大正天皇の大嘗祭と柳田国男

柳田国男の『日本の祭』という講義録では、日本各地のお祭りの形態とその起源、天皇との関係などについて議論されている。私は民俗学にはちょっと疎いところがあるので、どこぞのお祭りには〇〇のようなことがなされているというような話にはあまり興味を持つことができなかったのだが、神社のお祭りが天皇との関係に収斂されていくのは興味深いことだと思えた。

天皇家の宮中行事は仔細にわたると言われており、よほどの専門家でない限り判然としない部分があるのだが、平安朝あたりまでわりと真面目に行われていた宮中行事がだんだん手抜きになっていき、大嘗祭のような天皇即位の手続きの一部とすら言える重要行事もやったりやらなかったりだったらしい。他の書籍に拠るのだが、明治に入って改めて宮中行事が見直され、復古主義的に様々な伝統が復活したという側面があるようだ。天皇のお田植は昭和に入ってから始まったものなので、創造された伝統もいろいろあるのではないかと私は個人的に想像している。

で、柳田国男の『日本の祭』に戻るのだが、柳田国男はさすが帝国最後の枢密院顧問官に就任するほどの人なので、大正天皇の大嘗祭にかかわっていたという話が載っている。それだけなら、「ふーん」で済むのだが、大嘗祭は夜を徹して行われる重大行事で、大正天皇の時は京都でそれが行われたのだが、火災の不安があるということで本来なら蝋燭を使用すべきところを蝋燭風の電灯に替えて使用したという話だった。この講義録では、日本の祭が時とともに変化していること、原始古代のままの状態から中国の影響を受けたり、紙などの「発明品」を使用するようになったりなどの事情を判明している範囲で話してくれていて大正天皇の大嘗祭もその一環としての話題なのだが、火災が心配なので電灯を使ったというあたりに私は何かしら納得のいかないものを感じてしまった。というのも、帝国は一方で天皇家の伝統を国家の重大事とやたらと騒ぎ立てて持ち上げておきながら、火災が心配という官僚的な事なかれ主義で都合よく伝統を変更しているということに、なんだか飲み下せないものが残るのだ。

ちょっと言いすぎかもしれないのだが、一方で伝統や歴史などの事大主義的、或いは悪い言い方をすれば夜郎自大的な発想法で国体明徴論争などをやっておきながら、一方で伝統や歴史を都合良く変更していくという行動には矛盾があり、私にはそういった矛盾が「まあまあ、いいじゃない」で放置されたことと、戦争に敗けたこととの間には通底するものがあるような気がしてならないのだ。分かりやすい例で言えば、インパール作戦を根性論で強行し、なかなか失敗を認めようとず、責任を取るべき牟田口廉也中将も帰国して予備役編入で済んだということと、「火災が心配だから」と伝統行事を適当に変更することには重要な部分を曖昧にするという共通項があるように思えてしかたがないのだ。

柳田国男先生のこの講義は昭和16年夏という、日本の近現代史としてはかなり切羽詰まった時期に行われたもので、柳田先生の立場としては「民族的」な精神的支柱を「近代的」に確立しなければならないという思いで歴史の再編集の必要に迫られていたのだろうと思う。歴史は常に再編集されるものなので、再編集されること自体には良いも悪いもない。ただ、矛盾する部分があればそれは矛盾だと指摘することも大切なことだ。そういう時期的な背景があるということを踏まえて読むと緊迫感もあっていいかも知れない。

トランプ大統領の交渉手法はこれだ

ドナルドトランプが大統領に選ばれて一年半、一方で「何をするかわからない」と不気味がられる反面、「めちゃくちゃな公約を公約通りに進めている」とやはり不気味がられている。要するに不気味がられているのだが、彼の全てを知ることはできないものの、彼のアジア関連の外交を見る限り、一定の手法があることが分かる。

中国の習近平国家主席が訪米した際、チョコレートケーキかなんかを食べている時にシリアにトマホークを撃ち込んだという知らせが入ると言う、人の食欲を敢えて萎えさせるような手法で脅しをかけたが、この時の米中間で話し合われた主たる話題は貿易と北朝鮮の核問題だった。トランプは貿易不均衡の是正を要求したわけだが北朝鮮が交渉材料になり、北朝鮮の核放棄を中国主導でできるなら貿易不均衡については目をつぶるというわりと分かりやすい取引が行われた。

で、しばらくそれで様子見に入ったわけで、その間に北朝鮮の金正恩委員長が訪中し、或いは中国主導で北朝鮮の核廃棄もあり得るかという観測も生まれたが、結局のところ北朝鮮サイドが自分たちのバックには中国様がいるということを世界に知らしめるだけの効果があっただけで、中国主導による北朝鮮の核放棄は実現されなかった。その結果を受けてトランプは北朝鮮と直接協議することにしたし、躊躇なく中国製品に大規模な関税をかけることを決心したのである。要するに一旦、チャンスを与えて相手のお手並みを拝見し、話しが違うということになればアメリカファーストの原則で押していくのだ。

この手法は北朝鮮に対しても行われていると私には思える。シンガポールで史上初の米朝首脳会談が行われたが、一方で具体的な中身が何もないという批判があった反面、事実上アメリカの勝利、または事実上北朝鮮の勝利など様々な評価があちこちで行われた。だが、上に述べたようにトランプは一旦相手にチャンスを与えて約束が実行されるかどうかをお手並みを拝見するという手法になるので、現状は北朝鮮が約束を守るかどうかの見極め期間と言うことができる(2018年7月12日)。見極め期間が終わりトランプが相手が約束を守らないと判断した場合、これまでに公言した通りの強硬な手段がとられる可能性は充分にあるわけだが、北朝鮮が核を放棄することは私はあり得ないと思っているので、一切は私の想像だが北朝鮮サイドは如何にしてあたかも約束を守ろうとしているかと信じさせる期間を引き延ばそうと努力するだろう。従っていつまで見極めるかのせめぎ合いということになる。

とはいえ、仮に強硬手段を選ぶ場合、周辺関係諸国との合意や協力は必要になる。日本は敗戦国でアメリカ様の言いなりになるのが宿命ではあるが、安倍晋三首相は押せ押せでトランプ大統領に迫っているはずだが、もう一つの主要なアクターである韓国の文在寅大統領は下げ下げで行くはずである。韓国から在韓米軍を撤退させて台湾にある程度の規模の海兵隊を置くというプランがあるとまことしやかに語られることもあり、にわかに信じることはできないが、絵空事とも思えない。韓国、台湾に関することもトランプ大統領は取引条件を示し、取引が成立するかどうかを見極め、決断するというやり方を繰り返すだろう。ヨーロッパは完全にトランプのアメリカに愛想をつかしているので、欧米連合で国際社会が動くということは当面は考えにくい。日米同盟が世界の一方の軸になり、巨大な中国が一帯一路で場合によってはヨーロッパで仲良くするというカウンターパートという新しい世界の構図が見えてこなくもない。しばらくすればインドも主要なアクターとして浮上してくる。

要するにはっきりしていることは日本がアメリカ様とどこまでも行く以外の選択肢を持っていないということだけで、あとはそれ以外がアメリカにつくか中国につくか現状では何とも言えない。ヨーロッパ、韓国、インド、台湾が果たしてどっちにつくかを見守りたいところではある。繰り返しになるがヨーロッパはトランプを見放しているので中国よりに傾く可能性はある程度あると言える。台湾は政権交代が起きれば大きく政策が変わるので、時期総統選挙の結果を見ないことには何とも言えない。韓国はなんとなく中国につきそうな気がするが、意外と親米勢力も健在なので見通せない。インドは日米同盟につくのではないだろうか。

全て私の想像です。いいですか。私の想像ですからね。念押ししますが、想像ですよ。

昭和天皇とマッカーサーの関係をよくよく考えてみた

非常に有名な話だが、マッカーサーは昭和天皇と初対面の時にその人柄に感動し、昭和天皇は日本の再建に必要な人物だと確信したという。私も以前はその話を信じていた。それを否定するべき材料を見つけることができなかったからだ。しかし、最近は違った考えを持つようになってきたので、ここである程度整理しておきたい。

まずマッカーサーが昭和天皇の人柄に感動したという話についてだが、天皇からの対談の申し入れがあった際、マッカーサーは「不安を感じた」とされている。昭和天皇が命乞いに来るのではないかと思ったし、そのようなことは自分の一存では決められないとも思ったからだ。そして、世界征服を企んだ人類の敵をわざわざ助ける義理もないとも言えるかもしれない。しかし、実際に会ってみると昭和天皇からは「自分の身はどうなってもいいから国民を救ってほしい」と言われ感動したのだということになっている。

だが、この話の出どころはマッカーサーの回顧録による。昭和天皇は生涯、実際に何が話し合われたかについては口外しなかった。とすれば、この話は当事者の一方からのみ出た話で、裏付けがとれる類のものではないと言えなくもない。日米双方に通訳者がついていたため、通訳者の証言も残っているが、その証言は大筋ではあっているが微妙な違いがある。もちろん、通訳はある程度意訳しなければならない場合が多いため、微妙な差異があっても不思議ではないのだが、通訳にはそもそも守秘義務があるため、そこで知り得たことを話すことはゆるされない。そのため、裁判などで宣誓した上で証言するならばともかく、そうでない場合、どの程度通訳証言を信用するべきかは難しい問題になる。

また、そもそも「自分はどうなってもいいから他の人を助けてほしい」というのは美談過ぎる。果たしてそのようなある種の自己犠牲的精神論だけでマッカーサーがころっといってしまい天皇を熱烈に支持するようになったという話は、関係者に都合よくできすぎているのではないかという気がしてならないのである。当時、多くの人が昭和天皇はドイツのファシストと同様に罰せられなくてはならないと考えていたはずだし、仮にどれほど人間的に魅力があったとしても起訴すべき訴因があるとすれば、いい人だからという理由だけで責任を免除するということは考えにくい。

そのため、私は初対面で両者は全く違った話が行われたのではないかと考えるようになった。具体的に何が話し合われたかは証明不可能だが、その後の歴史の展開を見ると、多少の想像は可能だ。まずマッカーサーは大統領選挙に出馬する意欲を持っていた。そのためには日本占領に成功することが絶対に必要だと考えていたことは間違いない。マッカーサーが最も不安に感じたのは果たして最近まで頑強に抵抗していた日本人が意のままに動くかどうか分からないという点にあったのではないだろうか。当時のアメリカ人であれば、天皇が日本人に対して神秘的な影響力を持っていると考えていても不思議ではないし、マッカーサーの立場であれば、もはや戦争の決着がついた後、わざわざ天皇を訴追して日本人がどういう反応を示すかを心配するよりも、天皇には責任がないことにして占領に利用することを優先したとしても不思議ではない。一方、昭和天皇は天皇家の存続を確保することに主眼があったに違いない。天皇家さえ存続すればたとえば日本が領土を削られたり、国際法上敗戦国として不利な地位に置かれたりしたとしても、いわゆる国体は保持できる。そのためにマッカーサーの支持を取り付けることは必要だっただろうし、譲歩できる部分はいくらでも譲歩する覚悟はあったはずだ。

要するに天皇を保全し、天皇の協力のもとでアメリカ軍による日本占領を完遂するということで両者の利害は一致していたのであり、ある程度の下交渉が行われた上で、初対面の際にそれを確認し合ったということが真相なのではないかと私には思える。

ただし、それを大っぴらに口外することは両者にとって不利である。マッカーサーは世界に対して昭和天皇を訴追しない理由を明らかにしなくてはならなかったし、昭和天皇も日本の半永久的占領と引き換えに国体護持を図ったということは憚られる。そのため、マッカーサーは昭和天皇の美談を創作し、通訳もそれで口車を合わせることになり、昭和天皇は沈黙を貫いたのだとすれば、筋は通る。マッカーサーは天皇を訴追すれば日本国内で叛乱が起き、100万の軍隊が必要になるとワシントンに脅しをかけた。昭和天皇はラジオで人間宣言を放送し、国民感情の慰撫に努めたというわけだ。

それが正しいことだったかについては賛否あるかも知れない。マッカーサーの個人的な政治的野心と、昭和天皇のやはり国体護持という政治的目標が合致して占領政策が行われ、その後日米安保が結ばれたのだとすれば、納得できないと言う人もいるかも知れない。私個人は立憲君主制を支持しているので、天皇家が存続したことは圧倒的敗戦の事実の前では戦争で敗けて交渉で実を獲ったとも言えるので、これでも良かったと思う。果たして天皇が訴追された際、本当に日本国中で叛乱の嵐が吹き荒れたかどうかは疑問だが、そうなってもおかしくはなかったので、ある程度穏便に物事を進めることにはなったと思うし、日本の再建にはよりよい効果があったと思う。もちろん、価値観の問題があるので、飽くまでも私は個人はそう思うということに留めたい。マッカーサーは大統領にはなれなかったが、それは私の知ったことではない。

2020年中国が台湾に侵攻する説を考える

インターネットで中国、台湾、2020と検索すれば、中国がその年に台湾を侵攻するとする説でもちきりなのが分かる。中国語のブログなども参考にしてざっくりとしたことを述べると、軍拡に熱心な中国は2020年には台湾に侵攻しても他国の干渉を排除できるだけの体制を整えることができると台湾の防衛白書に書いてあるらしいのである。

仮にそのようなことが書かれてあるとしてその真実性について考えてみたい。

中国の台湾に実質的な施政権を及ぼしたいという念願は強く、最優先の国策国是になっていると言ってもいい。そのため、現在の共産党政府が存続する限り、台湾を吸収編入しようとする努力は続けられると考えていい。だとすれば問題は、①中国共産党政権が存続し続けるか ②存続し続けるとして、彼らは台湾編入をなし得るかということになる。まず①から考えたい。

中国経済の衰退の兆候は様々に見られる。しかし、現在までに破綻や衰亡のような危機的状況に至っているかといえば、そうとは言いがたい。中国経済の指標には嘘やデタラメ、インチキが多いという指摘は多いし、もしかするとそれは当たっているかも知れない。たとえばソビエト連邦が崩壊した後、彼らが相当にデタラメな数字を使って実際には火の車の経済を糊塗していたことが分かってきたため、中国共産党政府も同じ運命をたどるのではないかと言う指摘があることも確かである。しかし現状、共産党政府が崩壊する外形的な兆しはない。経済的な衰退と言っても前ほど伸びなくなったというだけであり、日本に比べれば羨ましいほどの成長力は今も備わっていると見るべきだ。あるいは帳簿が二重だったり、数字がごまかされていたり、約束の不履行が次々と明るみになるということはあり得るが、我々が生きている間に、それらの綻びが共産党政府を破綻させるに至るほどのものになるかどうかは分からないし、当面はなさそうに見える。中国共産党政府は当面存続するだろうし、台湾編入の努力は引き続き熱心に行われることだろう。

では、彼らは果たして本当にそれをなし得るかということが議論されなくてはならない。台湾が中国に吸収される日は本当に来るのだろうか?2020年に外国の干渉をゆるさないほどに強力な軍事力を整えるということは、一言で言えばアメリカよりも強くなるということだ。アメリカは今も世界の覇権国だが、近い将来中国がアメリカに取って代わるかどうかは今のところは何とも言えない。取って代わるかも知れないと思えるほどに中国は巨大である。ただ、アメリカが衰退しているわけでもない。アメリカの世界経済に対するプレゼンスが下がっているのは確かだが、アメリカ経済そのものは堅調であり、他の地域、特に中国が急速に発展したためにアメリカのプレゼンスが相対的に下がったということでしかない。そのため、アメリカが中国よりも更に強い軍事的なパワーを維持したいと考えているとすれば当面の間、それは可能だし、台湾を西側の砦として守り抜くというアメリカの姿勢が崩されることは、これも当面の間はなさそうである。

とすれば、将来的に中国かアメリカのどちらかが台湾を諦めるまでこの紛糾は続くということになり、また、どちらが諦めるかを見届けることは最終的にどちらかが勝ったかを見届けることにもなると言えそうだ。

それはある程度遠い将来のことかも知れないが、意外と近い将来にそれを占うことができそうな外交日程がある。米朝首脳会談は実現の可能性が相当に高まってきているし、本当に実現すれば米朝平和条約も雲をつかむような話ではなくなってくる。その場合は中身が問題になってくるわけだが、先日行われた南北首脳会談では朝鮮半島の非核化を目指すことが声明されており、北朝鮮が核放棄をする見返りに在韓米軍は撤退することを目指したものだと言って良い。北朝鮮のリーダーは必ずしも世間で言われているほど愚かな人間ではないことは最近になってはっきりしてきた。中国にも二度に渡って訪問しており、背後には強力な味方がついていることをアピールしたからだ。アメリカに対しては北朝鮮は甘くないというメッセージになっただろうし、中国に対しては北朝鮮は従順であるというメッセージになった。

即ち、米朝首脳会談は実際には米中の駆け引きとせめぎ合いであり、どちらが外交達者かを見極められる舞台になるはずだ。トランプ大統領が適当に折り合いをつけ、例えば限定的な核査察しか行われないのにそれを認めたり、在韓米軍も撤退とまではいかなくとも縮小することに同意したりすれば、中国は台湾に関しても同じように駆け引きができると考えるだろう。そうなれば俄然、台湾の中国への編入は現実味を帯びてくることになる。反対にトランプ大統領がかなりの強硬姿勢で完全な核査察の実現にこだわり、在韓米軍も撤退しないということで話がつくのであれば、中国は台湾に関することでもアメリカがどういう態度で臨んでくるかを予想することができるため、台湾を強引に編入することには躊躇することになるはずだ。

尤も、中国が台湾を武力的に襲撃して占領するということは考えにくい。そのような目立つやり方をすれば世界から警戒され非難されるということは議論するまでもないことだ。そのため、台湾人の自発的な統一への意思に沿うという体裁で統一を進めて行くはずである。私が当局者であれば、台湾で国民党政権が返り咲くのを待つし、国民党政権復活のために協力できることをやろうとするだろう。そして国民党政権下で躊躇なく統一の手続きを進めようと考えるはずだ。国民党の中にも統一を良しとしないグループは存在するため、そのことにも手を打たなくてはならないが、説得するか粛清するか利益誘導するかして何とかするということになるはずだ。

昨今の2020年に中国が台湾に侵攻する説は、台湾の独立を志向するグループから広められたのではないかと私には思える。蔡英文総統の二期目があるかどうかは意外と不透明で、独立派はまずは蔡英文氏の二期目の当選を確かなものにしたいからだ。2020年というリアルな時間軸は、危機感を煽ることで蔡英文氏が選挙戦で有利になることを狙っているのではないかと考えることができる。私の想像、推測、憶測である。

しばらくは米朝首脳会談の結果を待つしかなさそうだ。会談が実現するかどうかもまだ分からないのだ。直前のキャンセルもあり得るのだから。

ジュリアンアサンジ死亡説を考える

ジュリアンアサンジの「やらせ説」は以前からあった。なぜかわからないがwikileaksはヒラリー・クリントン氏に対する狙い撃ちを続け、それは確実にトランプ氏の大統領選挙での勝利に影響したと考えられているためだ。私もwikileaksの活動がなければ、あるいはヒラリー氏が勝利していたのではないかと思う。少なくともいわゆるストリームメディアのほとんどがヒラリー押しであり、トランプを泡沫扱い、または愚か者扱いしていたことは詳細に述べるまでもないことだ。馬鹿ですけべなだけのおっさんよりも、元大統領夫人で国務長官、ホワイトハウスでの経験は長くて手腕も確かなヒラリー氏の方がいいに決まっている。その上アメリカ史上初の女性大統領が登場するのだ。女性大統領が登場することに異論のある人はいないに決まっている。ヒラリー以外誰を選ぶのか?というのがそれらのメディアの主たる論調であり、メディアがここまで持ち上げる以上、ヒラリー氏が勝利すると誰もが思ったに違いない。

しかしwikileaksの活動によりヒラリー氏には裏の顔があるということが世の中に知れ渡ってしまい、私もまともにwikileaksが公開した情報を読んだわけではないが、どうもヒラリーはなかなかの食わせ物らしい、あの顔を見ろ。日本のどこかの知事と同じで自分中心な高飛車女じゃないか。という印象どうしても植え付けられてしまったのである。

アメリカではどの州が共和党を応援し、どの州が民主党を応援するかは大体決まっている。人口の多い両海岸沿いは民主党支持者が多く、広大だが人口の少ない内陸部では共和党支持者が多い。その中に揺れ動く州と呼ばれる地域が幾つかあり、それらがどちらに着くかによって勝敗が決まる。筆者が暮らしたことのあるミシガン州は比較的民主党支持者の多い地域だが、開票のニュースを見ると共和党の色に染まっており、これを見たときに私はトランプが勝ったと思った。

いずれにせよ、あれだけ馬鹿にされたおもしろいだけのおじさんを大統領に押し上げるのにwikileaksは多いに貢献した。そしてハリウッドから徹底的に嫌われた。「やらせ」を疑うのも理解できなくはない。いや、やらせだと考える方がいろいろと辻褄が合うのではないかという気すらしてくる。

現在もアサンジ氏はロンドンのエクアドル大使館に逃げ込んだままで、一歩も外に出ない生活を続けていることになっている。共和党の議員から恩赦をしてはどうかという提案が出た言われるが、wikileaksが共和党の仕込んだやらせだということの傍証のように思えなくもない。

そのアサンジ氏が死亡しているという説は現在ネットで広まっており、熱心にアサンジの死亡の手がかりを収集し分析を加えている人が多い。全く信用できない分析もあるが、鋭いところを衝いていると思わせるものもある。

たとえばwikileaksはスタッフが大幅に入れ替えられた可能性が指摘されている。これが事実だとすれば、アサンジとwikileaksが切り離されたと見ることができる。更に今年に入ってアサンジ氏に面会に訪れた友人が面会を断られるという出来事もあった。外の世界に飢えているはずのアサンジ氏が貴重な友人の面会を断るということは考えにくい。多忙ということもないだろう。最近はアサンジ氏本人によるtwitterへの投稿もなく、エクアドル大使館の窓から支援者に顔を見せることもない。インターネットを利用した情報発信も新しいものを見つけることができない。

アサンジがdead man`s switchを発動させたと言う人もいる。暗号としか思えないツイートを残しており、危機的状況に陥った彼が仲間に解読コードを知らせたというわけだ。そこまでは理解できるが、命と引き換えの保険にあたるdead man`s switchを発動させたのならば、それに相応しいだけの暴露情報がwikileaksから出されてもいいはずなのだが、そういった話はない。Wikileaksがアサンジから切り離されているとすればそういうことにはならないかも知れないが、アサンジの弁護人たちは現在も活動中なのだ。情報暴露は不可能とは言えない。アサンジ氏の弁護人が鉄道事故で亡くなったことを陰謀論のように語るサイトもあるが、彼の弁護人は複数いる。もっとも、一人亡くなったことは警告だったと受け取ることもできるかも知れないが。

イギリスの秘密機関MI5やMI6のようなところがアサンジ氏を殺害することは不可能ではないように思える。大使館は治外法権だが、ライフラインはイギリス側が握っている。アサンジを逃がさないためにあらゆる抜け穴は抑えてあるだろうし、見取り図も持っているかも知れない。以上の諸要素を考えてみると、アサンジが今この段階で生きていないとしても、それは驚くには当たらないのかも知れない。上に共和党議員による恩赦の提案について触れたが、共和党のフィクサー的存在として知られるロジャーストーン氏はアサンジ氏と食事したと知人に伝え、後に「あれはジョークだ」と言ったという。アサンジを利用し尽くした共和党にとって最早用済みになり見捨てたと見ることもできなくはない。アサンジが死んだかも知れないという可能性を示唆する情報は溢れており、一方でアサンジが生きていることを証明するものがないのであれば、死んでいると考える人が増えるのも理解できる。だが、死んだと言い切れるだけの証拠も存在しないのも事実だ。

私が不思議に思うのは、もしMI5なりMI6なりがアサンジ氏を殺害したとして、死体はどう処理されたのかということだ。朝、エクアドル大使館の職員がアサンジ氏が亡くなっている姿を発見したとして、死体を放置しておくわけにはいかない。燃やすか搬出するか、埋めるかしなければならない。死体と一緒に暮らしたいとは思わないだろうから、放置するとは考えにくい。しかし誰にも気づかれずに荼毘に付すことは不可能だし、死体を地下に埋めるというような冒涜的な行為を何も悪いことをしていない、正当な職務を遂行しているだけの職員たちはやりたがらないだろう。搬出するしかないが、搬出されたという話はない。

また、エクアドル大使館員はイギリスに対して堂々と抗議することができる。エクアドル大使館がアサンジを受け入れた理由がイギリス対する嫌がらせが目的だったとすれば、アサンジ殺害がもし事実であれば、イギリスを堂々と批判する格好のチャンスである。敷地に入ってきて殺人を行ったのである。いかなる理由があれ、正当化できるものではない。ネット上では生きている証拠が見当たらないことを理由に死亡説を採用しているところが多いが、死体の処理という現実的な問題に触れているところを見つけることはできなかった。そしてこの話題は「死体の処理はどうするのか?」に答えられなければ、完全に答えたことにはならない。

だがもし、アサンジ氏が誘拐された場合はどうだろうか。イギリス側がそれを実行することはおそらく十分に可能なはずだ。この場合、アサンジ氏は隔離されているかも知れないし、或いはどこかで殺されたかも知れないが、エクアドル大使館で死体の処理をすることは事実上不可能であるという難題が解決することになる。とはいえ、これもやはりとてつもない外交問題だ。敷地に入り込み誘拐したのである。戦争を始める理由にすらなり得る。戦争はしないだろうが、イギリスを非難する絶好の機会になることは確かだ。しかし、そのような動きはない。エクアドル大使館は彼が生きていることを前提に活動している。

このように見ていくと、アサンジ氏は共和党の仕込み、やらせだった可能性は十分にあるが、殺された可能性はそこまで高いのではないだろうかと思えてくる。ただ、生きている証拠もないのだから、いずれ本人が出てくるまでは死亡説の噂は流れ続けることになるだろう。だが、窓から顔を見せればすむだけのことをしないというのは理解できない。人間なのだから窓の外くらい見たいはずだ。やはり死んでいるのだろうか…

BC級戦犯裁判‐岡田資中将のケース

戦後、東京裁判でA級戦犯が裁かれましたが、ほぼ同時進行、場合によっては少し遅れてBC級戦犯裁判もアジア太平洋各地で行われました。果たして戦勝国により敗戦国を裁く裁判が公平公正なものになり得るかという議論はもちろんありますが、大変に興味深いケースとして終戦時東海軍司令だった岡田資中将の裁判があります。

終戦前の半年間はアメリカ軍による絨毯爆撃、無差別爆撃が日本各地に対して行われたわけですが、民間人や民間施設に意図的な攻撃を加えることは戦争犯罪だという認識に立ち、岡田中将は撃墜されてパラシュート降下した米兵を捕虜としてではなく戦争犯罪人として裁き、死刑の宣告をして執行させたということが問題になりました。

但し、死刑の宣告を下す手続きが不公正なものであったということが問題にされました。岡田中将は1945年7月に軍律会議の略式手続きで死刑の決定をしたわけですが、死刑という重い刑に対し弁護士もつかない軍率会議をしかも略式手続きで進めてしまったということで、適正手続きを経ていないということが問題視されたわけです。

軍律会議は軍法会議とはまた違うもので、戦時下の慌ただしい中、軍司令官が行政権と司法権も掌握して軍律を定め、軍律違反者には軍司令官が判決を下すことができるという三権分立もなにもあったものではないという仕組みであり、弁護士もつきませんから、検察側はその問題を指摘し、というかその問題に絞って被告を攻撃するという方針で臨みます。

一方、ここが大変に興味深いことですが、被告と弁護人は①責任は軍司令官一人にあって、部下には一切責任がないという立場を貫き、②激しい爆撃下で略式手続きをするのが精いっぱいだった、当時としては最善を尽くしたということを主張し、③激しい爆撃下というのがどれくらい激しかったかということを立証するために、当時のアメリカ軍の爆撃が無差別爆撃で戦争犯罪に値するということを立証するという構えをとりました。

岡田中将はその裁判の時に部下に責任を押し付けることなく、自分一人が全てを引き受けるという姿勢で臨んだことから、人格的に日米関係者双方から高く評価され敬意を集めたと言われています。また、岡田中将のみが死刑判決を受け、実際の執行にかかわった部下たちが死刑判決を受けなかったことは、実質的に被告・弁護側勝利とも言える判決だったと言え、知る人ぞ知る、希少なケースであったと言えると思います。

このような実質勝利を勝ち取ることができたのは、被告・弁護側の戦略が非常にうまくヒットを当てたということがあると思います。第一に、岡田中将が自分から「全て私の責任だ」と正面から主張したことは、裁判委員(米軍の法務関係者で、事実上の判事)に対する印象を良くしたようですし、検察もその態度には好感を持ったと言われています。担当検事は判決後に減刑嘆願の文書に署名までしたそうですから、岡田中将個人に対する感情は良かったのでしょう。次に、軍律会議の略式手続きが公正だったかどうかを争点にしようとしなかったこともいい戦略だったように思います。ここは私の考えになりますが、弁護士のつかない軍律会議の略式手続きで死刑判決を下し、しかも実行するというのははっきり言ってかなり乱暴のように思えます。被告・弁護人サイドは激しい戦時下であったので、最善を尽くしたと述べつつ落ち度はあったことも認めます。その上で、戦時国際法違反になる無差別爆撃が如何に酷かったかということを証拠や証人を集めて立証し「適正手続きをとっていたとしても、極刑になっただろう」と検察や裁判委員に思わせることに成功したことです。結果としては、岡田中将の落ち度は法の適正手続きの観点から見てあまりに簡単に進め過ぎたことだけが問題で、量刑として非道なものではないという印象を与えることになりました。

それでも岡田中将に死刑判決が下りたのは、無抵抗のアメリカ兵が殺されたこと自体は事実であるため、米国世論を納得させるためだったと見ることもできますが、関係した他の被告たちが寛大な処分が下された背景には既に冷戦が始まろうとしていた時代背景も関係があったようです。終戦直後は悪の枢軸を担った日本帝国の悪い奴らに慈悲は不要という心理状態があったに違いないのですが、アメリカの立場としては新しい脅威としてソビエト連邦が浮かび上がり、その脅威が日を追って濃くなっていく中、日本の再武装を望むようになり始めており、再武装に必要な軍経験者を次々と処罰している場合ではないという変化が起きてきました。死刑判決はなるべく少なくし、死刑を宣告した後も終身刑に減刑し、将来的な釈放にも含みを残すというように方針が変化したため、BC級裁判は結審が遅いものほど寛大な判決が下るようになったようです。ここは私の想像になりますが、A級戦犯の裁判が終わり、刑が執行された後は、アメリカ世論もある程度鎮静化してさほど厳罰を望まなくなったということも大きいかも知れません。

岡田資中将の場合は減刑されることなく、刑が執行されてしまいましたが、中将本人は相当覚悟が決まっていたらしく、裁判中から日蓮宗を基礎にした仏教研究に力を入れ、自身で理論化を進めて行ったそうです。死を受け入れるために、自分なりの死生観を作り上げる必要がきっとあったのだと思います。彼の仏教理論と、スガモプリズンで教誨師をつとめた花山信勝氏の理論とは対立もあったそうですが、東京大学の教授の花山氏と対立できるだけの理論武装をしたというのはそれだけでも凄いように思います。スガモプリズンの死刑囚で間では花山氏の指導よりも岡田中将から指導を受けたいという声も少なからずあったようです。花山氏の教えが仏様にすがって極楽浄土へ行けるのだという他力本願的で慰め要素が強かったのに対し、自分がより仏陀の精神に近づけるよう精進し、刑に向き合い受け入れるという岡田中将の姿勢の方が現実に執行に直面する囚人たちの心を掴んだのかも知れません。

共和党の黒幕?ロジャーストーン

netflixのオリジナル制作ドキュメンタリーに『困った時のロジャーストーン』というのがあったので、ちょっと見ました。なるほど、アメリカの政治の世界はこうなっているのかというのがよく分かるいいドキュメンタリーフィルムです。

ロジャーストーンという人物はなんとリチャードニクソンの時代から選挙参謀として活躍し、その後はロナルドレーガンを大統領に押し上げ、最近ではドナルドトランプを大統領に仕立て上げた人物と言われており、要するに過去50年くらいの共和党大統領の誕生の背後で常に暗躍し、フィクサーとして成果を挙げてきた男ということらしいです。

で、このドキュメンタリーでは、政敵を倒すためには手段を選ばずネガティブキャンペーンを行い、政治の世界は金で動かせると信じ、勝つためにはできることは全てやるというタフさを持つ男としてロジャーストーンを描いており、視聴者に対して「これが、いわゆるワシントンの腐敗した政治家たちの黒幕ですよ」という印象を与える効果を持つものと言えます。私が感心したのはこの作品を見ることで、アメリカのロビー活動がどれくらいの影響力を発揮するかがよく分かったという点で、一般的な報道などで大統領が〇〇と発言したなどのことでは推し量りがたい良くも悪くも奥の深い世界があるのだなあとしみじみと思えたことです。裏で活躍していろいろと仕掛けをし、意中の人物を勝利させるという意味では、日本でいえば小泉純一郎さんにとっての飯島勲さん、田中角栄さんにとっての早坂茂三さんのような感じの存在と言えるのではないかなあと思います。私はロジャーストーンのような人がいることが良いとか悪いとかを論じたいわけではなくて、なるほど、そうなっているのかということをまずは受け止めたいといったところです。

ですが、ロジャーストーンという人物は裏で仕掛けをするわりにはなかなかに派手好きです。スーツも派手、舌鋒も鋭く、ボディビルディングでムキムキであり、背中にはリチャードニクソンの顔をタトゥーにして入れていて、求められれば服を脱いでそのタトゥーを見せてくれるという、かなり変わった男です。裏の人間なのに目立ちたがりみたいな感じでしょうか。飯島勲さんや早坂茂三さんもインパクトの強い人物ですから、いわゆるフィクサーと呼ばれる人たちも、それだけの仕事をするわけですから常人とは違ったオーラを放つものなのかも知れません。彼の自宅にはニクソングッズが山のように展示されていましたから、おそらくリチャードニクソンが彼の原点なのだと自覚しているのでしょう。

この作品によるとロジャーストーンはかなり早い段階からトランプ氏に目をつけていて、この男を共和党の大統領にしようと狙っていたらしいのですが、確かにこの作品で見る限り、テッドクルーズよりもトランプの方が遥かにインパクトがあり、ヒラリークリントンという大物と勝負するにはトランプ並みの破壊力がなければならなかったのかも知れません。ヒラリーさんよりトランプの方が見ていておもしろいというのは確かにありますから、おもしろいだけのおじさんを大統領にしてしまったことが吉と出るか凶と出るかはもう少し先にならなければ分からないものの、ロジャーストーンの選挙で勝てる人物を選ぶ目は相当鋭いと言ってもいいのかも知れません。

そうは言ってもクリントン大統領が登場したり、オバマ大統領が登場したりと民主党が勝っている場合もあるわけですから、ロジャーストーンが連戦連勝というわけでもなく、勝ったり負けたりを繰り返しているという意味では案外普通なのかも知れません。

死刑は廃止すべきか?それとも存置すべきか?

先日、ニコニコ生放送で死刑は廃止すべきか、それとも存置すべきかの討論番組をやっていましたから、私は熱心に視聴し、自分なりの考えをまとめたいと思いました。双方の論者に存分に自分の意見を述べてもらうという趣旨としてはさすがはインターネット、テレビではなかなかできない突っ込んだ議論がなされたと思います。

死刑については廃止すべきという論者には充分な論拠があるように思える一方で、存置すべきとする論者にも充分な論拠があるように思えますから、一概に絶対どちらかが正しいと言うことは当然できない難しい問題です。私は感情的には死刑を廃止してほしいと思っていますが、それは死刑が執行されたというニュースに触れると、どうしても気持ちが暗くなってしまうというごく個人的な感情の理由に拠ります。ですがそれは私が犯罪被害者遺族ではないから言えるのであって、もし自分が被害者または遺族になった場合、逆の感情を持つことは充分にあり得ます。

とはいえ、私は今の私を軸に考えていくしかないわけですが、被害者遺族の方が番組に熱心に「なぜ死刑でなくてはならないのか」を訴えてくれたことは、私にとって考えるための重要な材料にすることができました。個別具体的な事例については、私は猟奇的な内容を好みませんからここでは述べませんが、被害者遺族の方が訴えていたことには2つの軸があるように思えました。1つは復讐の感情です。犯人の自己中心的な動機により残虐に殺された人の遺族が復讐の感情を持つことは正当だと思います。また、社会にとってもそういう人間を葬り去りたいという動機が生まれてくることはやむを得ないのかも知れません。もう1つの軸は犯罪被害者が置いて行かれているということへの憤りでした。加害者は法律で様々な権利が守られており、法の適正手続きを経て刑が執行されることになります。それまでは生活もできますし、教戒師の人と話し合いを重ねるなどして刑を受け入れる心境になるまでの時間が与えられます。しかしながら、被害者はもちろんそのように手厚く殺されたわけではないですし、被害者遺族に手を差し伸べるということに法や社会が充分に意識しているかといえば、充分ではないかも知れません。本村弘さんは戦って戦い抜いて加害者に対し自分の納得できる刑を科すということができましたが、そこまで戦って疲労困憊しなくてはいけないということにそもそも問題があると言えるかも知れません。

できるだけ人に優しい社会にしたいとは誰もが思うことです。私もそういう社会が建設されることを望んでいます。だとすれば、死刑を廃止すべきと考える人と死刑を存置すべきと考える人の間で一致できる点は、被害者遺族へのケアやサポート、救済のための手立てをできる限り厚くすることではないかと思います。特別会計で予算を組んでそのための公的な組織を作り、重大犯罪の被害者遺族の方は一生涯苦しむことになるでしょうから、生涯をかけてサポートするような仕組みやプログラムを考えていくということにはおそらく異論が出ることはあまりないと思います。運用上の問題が出れば、その時に試行錯誤して改善すべきと思いますから、まずはそういう取り組みをするべきではないかも知れません。廃止派と存置派はこの点では一致できるはずです。

被害者遺族が最も望むことは復讐でしょうけれど、次いで望むことは加害者の真摯な反省と謝罪ではないかと思います。これもプログラムしていく。年に数回、加害者に手紙を強制的にでも書かせる。最初のうちは反省していないでしょうから、表面的な言葉になるかも知れませんが、繰り返し書いていくうちにだんだんと真実な謝罪や反省の言葉が生まれてくるようになるのではないかという気がします。日記を毎日書く人の文章がうまくなるのと同じような感じです。本村弘さんが戦った事件では加害者が死刑から逃れたくて謝罪の手紙を書き始めましたが、報道で見る限り、次第に内容に心や誠意が入り込んでいったように思いますし、それらの反省と謝罪の言葉を読んで、どうしても死刑にしなくてはならないとも言い切れない…と思った人は少なくないと思います。担当弁護士がこの事案を利用して自分の政治的主張を被告人述べさせようとしてそれまでの謝罪と反省の言葉を覆させてしまい、この事例では死刑判決が出されましたが、本村さんがその直後の記者会見で、もし謝罪と反省を覆すようなことをしなければ死刑は回避できたのではないかと話していたことを私は今も時々思い出します。そのような発言があったということは、被害者遺族である本村さんとしても、真摯な謝罪と反省の言葉を読み、心を動かされるところがあったということだと思いますし、多くの犯罪被害者の人たちにもそれはある程度、共通することなのではないかと推察します。

死刑についてはその存廃をすぐに結論することは難しいですが、被害者遺族の方たちに社会が手を差し伸べるということをでき得る限り手厚くしていくということと、加害者に謝罪と反省を徹底的に促す(教戒師のような立場の人がお給料をもらって、根気よく諭し、指導もする)ということを充分に行った上で、それでも遺族の方たちが加害者に対して死刑の執行を望むかどうかを問うてみるというプロセスがあってもいいような気がします。

法理論ということで言えば、私は法理論はド素人ですから、大したことは言えませんが、長期、場合によっては生涯、自由を奪うだけの刑(刑務所や拘置所に隔離する)を支持する立場と、死刑が存在することで社会が殺人を容認しないことを担保すると考える立場に分かれるようです。理論は大切ですが、死刑の執行は最終的には法務大臣の署名がなくてはいけませんから、政治判断に委ねられているとも言え、政治は人の心そのものです。人々が望まない政治は如何に理論的に整合性が取れていようとも、政治として成立しません。社会に参加する人の心が納得する形のものを目指す他はありません。

以上は私なりにより多くの人が納得できるあり方はないかということを考えてみた結果です。

『ファイナル・イヤー』‐オバマ大統領の壮大なイメージビデオ

オバマ政権最後の一年をカメラが追いかけ続けた『ファイナル・イヤー』は、オバマ大統領が好きな人にとってはたまらないイメージビデオになっており、オバマ大統領が嫌いな人にとっては「かっこつけやがって」と別の意味で見ていられない作品と言えるかも知れません。

登場するのはオバマ氏とケリー氏、その他彼を支える周囲のスタッフたちなわけですが、マスメディアの見ていないところでカメラが回っているため、もうちょっと突っ込んだあたり、どのようにして彼らが意思決定をしているのか、どんな会話をしているのかというあたりを見ることができるのは興味深いです。ホワイトハウスの中がどうなっているのかも、僅かながら見て取ることも可能です。もちろん、見せられないところはカメラは回ってないでしょうから、歴史の評価を待たなくてはいけないとも思えます。

さて、とにかく彼らは走ります。走りながら意思疎通をしています。かっこいいの一言に尽きるいい場面が次々と出てきます。人が走る姿は見る人に感銘を与えます。なぜかは分かりませんが、人が走っている姿には何らかの感動的なものがあります。箱根駅伝をみんなが一生懸命見るのも、オリンピックのマラソンをみんなが一生懸命見るのも、なぜか分からないけど人が走るという姿に感動するからです。

で、この映画では大統領のスタッフたちが走るだけではありません。真剣な表情で議論を積み重ねる様子が撮影されています。世界の平和のために真剣な表情で議論を重ねる彼らの姿はもちろんとても絵になります。そしてなんと言ってもオバマ大統領の絵になることと言ったら文句ありません。高く評価されるスピーチ力、苦悩し、重大な決断を迫られる際の表情、どれも決まっています。

お決まり、お約束と言ってもいいですが、世界中を訪れて、人種、民族、宗教を越えてオバマ大統領が親しく話をする場面、特に子供たちとコミュニケーションする場面はこれでもかというくらいに登場します。子どもとコミュニケーションをする人はいい人と決まっているようなものですから、この映画のオバマ大統領いい人アピール大作戦は大いなる成功を収めていると言ってもいいでしょう。

シリアの深刻な問題についてはわりと突っ込んだところまでこの作品で論じていますが、一方で東アジアの難しい問題は基本的にほぼ無視。唯一、オバマ大統領が広島を訪問したところだけは丁寧に撮影されています。

そして最後の方では大統領選挙でトランプ氏が勝利する場面。民主党勝利を確信していたはずの大統領スタッフたちが文字通り言葉をなくしている様子が撮影されます。こればっかりはかっこよく撮影するわけにはいかず、同情的な雰囲気を漂わせるほかありません。

個人的にちょっと気づいたのはケリー氏がこれでもかというくらいに登場するわりにヒラリーさんが全然出てきません。この映画だけ見ると、ヒラリーっていう人、本当にいたっけ?と思ってしまうほどです。オバマとヒラリーは仲が悪いんだと主張する人の動画を見たことがありますが、意外と本当にそうだったのかも知れません。

いずれにせよ、オバマ大統領が去る前の一年を撮り続け、結果として身内で楽しむ壮大なファミリービデオみたいになっています。オバマ大統領が好きな人にとってはたまらないことでしょう。

迫水久常著『大日本帝国最後の四か月』で知る「終戦」の手続き

1945年4月、鈴木貫太郎内閣が誕生してから終戦までの期間については様々な著作や研究がありますから、終戦が決まるまで、相当なすったもんだがあったことはよく知られていると思います。いよいよ決着がつかなくなって「聖断」なる、ある種の非常手段によってポツダム宣言を受諾するという意思決定がようやくなされたわけですが、鈴木内閣で内閣書記官長という半分官房長官みたいな立場に居た迫水久常という人物の手記を読むと、そこに至るまでの制度的な手続きが大きな壁になっていたことが分かります。

まず第一に旧憲法では天皇に和戦の大権があることになっています。しかし、明治時代は元老という憲法に規定のない最高権力者たちによる寡頭政治で意思決定がされていて、首相も元老が指名し、戦争するかしないかみたいな大事は元老が決めて軍隊が動き、首相は軍のお手伝いというようなものでした。その後、大正デモクラシーを経て最後の元老の西園寺公望が「憲政の常道」を掲げ、元老の影響力を少なくし、民主政治で選ばれた政治家が首相になるということを慣例化させようとしますが、軍人以外の政治家が首相になると殺されるというのが続いたために途中から断念して軍人首相時代に入り、やがて行き詰まりを見せて、近衛文麿というお公家様内閣が事実上日本帝国にピリオドを打つという流れになります。近衛在任中に西園寺公望が亡くなり、元老の首相指名という慣例も消滅しましたが、議会による首相指名ができませんでしたから、元老に代わって重臣会議が開かれるようになり、そこで首相指名が行われるということになります。何が言いたいかというと、太平洋戦争を終わらせる場合、重臣たちが「うん、やめたほうがいいよね」と言わなければ首相から「戦争やめましょう」とは言えないということです。

しかも、迫水氏の著作に拠りますが、ポツダム宣言の受諾は外交条約を結ぶのと同じになるから、枢密院の了解を得る必要があり、当時の平沼騏一郎枢密院議長を昭和天皇の聖断の場に立ち会わせることで、手続きを簡略化しようとします。

更にメインディッシュになるのが陸海軍で、有名な話ですが当時の阿南陸相が辞表を出せば内閣不一致で総辞職。改めて重臣会議で首相を指名して閣議を開き、枢密院の了解も経なければならないということになるので、ぎりぎりまで主戦論を唱えていた阿南陸相の辞表カードには周囲が相当びびっていたという話もあるようです。さりながら、阿南陸相は8月15日の未明に自決していますので、関係者からの評価は高く、迫水氏も阿南陸相が主戦派の陸軍首脳をなだめつつ心中では終戦に持ち込みたいというアクロバティックなことをやろうとしていたとして、その「腹芸」に感服したという趣旨のことを著作で述べています。

要するにポツダム宣言を受諾は首相、軍、枢密院、重臣が全員一致しなければ実現しないようになっていて、それぞれが「制度的手続き」を盾に取り主張をぶつけ合い議論が前に進まないという事態に陥ってしまいます。そうこうしているうちに原子爆弾も使用され、ソビエト連邦も攻めてくるという絶体絶命な状況が訪れます。にもかかわらず議論がまとまらず昭和天皇に決めてもらうという異例の手続きを踏むことになりました。ここで難しいなあと思うのは通常、天皇は自分から意見を表明しないことになっているにも関わらず、本気になって意見表明しようと思えばできないわけでもなく、天皇の意見が通るか通らないかはその時々の政治状況によって異なり、終戦の場合はたまたま天皇の意見が通ったという制度上の曖昧さです。昭和天皇の責任があると言おうと思えばいくらでも立論できますし、反対に昭和天皇には責任はないと言おうと思えばこれもまたいくらでも立論できるのです。法学論争が神学論争とは言い得て妙なりです。

昭和天皇は戦後、憲政上の問題として鈴木内閣が処理しなければならない案件であったけれど、内閣で意見が一致せず、自分に意思決定を依頼してきたので、それを受けたという見解を示しています。これだけでも現代人にとっては何を言っているのか分からない…と思えるような内容ですが、更に軍と枢密院というファクターが入ってくるわけで、高級官僚だった迫水氏が手続きに振り回されていたことに気の毒とすら思えてきます。

太平洋戦争末期、日本の主要都市は大体燃やされてしまい、それでも憲法を維持した国家が機能していたことには驚きも覚えますが、この期に及んで徹底抗戦か降伏かで議論が割れたということには正直あきれてしまいます。しかも制度的手続きを盾に取るという場合はどうしても「ためにする議論」がまかり通りやすくなり、政争やってる場合かよと突っ込みたくもなるのです。ポツダム宣言の受諾通告に際しても、当初「天皇の国法上の地位を変更しない」という前提で受諾すると通告する案があったのですが、迫水氏の回想では平沼枢密院議長が「天皇の大権を維持する」と文言を変更するように主張し(昭和天皇の回想では天皇が法源であることを前提とすると話が出たとなっていたと思います)、天皇の「大権」なり、天皇が「法源」なりという外国人には分かりにくい概念をねじ込んだというのも理解に苦しむところです。一刻も早く戦争を終わらせなくてはいけない時に神学論争してる場合かよとついつい思ってしまいます。平沼氏が検察出身で法律の専門家らしいところを見せたかったのかも知れません。

というわけで、日本帝国はその最期に於いて法の手続き論争をしていたというお話でした。