サイパン島の戦いのこと

私の母方の祖父がサイパン島で戦死していますので、母が訪問したがり、一緒に何度か訪れたことがあります。もし、遊びに出かけるのなら、サイパン島よりグアム島の方が楽しいのではないかという印象が私の中にはあるのですが、そもそも父祖の世代が飢えや火炎放射器で苦しみ抜いたということを考えると、あまり楽しみたいという気持ちにもなりにくいです。

 祖父がどのようにして戦死したかということについては、今に至るまでさっぱり分かっていません。サイパン島は玉砕していますので、生きて帰った人が本当に少なく、証言してくれる人もいませんので、これは永遠に分からないままになると思います。

 サイパン島の戦いはガダルカナル島の戦いとはその持っていた意味が大きく違います。ガダルカナル島の戦いは積極的な攻勢に出ることを企図していたものですが、サイパン島には日本人の市民が生活していたため、その人たちを守らなければいけなかったということとアメリカの爆撃機が日本本土まで到達できる距離にあるため、サイパン島が陥落すれば、その後は空襲が頻繁に行われることを覚悟しなくてはいけませんでした。

 生き残った人々は島の南端の方へと逃れ、日本艦隊が救援に来てくれることを期待しますが、言うまでもなくそのようなことは起きませんでした。逃げる先を失った人々が島の南端で海に飛び降り、バンザイクリフと呼ばれたことは知られていることです。私と母もバンザイクリフは訪問しましたが、景色が大変美しい場所ではあるものの、やはり気持ちが何とも言えない追い詰められたような心境になってしまいました。あの海の景色は当時の日本人はまさしく行き場のない「絶海」に見えたのだろうと思います。

 サイパン島が陥落したことで、その後は日本市民の被害が増えることがはっきりしていたわけですから、その段階で日本不利を認め、戦争を終わらせるという選択肢がどこまで現実的だったかは分かりません。しかしながら、東条内閣は責任を取って総辞職するものの、戦争は継続されていきます。辛い歴史ですが、忘れることもいけません。

関連項目
ガダルカナル島の戦い

ガダルカナル島の戦いのこと

日本軍はガダルカナル島を攻略し、現地に飛行場を建設することにより、アメリカとオーストラリアとの連絡を絶ち、更に、オーストラリアを攻略して日本優位の講和を画策していたようです。

しかし、ガダルカナル島の戦いはそのように簡単なものではありませんでした。日本軍の飛行場建設を知ったアメリカ軍は事態の重大さに気づき、即座に攻撃を仕掛けて飛行場を奪取します。日本軍はその奪回のために最初は一木支隊約1000人を投入しますが、全滅してしまいます。その後、辻正信参謀が到着してジャングルの中を進軍し、昭和天皇の誕生日と同じ日に奪回するという英雄主義的な作戦を進めますが、結局は成功せず、日本軍は二万人の死者を出し、残りの兵隊さんたちは脱出するという完全な敗北を喫することになりました。

ガダルカナルの飛行場を奪取したアメリカ軍は、当初に於いて補給が追い付いておらず、日本軍に強襲されても反撃する弾がないという非常に心細い状態だったことが知られています。しかしその段階で、日本軍が本格的な攻勢に出ることはなく、少数の部隊を派遣して勝てるはずと考えていたというのは理解に苦しむところです。

内心ではアメリカ軍が強いということに恐怖心を抱いていたことは間違いのないことでしょうけれど、その恐怖心を正面から受け止めず、敵は弱いという幻想を作り上げ、それを現実だと思い込もうとしていたと考えるのが、安易すぎるかも知れませんが妥当ではないかという気がします。

当初の段階で少数の部隊しか送り込まなかったというのも、大部隊を送って船が撃沈されたらどうしよう…などの恐怖心があって、小出しにしてしまったというのが本当のところではないかも思います。

太平洋戦争に関するものは、読めば読むほど、「ああ、これは勝てない…」という感想に至ってしまいます。

関連項目
サイパン島の戦い

226事件のこと

226事件が皇道派の青年将校たちによって引き起こされた反乱だということは、わざわざ前置きするまでもないことですが、彼らの動機、心情についてはよく言及されるものの、その黒幕については、さほどよく取り上げられるわけでもないように思います。

事件を題材にした映画で、黒幕と目される人物が少しは登場することもありますが、わりとあっさりと触れられているだけで、予備知識のない状態で映画を観ると、ちょっとはっきりとは分からないように、もしかすると故意にそう作られているのかも知れません。

事件の黒幕として真崎甚三郎大将が怪しい、ということはほぼ間違いないようですが、軍法会議では実際に行動を起こした青年将校たちに対しては無慈悲とも思えるほど冷たい扱いをしているのに対し、真崎大将は無罪になっています。軍法会議としては、青年将校たちに銃殺刑を宣告して事態が収拾に向かう中、真崎が裏にいたことはよくよく知っているが、これ以上の面倒は困るので、見逃してやった、といったところではないかと思います。判決文を読めば、どういう事情だったか全部ばれていたことが分かるという人もいます。

軍人による首相を誕生させ、一機に日本の各方面を牛耳り、天皇を中心とした統制国家を作る(統制国家を目指すという意味では陸軍統制派とも大差はないでしょう)、という、はっきりと言ってしまえば無思慮な、甘い権力欲への憧れが軍上層部にあったことがうかがい知ることができ、当時の日本にとって最大の敵は内側の陸軍だったのではないか、という厳しい意見を持っても良いと思います。内側にそういうのがいるのですから、日本帝国が滅亡していったのもむしろ自然なことだったのかも知れません。

一方で、青年将校たちのことは同情を持って描かれることが多いようです。真崎大将にうまいこと言われてその気になり、大罪を犯したにも関わらず、天皇がなびいてくれないので真崎大将に見捨てられ、悔しい思いで、言いたいこともきちんと言えずに刑を執行されたことを思えば、可哀そうだなあという心情がどうしても働いてしまいます(実際に襲撃された方や遺族の方たちにとってはそんなことは言っていられないでしょうけれど)。

彼らは良いことをしたとは思いませんが、今も人気があって慰霊碑を訪れる人が絶えないというのも理解できるでのす。

 

写真はwikipediaに掲載されているものを引用しました。