのがあるのだが、最近はだんだん自分でも努力することで、ある程度は過去の出来事として済ませることができるようになっている。逆に言うと少年期の心の傷は当人を生涯にわたってさいなむことになりかねない。子どもが健やかに成長すれば、将来の日本からグーグルとかアップルとかソフトバンクみたいな会社を作る人材が出て来るかも知れないし、そうなったら社会へのリターンは大きい。仮にそのような大物が登場しなくても、子どもが少しでも幸福を感じることに貢献できれば私は自己満足できる。








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「いしのまき学校」に少額の募金をした話
日本語×こどもプロジェクトに少額の募金をした話

「いしのまき学校」に少額の募金をした話

石巻に「ISHINOMAKI2.0」という組織があって、その組織が地元の高校生の自己実現のためにいろいろなことをしていると知り、私は先ほどYahoo募金を通じて、少額の募金をした。今年は少額の募金をいろいろなところにするというのをちょっとした抱負にしている。

私はお金を使ったり(消費、投資、募金)、稼いだり(投資の回収、働く)することで世の中の動きがよく理解できると考えているので、株の取引きやFXは身銭を切って世の中の厳しさを知ることも悪くはないのだが、そこまでの根性がないので、当面の間は募金することで世の中を知ろうと私は考えるようになったのである。

で、今回は「いしのまき学校」というところなのだが、地元の高校生に様々なプロジェクトを経験してもらって、自己実現を目指し、アントレプレナーシップを身につけてもらうというのをコンセプトにした活動が行われているらしい。

細かいところまでちゃんと知っているわけでもないのだが、学びと活動と両方をやっていて、東日本大震災で大変な被害を受けた石巻を盛り立てるための人材育成を目指しているということは理解できた。人材育成こそ最大の投資である。若い人に投資することの社会へのリターンは大きい。東北地方は災害で尋常ではないダメージを受けたし、私たち日本人はそのことで大きく心を痛めた。しかしながら、だからこそ既成概念に捉われない新しい何かを生み出していける可能性は大きいのだと思うし、そうであってほしいとも思う。「いしのまき学校」でプロジェクトに参加したり一味違った学びを得たりした高校生の中から、将来マイクロソフトやグーグルやソフトバンクやアマゾンみたいな会社を創業する人物が出てこないと誰に言い切ることができるだろうか。出てこない可能性もあるが、投資しなければリターンはない。宝くじを買うよりは遥かにリターンへの期待は高いし、私に直接リターンはなくとも社会へのリターンはやがて私個人も恩恵を受けるに違いないのである。付言するならば、仮にそういった有為な人材を輩出しなかったとしても、高校生のような若い人が何か特別な学びを経験することができたとすれば、それで充分に価値のあることだ。私は少額の募金しかしていないので大きなことは言えないが、ちょっとだけ社会貢献できたということに自己満足を得られたので、これでいいのである。








日本語×こどもプロジェクトに少額の募金をした話

2018年の大晦日、私は何か善行を積みたいという心境になり、最もらくちんに善行を積んだ心境になれることをやろうと考えつき、インターネットを通じて募金することにした。少額であり何かをなすにはほとんど役に立たない程度の金額だが、募金すると良いことをした気持ちにはなれるので、考え方によっては費用対効果は高いと言える。

で、どこに募金するかを私はYahoo Japanの募金関連のサイトを見ながら検討し、ほんの僅かな金額であるにもかかわらず、私がその趣旨に賛同できるものでなければならないなどというえらそうなことを考え、「日本語×こどもプロジェクト」(Nico Projectと言うらしい)を選んだ。

近年、日本語母語者ではない日本在住の子どもたちが増えているそうだ。個人的に数えるようなチャンスはないが少し考えれば理解できる。東京には日本語母語者ではない在住者が大勢いる。そのような人たちの子どもたちに日本語を学ぶ機会を与えることは社会にとってプラスになる。日本は既にかなりの移民社会になっていることが指摘されて久しい。これも考えてみれば自然なことで、日本は東洋で唯一のG7加盟国なのだから21世紀に入っていろいろな人が集まって来ることは、やはり自然なことなのだ。内海文三先生が小説で予言した近未来日本は既に現実になっているのである。

それがいいことか悪いことかは別にして、そういう人たちの子弟子女に日本語を学ぶ機会は与えられることは社会正義に資すると私は思う。逆に日本語を覚えないまま成人する方がよほど心配だし本人にとっても不便に違いない。少額の寄付なので大したことを言える義理ではないのだが、日本語教育の普及は長い目で見て日本に益すると言えるだろう。日本語教育の機会が増えるということはノウハウの蓄積が進むということであり、学びやすい環境が整えば結果として日本語を勉強してくれる人が増える。そしてそれは日本関連が世界のマーケットから求められやすくなることが期待できる。若い人への投資は社会へのリターンは大きいはずだ。








2018年一番のニュースはソフトバンクショック

2018年が終わろうとしている。クリスマスイブも過ぎて世の中は一機に年末モードに突入である。さて、この年を振り返って個人的に最も印象深く感じたのは、まるで狙い撃ちでもされたかのように、ソフトバンクグループが携帯子会社のソフトバンク社を上場させる直前になって同グループにとってマイナスになるできごとがこれでもかというほどに頻発して起きたということだ。

ソフトバンクグループと協力関係にあった人々から次々とおかしな話が立ち上がったのは、運勢とはこういうものを指すのではないかと考えたくなるようなもので、立志伝中の中国の起業家であるジャック・マー氏の引退、ファーウェイのCFOの逮捕、サウジアラビアの皇太子が殺人命令を出したという噂もあり、ダメ押しするように肝腎の携帯電話がつながらなくなるという不具合まで起きた。ソフトバンクは親子ともども株価がだだ下がりしており、世界的な株安局面が悪い意味で追い風になってソフトバンクグループの株価は二カ月で三分の二まで落ちた。

ソフトバンクグループに対して快く思わない人はそれみたことかと、やんややんやと騒いでいる。私は停滞気味な日本社会で、思い切ったことをやってみよう、挑戦してみよう、新しい時代を作ってみようと取り組みを続ける会社がやっぱり存在することは大事なことだし、日本にソフトバンクがあって良かったとも個人的には思っている。グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンのいわゆるGAFAに連なる日本資本が存在し得るとすれば間違いなくソフトバンクだ。ラインや楽天がその後に続くかも知れないが、取り敢えずはソフトバンクが筆頭になるだろう。ライブドアがやや懐かしい。

さて、問題はソフトバンクグループがこの危機に対してどのように対応するかだ。何年か前に株価が急落した時は徹底したリストラで乗り切ったと聞いている。さる筋から得た話では、中国資本とは距離を置く方向性で動いているらしい。伝聞なのでこれ以上のことは分からないが、孫正義さんはトランプ大統領にも直接会ったことがあり、5兆円の投資を約束している。軸足を中国からアメリカに移すことはそんなに難しいことではないかも知れない。サウジアラビアの皇太子は敵も多いようだが、トランプ大統領は放置する姿勢でいるらしいので、サウジアラビア関連も実は当面、何も起きず、孫正義氏の投資がじわじわと活きて来ることは充分に期待できるはずだ。サウジアラビアの皇族と組んで脱CO2の太陽光エネルギー開発で成功すれば全てうまくいくのではないかとも思える。そういう意味で、ソフトバンクグループは長期的には買いである。期待できるし、期待すべきだ。こういう企業は日本にあるべきだ。ヤフージャパンという大手検索エンジンを運営する会社である。危機に瀕することはあっても切り抜ける力はあると信じたい。

2018年驚きのニュースと言えば日産のカルロス・ゴーン氏の逮捕もあるが、全体像が見えないので何とも言えない。日産自動車はゴーン氏と相討ちになる可能性もあるように思えるが、当事者の心中は分からない。特捜に有罪をとる自信が果たしてどこまであるのかも疑問だが、この話題についてはまたいずれ。








アニメ『生きのびるために』でイスラム世界を一歩深く理解できるか

ヨーロッパ資本で制作された現代のアフガニスタンを舞台にしたアニメ『生きのびるために』は、ある程度イスラム世界がどうなっているのかを理解することに資するように思える。だが一方で、この映画と現実がどれくらい近いのか、或いは遠いのかを判断する材料が私にはない。

私がこの映画を観て最も関心したのは人の動き方が近代人のそれではないということだ。歩き方、走り方、座り方が近代人としての訓練や躾のようなものを受けた人ではないということに注意深く見ることで気づくことができる。近代人の動きというのは感嘆に言うとマラソンできる走り方やそれに準じた動き方みたいなものを私は指していて、いわゆる体育の授業とかきっちりやらされているとそういう動きになるという類のものだ。作り手が意識して近代人ではない動きをキャラクターに与えたことには当然に意味がある。

この映画では女性が一人で外に出歩いただけで人間扱いされないという、西洋近代の洗礼を受けている我々には理解できない受け入れ難い現象が描かれている。しかも主人公の少女の父親が全く理由もないのに監獄に放り込まれるという文化大革命みたいなことが起きてしまう。これが果たして本当にアフガニスタンの日常なのか私には判断できないが、もし本当にそういう日常が繰り返されているのであれば、現代人として容認できない。状況は改善されなければならないし、そのためにできることがあればやるべきだ。

この映画で気づかなくてはいけないことは、主人公の少女が男装をして女性蔑視の社会で生き延び、無意味に監獄に入れられている父親を助けるという物語の展開が、我々近代人の価値観に基づいている一方で、同時に主人公は西洋化された生活を望んでいるわけではないということではないだろうか。繰り返しになるが少女の身のこなしは学校の体育の授業を受けたそれではなく、またそのような立ち居振る舞いを自然なこととして彼女は考えている。ムスリム世界にはムスリム世界のお行儀があり、彼女のその意味ではおそらくきちんと躾されているのだが、我々のそれとは違うということ、そしてそれはそれで正しいということを映画は伝えようとしている。

そのようなことを総合すると、1女性蔑視は容認できない。2しかしムスリムの生活を否定するわけではない。3普遍的な家族愛の3つの要件によってこの作品が成立しているということに気づくことができる。

さて、私はもう一つ、日本アニメをヨーロッパが追い抜いたという感想も得た。日本アニメと言えばジブリである。ジブリと言えば駿である。駿は確かに世界を驚愕させる高い品質のアニメーションを連発した。特にナウシカ、トトロ、もののけ、千と千尋が世界に与えた影響は大きい。ファンタジーであり、登場人物に感情移入しやすく、描きれいで、壮大だ。日本のアニメは世界一だと誰もが認めたに相違ない。しかし駿が『風立ちぬ』のような作品を作ったということは、もはや世界にアピールしたいという考えを捨てており、好きなことを好きなように描きたいということしか考えていないことがわかる。そして駿の次に駿に匹敵する人物は現れないだろう。100年に一人の天才が駿だからだ。とすれば、日本アニメ映画はそのピークを既に過ぎてしまっていることになる。

一方で、駿的壮大なファンタジーに対抗すべく欧米で作られた素朴なアニメはかえって観客の心を打ちやすいのではないかと思える。たとえばこの『生きのびるために』のような作品がそうだ。アニメは派手ならいいというものではないし、画面が凄ければいいというものでもない。凄い画面はCG技術でいくらでも作ることができる。むしろ、一つ一つの絵が素朴かつ真摯に作られることが大切なのではないかと私には思えた。