原民喜『夏の花』の筆舌に尽くしがたいものを書くということ

原民喜の『夏の花』は、終戦直前の広島で生活しており、爆心地から1.2キロほど離れた自宅で被爆している。『夏の花』によると、トイレに入っている時に爆発が起きたため、重傷を負わずに済んだのだという。

私は三度ほどこの作品を読んだことがあるが、何度読んでも実感を得ることができなかった。経験したことがないことは読んでも実感できないという面もあるだろうが、広島での被爆体験はそもそも、文字通り「筆舌に尽くしがたい」経験であるからこそ、何度書かれたものを読んでも実感を得ることができないのかも知れない。

たとえば作品の中には黒焦げになって顔や全身が腫れてしまっている人々が大勢登場する。しかし、黒焦げになって顔や全身が腫れてしまっている人の姿を私は想像することがどうしてもできず、読めば読むほど消化できず、もてあましてしまうのである。

だがある時、NHKの原子爆弾の経験者が書いた絵を紹介する番組を放送したものをみた時、「ああ、そういうことなのか」とある程度、原民喜が書こうとした風景をようやく想像することができるようになった。原民喜に書けなかったことを私がここで書けるわけがない。従って、原民喜と同じ表現になってしまうのだが、NHKの番組で紹介された絵には確かに黒焦げになって顔や全身が腫れている人の姿が描かれていた。

原民喜は超現実の絵を見ているようだとも書いていたが、確かに現実生活ではありえないような光景であったに違いない。『火垂の墓』や『この世界の片隅に』はまだ理解できる。爆弾が落ちてきて下いる人々が炎に追われるというのは想像できる。だが、原子爆弾はそういった一切の常識、人が日常生活で経験する常識、そこからの延長線上で逞しくすることのできる想像力の全てを超えているのだということなのだと考えることしかできない。今でも広島や長崎の原子爆弾をテーマにした作品を観ても、現実感をともなう表現に出会ったことがない。

原民喜はその後、三田文学で仕事もするようになるが、やがて鉄道自殺をしてしまう。被爆後は体調不良に悩んでいたといわれ、被爆の後遺症もあったのかも知れないのだが、あの光景を見た以上、普通に生きていく、日常を生きるということに耐えることはできなかったのかも知れない。三度ゆるすまじ原爆をとは思う。過ちは繰り返しませぬからという言葉の響きの重みも私は何度も心の中で繰り返し、どうにかしてその時の光景へ近づこうとする。だが、それは不可能だし、本能的には近づきたくない。ただ、それでも『夏の花』は読み継がれ、人類の記憶として残されなくてはならないということは自信を持って言うことができる。『夏の花』を記憶遺産に登録してもいいのではないだろうか。

谷崎潤一郎『飈風』のMの本懐

明治末ごろに三田文学に掲載されたこの『飈風』という作品は、発行禁止処分になり、現在読むことができるものも伏字の部分がそのままになっていて、復元されてはいない。ただ、個人的には伏字の部分は別に永遠に読めなくてもいいのではないかという気がする。

以下にその理由を述べる。日本官憲によるいわゆる検閲は政治的に問題があるものと、公序良俗を乱すと判断されるものが主としてその対象となった。政治的に問題があるものについて、たとえば不敬なことについて書かれてあるのであれば、それが発行禁止の処分を受けるというのは由々しきことである。必ず是正されなくてはならない。ただ、公序良俗を乱すものについては、多少ではあるがその限りとも言い難いと私は思っている。たとえば今でも映倫を通らなければならないように、ただ単に度が過ぎてエロいものの場合、発行禁止がさほど残念なこととは言い難しと思えるからだ。もちろん、〇〇はOKで〇〇はOKではないという線引きは実に難しく、言論の自由、表現の自由、思想の自由を至上のものとして重視する現代日本において、確かにエロいのは発禁でもいいんじゃね?という浅はかな考えは禁物かも知れないのだが、谷崎の『飈風』の場合、伏字の部分は、どうせ非常識にエロいことしか書いてないんだろうとしか思えず、だったら別にいいんじゃね?とついつい思ってしまうのである。

一応、検閲について確認しておくが、検閲には事前検閲と事後検閲があり、事前検閲の場合は問題の箇所を伏字にすれば販売させてもらえるが、事後検閲の場合は問題の箇所があれば回収されてしまい、永遠に人々の目に触れることはない。事前検閲なら伏字をした上で「発禁の書」という、なかなか悪くない売り文句も使えるので売り手にとってはいい商売のネタにもなり得るが、事後検閲はその書籍を完成させるためのあらゆる努力が無駄になるため、自然と忖度が生じ、表現物が出来上がる段階で権力のご機嫌を充分にとるような内容になっていかざるを得ないという側面を持つ。我々が一部伏字とは言え谷崎の『飈風』に触れることができるのは、事前検閲で問題の箇所のみ伏字にして世に出されたからである。ついでに言うと、伏字にされた著作物は読み手も「あ、伏字」だなと分かるので、検閲されたことに気づくことができるため、権力が介在していることを察知することができるが、事後検閲の場合は伏字のない著作物しか出回らないため、普通に生きていると検閲があることすら気づかない、何がどう検閲されているのか見当もつかないということにもなりかねない。検閲はその制度自体は非常に問題がある制度だが、事前検閲はより良心的であるということは言えるのではないかと思う。

さて、『飈風』では、主人公の真面目な絵描きが友達に誘われて遊郭へ行き、以後、遊郭遊びにはまってしまい、遊郭の女性に惚れ込み、夜毎通うようになった結果、精力の使い過ぎでじょじょに心身の衰弱が顕著になってきたために、しばらくはそのような場所に通うべきではないと主人公は決心し、東京にいるとどうしても通いたくなるため、半年の計画で東北地方を旅して絵を描くというのが物語の始まりである。その途中、彼は様々な女性に関する誘惑にかられるが、その度に、自分にとって女性とは遊郭で惚れたあの人だけなのであり、その人を裏切ることはできないと固く思い詰め、いかなる誘惑もはねのけて却って衰弱してしまい、半年後にほとんどぼろぼろになって久方ぶりに遊郭の惚れたあの人に会いに行くと言う流れになっている。で、最後は半年ぶりの快楽があまりにすばらしいので脳のどこかの神経がぷっつりと切れてしまい、主人公は帰らぬ人となってしまうということで終わる。

これをMと呼ばずして何と呼べばよいのか。彼は別に義理があるわけでもない女性のために我慢に我慢を重ねて、最後はその女性と半年ぶりにそういう関係になっている状態でありがたいことに文字通り昇天したのである。女王様に義理立てし、女王様のために死ぬのである。お前Mだろ意外の感想は持ちようのないほど、Mである。旅先でハンセン病患者の女性と出会い、意気投合しよっぽど押し倒そうかと思ったが思いとどまるという場面があるが、そこでも危うく女王様を裏切るところだったのに我慢した私は偉いと自らを誇りに思うだけであり、ハンセン病の深刻さ、患者への思いやり、人道、人間愛というものへの関心はかけらも感じられない。遠藤周作先生が御殿場のハンセン病患者施設に行った時の心の複雑な動きについて書かれていたことを私はふと思い出し、その違いに大いに驚いた。

遊郭の女王様のことを思い詰め、女王様に義理立てするために禁欲し、最後は女王様に抱かれて死を迎えるのはMの本懐であるに違いなく、繰り返しになるが、本当にこいつはMだ…そして自分がMだと告白する以外になんの関心もない役立たずな男で、こんなのが東京帝国大学に入ったのは果たして日本のために良かったのかという疑問すら湧いてくる。とはいえ、彼の文運はその後大きく飛躍し、書く力に凄みと深みが加わり『春琴抄』や『痴人の愛』、『細雪』のような尊敬するしかない名作をこの世に残すのだから、人というのは分からない。というよりあの谷崎潤一郎にも若気の至りの作品があったのかという感慨すら持ってしまった。

以上なわけで、伏字になっている部分は主として女王様とのプレイに関する部分であり、別に読めないからと言って何も困らないし、読めたとしても大した驚きや感動になるようなものが書かれてあるとは到底思えない。この作品の検閲を担当した内務官僚は「あ、あほか…」という感想を持ったのではなかろうか。

関連記事
谷崎潤一郎『小さな王国』から、お金について考える

映画『イーダ』のおばさんの罪と罰

ポーランド語の映画『イーダ』は、修道院でつましく禁欲的な生活を送るイーダという若い女性が元検察官で裁判官の親戚のおばさんに呼び出され、修道院長の許可を得てイーダは世俗の世界を見て、考えようによっては人間的な成長をし、修道院の世界へと帰っていくという作品だ。

イーダが実はユダヤ人で、家族の大半がナチスのホロコーストによって失われたという事実と、イーダが酒とたばこと男を覚えてそれでも修道院への生活へと帰っていくというシークエンスに注目してしまう作品なため、おばさんのことが少し霞んでしまうが、そもそもイーダが酒とたばこと男を試してみるのもおばさんに影響されてのことなので、作品理解の上で絶対に外せないのがこのおばさんの存在だと言える。

おばさんは超絶エリートで検察官を経て裁判官にまで上り詰めるが、酒浸りでたばこはいつもふかしているし、男癖も悪い。なぜかくも社会的に成功した人物がそんなだらけた生活に堕ちてしまっているのかについては大きく二つの理由が存在する。一つはホロコーストの結果、息子が行方不明なことと、政治犯を二度死刑に追い込んだことが彼女を苛んでいる。

彼女はイーダを連れて息子の行方を確認する旅をするが、やがて詳細が明らかになり、息子の遺体が埋められた場所も確認し、生きているとも死んでいるとも知れなかった息子がやはり、予想されたこととは言え、死んでいたことがはっきりし、自ら死を選ぶ。もし、息子の死を確認したことからの絶望感により彼女は死を選んだのだと考えるのだとすれば、それは少しだが作品理解が充分だとはおそらく言えない。彼女は政治犯を二度、死に追い込んでいる。息子が生きていないことを確認した後、彼女はおそらく自分が死に追い込んだ政治犯と息子にどのような違いがあるかを考えたのではなかろうか。息子が死んだ理由はユダヤ人だからという意外にはない。言うまでもないことだが、ユダヤ人であることは罪ではないし、ホロコーストは正当化できない。だが、政治犯の場合も、果たしてそれが死に値する罪だっただろうかと言えば、考え方の問題に過ぎないので、死罪は比較衡量の観点から言っても重すぎるに決まっている。つまり、理不尽な死を与えられたという意味で彼女の息子と政治犯は共通しているのである。彼女は、息子に死を与えた者は決して赦されないと考えたに相違なく、その帰結として政治犯に死を与えた自分も赦されざる罪を犯したと認識し、自らを裁き、死を宣告し、また自らそれを執行したのである。彼女は自分の息子を死に追い込んだものを非難する権利を担保するために、自分が政治犯を死に追い込んだ罪を引き受けたのだとも言える。そう思うと、この作品はイーダが主人公ではあるが、むしろおばさんの心境をどれだけ想像できるかによって理解が違ってくる作品なのだと言うことができるだろう。

おばさんが自ら命を絶った後、イーダはおばさんの来ていた服を着て、酒とたばこと男を試してみる。ホロコーストの結果、家族を失ったという点ではイーダもおばさんも間違いなく被害者なのだが、おばさんがずっとそうしていたように、酒とたばこと男でその心の苦しみから逃れ得るものなのかどうか、実験してみたと捉えるのが正しいのではないかと思える。そして彼女は酒とたばこと男のような享楽的な手段では解決できないと結論し、修道院の生活へ戻る方を選んだと説明できるのではないかと私には思えた。



関連記事
シンドラーとファニア
シンドラーはなぜ号泣しなくてはならなかったか

スタンフォード監獄実験で証明されたものは何か

スタンフォード大学で行われた有名な心理実験。学生アルバイトを集めて適当に看守役と囚人役に分け、看守役が囚人役に対して激しい罵倒を浴びせたり、理不尽なお仕置きをしたりを続けた場合、看守はより看守らしく、囚人はより囚人らしくなっていくという仮説を証明しようとした。一般に、看守役の囚人役に対する暴虐な態度があまりに酷く、予定の二週間を大幅に繰り上げて実験は終了したが、見かねて中止しなければならないほどに看守はより看守らしく、囚人はより囚人らしくなっていくことが証明されたとされている。

ナチスドイツがユダヤ人に対するホロコーストをなぜ成し得たか、なぜ起こり得たかについて考察手掛かりになるとも理解されているだろう。

だが、私はこの監獄実験について多少の情報を集めてみた結果、看守がより看守らしく、囚人がより囚人らしくなるということは全く証明されなかったのではないかと思える。なぜなら、囚人役はあまりに耐え難い場合はドロップアウトすることが認められ、ドロップアウトしない囚人役はアルバイト料をもらうために囚人役を続けていたに過ぎず、看守が看守に徹し、囚人が囚人に徹することができた理由は、繰り返しになるがアルバイト料をもらえるという相応の理由があったからだ。

たとえある人物が有罪判決を受け、自分もその罪を認めている場合、監獄に閉じ込められることには相応の理由があるということを本人も理解しているため、囚人らしい行動を要求された場合、それに応じるだろう。囚人役の学生がアルバイト料のために囚人役をするのと同じである。看守も仕事である。

従って、この実験はナチスドイツがホロコーストを成し得た理由の証明にはならないのではないかと私は思う。ホロコーストの犠牲者は、相応の理由がないにもかかわらず、犠牲になった。ホロコーストの実行者は相応の理由がないと知りつつ、実行したのだから、スタンフォード監獄実験では説明のつかない全く異質な現象だったと考えるべきなのではないかと私には思える。

翻って言うと、スタンフォード監獄実験は、相応の理由がなければ人は囚人に徹しないということを証明したと言うこともでき、ナチスドイツのホロコーストは全く次元の違う視点を持たなければ説明できないということを証明したのではないだろうか。私が過去に見聞した範囲で言えば、ホロコーストという現象の一端を一番よく説明しているのは『ファニア歌いなさい』という映画だと思う。繰り返しみたいとはとても思えないトラウマ映画なため一回観ただけの感想にはなるが、別次元で人が壊れていく様子が描かれていると感じられた。私見です。



シンドラーとファニア

ナチスによるホロコーストに関する映画はたくさんある。ただ、今後の世界に語り継がれ、観続けられる映画をその中から選ぶとすれば『シンドラーのリスト』と『ファニア歌いなさい』ではないかと思える。二つの映画はともにホロコーストを糾弾することを目的とした映画だが、作り方は全く違っている。『シンドラーのリスト』では恐ろしい場面は多く登場するが、『ファニア歌いなさい』ではそのような場面はそう多くはない。しかし、映画を観た後により強い恐怖が頭の中に残るのは、『ファニア歌いなさい』ではないかという気がする。

『シンドラーのリスト』は分かりやすい。スピルバーグはナチスに対して容赦がない。一切の敬意を払う必要がないと彼はきっと考えているはずだし、『プライベートライアン』では降伏の意思を示したドイツ兵が殺害される場面が複数回あるが、スピルバーグが意図的に入れていることは間違いないと確信できるし、それが国際法違反だとしても、だからどうした?という彼の意思を感じる。ナチスは国際法によって守られる必要すらないと確信しているのではないかと私は思う。そのため、インディジョーンズも含んで、スピルバーグの描くナチスは単純であり、分かりやすく、簡単に言うと敢えて幼稚に描いている。いい年をした大人であっても人間的成熟ができておらず、総じて愚か者である。だからなのか、『シンドラーのリスト』には文脈がある。ナチスの人間に聡明さや成熟、人間的な愛情、そういったものは一切ない。ナチス党員もシンドラーも幼稚な人間である。ただ、シンドラーに限ってはホロコーストからユダヤ人を救ったという功績があることは認めるので、ある程度免罪する。ただし、映画の最後で号泣しなければならない。ざっくりとにはなってしまったが『シンドラーのリスト』には、そういう文脈があるので、観客はこの映画が何を言いたいのか理解することができる。

一方の『ファニア歌いなさい』にはそういう文脈がない。あらゆるステレオタイプが破壊されているので、観客は誰に感情移入していいのかも分からなくなっていく。強制収容所に入れられている人間の中にも碌でもないのがいて、小さな利益のために平気で人を裏切る。しかし、そのような心理が働いてしまうことが観ている側にとっても全く理解できないわけではない。強制収容所に入れられていた人たちは被害者であることに違いはないが、被害者の中でも加害者になる側を選ぶ人間が出てくる。この段階で、すでに二時間余りの長さの映画としては難解になってくる。描かれるドイツ人の姿もこの映画をより難解にしている。女性ナチス将校は、囚人から幼い子供を奪い、その子を慈しみ、愛し、育てようとする。この段階で既に難解である。ナチスの医者も登場するが、真面目であり、教養人であり、そして普通のおじさんである。アイヒマンを連想しなくもないが、ドイツという豊かな音楽と哲学を育んだ教養深い人々の住む国で、ナチスが台頭したという事実が如何に難解なことなのかをこの映画は敢えて描こうとしたのではないかとも思える。従って、台詞のやりとりにはそれぞれ意味はあるに違いないのだが、総じてバラバラであり、まとまっておらず、登場人物たちはただ、頭に浮かんだことをそのまま口に出しているだけで、正しいまとまりのある意味を持った言葉のように受け取ることができない。観続けるに従い、意地の悪いクロスワードパズルの答え合わせをしているような心境になってくる。若い女性たちが栄養視聴で痩せ細り、頭を剃られ、楽器の練習をしたり、お葬式をしたりする姿は異様であり、これが実話に基づいているということを思い出し、改めて恐怖が深まる。収容所に入れられている人たちに人間性と狂気の両方があるのと同様、入れる側のドイツ人にも人間性と狂気の両方がある。しかもそれは相互に描かれるのではなく、同時に描かれる。一緒くたになっていて、作品は観客に苦しむことを要求している。私も苦しみながらこの映画を観た。私は日本人なので、自分の祖父母の世代がアドルフヒトラーと同盟していたことを残念に思う。その残念さが加わることで、私の混乱は深まったし、映画が終わった時、私は自分が愕然としていることに気づいた。

『シンドラーのリスト』を観れば涙が出る。『ファニア歌いなさい』は愕然とする。もし、いい映画の条件の一つが、観客に考えこませることだとすれば、『ファニア歌いなさい』の方がいい映画なのかも知れない。もちろん、二つの映画作品に優劣をつけることは好ましいことではないのは当然なのだが、私の文章力ではこのようにでもしなくては自分が受けたショックを整理できないのだ。

私は最近、何度か繰り返し『この世界の片隅に』を観て、その都度愕然とした。なぜ愕然とするのか自分でもよく分からなかったのだが、繰り返し観ることで、多少は整理ができてきた気がするので、機会を見つけて書いてみたい。


昭和天皇とマッカーサーの関係をよくよく考えてみた

非常に有名な話だが、マッカーサーは昭和天皇と初対面の時にその人柄に感動し、昭和天皇は日本の再建に必要な人物だと確信したという。私も以前はその話を信じていた。それを否定するべき材料を見つけることができなかったからだ。しかし、最近は違った考えを持つようになってきたので、ここである程度整理しておきたい。

まずマッカーサーが昭和天皇の人柄に感動したという話についてだが、天皇からの対談の申し入れがあった際、マッカーサーは「不安を感じた」とされている。昭和天皇が命乞いに来るのではないかと思ったし、そのようなことは自分の一存では決められないとも思ったからだ。そして、世界征服を企んだ人類の敵をわざわざ助ける義理もないとも言えるかもしれない。しかし、実際に会ってみると昭和天皇からは「自分の身はどうなってもいいから国民を救ってほしい」と言われ感動したのだということになっている。

だが、この話の出どころはマッカーサーの回顧録による。昭和天皇は生涯、実際に何が話し合われたかについては口外しなかった。とすれば、この話は当事者の一方からのみ出た話で、裏付けがとれる類のものではないと言えなくもない。日米双方に通訳者がついていたため、通訳者の証言も残っているが、その証言は大筋ではあっているが微妙な違いがある。もちろん、通訳はある程度意訳しなければならない場合が多いため、微妙な差異があっても不思議ではないのだが、通訳にはそもそも守秘義務があるため、そこで知り得たことを話すことはゆるされない。そのため、裁判などで宣誓した上で証言するならばともかく、そうでない場合、どの程度通訳証言を信用するべきかは難しい問題になる。

また、そもそも「自分はどうなってもいいから他の人を助けてほしい」というのは美談過ぎる。果たしてそのようなある種の自己犠牲的精神論だけでマッカーサーがころっといってしまい天皇を熱烈に支持するようになったという話は、関係者に都合よくできすぎているのではないかという気がしてならないのである。当時、多くの人が昭和天皇はドイツのファシストと同様に罰せられなくてはならないと考えていたはずだし、仮にどれほど人間的に魅力があったとしても起訴すべき訴因があるとすれば、いい人だからという理由だけで責任を免除するということは考えにくい。

そのため、私は初対面で両者は全く違った話が行われたのではないかと考えるようになった。具体的に何が話し合われたかは証明不可能だが、その後の歴史の展開を見ると、多少の想像は可能だ。まずマッカーサーは大統領選挙に出馬する意欲を持っていた。そのためには日本占領に成功することが絶対に必要だと考えていたことは間違いない。マッカーサーが最も不安に感じたのは果たして最近まで頑強に抵抗していた日本人が意のままに動くかどうか分からないという点にあったのではないだろうか。当時のアメリカ人であれば、天皇が日本人に対して神秘的な影響力を持っていると考えていても不思議ではないし、マッカーサーの立場であれば、もはや戦争の決着がついた後、わざわざ天皇を訴追して日本人がどういう反応を示すかを心配するよりも、天皇には責任がないことにして占領に利用することを優先したとしても不思議ではない。一方、昭和天皇は天皇家の存続を確保することに主眼があったに違いない。天皇家さえ存続すればたとえば日本が領土を削られたり、国際法上敗戦国として不利な地位に置かれたりしたとしても、いわゆる国体は保持できる。そのためにマッカーサーの支持を取り付けることは必要だっただろうし、譲歩できる部分はいくらでも譲歩する覚悟はあったはずだ。

要するに天皇を保全し、天皇の協力のもとでアメリカ軍による日本占領を完遂するということで両者の利害は一致していたのであり、ある程度の下交渉が行われた上で、初対面の際にそれを確認し合ったということが真相なのではないかと私には思える。

ただし、それを大っぴらに口外することは両者にとって不利である。マッカーサーは世界に対して昭和天皇を訴追しない理由を明らかにしなくてはならなかったし、昭和天皇も日本の半永久的占領と引き換えに国体護持を図ったということは憚られる。そのため、マッカーサーは昭和天皇の美談を創作し、通訳もそれで口車を合わせることになり、昭和天皇は沈黙を貫いたのだとすれば、筋は通る。マッカーサーは天皇を訴追すれば日本国内で叛乱が起き、100万の軍隊が必要になるとワシントンに脅しをかけた。昭和天皇はラジオで人間宣言を放送し、国民感情の慰撫に努めたというわけだ。

それが正しいことだったかについては賛否あるかも知れない。マッカーサーの個人的な政治的野心と、昭和天皇のやはり国体護持という政治的目標が合致して占領政策が行われ、その後日米安保が結ばれたのだとすれば、納得できないと言う人もいるかも知れない。私個人は立憲君主制を支持しているので、天皇家が存続したことは圧倒的敗戦の事実の前では戦争で敗けて交渉で実を獲ったとも言えるので、これでも良かったと思う。果たして天皇が訴追された際、本当に日本国中で叛乱の嵐が吹き荒れたかどうかは疑問だが、そうなってもおかしくはなかったので、ある程度穏便に物事を進めることにはなったと思うし、日本の再建にはよりよい効果があったと思う。もちろん、価値観の問題があるので、飽くまでも私は個人はそう思うということに留めたい。マッカーサーは大統領にはなれなかったが、それは私の知ったことではない。

シンドラーはなぜ号泣しなくてはならなかったか

スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』は、あまりに安易に人がナチスに殺害される場面が連続して続くため、観客はそれが実話に基づいているだけに驚愕せざるを得ない。人命があまりにも軽く扱われていたこと、一部の人間をただ、それその人がその人であるという理由だけで死に追い込まれたこと、人間に対する罪の重みに考えさせられるし、日本人の観客であれば自分の祖父母の世代はこの連中と手を組んでいたという目をそむけたくなるような事実にも向き合わなくてはならない。

そのよう深刻な映画作品の中で、救いになるのはシンドラーという男の存在である。軽妙な会話とウイットに富み、金持ちで、敗戦へまっしぐらという絶望的な時代状況の下で贅沢な暮らしを楽しみ、女性にもてる。羨ましいご身分であり、その気楽な感じに安心感をついつい持ってしまうのだが、そのように彼が軽快に人生を楽しんでいるにもかかわらず、1000人を超すユダヤ人を強制収容所から救い出し、死の恐怖から解放したという人間としての功績もまた賞賛に値するものである。しかも、強制収容所から救い出す理由が軍需工場の強制労働者が必要だと言う偽悪的なものであるために、シンドラーからは偽善の嫌らしさを感じることもない。様々な意味で完璧な主人公だ。

しかし、映画の最後のあたりでシンドラーは号泣することになる。シンドラーが号泣したことについては、「興覚め」という意見もあったし、私もそう思った。果たして何故に、スピルバーグはシンドラーに号泣させたのだろうか。ナチスのユダヤ人迫害を憎むスピルバーグの立場からすれば、明るく楽しくユダヤ人の命を救ったシンドラーを、そのまま明るく楽しい人生を軽妙に生きる男として最後まで描いてもさほど問題はないはずのように思えてならなかった。

しかし、スピルバーグはシンドラーに号泣させることにした。私はその理由について何年も考え続けてきたが、最近改めて見直して、シンドラーは号泣しなければならなかった、シンドラーの号泣は二つの意味で必然であると考えるようになった。以下にその理由を述べる。
まず、シンドラーにとって人を救うことは道楽だった。道楽であろうと何であろうと人を救うことは賞賛すべきことだし、別に道楽でやってもいいではないかとも思えるが、シンドラーはナチスのユダヤ人迫害に対して、一人の分別のある人間であれば、敢然と戦わなくてはならなかったはずである。道楽でやるということは無理してまでは救わなかったとも言える。人の生き死にを神でもない人間が道楽で、自分のできる範囲でリストアップするという行為の恐ろしさに彼は気づかなくてはならなかった。彼はユダヤ人を工場労働者として連れてこさせるために金品を用いたが、それは徹底したものではなかった。彼はしっかり自分が贅沢できるだけの資金は残しておいたし、楽しい人生を犠牲にしてまで人助けをするつもりはなかった。そしてそれは罪深い。人の命を救助する際、それは道楽ではなく自分の存在を危うくさせることがあったとしても、それでも覚悟を持って尚取り組むべき「正義の戦い」でなければならない。シンドラーはそれをしなかった。映画として完結するためには、シンドラーはその罪深さに気づく必要があったに違いない。シンドラーが身に着ける様々なぜいたく品をナチスの担当者に渡せば、もっと救えたのである。金品よりも遥かに大切なものをシンドラーは救うことができたはずである。そのことに、敗戦が決まってから、もはやそうしなくてもよくなってから彼は気づいた。言い方を変えるならば気づくのが遅すぎたのである。スピルバーグはシンドラーを評価しながらも、気づくのが遅かったということの罪を糾弾している。そのため、シンドラーは興味深い男ではあっても英雄にはなれないのである。
 だが、単に糾弾の対象にするためにシンドラーが号泣する場面を挿入したというわけでもないと私は思う。シンドラーの人間的成長も描かれなければならなかったのではないかと私には思える。シンドラーは道楽で人助けをして悦に入っていたが、人助けは道楽でするものではない、もっと真剣に覚悟を決めてやるべきものでなくてはならなかったということに敗戦を迎えてから気づいたシンドラーにできることは号泣することしかなかったのである。しかし、たとえそれがユダヤ人を助けるという意味では遅すぎたとしても、一人の人間の魂の向上という点から見れば遅すぎるということは決してあり得ない。この作品はファシズムが特定の人間を迫害することの犯罪性を糾弾するだけでなく、同時にシンドラーという一人の男の人間的成長という二つの目的を持って制作されたと考えることができる。

それ故、スピルバーグのシンドラーに対するまなざしは決して冷徹なものではない。たとえ道楽とはいえ、ユダヤ人の救済に努力した男としてそれなりに賞賛しているし、更に人間的な成長の瞬間を迎えたのだから、その点に於いてシンドラーを祝福しているとも言えるのである。人が、その人の行動や考え方を変化させる瞬間に立ち会う時、それはたとえ日常生活でもある種の感動を伴うことがある。ナチスドイツの犯罪性を糾弾しつつ、シンドラーという男の成長物語も描いたスピルバーグはやはり言うまでもないが天才なのである。



BC級戦犯裁判‐岡田資中将のケース

戦後、東京裁判でA級戦犯が裁かれましたが、ほぼ同時進行、場合によっては少し遅れてBC級戦犯裁判もアジア太平洋各地で行われました。果たして戦勝国により敗戦国を裁く裁判が公平公正なものになり得るかという議論はもちろんありますが、大変に興味深いケースとして終戦時東海軍司令だった岡田資中将の裁判があります。

終戦前の半年間はアメリカ軍による絨毯爆撃、無差別爆撃が日本各地に対して行われたわけですが、民間人や民間施設に意図的な攻撃を加えることは戦争犯罪だという認識に立ち、岡田中将は撃墜されてパラシュート降下した米兵を捕虜としてではなく戦争犯罪人として裁き、死刑の宣告をして執行させたということが問題になりました。

但し、死刑の宣告を下す手続きが不公正なものであったということが問題にされました。岡田中将は1945年7月に軍律会議の略式手続きで死刑の決定をしたわけですが、死刑という重い刑に対し弁護士もつかない軍率会議をしかも略式手続きで進めてしまったということで、適正手続きを経ていないということが問題視されたわけです。

軍律会議は軍法会議とはまた違うもので、戦時下の慌ただしい中、軍司令官が行政権と司法権も掌握して軍律を定め、軍律違反者には軍司令官が判決を下すことができるという三権分立もなにもあったものではないという仕組みであり、弁護士もつきませんから、検察側はその問題を指摘し、というかその問題に絞って被告を攻撃するという方針で臨みます。

一方、ここが大変に興味深いことですが、被告と弁護人は①責任は軍司令官一人にあって、部下には一切責任がないという立場を貫き、②激しい爆撃下で略式手続きをするのが精いっぱいだった、当時としては最善を尽くしたということを主張し、③激しい爆撃下というのがどれくらい激しかったかということを立証するために、当時のアメリカ軍の爆撃が無差別爆撃で戦争犯罪に値するということを立証するという構えをとりました。

岡田中将はその裁判の時に部下に責任を押し付けることなく、自分一人が全てを引き受けるという姿勢で臨んだことから、人格的に日米関係者双方から高く評価され敬意を集めたと言われています。また、岡田中将のみが死刑判決を受け、実際の執行にかかわった部下たちが死刑判決を受けなかったことは、実質的に被告・弁護側勝利とも言える判決だったと言え、知る人ぞ知る、希少なケースであったと言えると思います。

このような実質勝利を勝ち取ることができたのは、被告・弁護側の戦略が非常にうまくヒットを当てたということがあると思います。第一に、岡田中将が自分から「全て私の責任だ」と正面から主張したことは、裁判委員(米軍の法務関係者で、事実上の判事)に対する印象を良くしたようですし、検察もその態度には好感を持ったと言われています。担当検事は判決後に減刑嘆願の文書に署名までしたそうですから、岡田中将個人に対する感情は良かったのでしょう。次に、軍律会議の略式手続きが公正だったかどうかを争点にしようとしなかったこともいい戦略だったように思います。ここは私の考えになりますが、弁護士のつかない軍律会議の略式手続きで死刑判決を下し、しかも実行するというのははっきり言ってかなり乱暴のように思えます。被告・弁護人サイドは激しい戦時下であったので、最善を尽くしたと述べつつ落ち度はあったことも認めます。その上で、戦時国際法違反になる無差別爆撃が如何に酷かったかということを証拠や証人を集めて立証し「適正手続きをとっていたとしても、極刑になっただろう」と検察や裁判委員に思わせることに成功したことです。結果としては、岡田中将の落ち度は法の適正手続きの観点から見てあまりに簡単に進め過ぎたことだけが問題で、量刑として非道なものではないという印象を与えることになりました。

それでも岡田中将に死刑判決が下りたのは、無抵抗のアメリカ兵が殺されたこと自体は事実であるため、米国世論を納得させるためだったと見ることもできますが、関係した他の被告たちが寛大な処分が下された背景には既に冷戦が始まろうとしていた時代背景も関係があったようです。終戦直後は悪の枢軸を担った日本帝国の悪い奴らに慈悲は不要という心理状態があったに違いないのですが、アメリカの立場としては新しい脅威としてソビエト連邦が浮かび上がり、その脅威が日を追って濃くなっていく中、日本の再武装を望むようになり始めており、再武装に必要な軍経験者を次々と処罰している場合ではないという変化が起きてきました。死刑判決はなるべく少なくし、死刑を宣告した後も終身刑に減刑し、将来的な釈放にも含みを残すというように方針が変化したため、BC級裁判は結審が遅いものほど寛大な判決が下るようになったようです。ここは私の想像になりますが、A級戦犯の裁判が終わり、刑が執行された後は、アメリカ世論もある程度鎮静化してさほど厳罰を望まなくなったということも大きいかも知れません。

岡田資中将の場合は減刑されることなく、刑が執行されてしまいましたが、中将本人は相当覚悟が決まっていたらしく、裁判中から日蓮宗を基礎にした仏教研究に力を入れ、自身で理論化を進めて行ったそうです。死を受け入れるために、自分なりの死生観を作り上げる必要がきっとあったのだと思います。彼の仏教理論と、スガモプリズンで教誨師をつとめた花山信勝氏の理論とは対立もあったそうですが、東京大学の教授の花山氏と対立できるだけの理論武装をしたというのはそれだけでも凄いように思います。スガモプリズンの死刑囚で間では花山氏の指導よりも岡田中将から指導を受けたいという声も少なからずあったようです。花山氏の教えが仏様にすがって極楽浄土へ行けるのだという他力本願的で慰め要素が強かったのに対し、自分がより仏陀の精神に近づけるよう精進し、刑に向き合い受け入れるという岡田中将の姿勢の方が現実に執行に直面する囚人たちの心を掴んだのかも知れません。

『ファイナル・イヤー』‐オバマ大統領の壮大なイメージビデオ

オバマ政権最後の一年をカメラが追いかけ続けた『ファイナル・イヤー』は、オバマ大統領が好きな人にとってはたまらないイメージビデオになっており、オバマ大統領が嫌いな人にとっては「かっこつけやがって」と別の意味で見ていられない作品と言えるかも知れません。

登場するのはオバマ氏とケリー氏、その他彼を支える周囲のスタッフたちなわけですが、マスメディアの見ていないところでカメラが回っているため、もうちょっと突っ込んだあたり、どのようにして彼らが意思決定をしているのか、どんな会話をしているのかというあたりを見ることができるのは興味深いです。ホワイトハウスの中がどうなっているのかも、僅かながら見て取ることも可能です。もちろん、見せられないところはカメラは回ってないでしょうから、歴史の評価を待たなくてはいけないとも思えます。

さて、とにかく彼らは走ります。走りながら意思疎通をしています。かっこいいの一言に尽きるいい場面が次々と出てきます。人が走る姿は見る人に感銘を与えます。なぜかは分かりませんが、人が走っている姿には何らかの感動的なものがあります。箱根駅伝をみんなが一生懸命見るのも、オリンピックのマラソンをみんなが一生懸命見るのも、なぜか分からないけど人が走るという姿に感動するからです。

で、この映画では大統領のスタッフたちが走るだけではありません。真剣な表情で議論を積み重ねる様子が撮影されています。世界の平和のために真剣な表情で議論を重ねる彼らの姿はもちろんとても絵になります。そしてなんと言ってもオバマ大統領の絵になることと言ったら文句ありません。高く評価されるスピーチ力、苦悩し、重大な決断を迫られる際の表情、どれも決まっています。

お決まり、お約束と言ってもいいですが、世界中を訪れて、人種、民族、宗教を越えてオバマ大統領が親しく話をする場面、特に子供たちとコミュニケーションする場面はこれでもかというくらいに登場します。子どもとコミュニケーションをする人はいい人と決まっているようなものですから、この映画のオバマ大統領いい人アピール大作戦は大いなる成功を収めていると言ってもいいでしょう。

シリアの深刻な問題についてはわりと突っ込んだところまでこの作品で論じていますが、一方で東アジアの難しい問題は基本的にほぼ無視。唯一、オバマ大統領が広島を訪問したところだけは丁寧に撮影されています。

そして最後の方では大統領選挙でトランプ氏が勝利する場面。民主党勝利を確信していたはずの大統領スタッフたちが文字通り言葉をなくしている様子が撮影されます。こればっかりはかっこよく撮影するわけにはいかず、同情的な雰囲気を漂わせるほかありません。

個人的にちょっと気づいたのはケリー氏がこれでもかというくらいに登場するわりにヒラリーさんが全然出てきません。この映画だけ見ると、ヒラリーっていう人、本当にいたっけ?と思ってしまうほどです。オバマとヒラリーは仲が悪いんだと主張する人の動画を見たことがありますが、意外と本当にそうだったのかも知れません。

いずれにせよ、オバマ大統領が去る前の一年を撮り続け、結果として身内で楽しむ壮大なファミリービデオみたいになっています。オバマ大統領が好きな人にとってはたまらないことでしょう。

『火垂るの墓』をもう一度みて気づく「無責任の体系」

高畑勲監督が他界されたことを機に、『火垂るの墓』についてよくよく考える日々が続き、もう二度と見たくないトラウマ映画だと思っていましたが、やっぱりもう一回見ないと何とも言えない…というのもあって、改めて見てみました。ネットで広がる清太クズ論は私の内面からは一掃され、それについては完全否定するしかないとの結論に達しました。

父も母も家もない状態で、清太は妹を守ることに全力を尽くしており、金にものを言わせようとした面はありますが、最後に頼れるのはお金と思えば清太が金を使うことは正しく、更に言えば盗みをするのも妹と生き抜くためにはやむを得ません。それこそ非常時です。空襲で家を焼かれなかった人の数倍、清太個人にとってはとても支えきれない大非常時と言えます。

西宮のおばさんが悪いのでしょうか?私は自信をもって西宮のおばさんが悪いと断言できますが、悪いのは西宮のおばさんだけではないというのがこの作品のミソではないかと思います。とはいえ、まずは西宮のおばさんを糾弾するところから始めたいと思います。確かにおばさんにとっては、清太と節子の兄妹は厄介者です。しかし、親を亡くして焼け出された兄妹に対し「疫病神」だのなんだのと言っていびり倒すのは間違っています。印象的なのは清太が決心して節子とともにこっそり西宮のおばさんの家を去ろうとした際におばさんと不意に遭遇してしまった時の様子です。おばさんは「気いつけて」「せっちゃん、さようなら」と言い、心配そうに二人の後ろ姿を見送ります。おばさんは大人なのです。出て行こうとする二人に対して「何をバカなことを考えているのか。二人で野宿でもするのか。いいから家にとどまってこれからのことをよく考えなさい」と説諭してしかるべきです。しかし、心配そうに見送るだけなのです。いびり倒した上に心配そうに見送るだけのおばさんに非があって当然です。おばさんの家には少なくとも三畳間が余っているわけですし、食料がないと言っても清太と節子の食料の配給もあったのです。二人は野宿者となり、配給すら受け取れない状態へと自滅していく様子がおばさんにはありありと見えたはずです。にもかかわらず、心配そうに見送るだけしかしない大人の責任とは問われなくてはいけません。

この作品では大人の「無責任」が随所で強調されています。たとえば清太が盗みを働いた農家の男は清太を殴り倒し、おさない妹がいることを知りながら「自分が受けた被害」だけに憤慨して警察に突き出します。西宮のおばさんは「助け合い」を清太に強調しましたが、おばさんも所属する大人の世界は我が事のみを考える世界だったわけです。警察官は清太に優しいですが、水を飲ませるだけで今後の二人を助けるきっかけを与えようとまでは考えません。警察官も無責任なのです。清太が母親の着物やお金と交換に食料をもらいに行っていた農家のおじさんも清太にお金がないと分かった瞬間に食料の提供を拒み「うちではそんなに余っていない」「お金や着物のことを言っているのではない」「おばさんに頭を下げろ」と米のおにぎりを食べながら諭しますが、はっきり言えば交換できる物のないやつに与える飯はねえというわけです。

節子が亡くなって荼毘にふすために必要な材料を買いに行ったとき、お店の人が呑気そうに「今日はええ天気やなあ」と言いますが、その表情が実に幸せそうであり、清太にとって重大事である節子の死に対する慎ましい態度というものを見せようとする気遣いすらありません。

高畑勲監督が『火垂るの墓』は反戦映画ではないと言っていましたが、今回改めて見てよく分かりました。これは戦争の悲惨さを描く作品なのではなく、丸山眞男が唱えた「無責任の体系」を描く作品だったのです。ですから、美しい日本とか、助け合いの日本とか、公共道徳に優れた日本とか言ってるけど、お前らみんな、清太と節子を見捨ててるじゃん。と監督は言いたかったのではないかと私には思えます。丸山の無責任の体系のその中心に天皇がいるという議論には私は賛成しかねます。天皇制があるから戦争中の日本人が無責任だったのだという議論そのものが無責任だと私には思えるからです。新聞が煽り、国民も多いに沸いて主体的に戦争に関与し、ある人は儲けも得て、戦争に敗けたら〇〇が悪いと言い立てて自分には責任がないと言い張ろうとする姿こそ無責任です。そしてそれは少なくとも『火垂るの墓』が制作されたその時に於いても同じなのだと高畑監督は主張したかった。だから最後に現代のきらびやかな神戸の夜景のシーンを入れたのではないかと私は思います。

余談というかついでになってしまいますが、統制経済を導入し食料を配給制にして、隣組に入っていないと配給すら受けられないとする、ちょっとでもコースから外れたら即死亡という体制翼賛的国民総動員社会を作ったのは近衛文麿です。国民総動員の名のもとに国民の自由意思を制限し、全てをお国に捧げざるを得ないように仕向けた結果、戦争も敗戦も自分には何の責任もないというロジックが生まれたとすれば、敢えて私は清太と節子が死んだのは、近衛文麿がせいだと言いたいです。

トラウマ映画の『火垂るの墓』ですが、今回は初見ではなく節子が死ぬことは最初から分かってみていましたし、いろいろな情報を得て感情面でも中和してみることができましたから、心理的ダメージは少なくて済みました。もう一回見たいかと問われれば、もう二度と見たくありません。