田中角栄・竹下登・小沢一郎を比較する

自民党の主流は長らく佐藤栄作→田中角栄→竹下登の系統が引き継いでいました。ただし、引き継ぎ方は常にクーデター方式で、円満な引き継ぎというものはなく、極端な言い方をすれば親分と子分による血で血を洗う仁義なき戦いを続けていたという見方をしてもいいと思います。

田中角栄、竹下登の両氏は優れた集金力を有しており、21世紀になってからはその系統の末端にいると言っても良い小沢一郎氏が金権、闇将軍などと言われたものですが、田中・竹下両氏のそれに比べればまだまだ規模の小さいものだったのではないかという気がしなくもありません。

竹下氏は大蔵大臣時代にプラザ合意をまとめたことで世界的な脚光を浴び、反田中角栄クーデターをやり切ってみせ、次期首相候補の時も、竹下、安倍、宮澤から誰か一人を中曽根康弘氏が選ぶといういわゆる中曽根裁定でも見事に指名を勝ち獲っています。その裏で何があったについては想像する以外の方法を私は持ちませんが、集金力には極めて優れていた人と言われています(小沢一郎氏はその点、「集金力」というよりは「集票力」かと)。人心掌握にも長けており、田中角栄が派手なパフォーマンス的に(大金をさっと握らせる、泣いてみせる、新品の靴と白いスーツで田んぼに入る)人の心を掴む手法を得意としていたのに対し、竹下氏はさりげなく、目立たないように、後から、ああ、あの人がやってくれたんだと気づくくらいの控えめさで自然と巧みにかつ、たぶん長期的な人心の掌握を得意としていたように思います。その点、理屈、剛腕、裏技でなんとかしようとする小沢一郎氏は田中・竹下的な意味での人心掌握に長じているとは言えません。ディベートの才能を一番持っているのは小沢氏だと思いますが、ある意味ではその才能に溺れてしまったところがあり、それが裏目に出てしまったことも一度や二度ではないように思います。

策を弄するという点では竹下氏がぴか一だったのではないでしょうか。田中角栄氏が実利とディールで相手を陥落させるというわりと分かりやすい手法を得意としたのに対し、もう一ひねりできる人が竹下さん。小沢一郎が経世会を割って出るという、いわば反田中角栄クーデターの再現を竹下登氏に対してやろうとしますが、その時、参議院の経世会議員には手を入れないという両者の紳士同盟が交わされたにも関わらず、竹下氏はさっと参院経世会議員たちを引き入れてしまいます。小沢氏はそこで追い詰められてしまい、宮澤内閣不信任案賛成、更に自民党脱党という裏技的無理ゲー(今振り返ればかなりの無理ゲー)へと極端な手法を選ぶようになっていきます。

小沢一郎氏は細川内閣成立させるものの、社会党が嫌いだというわりと幼稚な理由で社会党はずしを画策しますが、裏目に出てしまい、自民党(即ち竹下陣営)が社会党を取り込むという国民が椅子からひっくり返るようなウルトラCで形勢が逆転します(自民社会連立はかなりの無茶ぶりに見えましたが、自社間の気脈は55年体制ができたころから通じていたそうな)。

その後、小沢氏は自由党を作り、小渕政権時代に自民復帰を目指しますが、自分たちで作った選挙制度に縛られてしまい、自民と自由の両方を解党しなければ合流できないという足枷がついてしまい、小渕氏が倒れてしまってその話は立ち消えしてしまいます。

竹下氏が元気な間、小沢一郎氏は結果としてはほぼ手も足も出なかった、周辺でくるくる回っていただけだった、サッカーで言えばただ相手をマークして相手チームのプレイヤーを妨害することくらいしかできなかったと言ってもいいように思います。それだけ竹下氏が策士として上手だったことも示唆しているとも言えるでしょう。

田中角栄氏が首相再登板を目標に鉄の軍団を縛り付けたのと同様、リクルート事件で失脚した竹下氏も首相再登板を狙って何もできない無力な首相を次々と擁立していきますが、やがて橋本龍太郎氏→小渕恵三氏という自派閥の次世代にバトンタッチし、途中から再登板への野心をあまり持たなくなったように見えます。この辺り、最後まで再登板にこだわった角栄氏の方がより執念の人だったと言えるかも知れません。

現在、小沢一郎氏は小政党の党首となった今でも野党共闘作戦で非自民政権の確立に執念を燃やしていると言います。自分が首相になるのがゴールではないため、その分、目標が大きく、一度目標を達成してもまた自民政権が復活するため終わりのないマラソンになっており、政治・政策的に何が正しいかはともかく、政治家人生そのものは悲劇的なものに見えて仕方がありません。

宮澤不信任決議案が採決された時はマスコミでも自民長期政権への批判が激しく、小沢一郎の活躍は颯爽としたかっこいいものに見えましたし、長い間、私は小沢氏に期待と幻想を抱いていました。できれば、安楽な余生を。政治的な意味ではなく、小沢氏個人の幸福な余生を今は望みます。

写真はwikipediaの田中角栄の項目に掲載されているものを使用しました。数十年のいきさつを知る人から見れば、いろいろな意味で涙を誘ういい写真だと思います。余談になりますが、田中角栄が小沢一郎を「かわいがった」と言われることには疑問を感じています。小沢氏のお父さんが急死されて地盤を引き継ぐという時、角栄氏は「選挙区で辻説法を2万回するように。そうすれば田中派に入れてやるかどうか考えよう」という主旨のことを言ったそうです。小沢氏が本当にそれをやって改めて角栄氏を訪問すると憮然とした表情で「まあ、いいだろう」と言ったといいます。向かう気だけは強いぼんぼんの二代目とはあまりしっくりいかないと角栄氏は感じていたのではという気がします。同じボンボンでも鳩山由紀夫氏や細川護熙氏とは小沢さんは性格がだいぶ違います。この写真を見ても、小沢氏はまだまだ若い、良くも悪くも青い感じです。田中角栄氏の表情が適度に渋いあたりからもいろいろ読み取れなくもない気がします。


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AI時代にはBI(ベーシックインカム)を

今年はAIの話題でにぎわっています。
なんでも近い将来、AIが人間の代わりに仕事をするようになるのだそうです。

自動車の自動運転は近く産業化しそうな感じですから、そうなればバスもタクシーも無人運行ということも決してあり得ない話ではないかも知れません。既にゆりかもめは無人で運行されているということを思えば、近い将来本当にそうなるかも知れません。外国語の勉強も研究や教養以外では必要なくなるかも知れません。翻訳や通訳はAIがやってくれるようになりますから、そのような職業も必要なくなります。農業もロボットが全自動でやってくれますので、農家も必要なくなりますし、役所の手続きも自動化され、工場については言うまでもありません。ロケットも宇宙探査も火星開発も全部AIがやってくれます。スペースコロニーもモビルスーツも短期間で設計、製造してくれることでしょう。エヴァンゲリオンも無人で動くので嫌がる碇シンジを強引に搭乗させる必要もないのです。

人間がやることは「〇〇がほしい」「〇〇がしたい」という要望をAIに伝えるだけになるのだそうです。即ち、労働が必要なくなるということらしいのです。

では、そのような労働なき時代に人は幸せになれるでしょうか?2つの方向性が考えられるのではないかと思います。1つは巨大な資本と一部のスーパーエリートが高い収益を得て、残りの人は仕事も収入もない世界です。しかし、このような世界が実現しても人間が幸せになったとは言えません。そのようなことならAIが実現する必要もないように思います。そもそも大衆が消費できなければ、資本主義が持続できません。ですので、考えられるもう一つの方向性は、ベーシックインカム(BI)を導入し、仕事がなくても好きなことだけをして生きていけるという世界です。AIの発達により生産性は想像を遥かに超えて上がるらしいですから、人間が努力をして生産性を上げるということに意味はなくなります。それならば、せっかくAIが働いてくれるのですから、その果実を全員で分け合うというのは人間を幸せにする一つの方向性ではないかと思えます。

私はわりとグローバリスト的な発想が身についていて、人が努力をして成果を得、その成果を楽しむことは自然なことだと思っていましたが、AIという全く新しい条件が与えられるのであれば、無駄に人が苦労する必要はありません。そもそもどんなに努力してもAIに勝てるわけもありません。

人は政治や芸術などの人でなければできないことをやればそれでいいということになります。政治家はやりたい人が手を挙げて、オンラインで主張を訴え、有権者はワンクリックで投票。いわゆる政治資金は基本的ゼロ。芸術方面でもやりたい人が表現をして、採算は度外視というか、そもそも採算が問題にならない。

本当にそのような時代が来るのなら、気持ちも楽です。技術革新ありがとうです。一人に一台ドラえもん。日本国民全員がのび太になってもいいのです。

しかしながら、果たしてそうなるまでどれくらい待たなくてはいけないものでしょうか。ゆりかもめができたのが20年くらい前ですが、その他の地下鉄やJRや私鉄はみんな運転手さんが働いてくれています。銀行の手続きはかなり機械で済ませることができるようになりましたが、今も銀行窓口の人はいます。AIが人の知能を超える、いわゆるシンギュラリティが起きるのは2040年代と言われていますが、日々技術革新が進むこの世界で、20年以上先のことは未来学です。大学で先端技術を研究する偉い教授の先生が笑って「そんな先のことよりも、現実的なビジネスに生かすことを考えましょう」みたいなことを言うのも頷けます。どうも、働かなくてもいい時代が来ると浮かれるには、もしかするとまだ早いかも知れません。がんばろ…。




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参院選を予想してみる

安倍政権の支持率は各社によってばらつきもありますし、時期によっても様々ですが、だいたい、50パーセント行くか行かないかのところにあるようです。まずまず高いと言って良いですが、衆議院の解散がなかったということは、できればおおさか維新とも連携して3分の2以上を獲得し、憲法改正に歩を進めたいと考えているのではないかと思います。また、参院選の勝ちっぷりによっては年内解散も考えるといったところでしょうから、実に慎重に慎重を重ねている様子を感じ取ることができます。

さて、いずれにせよ3分の2(162議席)獲れるのか?ということになるわけですが(私個人は特に3分の2以上を獲ってほしいとも獲ってほしくないとも思っていません)、与党系の現有議席が135ですので、27議席の上乗せが必要になります。自民党の改選議席が49、公明党の改選議席が9ですので、その中で旋風でも起きない限り27議席の上乗せはちょっと厳しいのではないかという気がします。

今回の選挙では18歳以上の投票権、野党共闘という二つのこれまでとは違う全く新しい要素が入ってきますし、更に橋下さんが前に出ないおおさか維新がどれくらい健闘できるかは全く読めません(おおさか維新はもしかして厳しい?)。

野党共闘によって民進党系の多少の伸びは期待されていると思いますが、民進党そのものの人気が低く、かつ民主党と書かれた無効票が大量に出ることを考えれば、吉凶占い難し。18歳、19歳の人がどこへ投票する傾向が強いかについてもさっぱり分かりませんが、全体の投票率はそんなに高くならないでしょうからあまり影響はないかも知れません。

G7とオバマ大統領広島訪問の直後という外交的追い風が自民党には吹いていますので、諸事情鑑みて、与党微増、改憲発議に必要な議席には届かず、といったあたりではないでしょうか。

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サンダース現象とアメリカの中産階級

サンダース氏の陣営が総力をあげて取り組んだカリフォルニア予備選ではクリントン氏が勝利という結果になりました。時差の関係でニュージャージーの票が先に開き、クリントン氏が代議員の過半数を獲得したことで、カリフォルニアの票が開く前に民主党の大統領候補が決まったという意味では、カリフォルニアの開票への関心はさほど集まらなかったようにも見えます。

サンダース氏側としては、ニュージャージーはそもそも捨てていたので、ニュージャージーで負けても別にいいと思っていたでしょうけれど、カリフォルニアでも負けたというのは、象徴的な意味も含んで、結構、がっかりしたのではないかという気がします。

とはいえ、サンダース氏陣営は民主党大会の当日に自由に投票できる特別代議員を説得する方針で、最後まで退かない姿勢を貫くようです。

サンダース氏はアメリカの若者を中心に支持を集めていると言います。よく言われることですが、アメリカの格差社会があまりにひどいために将来の展望を持ちにくい若者たちがサンダース氏の社会主義的格差解消政策を強く支持しているそうです。サンダース氏は必ずしもルックスがぱっとするとかそういう感じではありませんが、怖い校長先生みたいな感じの見た目は無私の人という印象も与えるもので、そういうのも含んで若者の期待を得ているのかもしれません。その背景には中産階級の没落があるということなのでしょう。

中産階級の没落が語られるようになって久しいですが、昔の中産階級と今の中産階級ではかなり違ったものになっているのかも知れません。アメリカの普通で平凡な中産階級とは、芝生付きの家で暮らし、車が一台か二台あって、日曜日の午前中は教会へ行き、午後はピクニックでもして楽しむ。子どもはだいたい三人ぐらいいて、一人ぐらい出来のいい子は有名な大学に進学し、20代になれば幸せな結婚を。というイメージのものだったように思います。Back to the futureとか、そんな感じの描かれ方です。そんなに贅沢はしないけど、そこまで贅沢する必要も感じず、ちょっとくらいは高価なものも持っている。

ですが、最近つくづく思うのですが、どうもそのような中産階級は社会全体が順調に経済成長している時だけに見られる現象のようです。経済成長が順調な時は誰にも潤沢な資金がいきわたり、小貴族のような暮らしができるのですが、低成長社会に入ると一部の成功者は十分に贅沢な生活ができるものの、それ以外の人たちは来週の支払いのために今を我慢するという状態を甘受しなくてはいけなくなるというものだったのではないかと思うのです。例えば日本でいえばドラえもんののび太の家庭が日本的な中産階級のイメージで郊外に小さいけれども庭付き一戸建てを持っていて、ローンはしんどいけれど、お父さんは終身雇用の会社で働いているので大丈夫。という感じのものですが、今は日本でもそういうイメージは崩れているように思います。衣食住に満たされ、少しは贅沢もできるのが中産階級というのは特定の時代だけにもたらされた錯覚だったのかも知れません。

20世紀は中産階級と大衆消費の時代でしたが、21世紀に入ってからはだんだんとそういう感じではなくなってきました。

アメリカでも日本でもそうですが、今後はどのような社会を目指すのがいいのか、選択する必要があるかも知れません。低成長社会でも中産階級を維持するために再分配に重点を置くのか、それとも格差の存在を受け入れて、その代わりに成功者がイノベーションや設備投資で進歩を目指す社会を選ぶのか。私の受ける感覚としては再分配重視を希望する人が多いように思います。アメリカのように成功者を尊敬し、格差が存在するのは当然と考える人が多い社会でもサンダース現象が起きるのだということを思えば、日本では尚のことのように思います。

今後はAIが仕事する社会になり、人々が労働して税金を払うことによって国や社会を支えるというモデルそのものが過去のものになる可能性も出ています。私は最近は、そういうことなら、再分配重視でいいのでは?と思うようになっています。太平洋をへだてた日本人の私にまで影響するのですから、サンダース現象、おそるべしです。

大阪は東洋一の工業都市だった

 谷崎潤一郎は『春琴抄』で、大阪の街を「東洋一の工業都市」と表現しています。『春琴抄』は昭和初期に書かれた作品で、確かに当時の大阪は工業力に於いては東京に勝っており、他の東洋のどの都市よりも工業化が進んでいたことを疑う必要はなさそうに思います。

 東京が経済力で大阪を追い抜いたのは1970年代のことであり、そのため20世紀は東の東京、西の大阪がそれぞれ中心地だという人々は認識していたに違いありません。

 ただ、どうもバブル経済崩壊後は東京が一進一退で、文化芸術面ではある種の昇華を見せたとも言える一方で大阪はそのまま音を立てて崩れてしまったように見えなくもありません。

 私は東京と大阪が混じっていますのでどちらのこともよく知っている反面、どちらのことも中途半端にしか知らないのですが、大阪が勢いを失ったことは大阪を訪問する度にじわっじわっと感じないわけにはいきません。

 大阪は世界的な都市として勝負できるだけの潜在力を十分に持っているはずですので東京人がどうとか大阪人がどうとか言う前に日本人としてそういう力を十全に発揮できないことに対して「ああ、もったいない」という気持ちをどうしても持ってしまいます。

 大阪復活策として掲げられた都構想ですが、なんだかんだとこねくり回したからか回されたからなのか話が単なる行政の統廃合の話になってしまい、迫力をなくしてまった感じがしなくもありません。

 リニア新幹線が大阪に開通するのが2047年(最近少し早まったようですが)で、しかもぶっちゃけ京都に通すか奈良に通すかも決まらないらしいので、これからは名古屋という意見が強いのも頷けます。実際、名古屋駅前の発展ぶりは目覚ましいものがあります。

 大阪は歴史もあり、京都奈良にも近く、その存在意義は計り知れない都市です。何か良い方法はないもんかいな?とちょくちょく一人考えるのですが、なかなかうまい方法というのは思いつきません….

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小沢一郎を分析する

 90年代から2010年ごろまでの20年近く、政治に関する報道で小沢一郎氏は欠かせない存在でした。自民党の剛腕幹事長として知られ、選挙の当選請負人とまで言われ、政党を作っては壊す壊し屋としてもよく知られた人物です。

 私が気になるのは、彼はどうしても事が最終的にダメになってしまうという現象を自分から生み出しているのではないかと思える点です。特に人間関係が破綻し何もかもダメになり、一からやり直すを繰り返しているように見えます。

 自民党幹事長時代、今から思えばあの時こそ小沢氏の黄金期だったような気もしますが、彼が重用された背景には金丸信氏の強い後ろ盾があり、竹下登氏もそれを容認していたからだと言えます。しかし小沢氏は竹下氏に強く反発し、金丸信を見捨てて自民党から離脱します。小沢氏が自民党復帰を望んでいたことは、自自公連立政権期に自民党との合併を模索していたところからも分かりますが、心中、自民党が懐かしかったのではないかと私は思っています。

 小沢氏はその政治人生で多くの政治家と協力関係を結びますが、彼の協力者になった人物はたいてい、ろくな目に合っていません。小沢氏だけが悪いのではなく、相手の人物との相互作用でいろいろなことがダメになっていくのですが、悉く人生が狂っていきます。今の段階は、そして誰もいなくなったといった感が漂います。

 小沢氏は少年時代、父親と過ごしたことがほとんどなかったそうです。私も同じなので分かるのですが、父親との関係が希薄だった場合、全てではないにしても同性との関係がうまくいかなくなることが多く、寂寥感を紛らわせるために女性に依存するというパターンが生まれやすいように思います。そのような依存はあまりいい結果を生みませんので、最終的には同性からも異性からも孤立するということに立ち至ることもあるでしょう。女性であれば母親と仲良くしてそれでOKなところもありますが、男の子は母親からは飛び立たなくてはいけません。

 小沢氏が自民党から離脱して新政権を作ったとき、テレビニュースを見ながら高揚感を得たことを今も覚えています。今思えば私も青かったですが、それだけの夢を見せてくれたという意味で、同情する心も込めて、小沢氏の心理的面での分析をしてみました。

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高橋是清のこと

 高橋是清は財政家として大変有名な人物です。少年時代にアメリカに留学したら現地で奴隷として売られてしまったものの、買い取った人が良い人で、そこのお宅に養ってもらって学校へも行かせてもらったという不思議な運を持つ人としても知られています。

 日露戦争の時はアメリカとイギリスを行脚して日本の公債を売り歩き、戦費を確保したということもよく知られています。高橋是清の地道な行脚がなければ、日露戦争では日本が勝つことはなかったのではないかと思えてなりません。

 日銀総裁を経て大蔵大臣、首相を経験し、更にもう一度大蔵大臣に任命され、最期は226事件で命を落としてしまいます。

 金融恐慌では円を発行しまくって危機を逃れた他、世界恐慌のあおりを受けた後、軍拡することで政府支出を増やし日本をデフレから脱却させ、インフレ基調になると軍縮するという経済政策をする人としてはこれ以上合理的かつ臨機応変に仕事ができた人はそうはいないという感じの人で、今も高い評価を受けている人だと理解しています。

 高橋是清は226事件で亡くなってしまいましたが、もし生きていたらどうだっただろうか?ということをふと思わなくもありません。近衛文麿が対米交渉で行き詰まり総辞職した後、重臣会議で後継首相が東条英機になりますが、もし高橋是清が生きていれば、間違いなくその重臣会議に参加していたでしょうから、持ち前の合理精神で局面打開のための全く新しい視点を持つ球を仕込んでくれたのではないか、という気がしなくもありません。

 もっとも、軍がアメリカとの戦争に積極的だったことを考えれば、早晩、どこかで命を奪われてしまい、結果は違わなかったかも知れません。

 高橋是清を神格化したり、崇拝したりすることは望ましいことではありませんが、バブル崩壊後にこんな感じの人が現れてくれていたらなあと嘆息したくなることもありますねぇ…

カリフォルニア予備選近し。ヒラリーかサンダースか?

ヒラリー氏とサンダース氏がデッドヒートを続けていますが、
今度の火曜日でようやくはっきりしそうです。

その日はカリフォルニア予備選挙があり、世論調査では
ヒラリー氏の支持率にサンダース氏が追い付きつつあり、
まだ3-4日ありますから、場合によっては逆転という
ことすらあり得る展開を見せています。

西海岸の人のざっとした傾向としては、
新しいものに対して肯定的であり、かつリベラルを好む
というものがあると個人的には思います。

ヒラリー氏とサンダース氏はどちらもリベラルと言えば
リベラルなのですが、よりリベラルなのはどちらか?
と問われれば、サンダース氏のほうが間違いなく、
「よりリベラル」と判断されるでしょうし、
遅れてきた新人的なサンダース氏は好まれるのではないか
という気がしなくもありません。

私は社会主義は肯定しませんが、サンダース氏の地味な服装、
安そうな着古した感じのスーツが主張と生き方の一致を見せて
いるように見えて、私のサンダース氏に対する印象も悪くありません。

サンダース氏のHPも作りが素人っぽく、その手作り感がここまで
来ると好印象です。

とは言うものの、カリフォルニア予備選が行われる日は
ニュージャージーの予備選もあり、時差の関係で
ニュージャージーの方が先に結果が出ますので、
ここでヒラリー氏が指名獲得を確実にするのではないか
との見方が強いようです。

一方、サンダース氏はそのような予想はどこ吹く風と
カリフォルニアに全力を集中する方針なのだとのこと。

指名獲得争いではヒラリー氏が勝つでしょうけれど、
カリフォルニアは西海岸の代表的な地方でサンダース氏が
勝てば、象徴的な意味を持つに違いありません。

私はもちろん日本人ですから、アメリカの大統領選挙については
遠くから眺めているしかありませんし、どちらに勝ってほしいと
いうこともありません。

ただ、当事者の心境や事情というものを推し量るとすれば、
もし、私が民主党支持者であれば、一日でも早く
ヒラリーvsサンダースを終わらせたいと願うはずです。

両者の戦いがもつれればもつれるほど、民主党の票がばらけ、
それだけトランプ氏が有利になります。

熱烈なサンダース支持の人々が心の整理をつけて、
共和党の候補に投票するよりは、ヒラリー氏でも
民主党の大統領がいいと思うようになるにはしばらく
時間がかかるでしょう。
そういう意味では、民主党としては今度の火曜日で
きれいに形をつけてしまいたいはずです。

さて、トランプ氏とヒラリー氏の対決で、どっちが
勝つか?ですけれど、民主党陣営ではある意味では
遺恨が残りそうな展開になっていますし、
ヒラリー氏本人にもメール問題など炎上のネタが
あります。

当初、大本命と見られていたヒラリー氏が不利に
なりつつあるとも見えますので、本当に選挙は
分からないものです。

一方、トランプ氏も法外な金儲けの手法が取り沙汰されたり、
今後は税金をちゃんと払っているのか?あたりで炎上含みです。

これまでトランプ氏は大金持ちだから資金はクリーンという、
斬新な存在感を見せていましたが、税金を正しく払っていなかった
ということになれば、話は全く変わってきます。

本選挙では脛に傷のあるもの同士が、どちらがよりお金に対して
ダーティーかの中傷合戦になる可能性を残しており、そういうのは
やはり、あまりいいことのようには思えません。

トランプ氏は多分、きっと、おもしろいおじさんなのだろうと
思います。そういうおもしろいおじさんが大統領になるのも
おもしろそうだと思わなくもありません。

ただ、おもしろいだけの人が大統領になっていいのか?
という疑問もありますが、そこは私は有権者じゃありませんので…。

憲政の常道

 大正時代、「憲政の常道」という言葉が誕生します。
 日本では当時、元老が首相を指名し、天皇が任命するという習慣が確立されていましたので、衆議院には首相指名権がありませんでした。
 しかし、この時代は民主主義の理念が多くの人に共有されるようになり、元老が首相を指名するという原則は崩れないものの、元老は直近の選挙で第一党になった党の党首を首相に指名し、仮にその人物が失政によって首相を辞任すると、第二党の党首を首相に指名するという習慣が原則化します。

 即ち国民が首相を指名できるようになったわけです。

 しかし、この原則は10年を待たずに崩れていきます。政治家同士の勢力争いがあまりにも激しく、陰謀による首相下しを年中やるようになったため、西園寺公望が自分の意思で憲政の常道を放棄してしまいます。その後は軍人や貴族院の人物が首相に指名されるようになり、大正デモクラシーというおもしろい現象は縮小してしまいます。

 戦後、かなりの時間が経って、小沢一郎氏が細川護熙氏を首相に擁立した時、「憲政の常道に反する」という批判がありました。当時、自民党は230程度の議席を確保しており、過半数には届きませんでしたが、第一党には違いありませんでしたから、憲政の常道に従えば、自民党の首相が選ばれるのが自然です。しかし、小沢氏は日本新党、社会党なととの連合で(いわば、オリーブの樹方式)、細川氏の首相指名を勝ち取ったわけです。

 そういうことが正しいのかどうか、衆議院議員はただの頭数集めなのか?ということを考え出すときりがありませんが、考える材料として憲政の常道というものもあると頭の隅に入れておくことも悪くないかも知れません。

写真素材 ぱくたそ

プラザ合意のこと

1985年、ニューヨークのプラザホテルで行われたG5会合でドルの全面安の容認の合意がされたことをプラザ合意と呼ぶことは大変有名な話です。

ベトナム戦争以降、国力の疲弊から立ち直ることに苦慮していたアメリカが自国製品の輸出を振興するための手段としてのドル安をG5諸国に持ちかけたということなのですが、当時の空気としては、世界の資金がドルから円へと移動することが確実視されており、日本側から見れば事実上の円全面高への移行という理解になります。

交渉に臨んだ竹下大蔵大臣は、プラザ合意は実質的に日本とアメリカの二国間の協議で決まったとして、「とうとう日本はアメリカと肩を並べた」と周囲の人に話したと言います。

プラザ合意後、日本円は一機に値上がりし、言い換えるなら市場の判断する適切な価値がつけられるようになりました。一方で、生産拠点が海外へと流出するようになり、産業空洞化という言葉が使われるようになっていきます。

日本銀行の金融緩和により、国内でキャッシュがだぶつく事態となり、バブル経済が発生しますが、投機の過熱を懸念した日銀が金融引き締めに政策を転じたため、バブルの崩壊といつ終わるとも知れぬ不況へと日本は迷い込んで行くことになってしまいます。

プラザ合意はアジア諸国への産業移転、バブルの発生と崩壊という日本のその後を決定する極めて重大な出来事であったと言うことができますし、アジア諸国が世界の工場と呼びうるほどに生産力を高めることに弾みをつけ、日本から部品を輸出して海外で組み立て、再び日本に輸入する(或いは更に他の国へと輸出する)という経営モデルを定着させる契機となった、今の世界を形作った第一歩になったとも言えそうです。

当時、人々はいずれ日本はアメリカを凌駕する経済大国になるとすら囁き合ったものですが、ちょっと調子に乗り過ぎていたところもあったかも知れません。

経済の調子が上向き続ける時、人は浮かれます。下降が続くと人は内省的になり、思索を深める面もあるようにも思えます。そのような意味では、日本人は経済的には厳しい時代を迎えてしまいましたが、世の中に揉まれることで人格的には向上したというプラスの面もあったのではないかという気もしないでもありません。