【漢文】孔子の大同と小康と空想的社会主義的ユートピア

春秋戦国時代の春秋と戦国の一線を画す、後の東洋世界に巨大な影響力を与えた孔子は、魯国にとどまり、世を嘆いたそうだ。どのように嘆いたかというと、過去、それもうんとうんと過去の五皇の時代は麗しい理想的な世界だった。どれくらい理想的だったかというと、能力のある者は選ばれて指導者になるが、専制などとは全く違う無視無欲の指導者であり、人々は平和に幸福に暮らしている。どれくらい幸福かというと病気の人や社会不適合な人もみんな救済されていて、困っている人がそもそも存在しない。困っている人がいたら理想的なリーダーがきちんと処理してくれるので安心してみんなが暮らすことができる。失業者はもちろんいないし、他人の家に泥棒に入るようなけしからん者もいないので、家の入口に鍵をかける必要もないというくらいに平和で理想的な世界である。これを大同というらしい。

検証不可能なくらいに昔のことを取り上げて理想的な世界だったといいきってしまうあたりに復古趣味的な孔子個人の傾向を見ることもできなくもないのだが、トマスモアの空想的社会主義を連想させる、かつてあったはずのユートピアのイメージが孔子の念頭にあったに違いない。

大同と小康というものは有名な子曰くで始まる問答のある一節で、『礼記』に書かれてあるのだが、ちょっと話が飛び飛びな感じになっていて、孔子はまず大同について述べた後、現代(当時)について語りだす。その現代というのは信賞必罰で人は私利私欲で動いているが、まあそれなりに秩序は保たれているということになっていて、辛辣に魯国の王を批判するような内容ではないものの、大同にははるかに及ばないので、孔子の舌禍みたいな部分とも理解されている。孔子は一言多い、言わなくてもいいことを、敢えて不用意に言ってしまう性格だったようだ。

で、現代を軽く憂いた後で周の時代は良かったと、今よりは良かったが大同よりは劣るということで、その状態を小康と呼んだ。話が神話的古代ぐらい昔から入って現代に入って中間について話すという流れなので、ちょっと飛び飛びになっており、よく読めば「めっちゃ昔は空想的社会主義的なユートピア」で、「ある程度昔は、そこそこ良くて」「今は普通」ということを言いたいのだということが分かった。なぜ時間軸的に沿って言わないのか、しかも時代が下るにつれてだんだん世も末感が強くなっていると言いたいわけだから、時間軸に沿って話した方が分かりやすいのではないか、なぜそうしないのか、本当に孔子は頭がいいのだろうか。というような疑問を持ちつつ読んだ。

今、漢文を教えてくていれる人がきっちり頭の中で体系化されているので、この漢文も難しいことは難しいのだが、よく理解できた。教えてくれる人も孔子は時々ちょっと問題あると言っていたので、私の疑問も的外れというわけでもないのかも知れない。現代人の我々の価値観から言えば、この一節では理想的な世界では全ての男の仕事があるので、女は家から出なくていいということが書かれてあるため、男尊女卑が孔子の根底にあったということになり、批判されることもあるそうだ。

いずれにせよ、興味深いのはトマスモアの空想的社会主義と孔子の大同の世界がかなり似通っているという部分で、孔子がある種のコスモポリタン的な発想を持っている人だということが分かったのは収穫だった。漢文の世界は奥深いぜ。

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縄田雄二『一八二七年の幻燈文学』と映画

縄田雄二氏の『一八二七年の幻燈文学‐申緯、ゲーテ、馬琴』という論文が三田文学に掲載されているのを読んで、とてもおもしろかったので、ここで紹介したい。当該の論文ではまず朝鮮半島の文人申緯が一八二七年に書いたとされる漢文の詩を取り上げ、走馬燈を見るような、燈光に関する言及があることを指摘し、続いてゲーテの『ファウスト』の第二部第三幕を独立させて『ヘレネ 古典的ロマン的幻燈劇』としてやはり一八二七年に出版された作品に目をつけている。論文では鴎外による日本語訳を使用し、「夜の生んだ醜い物を洞穴へ入れる」という表現があることに着目している。このような表現は舞台上でメフィストフェレスが幻影的にたち現れたり、或いはいずこへかと消え去ったりする際に光学機会を用いた影絵のようなものが舞台上の壁なりスクリーンなりに映し出されることが念頭にあるのではないかとの当たりをつけている。続いて同時代の馬琴の『南総里見八犬伝』が幻惑的、または幻術的な表現がなされているのも、実はゲーテのように光学機会を使った幻影装置を見たからではないかとの見立てがなされている。即ち19世紀前半に少なくとも世界の三人の表現者が光学機会を用いた幻燈装置を知っていた可能性を指摘している。

縄田氏は文化史家フリードリッヒ・キットラーに言及し

(キットラーは)ヨーロッパにおいて幻燈の地位をロマン派文学が襲い、幻燈が見せたような連続映像を文字により見せるようになったっ経緯を叙しているいる。キットラーは、映画が登場したときにヨーロッパと北アメリカにおいて観客がすみやかに動画の文法をのみこんだのは、こうした文学が先に行われていたからと推測し、他文化圏との違いを述べる。補正したい。東アジアも同様であった、と

としている(『三田文学』2018年夏季号194‐195ページ)。

とてもおもしろいと思った。馬琴が映画の原型になる幻燈装置を見たことがあったとすれば、それはとてもおもしろいことだし、ヨーロッパで可能であったことなら、日本でも充分に可能なことであったはずだということを思い出させてくれる。江戸時代の社会ががヨーロッパの事情に全く疎かったという解釈は古い物になっていて、長崎でのオランダ貿易を通じて世界中のものが日本に流入していたことはよく指摘されていることだ。江戸時代は総じて貿易赤字の傾向があったということだから、当時の人々は輸入品を生活の中に取り入れていろいろ楽しんでいたはずだ。馬琴と同時代人の葛飾北斎がヨーロッパから輸入された絵具を試しに使った形跡があることが指摘されているものを以前読んだことがあるし、娘のお栄の描いた夜の街の陰影がヨーロッパの絵画に似ているという指摘もある。というか、浮世絵の美術館に行って実物を見れば素人の私でも一発で分かる。ゴッホは日本の浮世絵に強く影響され激しい憧れを抱いたが、日本とヨーロッパは19世紀の前半、既に互いに影響し合う関係にあったのだと捉えれば、とてもおもしろい新しい歴史と世界のイメージが頭の中で結ばれてくるように感じられる。江戸にヨーロッパ最新の光学幻燈装置が持ち込まれ、それを馬琴が見たとして、または朝鮮の文化人が見たとして全く不思議でも不都合でもない。

武田鉄也が坂本龍馬の役をやっていた『Ronin』という映画の冒頭では、長崎で竜馬が初期的な映画を観て驚く場面がある。で、何かの解説でみたのだが、一般にリュミエール兄弟の作品が1895年に試写会をしたのが映画の始まりとされているので、1860年代が舞台の『Ronin』では、まだ映画は存在せず、竜馬が映画を観ることはあり得ないが、製作者の映画を愛する思いのようなものがそこには込められているのではないかと説明されていた。

しかし、幻燈装置が竜馬よりもっと早い時代、馬琴の時代に輸入されていて、それを観た人々が存在したとすれば、竜馬が幻燈装置という映画の萌芽に触れる機会があったことは充分に考えられる。『Ronin』という映画は図らずも充分にあり得た可能性に触れていたのだ。

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和辻哲郎の『アフリカの文化』論

和辻哲郎は1937年に『思想』という雑誌で、『アフリカの文化』という文章を発表した。フロベニウスの『アフリカの文化史』という書物を引き合いに出し、アフリカには「合目的的、峻厳、構造的」な文明が存在していたことを日本人に紹介している。

アフリカの歴史は古く、たとえばエチオピアには2000年以上続いた皇帝国家があったことは知られているが、ヨーロッパで文明が発達するより遥か以前から精緻な構造物や文化体系が存在したというのである。それを破壊したのは大航海時代のヨーロッパ諸国で、古くから存在したアフリカの文物を破壊し尽くし、プランテーション農業を普及させた。和辻哲郎の言葉を借りれば、そのような貧しいアフリカイメージは「ヨーロッパの作り事」であるらしい。

アフリカ人が迷信の偶像崇拝の文化にすがり、進歩しようとしないというのも全くの嘘で、植民地化、プランテーション化によって旧来のものが破壊された結果、貧しく、「ヨーロッパ商人に寄生する」アフリカ人社会が創造されてしまったというのである。アフリカの古くからある高い文明性については大航海時代の初期の征服者たちは気づいていたものの、次第に忘れ去られ、やがてはディズレイリがヨーロッパという巨大大陸を自分の足でまたぐような風刺画で表現される、ヨーロッパに支配され、教育され、文明をもたらされる側の立場に立たされるようになってしまったというわけだ。呪術を信じ、非文明的なアフリカ人というイメージは奴隷商人によって利用され、非文明人なので(場合によっては人間より動物に近いという観念すら持って)、アメリカ大陸に奴隷として人身売買されることの罪悪感は消し去られ正当化された。

19世紀の冒険家たちがアフリカの奥地に足を踏み入れることにより、まだヨーロッパの支配が及ばない地域へ行った際、そこで完成された美しく豊かで合理性のある文明的なアフリカ人の姿を発見したのだという。フロベニウスが1906年にアフリカ探検旅行に行った際には、上に述べたような完成されたアフリカ社会が残された地域があり、その文明の度合いの高さに驚いたという。

和辻哲郎がこの文章で述べていることは、サイードが『オリエンタリズム』で主張したことと相当程度に重複していると言える。サイードはアラブ世界がヨーロッパ人が勝手に自分たちの好きなようにアラブ人の姿を描いたと主張しているのに対し、和辻哲郎はそれと同様のことがアフリカ人に対して行われたと、サイードがオリエンタリズムを書く何十年も前に指摘していたということになる。

もっとも、和辻がこのような文章を発表した背景には、当時の日本人が欧米人に対して劣等感を持っていたことと無関係ではないだろう。何事も欧米が進歩しており、日本で完成された文化や歴史を捨て去ることが果たして正しいのかという問いを彼は『アフリカの文化』という文章で発したのである。この文章が発表された時期は既に日中戦争が始まっている時期で、欧米社会からの日本に対する批判は厳しかった。それら批判に対する心理的な反抗がこの文章の持つ性格の一面であるが、サイードより40年も前に同様の指摘をしていることは重要と思えるので、ここで紹介しておきたいと思った。

スタンフォード監獄実験で証明されたものは何か

スタンフォード大学で行われた有名な心理実験。学生アルバイトを集めて適当に看守役と囚人役に分け、看守役が囚人役に対して激しい罵倒を浴びせたり、理不尽なお仕置きをしたりを続けた場合、看守はより看守らしく、囚人はより囚人らしくなっていくという仮説を証明しようとした。一般に、看守役の囚人役に対する暴虐な態度があまりに酷く、予定の二週間を大幅に繰り上げて実験は終了したが、見かねて中止しなければならないほどに看守はより看守らしく、囚人はより囚人らしくなっていくことが証明されたとされている。

ナチスドイツがユダヤ人に対するホロコーストをなぜ成し得たか、なぜ起こり得たかについて考察手掛かりになるとも理解されているだろう。

だが、私はこの監獄実験について多少の情報を集めてみた結果、看守がより看守らしく、囚人がより囚人らしくなるということは全く証明されなかったのではないかと思える。なぜなら、囚人役はあまりに耐え難い場合はドロップアウトすることが認められ、ドロップアウトしない囚人役はアルバイト料をもらうために囚人役を続けていたに過ぎず、看守が看守に徹し、囚人が囚人に徹することができた理由は、繰り返しになるがアルバイト料をもらえるという相応の理由があったからだ。

たとえある人物が有罪判決を受け、自分もその罪を認めている場合、監獄に閉じ込められることには相応の理由があるということを本人も理解しているため、囚人らしい行動を要求された場合、それに応じるだろう。囚人役の学生がアルバイト料のために囚人役をするのと同じである。看守も仕事である。

従って、この実験はナチスドイツがホロコーストを成し得た理由の証明にはならないのではないかと私は思う。ホロコーストの犠牲者は、相応の理由がないにもかかわらず、犠牲になった。ホロコーストの実行者は相応の理由がないと知りつつ、実行したのだから、スタンフォード監獄実験では説明のつかない全く異質な現象だったと考えるべきなのではないかと私には思える。

翻って言うと、スタンフォード監獄実験は、相応の理由がなければ人は囚人に徹しないということを証明したと言うこともでき、ナチスドイツのホロコーストは全く次元の違う視点を持たなければ説明できないということを証明したのではないだろうか。私が過去に見聞した範囲で言えば、ホロコーストという現象の一端を一番よく説明しているのは『ファニア歌いなさい』という映画だと思う。繰り返しみたいとはとても思えないトラウマ映画なため一回観ただけの感想にはなるが、別次元で人が壊れていく様子が描かれていると感じられた。私見です。

アマンダ・ノックスのケースについて考える

有名な事件なので、ここで詳しく述べる必要はないかも知れないが、ワシントン大学に入学した後にイタリアのペルージャへ留学したアマンダ・ノックスという女性の留学先でのルームメイトが惨殺された事件で、アマンダとそのボーイフレンドが起訴され、有罪判決を受けたものの、後に無罪になり、最高裁でも無罪が確定した事件で、未だに真犯人はアマンダ・ノックスなのではないかと考えている人も多いようなので、私も考えてみることにしてみた。

結論から言えば、アマンダ・ノックスは真犯人ではないと思う。以下にその理由を述べる。まず、彼女が真犯人だということを示す物的証拠がないという点が大きい。被害者のDNAが付着したナイフがアマンダのボーイフレンドの自宅のナイフから発見されたが、付着しているDNAの分量はごく僅かで、料理をする時に指を切る程度にすら至らないもので、致命傷を与えるに足る充分なものではなかったことが挙げられることと、その他多く採集されたDNAが検察の不手際により「汚染」されてしまっていると認定され、物理的な証拠が一切認められなかったということがある。

しかし、DNA検査は諸刃の剣でもある。検査方法によって違う結果が出る場合があることは、過去の裁判の歴史を見ると、わりとよくあることのように思えるし、おそらくは科学者の「腕」によっても検査結果が違ってくる恐れもあるため、DNAがよほど完璧な状態で保存され、絶対に間違いなく犯行時にその場にいて、犯行をすることによって付着したものだと言い切れるものでない限り、却って怪しい。むしろ、DNA検査が導入されたが故に、DNAによる犯行の説明が不十分だとの理由で釈放された「真犯人」は過去に大勢いるのではないかという疑問すら持ってしまうほどだ。

従って私はDNA鑑定の観点から、アマンダ・ノックスが真犯人ではないというわけではない。Netflixでアマンダ・ノックスのケースを担当した検察官のインタビューを見たが、彼は彼女の話す内容に信ぴょう性が低かったことやリアクションが怪しかったことから、犯人ではないかとの疑いを強めたと述べていたが、これは自ら自分が自白偏重主義者であり、「リアクションが怪しいと犯人」という先入観で捜査していたことをも告白しているのと同じであり、残念ながらその検察官を高く評価することはできない。また検察サイドはアマンダ・ノックスが複数人の男性とセックスパーティを行っており、そこに被害者が帰ってきたので参加するよう誘ったが拒否したので殺したという筋読みをしているが、わざわざ「セックスパーティへの参加の強要」という、どちらかと言えばあまり起きなさそうな出来事を犯行の動機に結び付けており、当日、セックスパーティがされていたかどうかすら証明されておらず、やはり検察の筋読みの甘さが気になってしまう。

ここまでで科学的な面と自白偏重・見込み捜査という捜査手法の問題から、アマンダ・ノックスのケースについて考えてみたが、続いて、唯一真犯人の一人だとされて有罪判決を受けたプエルトリコ系の男性について考えてみたい。この男性は、被害者の女性とある程度の仲だったと見られているが、彼は、彼がトイレに行っている間に反抗が行われ、戻ってみるとアマンダ・ノックスが逃走するシルエットが見えたと証言している。この証言の信用性は低い。Netflixのドキュメンタリーでみることができた当時の現場の映像を見れば、事件が起きた時、犯人と被害者は相当にひどく揉み合ったことが一目瞭然である。凄惨な血痕が部屋中に散らばっており、これは被害者が流血しながらも頑強に抵抗していたことを示すものだ。犯行は一瞬にして行われたのではなく、場合によっては何時間にもわたる壮絶な戦いになっていたかも知れない。その時に「トイレに行っていたので犯行の瞬間は見ていないが、戻ってみるとアマンダ・ノックスのシルエットが見えた」というのは普通では考えにくい。激しい殴り合いや揉み合いの音がある程度の長さ続いたのだから、すぐに現場に向かうことができるはずである。尚、この男性は現場に複数の指紋が発見されており、事件とのつながりを疑う向きは少ない。本人は現在も無実を主張しているとのことだ。私見だが、プエルトリコ系の男性は、マスメディアがアマンダ犯行説で熱を帯びている様子を知り、アマンダに犯行をなすりつけようとしたのではないだろうか。「アマンダが犯行をしているところを見た」とまで言ってしまうと公判で再現しなければならなくなるため、かえって不都合であり、アマンダが逃げる後ろ姿を見たで押し通そうとしたのではないかという気がする。

アマンダ・ノックスは事件が起きた時はボーイフレンドと過ごしていたという。これは第三者が見ていなければアリバイとしては弱いが、若い男女が誰にも知られずに部屋で過ごすというのは普通にあることなので、不自然さを疑わなければならないような類のこととも思えない。

以上なことを総合的に勘案すると、事件解決を焦った司法当局が「セックスパーティに参加しないので殺した」という強引な設定を作り出し、アマンダに執拗に手を変え品を変えて質問をし、やはり強引に矛盾点を作り出し、「アマンダの証言は信用できないから黒」ということに仕立て上げようとしたのではないかという気がしてならない。

直接証拠も状況証拠も不十分なのだから、無罪が妥当ではないだろうか。私見です。

一夫一婦(モノガミー)に関する議論

一夫一婦(モノガミー)については、これまで数えきれないほどの真剣な議論がなされてきたと言える。現代社会では一夫一婦は普通のことだが、果たして本当に普通のことと言えるかどうか疑問を呈す人たちがいるからだ。

60年代のアメリカから始まったものだが、世界的に性に対する考え方が開放的になったことが大きな理由の一つだと言えるし、19世紀から広がった厳格な恋愛至上主義とも関係があると言える。

性に対する考え方が開放的になった結果、人々は生涯のうちに複数のパートナーと出会うことが普通になったが、多くの場合は結婚という制度によって人生最後のパートナーをこの相手と見定めてある種の契約関係を結ぶが、時には離婚し、契約関係を解消する。離婚は精神的にもダメージが大きいし、経済的にも大きなダメージを受けることがある。更に周囲の人間からの評価にも直結することがあるため、結婚制度そのものが人の生活にある種の足かせをかけるという考え方があるのだ。

結婚制度そのものを否定するつもりはないが、仮に結婚が「愛」を前提として結ばれる契約だとすれば、人の心はうつろいやすいため愛が失われるリスクは常に潜んでおり、仮にリスクが顕在化した場合のダメージは繰り返しになるが計り知れない。それでも一夫一婦制を守り続けますか?とする問題提起だと言ってもよい。また、厳密な恋愛至上主義者は愛を感じている時は共に過ごすが、愛が失われたと判断したら即座に別れることがより道徳的な選択であると主張する場合もある。ロジックとしては間違っていないとも言える気がする。

恋愛結婚は60年代以前から欧米中心に主流になりつつはあった。これも恋愛至上主義の一形態だった。ロマン主義が流行し、永遠の愛、生涯の愛というロマンチックな言葉を用いて結婚する理由としたのである。18世紀くらいから広がり始め、20世紀には相当に幅広く支持されるようになった。しかし社会心理学者のエーリッヒフロムは、結果として結婚が市場になってしまい、個々人は自分の値打ちをできるだけつり上げることにより、より値打ちのあるパートナーを得ようとしていると『愛するということ』で指摘した。生涯愛することを前提とするパートナーを市場価値で競い合い手に入れることが果たして「愛」なのか、とする鋭い疑問である。

ロマンチックな恋愛結婚という概念が生まれる前は結婚は家同士が主として財産や政治勢力の拡大のために行うものであり、たとえばハプスブルク帝国やブルボン王朝はそのようにして支配を拡大していった。日本でも政略結婚はよく行われたものであり、これについては説明不要であろう。

政略結婚を行うのは特権階級かとてもつもない富裕層である。彼らは結婚という手段を用いて力の維持と拡大を図ったが、それによってたとえば王や貴族、日本でも封建領主は大勢の女性を独占することができた。一夫多妻である。

一夫多妻に憧れるようなことを言う人が時々いるが、男女の数がほぼ同数であるにもかかわらず一部の男性が女性を独占するということは、残りの大多数の男性には一生女性と縁がないかも知れないということでもある。特権階級に生まれてくる自信のある人は一夫多妻に憧れても道理に合うが、これは完全に運の範疇になるので、そのような自信のある人はいないだろう。

さて、一夫一婦はヨーロッパで市民社会が確立される過程と同じ道程によって定着したと私は思うのだが、この一夫一婦制度によって、男にとっては特権階級に生まれなくても結婚できるという利点があり、女性にとっても特権階級の男性に支配されるというリスクから自由になれるという利点があったと言える。言い換えれば、ほぼ全ての普通の人にとって、結婚できるチャンスがあったという共産主義みたいな仕組みだったと言えるかも知れない。

しかし、その一夫一婦(モノガミー)はもしかするとだんだん崩れ始めているのかも知れない。離婚経験者は普通にごろごろいる時代になった。不倫は後を絶たない。ただ、離婚しない人の方が多いし、多分だが、不倫しない人の方が多い。これについては多分、としか言えないが。

少なくともアメリカの海岸沿いに住む人たちからは結婚制度そのものへの疑問が提出されており、結婚は人間を拘束し、時には抑圧する制度なのではないかと指摘する人もいるようだ。フランスでも事実婚が多いと言われるが、それが事実だとすれば結婚制度が充分に機能していないか、必要ないかのどちらかだと言えるだろう。

とすれば、あるいは結婚は必要ないかも知れない。私はここでその是非についての決着をつけるつもりはないが、人の心が揺れ動くもので、より自由を大切にしたいのであれば、結婚という制度そのものを取っ払ってしまい、その時、その時で真実に恋愛感情を持つ相手をパートナーにすることも決してナンセンスとは言い難い。私はアメリカの海岸沿いの住む人たちの意見について述べたが、アメリカの内陸部では今でも厳格に生涯一人のパートナーに倫理的な正しさを感じている人が大勢いることも確かだ。B級のアメリカ映画で保安官が地元の既婚女性たちと浮気しまくっていたという告白が、物語のクライマックスになるというのを観たことがあるが、日本の気の利いた映画ならようやく物語が始まって、さてこれからが修羅場だという程度の衝撃度しかないはずで、正直、つまらない映画だったが、それがクライマックスとして成立すると信じる人が一定程度いるのは事実なのだから、それほど一夫一婦の美しさを信じている人も多いということも忘れてはいけないだろう。

さて、これから世の中がどちらへ向かうかはなんとも言えない。過去50年ほどの人間の思想の歩みは性差別や人種差別と撤廃していくために大いに力が尽くされた歴史だったと私は思う。結婚制度を辞めてしまおうという試みは、一方において女性を家庭から解放するし、男性も家を養うという社会的圧力から解放されるかも知れない。自由奔放な性行動によって生まれてくる子供は公的な扶助や機関によって国家や地域が一緒に育てるという選択肢はもちろんあり得る。前衛的な意見を持つ人の中には、パートナーを複数、互いに共有し合うようなイメージを持っている人もいるようだ。それがいいことかどうか、私には分からないが、否定はしない。

ただ、漠然と、なんとなく思うのだが、おそらく人類が結婚という制度から自由になった結果、大勢のパートナーに恵まれる人と、生涯パートナーを得られない人に分かれるだろう。新たな格差になるような気もする。世の中が悪いとか言っても始まらないので、そこでどうやってうまく生きるかは個々人が試されるとしか言えないのかも知れない。

ジュリアンアサンジ死亡説を考える

ジュリアンアサンジの「やらせ説」は以前からあった。なぜかわからないがwikileaksはヒラリー・クリントン氏に対する狙い撃ちを続け、それは確実にトランプ氏の大統領選挙での勝利に影響したと考えられているためだ。私もwikileaksの活動がなければ、あるいはヒラリー氏が勝利していたのではないかと思う。少なくともいわゆるストリームメディアのほとんどがヒラリー押しであり、トランプを泡沫扱い、または愚か者扱いしていたことは詳細に述べるまでもないことだ。馬鹿ですけべなだけのおっさんよりも、元大統領夫人で国務長官、ホワイトハウスでの経験は長くて手腕も確かなヒラリー氏の方がいいに決まっている。その上アメリカ史上初の女性大統領が登場するのだ。女性大統領が登場することに異論のある人はいないに決まっている。ヒラリー以外誰を選ぶのか?というのがそれらのメディアの主たる論調であり、メディアがここまで持ち上げる以上、ヒラリー氏が勝利すると誰もが思ったに違いない。

しかしwikileaksの活動によりヒラリー氏には裏の顔があるということが世の中に知れ渡ってしまい、私もまともにwikileaksが公開した情報を読んだわけではないが、どうもヒラリーはなかなかの食わせ物らしい、あの顔を見ろ。日本のどこかの知事と同じで自分中心な高飛車女じゃないか。という印象どうしても植え付けられてしまったのである。

アメリカではどの州が共和党を応援し、どの州が民主党を応援するかは大体決まっている。人口の多い両海岸沿いは民主党支持者が多く、広大だが人口の少ない内陸部では共和党支持者が多い。その中に揺れ動く州と呼ばれる地域が幾つかあり、それらがどちらに着くかによって勝敗が決まる。筆者が暮らしたことのあるミシガン州は比較的民主党支持者の多い地域だが、開票のニュースを見ると共和党の色に染まっており、これを見たときに私はトランプが勝ったと思った。

いずれにせよ、あれだけ馬鹿にされたおもしろいだけのおじさんを大統領に押し上げるのにwikileaksは多いに貢献した。そしてハリウッドから徹底的に嫌われた。「やらせ」を疑うのも理解できなくはない。いや、やらせだと考える方がいろいろと辻褄が合うのではないかという気すらしてくる。

現在もアサンジ氏はロンドンのエクアドル大使館に逃げ込んだままで、一歩も外に出ない生活を続けていることになっている。共和党の議員から恩赦をしてはどうかという提案が出た言われるが、wikileaksが共和党の仕込んだやらせだということの傍証のように思えなくもない。

そのアサンジ氏が死亡しているという説は現在ネットで広まっており、熱心にアサンジの死亡の手がかりを収集し分析を加えている人が多い。全く信用できない分析もあるが、鋭いところを衝いていると思わせるものもある。

たとえばwikileaksはスタッフが大幅に入れ替えられた可能性が指摘されている。これが事実だとすれば、アサンジとwikileaksが切り離されたと見ることができる。更に今年に入ってアサンジ氏に面会に訪れた友人が面会を断られるという出来事もあった。外の世界に飢えているはずのアサンジ氏が貴重な友人の面会を断るということは考えにくい。多忙ということもないだろう。最近はアサンジ氏本人によるtwitterへの投稿もなく、エクアドル大使館の窓から支援者に顔を見せることもない。インターネットを利用した情報発信も新しいものを見つけることができない。

アサンジがdead man`s switchを発動させたと言う人もいる。暗号としか思えないツイートを残しており、危機的状況に陥った彼が仲間に解読コードを知らせたというわけだ。そこまでは理解できるが、命と引き換えの保険にあたるdead man`s switchを発動させたのならば、それに相応しいだけの暴露情報がwikileaksから出されてもいいはずなのだが、そういった話はない。Wikileaksがアサンジから切り離されているとすればそういうことにはならないかも知れないが、アサンジの弁護人たちは現在も活動中なのだ。情報暴露は不可能とは言えない。アサンジ氏の弁護人が鉄道事故で亡くなったことを陰謀論のように語るサイトもあるが、彼の弁護人は複数いる。もっとも、一人亡くなったことは警告だったと受け取ることもできるかも知れないが。

イギリスの秘密機関MI5やMI6のようなところがアサンジ氏を殺害することは不可能ではないように思える。大使館は治外法権だが、ライフラインはイギリス側が握っている。アサンジを逃がさないためにあらゆる抜け穴は抑えてあるだろうし、見取り図も持っているかも知れない。以上の諸要素を考えてみると、アサンジが今この段階で生きていないとしても、それは驚くには当たらないのかも知れない。上に共和党議員による恩赦の提案について触れたが、共和党のフィクサー的存在として知られるロジャーストーン氏はアサンジ氏と食事したと知人に伝え、後に「あれはジョークだ」と言ったという。アサンジを利用し尽くした共和党にとって最早用済みになり見捨てたと見ることもできなくはない。アサンジが死んだかも知れないという可能性を示唆する情報は溢れており、一方でアサンジが生きていることを証明するものがないのであれば、死んでいると考える人が増えるのも理解できる。だが、死んだと言い切れるだけの証拠も存在しないのも事実だ。

私が不思議に思うのは、もしMI5なりMI6なりがアサンジ氏を殺害したとして、死体はどう処理されたのかということだ。朝、エクアドル大使館の職員がアサンジ氏が亡くなっている姿を発見したとして、死体を放置しておくわけにはいかない。燃やすか搬出するか、埋めるかしなければならない。死体と一緒に暮らしたいとは思わないだろうから、放置するとは考えにくい。しかし誰にも気づかれずに荼毘に付すことは不可能だし、死体を地下に埋めるというような冒涜的な行為を何も悪いことをしていない、正当な職務を遂行しているだけの職員たちはやりたがらないだろう。搬出するしかないが、搬出されたという話はない。

また、エクアドル大使館員はイギリスに対して堂々と抗議することができる。エクアドル大使館がアサンジを受け入れた理由がイギリス対する嫌がらせが目的だったとすれば、アサンジ殺害がもし事実であれば、イギリスを堂々と批判する格好のチャンスである。敷地に入ってきて殺人を行ったのである。いかなる理由があれ、正当化できるものではない。ネット上では生きている証拠が見当たらないことを理由に死亡説を採用しているところが多いが、死体の処理という現実的な問題に触れているところを見つけることはできなかった。そしてこの話題は「死体の処理はどうするのか?」に答えられなければ、完全に答えたことにはならない。

だがもし、アサンジ氏が誘拐された場合はどうだろうか。イギリス側がそれを実行することはおそらく十分に可能なはずだ。この場合、アサンジ氏は隔離されているかも知れないし、或いはどこかで殺されたかも知れないが、エクアドル大使館で死体の処理をすることは事実上不可能であるという難題が解決することになる。とはいえ、これもやはりとてつもない外交問題だ。敷地に入り込み誘拐したのである。戦争を始める理由にすらなり得る。戦争はしないだろうが、イギリスを非難する絶好の機会になることは確かだ。しかし、そのような動きはない。エクアドル大使館は彼が生きていることを前提に活動している。

このように見ていくと、アサンジ氏は共和党の仕込み、やらせだった可能性は十分にあるが、殺された可能性はそこまで高いのではないだろうかと思えてくる。ただ、生きている証拠もないのだから、いずれ本人が出てくるまでは死亡説の噂は流れ続けることになるだろう。だが、窓から顔を見せればすむだけのことをしないというのは理解できない。人間なのだから窓の外くらい見たいはずだ。やはり死んでいるのだろうか…

BC級戦犯裁判‐岡田資中将のケース

戦後、東京裁判でA級戦犯が裁かれましたが、ほぼ同時進行、場合によっては少し遅れてBC級戦犯裁判もアジア太平洋各地で行われました。果たして戦勝国により敗戦国を裁く裁判が公平公正なものになり得るかという議論はもちろんありますが、大変に興味深いケースとして終戦時東海軍司令だった岡田資中将の裁判があります。

終戦前の半年間はアメリカ軍による絨毯爆撃、無差別爆撃が日本各地に対して行われたわけですが、民間人や民間施設に意図的な攻撃を加えることは戦争犯罪だという認識に立ち、岡田中将は撃墜されてパラシュート降下した米兵を捕虜としてではなく戦争犯罪人として裁き、死刑の宣告をして執行させたということが問題になりました。

但し、死刑の宣告を下す手続きが不公正なものであったということが問題にされました。岡田中将は1945年7月に軍律会議の略式手続きで死刑の決定をしたわけですが、死刑という重い刑に対し弁護士もつかない軍率会議をしかも略式手続きで進めてしまったということで、適正手続きを経ていないということが問題視されたわけです。

軍律会議は軍法会議とはまた違うもので、戦時下の慌ただしい中、軍司令官が行政権と司法権も掌握して軍律を定め、軍律違反者には軍司令官が判決を下すことができるという三権分立もなにもあったものではないという仕組みであり、弁護士もつきませんから、検察側はその問題を指摘し、というかその問題に絞って被告を攻撃するという方針で臨みます。

一方、ここが大変に興味深いことですが、被告と弁護人は①責任は軍司令官一人にあって、部下には一切責任がないという立場を貫き、②激しい爆撃下で略式手続きをするのが精いっぱいだった、当時としては最善を尽くしたということを主張し、③激しい爆撃下というのがどれくらい激しかったかということを立証するために、当時のアメリカ軍の爆撃が無差別爆撃で戦争犯罪に値するということを立証するという構えをとりました。

岡田中将はその裁判の時に部下に責任を押し付けることなく、自分一人が全てを引き受けるという姿勢で臨んだことから、人格的に日米関係者双方から高く評価され敬意を集めたと言われています。また、岡田中将のみが死刑判決を受け、実際の執行にかかわった部下たちが死刑判決を受けなかったことは、実質的に被告・弁護側勝利とも言える判決だったと言え、知る人ぞ知る、希少なケースであったと言えると思います。

このような実質勝利を勝ち取ることができたのは、被告・弁護側の戦略が非常にうまくヒットを当てたということがあると思います。第一に、岡田中将が自分から「全て私の責任だ」と正面から主張したことは、裁判委員(米軍の法務関係者で、事実上の判事)に対する印象を良くしたようですし、検察もその態度には好感を持ったと言われています。担当検事は判決後に減刑嘆願の文書に署名までしたそうですから、岡田中将個人に対する感情は良かったのでしょう。次に、軍律会議の略式手続きが公正だったかどうかを争点にしようとしなかったこともいい戦略だったように思います。ここは私の考えになりますが、弁護士のつかない軍律会議の略式手続きで死刑判決を下し、しかも実行するというのははっきり言ってかなり乱暴のように思えます。被告・弁護人サイドは激しい戦時下であったので、最善を尽くしたと述べつつ落ち度はあったことも認めます。その上で、戦時国際法違反になる無差別爆撃が如何に酷かったかということを証拠や証人を集めて立証し「適正手続きをとっていたとしても、極刑になっただろう」と検察や裁判委員に思わせることに成功したことです。結果としては、岡田中将の落ち度は法の適正手続きの観点から見てあまりに簡単に進め過ぎたことだけが問題で、量刑として非道なものではないという印象を与えることになりました。

それでも岡田中将に死刑判決が下りたのは、無抵抗のアメリカ兵が殺されたこと自体は事実であるため、米国世論を納得させるためだったと見ることもできますが、関係した他の被告たちが寛大な処分が下された背景には既に冷戦が始まろうとしていた時代背景も関係があったようです。終戦直後は悪の枢軸を担った日本帝国の悪い奴らに慈悲は不要という心理状態があったに違いないのですが、アメリカの立場としては新しい脅威としてソビエト連邦が浮かび上がり、その脅威が日を追って濃くなっていく中、日本の再武装を望むようになり始めており、再武装に必要な軍経験者を次々と処罰している場合ではないという変化が起きてきました。死刑判決はなるべく少なくし、死刑を宣告した後も終身刑に減刑し、将来的な釈放にも含みを残すというように方針が変化したため、BC級裁判は結審が遅いものほど寛大な判決が下るようになったようです。ここは私の想像になりますが、A級戦犯の裁判が終わり、刑が執行された後は、アメリカ世論もある程度鎮静化してさほど厳罰を望まなくなったということも大きいかも知れません。

岡田資中将の場合は減刑されることなく、刑が執行されてしまいましたが、中将本人は相当覚悟が決まっていたらしく、裁判中から日蓮宗を基礎にした仏教研究に力を入れ、自身で理論化を進めて行ったそうです。死を受け入れるために、自分なりの死生観を作り上げる必要がきっとあったのだと思います。彼の仏教理論と、スガモプリズンで教誨師をつとめた花山信勝氏の理論とは対立もあったそうですが、東京大学の教授の花山氏と対立できるだけの理論武装をしたというのはそれだけでも凄いように思います。スガモプリズンの死刑囚で間では花山氏の指導よりも岡田中将から指導を受けたいという声も少なからずあったようです。花山氏の教えが仏様にすがって極楽浄土へ行けるのだという他力本願的で慰め要素が強かったのに対し、自分がより仏陀の精神に近づけるよう精進し、刑に向き合い受け入れるという岡田中将の姿勢の方が現実に執行に直面する囚人たちの心を掴んだのかも知れません。

死刑は廃止すべきか?それとも存置すべきか?

先日、ニコニコ生放送で死刑は廃止すべきか、それとも存置すべきかの討論番組をやっていましたから、私は熱心に視聴し、自分なりの考えをまとめたいと思いました。双方の論者に存分に自分の意見を述べてもらうという趣旨としてはさすがはインターネット、テレビではなかなかできない突っ込んだ議論がなされたと思います。

死刑については廃止すべきという論者には充分な論拠があるように思える一方で、存置すべきとする論者にも充分な論拠があるように思えますから、一概に絶対どちらかが正しいと言うことは当然できない難しい問題です。私は感情的には死刑を廃止してほしいと思っていますが、それは死刑が執行されたというニュースに触れると、どうしても気持ちが暗くなってしまうというごく個人的な感情の理由に拠ります。ですがそれは私が犯罪被害者遺族ではないから言えるのであって、もし自分が被害者または遺族になった場合、逆の感情を持つことは充分にあり得ます。

とはいえ、私は今の私を軸に考えていくしかないわけですが、被害者遺族の方が番組に熱心に「なぜ死刑でなくてはならないのか」を訴えてくれたことは、私にとって考えるための重要な材料にすることができました。個別具体的な事例については、私は猟奇的な内容を好みませんからここでは述べませんが、被害者遺族の方が訴えていたことには2つの軸があるように思えました。1つは復讐の感情です。犯人の自己中心的な動機により残虐に殺された人の遺族が復讐の感情を持つことは正当だと思います。また、社会にとってもそういう人間を葬り去りたいという動機が生まれてくることはやむを得ないのかも知れません。もう1つの軸は犯罪被害者が置いて行かれているということへの憤りでした。加害者は法律で様々な権利が守られており、法の適正手続きを経て刑が執行されることになります。それまでは生活もできますし、教戒師の人と話し合いを重ねるなどして刑を受け入れる心境になるまでの時間が与えられます。しかしながら、被害者はもちろんそのように手厚く殺されたわけではないですし、被害者遺族に手を差し伸べるということに法や社会が充分に意識しているかといえば、充分ではないかも知れません。本村弘さんは戦って戦い抜いて加害者に対し自分の納得できる刑を科すということができましたが、そこまで戦って疲労困憊しなくてはいけないということにそもそも問題があると言えるかも知れません。

できるだけ人に優しい社会にしたいとは誰もが思うことです。私もそういう社会が建設されることを望んでいます。だとすれば、死刑を廃止すべきと考える人と死刑を存置すべきと考える人の間で一致できる点は、被害者遺族へのケアやサポート、救済のための手立てをできる限り厚くすることではないかと思います。特別会計で予算を組んでそのための公的な組織を作り、重大犯罪の被害者遺族の方は一生涯苦しむことになるでしょうから、生涯をかけてサポートするような仕組みやプログラムを考えていくということにはおそらく異論が出ることはあまりないと思います。運用上の問題が出れば、その時に試行錯誤して改善すべきと思いますから、まずはそういう取り組みをするべきではないかも知れません。廃止派と存置派はこの点では一致できるはずです。

被害者遺族が最も望むことは復讐でしょうけれど、次いで望むことは加害者の真摯な反省と謝罪ではないかと思います。これもプログラムしていく。年に数回、加害者に手紙を強制的にでも書かせる。最初のうちは反省していないでしょうから、表面的な言葉になるかも知れませんが、繰り返し書いていくうちにだんだんと真実な謝罪や反省の言葉が生まれてくるようになるのではないかという気がします。日記を毎日書く人の文章がうまくなるのと同じような感じです。本村弘さんが戦った事件では加害者が死刑から逃れたくて謝罪の手紙を書き始めましたが、報道で見る限り、次第に内容に心や誠意が入り込んでいったように思いますし、それらの反省と謝罪の言葉を読んで、どうしても死刑にしなくてはならないとも言い切れない…と思った人は少なくないと思います。担当弁護士がこの事案を利用して自分の政治的主張を被告人述べさせようとしてそれまでの謝罪と反省の言葉を覆させてしまい、この事例では死刑判決が出されましたが、本村さんがその直後の記者会見で、もし謝罪と反省を覆すようなことをしなければ死刑は回避できたのではないかと話していたことを私は今も時々思い出します。そのような発言があったということは、被害者遺族である本村さんとしても、真摯な謝罪と反省の言葉を読み、心を動かされるところがあったということだと思いますし、多くの犯罪被害者の人たちにもそれはある程度、共通することなのではないかと推察します。

死刑についてはその存廃をすぐに結論することは難しいですが、被害者遺族の方たちに社会が手を差し伸べるということをでき得る限り手厚くしていくということと、加害者に謝罪と反省を徹底的に促す(教戒師のような立場の人がお給料をもらって、根気よく諭し、指導もする)ということを充分に行った上で、それでも遺族の方たちが加害者に対して死刑の執行を望むかどうかを問うてみるというプロセスがあってもいいような気がします。

法理論ということで言えば、私は法理論はド素人ですから、大したことは言えませんが、長期、場合によっては生涯、自由を奪うだけの刑(刑務所や拘置所に隔離する)を支持する立場と、死刑が存在することで社会が殺人を容認しないことを担保すると考える立場に分かれるようです。理論は大切ですが、死刑の執行は最終的には法務大臣の署名がなくてはいけませんから、政治判断に委ねられているとも言え、政治は人の心そのものです。人々が望まない政治は如何に理論的に整合性が取れていようとも、政治として成立しません。社会に参加する人の心が納得する形のものを目指す他はありません。

以上は私なりにより多くの人が納得できるあり方はないかということを考えてみた結果です。

『火垂るの墓』をもう一度みて気づく「無責任の体系」

高畑勲監督が他界されたことを機に、『火垂るの墓』についてよくよく考える日々が続き、もう二度と見たくないトラウマ映画だと思っていましたが、やっぱりもう一回見ないと何とも言えない…というのもあって、改めて見てみました。ネットで広がる清太クズ論は私の内面からは一掃され、それについては完全否定するしかないとの結論に達しました。

父も母も家もない状態で、清太は妹を守ることに全力を尽くしており、金にものを言わせようとした面はありますが、最後に頼れるのはお金と思えば清太が金を使うことは正しく、更に言えば盗みをするのも妹と生き抜くためにはやむを得ません。それこそ非常時です。空襲で家を焼かれなかった人の数倍、清太個人にとってはとても支えきれない大非常時と言えます。

西宮のおばさんが悪いのでしょうか?私は自信をもって西宮のおばさんが悪いと断言できますが、悪いのは西宮のおばさんだけではないというのがこの作品のミソではないかと思います。とはいえ、まずは西宮のおばさんを糾弾するところから始めたいと思います。確かにおばさんにとっては、清太と節子の兄妹は厄介者です。しかし、親を亡くして焼け出された兄妹に対し「疫病神」だのなんだのと言っていびり倒すのは間違っています。印象的なのは清太が決心して節子とともにこっそり西宮のおばさんの家を去ろうとした際におばさんと不意に遭遇してしまった時の様子です。おばさんは「気いつけて」「せっちゃん、さようなら」と言い、心配そうに二人の後ろ姿を見送ります。おばさんは大人なのです。出て行こうとする二人に対して「何をバカなことを考えているのか。二人で野宿でもするのか。いいから家にとどまってこれからのことをよく考えなさい」と説諭してしかるべきです。しかし、心配そうに見送るだけなのです。いびり倒した上に心配そうに見送るだけのおばさんに非があって当然です。おばさんの家には少なくとも三畳間が余っているわけですし、食料がないと言っても清太と節子の食料の配給もあったのです。二人は野宿者となり、配給すら受け取れない状態へと自滅していく様子がおばさんにはありありと見えたはずです。にもかかわらず、心配そうに見送るだけしかしない大人の責任とは問われなくてはいけません。

この作品では大人の「無責任」が随所で強調されています。たとえば清太が盗みを働いた農家の男は清太を殴り倒し、おさない妹がいることを知りながら「自分が受けた被害」だけに憤慨して警察に突き出します。西宮のおばさんは「助け合い」を清太に強調しましたが、おばさんも所属する大人の世界は我が事のみを考える世界だったわけです。警察官は清太に優しいですが、水を飲ませるだけで今後の二人を助けるきっかけを与えようとまでは考えません。警察官も無責任なのです。清太が母親の着物やお金と交換に食料をもらいに行っていた農家のおじさんも清太にお金がないと分かった瞬間に食料の提供を拒み「うちではそんなに余っていない」「お金や着物のことを言っているのではない」「おばさんに頭を下げろ」と米のおにぎりを食べながら諭しますが、はっきり言えば交換できる物のないやつに与える飯はねえというわけです。

節子が亡くなって荼毘にふすために必要な材料を買いに行ったとき、お店の人が呑気そうに「今日はええ天気やなあ」と言いますが、その表情が実に幸せそうであり、清太にとって重大事である節子の死に対する慎ましい態度というものを見せようとする気遣いすらありません。

高畑勲監督が『火垂るの墓』は反戦映画ではないと言っていましたが、今回改めて見てよく分かりました。これは戦争の悲惨さを描く作品なのではなく、丸山眞男が唱えた「無責任の体系」を描く作品だったのです。ですから、美しい日本とか、助け合いの日本とか、公共道徳に優れた日本とか言ってるけど、お前らみんな、清太と節子を見捨ててるじゃん。と監督は言いたかったのではないかと私には思えます。丸山の無責任の体系のその中心に天皇がいるという議論には私は賛成しかねます。天皇制があるから戦争中の日本人が無責任だったのだという議論そのものが無責任だと私には思えるからです。新聞が煽り、国民も多いに沸いて主体的に戦争に関与し、ある人は儲けも得て、戦争に敗けたら〇〇が悪いと言い立てて自分には責任がないと言い張ろうとする姿こそ無責任です。そしてそれは少なくとも『火垂るの墓』が制作されたその時に於いても同じなのだと高畑監督は主張したかった。だから最後に現代のきらびやかな神戸の夜景のシーンを入れたのではないかと私は思います。

余談というかついでになってしまいますが、統制経済を導入し食料を配給制にして、隣組に入っていないと配給すら受けられないとする、ちょっとでもコースから外れたら即死亡という体制翼賛的国民総動員社会を作ったのは近衛文麿です。国民総動員の名のもとに国民の自由意思を制限し、全てをお国に捧げざるを得ないように仕向けた結果、戦争も敗戦も自分には何の責任もないというロジックが生まれたとすれば、敢えて私は清太と節子が死んだのは、近衛文麿がせいだと言いたいです。

トラウマ映画の『火垂るの墓』ですが、今回は初見ではなく節子が死ぬことは最初から分かってみていましたし、いろいろな情報を得て感情面でも中和してみることができましたから、心理的ダメージは少なくて済みました。もう一回見たいかと問われれば、もう二度と見たくありません。