読書中の喫煙衝動をスルーする

無理のない禁煙を目指しつつ、少しずつ喫煙チャンスを減らしていこうと考えているところなのですが、現在、外出中の喫煙所一つスルーは無理なくできており、自宅にいるときも何回か喫煙衝動をスルーすることができるようになってきており、まあ、少しは効果があるかなあと思っているところです。

で、気づいたのですが、私は読書中に全然タバコを吸わないという事実でした。あんまり長く読むともちろんタバコを吸いたくなるのですが、隙間時間の短時間の読書中は喫煙したいと思いませんし、自宅で読書をしている時も喫煙を忘れています。これは我ながらなかなかいい、おつな発見です。

自宅では、ついつい「他人に文句を言わせない自分の聖域」という考え方になってしまい、タバコを吸いたくなるとスルーするのが難しくなってしまうのですが、読書中タバコを吸いたいと思わないということに気づいた以上、休日など自宅で過ごす際に読書時間を増やせばある程度、喫煙欲求が抑制されるという帰結になります。読書はその行為そのものが脳にいいというド文系の私なりに仮説を立てているのですが、本は有料ですから、得られる情報の量も濃厚なものが多いです(はずれもありますが…)。と考えると、今まで以上に読書に勤しむことで、喫煙欲求は制御できる上にインプットの質と量も上がるという一石二鳥の効果が狙えるとも思えてきました。現在、自己洗脳中です^^。

お酒を飲まなくなったので、飲酒中にタバコが吸いたくなるということがありません。これは我ながらヒットです。

一番難しいのはPCに向かっている時で、PCでは仕事もしますから、PCに向き合いつつタバコを吸うというのが条件反射になっており、他にもyoutubeを視聴する時のような休憩中も自然とタバコに手が伸びます。PCで仕事をする時にタバコを吸わないというのは、まだ私にとってはハードルが高い(頭脳を使う時はタバコがほしくなりやすい)のですが、youtube視聴中の時や、ネットで適当に検索をして時間を潰すような時に喫煙欲求をスルーできることが次の目標ではないかと考えています。

大学で授業をする直前の時間と直後はどうしてもタバコを吸ってしまいます。授業する目は精神統一のために喫煙し、授業後は頭の中がグルグルしていますので、リラックスするために今はタバコを必要としています。おそらく授業前後が最後の関門になると思いますが、自分にはタバコは必要ないと信じることができるようにすることで、少しずつタバコを減らしてその生活に慣れてゆき、その関門も突破したいと思います。


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自宅での喫煙衝動も時々スルーしてみる

現在、無理のない禁煙に挑戦中です。以前やめたときは20キロ太って抜け毛が増えたために、これではデメリットの方が大きすぎると思い喫煙を再開しました。ですので今回は「無理のない」を絶対条件にしています。

喫煙は現状では習慣化されているわけですから、当然タバコは吸いたくなります。外に出たときは一回だけ喫煙所をスルーするルールを試しているところですが、自宅は他人にとやかく言われる筋合いはありませんから、いくら吸おうと私の自由です。喫煙者にとって自宅は聖域とすら言うことができるかも知れません。で、その聖域での喫煙習慣が最終的には消えていかない限り、タバコを辞めることはできません。そこで、自宅で時々でいいので喫煙衝動が起きた際に敢えてスルーするというのを始めてみようと思ったわけです。

次第に慣れてくれば、自分にはタバコはそんなに必要ないと脳が感じるようになり始め、やがて別に吸っても吸わなくてもどちらでもいいと思うようになり始め、やがて自分には必要ない、と感じるようになれば、タバコはお金がかかるし社会的圧力も強いから、もう吸わなくていいやとなるというのをロードマップとして描いています。このロードマップは突然頭に浮かんだというよりは最近になって禁煙を真面目に考えるようになり、できることから始めようとしてからだんだん思い浮かんできたものですから、何事もまずは少しでいいのでやってみるという好例かも知れません。

今はお酒もやめてエッチな動画や画像も検索しなくなっているので、おそらくは脳のストレス耐性が上がっており、タバコをちょっとぐらい我慢する程度のことなら、さほど苦痛ではなくなってきたというのも大きいと思います。依存症はやめやすいものからやめていき、一番やめにくいのを最後の挑戦にするというのは鉄板ルールと言えるかも知れません。

タバコを吸う量は若干減ったように思わなくもないですが、それでも現状では一日一箱買っています。タバコが切れる恐怖心や渇望感を持たないようにするためです。エッチなDVDや雑誌は「もう見ない」と決めてからも棄てていないのですが、自分にとって必要ないと思うと改めて開きたいとは全然思いません。タバコもおそらく同じようなもので、これは私の場合ということですが、タバコが自分に必要ないと納得すれば、タバコの山が目の前にあろうとも吸いたいとは思わないだろうという戦略です。以前は禁煙するには、覚悟を決めて灰皿もライターも棄てなくてはいけないと考えていたのですが、渇望感が増すばかりで精神衛生上よくありません。それよりもタバコが自宅にいっぱいあって(吸うペースが下がっても買うペースが一定なら、必然的に自宅にあるタバコの量は増えていく)、タバコに充分囲まれているという安心感からタバコを手放すという心理的な手順を踏めるのではないかと今は思います。

一度でも喫煙衝動をスルーすることができれば、「あ、大したことないな」と思えるということが分かってきましたから、少しずつ喫煙衝動をスルーする機会を増やしていきたいと思います。

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喫煙所を一か所だけスルーしてみる

私は大体一日ひと箱吸うのですが、社会的圧力が強いので近い将来タバコはやめなくてはいけないと思っています。お酒は簡単にやめられましたし、エッチな動画や画像を検索するのも簡単にやめられたのですが、禁煙のハードルは高く、半日タバコを吸わないだけでもかなり消耗します。「自分がタバコを必要としている」という思い込みさえなくせばやめられると言う推論を立て、どのようにして自分に学習させていくかが課題になっています。

朝最初の一本を吸わないというのは減煙にはある程度の効果があると思いますから、今、それを実践中ですが、それにプラスして生活空間で出会う喫煙所を一か所だけスルーするというのも始めてみることにしました。

私は禁煙スペースではもちろんタバコを吸いませんから、日常生活での吸う場所は自宅か職場までにある喫煙所と職場にある二か所の喫煙所に限定されています。フルで吸う時は自宅で吸った後、途中の喫煙所で吸い、続いて職場で吸い、場合には喫煙所でコーヒーを飲みながら至福の時間を過ごす、または考え事をする時間に充てるわけですが、そのうち一か所でいいのでスルーするというのを取り入れてみようと思うわけです。というか昨日からそれを始めてみました。仕事の流れの関係で結果としては二度喫煙チャンスを失ったので、当初の計画よりもタバコの量を減らすことができたと考えることもできます。

しばらくは一日に一度は喫煙チャンスを棄てるという行動によって、自分に大してタバコは必要ない、タバコはなくても大丈夫なんだと理解させる自己教育をするつもりです。私の性格は自分でよく分かっているつもりなので、タバコが必要ないと納得すればタバコを見ても吸いたいとは思わないはずです。お酒をやめた後、コンビニでお酒を見てもほしいとは思いませんから、同じような感じになることを目指したいと思います。自宅の灰皿は机の上に置いてありますし、タバコも切らさないようにしています。タバコがないことへの飢餓感を持つことの方が禁煙にはよくありません。今はわりとストイックモードに自分のマインドがセットされていますので、もしかするとだんだん量が減っていき、そのうちタバコのことを忘れてしまうかも知れません(願望)。

タバコを半日やめてみて気づいたこと

今朝から禁煙と思って臨みましたが、半日で挫折しました。禁煙ビジネスの鴨にされたくないという思いが強いものですから、インターネットでいろいろ検索をかけ、自己努力でどんな禁煙方法があるかを調べてみたところ、「朝最初の一本を吸わない」という大変興味深いものを見つけました。朝の寝起きの一本は体が欲しているというよりは単なる習慣みたいなところがあると私も思いましたので、今朝からやってみることにしたのです。

結果、お昼過ぎまで吸わずに過ごすことができましたが、その間、「なぜ私はタバコを吸うのを我慢しなければならないのか」という自問が幾度となく去来し、常にタバコを吸うべきかどうかを考え続けるという状態になり、まあ、とりあえず、寝起きの一本は吸わなかったのだからということで、半日の禁煙には成功したと思い、吸うことにしました。

その結果、気づいたのですが頭がクラクラし、頭重感を覚えました。その頭重感は二時間ほど続き、今日は図書館に行く予定があったのですが、図書館から帰宅するまで、吸いたいという衝動はありませんでした。帰宅してパソコンを開き、ブログを書く時点で吸いたいという衝動が生まれたため、今日のところはこれで「修行」は終了ということにし、今も一本吸ったところです。

今日の成果は自分は半日程度ならとりあえずタバコを吸わなくても過ごせるということが分かったことと、少し間をおいてタバコを吸うと頭がクラクラして気分が悪くなるということが分かったことです。今吸ってみたところ頭重感もなく、むしろ充実した気分になりましたが、「自分は一定の条件下ではタバコを吸うと気分が悪くなる」ということに気づけたことは、タバコを必要としない人間になるための第一歩ではなかったかと思います。

タバコによる健康リスクは確率論に過ぎないと私は思っていますが、社会的圧力には屈せざるを得ないとも思いますので、今後も禁煙の努力は模索するつもりです。朝の最初の一本をとりあえずやめてみるということを続けることは、毎日最低でも一度はタバコで頭がクラクラするという経験をすることになると思いますから、自分の意識の深いところに「タバコは気分が悪くなる」を刷り込むことに効果があるように思います。

以前、半年やめたときは20キロ以上太ってしまい、元の体重に戻すのに苦労しました。当時はむしろ糖尿病の危険を感じ、喫煙を再開しました。今朝はコーヒーを四杯飲みましたので、経済的にはタバコを吸う方がいいという勘定になってしまいます。タバコは依存だということは納得していますので、自分にはタバコは必要ないと思い込ませる努力をするしかないかも知れません。

さて、今回の禁煙への努力は「太らずに」ということと「仕事に支障をきたさない」というあたりのバランスをとりながら、じょじょに進めてみたいと思います。

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そろそろタバコをやめてみようか…



ストイックがマイブームなのですが、とりあえず断酒は2か月成功で、もう全然飲みたいとは思いません。なくても平気ということが自分でもわかっているので、大変らくです。健康効果は抜群で疲れにくくなったし、脳のストレス耐性が上がったことは間違いありません。で、次にやめたのがエッチな動画や画像の検索ですが、これも意外と簡単で、youtubeで討論番組とか見たりするようにしており、他にも本を読むと手段に訴えているうちに全然見たいと思わなくなりました。自慰行為も全然したいと思わなくなりました。あまりに楽なので自分でも驚いているほどです。

さて、あと残るタバコとコーヒーです。コーヒーは社会的に許容されているので、まあ、辞めなくてもいいやと思っているのですが、自分がタバコを本当にやめられるかどうか、自身がありません。一応さっき最後のタバコを吸い、ライターと灰皿とタバコをパソコンの後ろ側に隠しました。目に入ると吸いたくなるけど完全禁止にするとコンビニに走って買いに行くことになるので、いざとなったら吸えることを担保した上での禁煙ということにしてみたわけです。

以前何度も禁煙に失敗していますが、そこには「なぜあんなに楽しいたばこをやめなくてはならないのか」という心理状態が働いていて、タバコをやめることにすいて強い不満を持っていましたから、続きませんだ。あるいは太り過ぎてしまい、しかも抜け毛まで増えたので、緊急再開という感じでした。

さて、今回は私には理論的な支柱があります。すなわち、依存症を排除すれば脳がよくなり、脳がよくなれば人生は自動的に良くなるという脳科学にど素人な超ど文系の私が考えた推論なわけですが、これをタバコに適用したいと思うのです。タバコが依存症であることには私は同意できます。そして、依存症を減らせばそれだけ人生は良くなり成功するという仮説を持っています。この理論武装で自分を納得させようというわけです。実際にお酒をやめたら体調はよくなったし、エッチな動画や画像を見ないことは、脳の機能向上と同時に自分の倫理性の高さに自信を持つことができるというメリットがありました。ですから、タバコをやめて数日でそういうメリットを享受できるかどうかが一つのポイントになると思います。お酒は三日もやめたら全然ほしくなくなった、エッチは動画や画像には「やーめた」と思った当日から関心がなくなりました。依存症はやめられるということも分かったし、依存症を減らせば毎日がより良くなるというエビデンス(体調が良くなり、お金も余るようになり、自分を律しているという自信が得られる)がありますから、私の頭脳に対してそれを説得することは可能です。

ただ、以前辛かったので、果たして今回成功するかどうかには強い不安は感じています。大学で授業するときは強い緊張感とプレッシャーがありますから、もし今からやめて大学の授業をしてみてあんまり辛くなかったら「なんだータバコ吸わなかったおかげで、かえって授業うまくやれたわ」という自信につながり、すっと辞められると思います。この数日が勝負です。わりと単純な人間なので、効果あると確信できれば未練なんて吹き飛んでしまいます。お酒にもエッチ画像にも未練は一切ありません。全く吸えないという状態にするのではなくPCの裏に灰皿とタバコとライターを隠すことで、トリガーはなんとか目に見えないようにしつつもいざとなったら吸えるという状態にしてあります。さて、もう寝ますが果たして成功できるかどうか。数日が勝負です。あ、脳にいいと気づけば、やめられるでしょう。体重の増加はいやなので、水ばっかり飲むことになると思います。続けば報告しますし、続かなくても報告します。とりあえず、まずは明日の朝までがんばって次に昼までがんばってできれば夜までがんばって更に翌朝までがんばることができれば、私の推論では危険状態からは脱すると思います。やってみます。

自慰行為禁止の心身への影響を考えてみる



最近ストイックにはまっている私は、自慰行為というものも一か月やめています。インターネットではあたかも無限の効果があるかのようなことが書かれていますが、実際どうなのかを確かめてみたいというのもあってやめてみたわけです。正直に言うと、身体に対しては大して大きな変化は現れませんでした。自慰行為をすると貴重な栄養素と男性ホルモンが失われるが、反対に自慰行為を禁止すればそれらが体内にためこまれ、顔つきが端正になり、筋肉もついて体が引き締まり、もてるようになるという半分都市伝説のようなことが言われています。しかし、そのような人は自慰行為禁止+筋トレ、食事制限など生活改善に取り組んでいる人が多く、体が引き締まるのは筋トレや食事制限で十分に説明できると思います。肌がきれいになるとか抜け毛が減ると言うのは少なくとも私には実感ができませんでした。顔色が良くなったとは言われましたが、それはむしろ断酒の効果によるものではないかと思います。

以上のように身体に関することだけに限ってみれば、大して効果ないと私は結論しつつあるのですが、精神に関してはかなりの違いがあるのではないかと思います。ネット時代ですからエッチな動画や画像は無限に閲覧することが可能です。自慰行為をする際にそういった動画や画像を見て行う場合が一般的だと思いますが、それらの動画や画像をみることはある種の依存症に陥る可能性があります。依存症は脳のストレス耐性を弱めると私は経験を通じて結論しているのですが、エッチな動画や画像を見ることをやめることにより脳のストレス耐性を更に高めることができるのではないか、結果として脳が鍛えられ、より成功する人生へと歩み出せるのではないかと思います。私は一か月、一切そういったものを見ていないのですが、現在は全く見たいと思わなくなっています。以前は男性である以上、必要だと感じていましたが、全然見なくても困らないということは、私は依存症に陥っていたのだと結論することができると思います。

自慰行為の禁止(いわゆるオナ禁)よりもエッチな動画や画像を禁止する(いわゆるエロ禁)にことにより脳の機能が向上するというのが私の個人的に得た感想です。異性との性行為を望み、同意の上でそれを行うのであればもちろん健全なことだと思いますが、デジタル情報の再構成に過ぎないエッチな動画や画像はやめた方がより健康的に生きることができるかも知れません。少なくとも私は脳の機能が上がったように感じますし、密かにそういうものを見ない男性なのだということについて、自己評価を上げることができました。これは大きいと思います。

以上がいわゆるエロ禁の効果と言えますが、画像や動画を見ずに行うにしても、自慰行為そのものが、ここは意見が分かれるところでしょうけれど、精神にはあまりいい効果はないのではないかと思います。というのも、自慰行為は代償行為ですので、私は個人的には敗北感が伴います。人によっては罪悪感があるそうです。私は他人に迷惑をかけないのであれば、罪悪感を持つ必要は一切ないと考えていますが、代償行為で自分を一時的に慰めていることの敗北感がセットでついてくるのです。自分に対して申し訳ないとも思いますから、自分に対する罪悪感も生まれているのかも知れません。自慰行為をしなければ、敗北感を感じなくて済みますし、もしも、日々自慰行為をするとすれば、私の場合は日々、敗北感にまみれるということになってしまいますから、自己評価を下げることにつながりかねません。おそらく多くの人の心理は私と変わらないと思いますので、敗北感を自分に与えないために、高い自己評価を保つために、自慰行為を禁止するというのは効果があるのではないかと思います。

一方で、手軽なストレス解消として推奨するサイトもあるようです。これは考え方によって分かれるところでしょう。私は「エロ禁」をすることで脳のストレス耐性が強まり、結果として自慰行為の必要性も下がるのではないかと今は考えているので、当面はこれを続けてみようと思っています。自慰行為を禁止して筋トレや瞑想、節制、読書などに励む人が顔つきが良くなったり、痩せたりしたなどの経験をネットに報告している事例が多くみられるのは、ストレス耐性が高まった分を自己訓練に励むことができるので、結果としてそういう効果を得ているのではないかと思います。そういう意味では間接的には確実に効果があるとも言えると思います。ストレス耐性が上がれば更にストイック自己改革に取り組むことができていきます。但し、「オナ禁」は結構ハードルが高いですから、他の軽度の依存症をやめていき、少しずつ脳のストレス耐性が上げてから臨むのが理想的かも知れません。

渡辺淳一さんの小説で、自慰行為の際に想像していた女性と結ばれるという内容のものがありましたから、あるいはイメージトレーニングの効果はあるかも知れませんので、そういう効果を期待する人は動画や画像に依存せず、脳内でイメージすることで自慰行為をするというのは方法論としてはあり得ます。確かめたことがないので分かりませんが…

私も節制が進み体重が一か月で5キロくらい落ちています。あと5キロくらい落としたいなあとも思います。糖質への依存が下がり、そんなに食べなくてもよくなった結果ではないかと考えています。今は節制が楽しいので、節制生活を続けるつもりです。私にはまだタバコ依存とコーヒー依存があります。コーヒーはやめなくてもいいかなあとは思っていますが、いずれはタバコをやめようと思います。タバコについては私個人はそこまで健康に悪くないと思っていますし、社会的圧力に負けているとも思うのですが、この世間様の圧力はもはや抗いきれないほど強くなっていますので、どうせやめるのであれば、自分が依存症をなくすことでどれだけストレス耐性があげられるかという新しいチャレンジをする心境で臨めば、やめやすいのではないかと推論しています。

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ストイックな生活をすると、読書せざるを得なくなる



最近、ストイックがマイブームになっており、食事も糖質系をかなり制限している他、お酒ももちろん飲まないし、エッチな動画や画像も一切検索しないという修道院みたいな生活を送っているのですが、最近になって、ようやくなのですが、時間が余ってくるという感覚を得るようになってきました。

以前なら夜寝る前にお酒を飲みつつエッチな動画や画像を検索するというかなり堕落した感じの生活を送っていたわけですが、当時の私にとっては仕事もがんばってるし、ストレスも抱え込んでいるんだから、寝る前にそれぐらいの自分へのご褒美もあっていいよね。という感覚でした。

しかし、お酒とエッチな動画と画像の検索をやめてみたところ、かえってストレスを感じにくくなり、おそらくは脳のストレス耐性があがったのだと思いますが、それらが全然自分にとって必要ないということに気づくことができました。

で、しばらくは、あー調子いいな程度の感じだったのですが、おそらく脳の機能がより向上(回復かな?)したからなのか、一日に処理できるタスクが次第に増え、夜になると時間が余るようになってきたのです。

やることがありませんから、読書でもするしかありません。しばらくは読書するのがとても嫌になっていた時期がありました。職業がら本は読まざるを得ないというか、読書が仕事みたいなところがありますので、読書という行為そのものが物憂げに感じられるようになってしまい、帰宅後に本に手が伸びなくなってしまっていたわけです。ですが本当に最近になってなのですが、「読書でもするか」という心境になるというか、余った時間を他に消費することができなくなってきてしまい、読書せざるを得なくなってきています。読書は脳にいい効果があるに違いない(はず)と思いますから、今はいろいろなことが正のスパイラルに入っているように思えます。とてもいいことですから、いろいろなことに感謝したい心境です。

正のスパイラルを一応、順番に書くと、お酒を飲まない→脳のストレス耐性が回復する→糖質制限を無意識にやっている→脳のストレス耐性が回復する→痩せる→エッチな動画や画像も見ない→脳のストレス耐性が回復する→読書する←いまここ。な感じでしょうか。今後の理想としては、コーヒーをもう少し少なくすること、掃除をもっと徹底すること、タバコをやめることにつながっていけばいいなあと思っています。あー、まあ、コーヒーは別にいいかも知れないですが。

タバコへの依存が一番強いと思っていますので、これはおそらく最後になるかと思います。その前に回復した脳による掃除モードの発動に期待です。掃除という行為は脳を鍛えるはずですし、生活空間がきれいになれば、脳の機能は更によくなるはずです。私は果たしてどこへ向かっているのかと、多少スリリングですが、いけるところまで行ってみたい、新しい自分に出会いたいという感じを抱いています。では、これから読書します。

あーそうそう、自慰行為もしていません。自慰行為については賛否両論あるようですが、それについてはまたいずれ。

読書が脳にいい理由を考える



私は一応、読書家を自負していて、過去、数千冊読んできて、もう何冊読んだかもわかりませんし、読んだ分野も多岐にわたっていて却って専門性が低い自分を殴ってやりたくときも多々ありますが、今回は知識やお勉強というインプットとは違った観点から読書について考えてみたいと思います。

というのはどうも読書には脳を活性化させる効果があるらしいのです。私、ドがつく文系ですので理系的なことはざっくりとしかわからないのですが、いずれにせよ知識と得るということよりも脳の機能を上げるという観点からも読書は人生よりよくするのに効果があるらしいのです。

思うに、読書は文字情報だけで場面を想像しなければなりませんから、それが脳の訓練になるということなのではないかと思います。たとえば遠藤周作先生の作品では印象画を想像させるような風景と色の描写が多く、読んでいる側はそれを自分の脳の中で再現するという作業を要求されます。これがきっと脳にいいのでしょうねえ。正岡子規の俳句なんかも写実主義ですから、読み手は文字情報だけでぱっとその情景を思い浮かべるという作業を自動的にやることになるので、パソコンにデジタル情報が届いた結果Jpeg画像がpc画面に再構成されるのと同じような感じで脳が情報を処理して映像を思い浮かべるという流れがいいのだと思います。

では学術書の場合はどうでしょうか。一応、学者の末端の末端にいますので学術書は読まざるを得ません。学術書は文系であっても抽象性の高い議論が延々と続けられる場合があります。〇〇主義とか〇〇理論みたいなのがごろごろと出てきて、丁寧に説明してくれるわけでもありません。人名も出てきますが、マニアックになればなるほど聞いたこともない人物に焦点が当てられていたりすると写真もないので映像を思い浮かべるということが困難になります。徳川慶喜とか武田信玄みたいにドラマとか映画とかになっていたりすると、そういう情報から頭の中で再構成することもできますが、戦前の〇〇省の〇〇課のなにがしとかになるとちょっと難しくなってくるわけです。

ですが、学術書の場合でも抽象的思考を鍛えることになるわけですから、脳にはやはりいい訓練になるはずです。自由と民主主義は手で触ることはできません。しかし概念としては理解できます。そういうものを理解するという訓練が脳に悪いはずがありません。

なぜここまで脳、脳と繰り返し述べているのかというと、個人的に脳を鍛えるのがマイブームになっており、脳が鍛えられれば人生を更によくすることができるに違いないという、自分で建てた仮説のもとに、依存症を減らせばその分脳が鍛えられるという実験的なことを考えていて、これまでにお酒とエッチな動画と画像を断つということをやってみたら少なくとも心理的には大きな改善が実感できるようになり、要するに脳の機能が上がったってことでしょうと勝手に結論に至り始めていますので、これまで依存症になるものを断つというネガティブリスト的手法をとっていたのが、最近は脳にいいことをやってみる(たとえばよく歩く)というポジティブリスト的アプローチに関心を持つようになってきたというわけなのです。

もちろん、私はコーヒーとタバコへの依存がかなり強いので、先にそれを断ってみてはどうだろうかとも思いますが、コーヒーは単純においしいと思えるし、タバコはお酒をやめてからますますおいしく感じるようになってしまい、さて、どうしたものかと考え中です。コーヒーはともかく、タバコは社会的圧力が強いですから、近い将来やめたいと思っています。しっかりやめられたらこのブログにも経過を書きたいと思います。

ついでになってしまいますが、お酒をやめて二カ月になりますが、体調は非常にいいです。人生で今が一番疲れにくくなっているのではないかという気がしますし、インドア大好きだった私が少しアウトドアに関心を持つようになってきました。お金もその分使いませんから、お酒は二度と飲みたいとは思いませんねえ。精神的にも悪いことをあまり考えなくなって、特に朝起きた時の心境は以前とは雲泥の差です。お酒やめて本当に大正解だと思います。

エッチな画像や動画を見なくなって一か月ですが、また見たいとは全然思いません。今後一生見なくてもオーケーな自信はあります。ただ、精神的に何かいい面があったかというと、実感はあんまりないです。そういうのを見ないとモテるようになるという説もネットでは見かけますが、それも特に実感しません。精神的にも実利的にも同じ…というところでしょうか。自分がそういうものを見なくなった分、もしかすると倫理的に向上したと言うことはできそうに思いますし、それに対する自信は多少はつきましたが、かといってお酒をやめたときくらいの大きな変化を感じたかと言えば、そんなこともありません。男であれば誰でもエッチな画像や動画は見ると思いますが、そういうものへの依存症の弊害は指摘されているところでもありますから、少し長めのスパンで観察すると違いに気づくかも知れません。集中力が増しているのは確かなので、断酒といわゆるエロ禁の複合効果があるのかも知れませんが、断酒だけで説明がつくような気もします。「エロ禁」は真剣かつ真面目な内容ですから、その方面でもいい変化を感じたら、ブログで報告するつもりです。

歩くことで人生を良くする



最近、やたらと歩くようになりました。お酒を飲まなくなったことがきっかけで体調が良くなったことと、自分で躁鬱の傾向があるという自覚もありますから、自律神経を整えるにはやはり歩くことではないかという、考えてみればわりと平凡ながら確かに効果はあるでしょうという結論に達したわけです。

もともと子どものころから体力的には劣っていた方なので、筋トレまでやる自信はないのですが、歩くというだけなら、最近はかなり歩けるようになりました。以前は大学の仕事をこなすだけで死にそうになっていたのですが、やっぱりお酒を飲まなくなったことが大きいのか、大学に行かなくていい日に自宅に閉じこもるということが減ってきました。

ジムとかそういうのに通うのも手だとは思うのですが、私はちょっと遠くのスーパーやデパ地下まで出かけ、旅行鞄なみのバッグに食料品を買い込んで戦争中の兵隊さんみたいな感じで背負うようにして電車を乗り継いで帰宅するというのが楽しみになっています。買うものはお酒の代わりでもないですがトマトジュースとか豆腐や豆乳、あと肉も少々、ごっそりと買い込みます。バッグが肩に食い込むくらいで肩ひも手を添えなければ歩けないほどですが、それが楽しいという感じです。禁欲的な生活に関心を持ち始めると、心理的にもどんどんそっちへ向かうというか、インターネットで成人向けのものを検索することも一切なくなりましたし、肉よりも野菜を食べたいと考え始めるようになっており、自分でも驚きです。食事は自宅で食べる場合は玄米か麦食にしており、胃腸の調子もとてもいいです。麦と豆腐とかほとんどお坊さんみたいな食生活のようにも思えてきますが、しばらくやってみるとそれが楽しくなってきます。食べる量が基本的に減り、そういういろいろなことが重なってお酒をやめてから5キロぐらい体重が落ちています。あと5キロ落とせば理想的だなあと思っています。たくさん食べないわけですからホテルビュッフェや食べ放題に関心を持つことがなくなりました。ちょっと説教くさい感じになりますが、少ない食事に対して感謝して食べるような以前の贅沢大好きだった自分からは考えられません。

ああ、今回は歩くことがメインの話題ですが、歩けばセロトニンが出るというのは一般常識と言っていいと思いますが、セロトニンを出したいと思って、で、できればついでに多少の筋トレになるのではないかなあとも思い、わざわざちょっと遠くのスーパーまで行って買い込んでいます。

多少ですが腹筋は以前よりは発達しており、まだまだこれからなのですが、今の生活ペースを続ければ、それなりに引き締まった端正な身体になるのではないかとちょっと楽しみにも思います。階段も4階の教室までなら平気で、今は7階の教室までエレベーターを使わずにのぼるというのに挑戦中です。

ただ、多くの人が経験していると思いますが、節制生活をやっているとテンションが無駄にハイになってくるときがあります。というか今がそうなのですが、ちょっと長めの休暇が入ったので急いでばーっと旅行の計画を立て、節制は節約なのにぎっちり旅行してお金使っちゃってるなあとも思います。まだまだ修行が足りません。あと、世間様に対して申し訳ないのは喫煙の習慣です。やっぱりタバコはやめられません。ですが、以前は周囲のプレッシャーでやめさせられると感じていたのが、今は自分から自分の意志でタバコをやめてもいいかなあと思い始めています。今の心境を越えれば節制の真価みたいなものに出会えるのではないかと思います。

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これは最近、断酒してみて初めて感じるようになったことなのですが、人は欲求をコントロールすることによって人生を変えていくことができると思います。我慢とは少し違うものです。

まず、私には飲酒の習慣があったわけですが、飲酒を一切しなくってから体力だけでなくメンタルな面でも向上し、仕事に対する集中力や意欲などが確実にはっきりと上がりました。それで私は考えたわけですが、どうも依存性のある欲求を満たすことは脳に良くないのではないかということでした。私は文系なので脳学者とかそういうわけではないですが、よく耳にする前頭葉前頭前野が欲求をコントロールすることで発達するのではないかという考えにたどり着いたわけです。

そのような仮説にたどり着き、私が次に試してみたのが男性向けのエッチな画像や動画を一切見ないというものでした(今、とても真面目な話として述べいてます)。私は男性ですので帰宅して時間があるとき、仕事が終わって疲れているとき、ついついそういう方面の動画や画像を検索してしまうというありふれた習慣があったのですが、それを試みにやめてみたわけです。結果、メンタル的にはかなり向上するという実感を得ました。精神的に堂々としてきます。自分はそういう浅はかなものを見ない人間なのだという事実によって自分に自信がついてくるのです。私は仕事がら若い女性に日々会うことになるのですが「私は全然、エッチなことは考えていませんよ」という態度をとりながら、実は頭の中はそのことでパンパンだということにある種の罪悪感やうしろめたさを持っていたのですが、いざ、実際に見ないという事実を積み重ねることにより、うしろめたさがなくなって来ました。これは仕事をする上で極めて有利なことであり、精神的な余裕も生まれてきます。一度見ないと決めた以上、今後一切見ない、なぜならその方が結果として得だから。という確信を得るに至っています。ここは素人の推理になりますがエッチな動画や画像にはお酒と同様に依存性があり、前頭葉前頭前野を弱めてしまうのではないか、逆に言えばそういう依存性のあるものを排除することで脳が自ずと鍛えられるのではないかと考えています。脳が鍛えられて成功しないはずがありません。また脳が依存症になっている状態では人生で成功することは依存の度合いが大きければ大きいほど難しいと言えるでしょう。

お酒やエッチな動画・画像だけでなく、甘いものやファストフードにもそういう依存性があるように思いますので、控えるべきと思います。もちろん限度があって、仕事で疲れ切っている時はチョコレートやアイスクリームを食べることはありますし、コーヒーは毎日飲んでいます。また私はタバコを吸う習慣をやめることができていません。ごく個人的な見解を述べれば、タバコは必ずしも健康に悪いとは思えません。私の父方の祖母は喫煙者していましたが100歳ぐらいまで行きました。母方の祖母はお酒も喫煙もしませんでしたが、80歳ぐらいで寝たきりになり、88歳で亡くなりました。しかしながら、依存という観点から考えた場合、私がタバコに依存していることは間違いありませんから、脳を鍛えるために喫煙習慣から脱却することは意味があるのではないかと考え始めています。

最後に確認しておかなければならないのは、我慢するという依存から脱するというのは違うということです。我慢するというのは自分が必要を感じているにもかかわらず、それが手に入らないことに耐えるということですが、依存から脱するというのはそれが必要ないということに気づくということです。人には108の煩悩があると言われていますから、その全てが必要ないと感じられるほどに自分を高めていくことは難しいでしょう。また、たいていの人は何かに依存しているはずです。たくさんのものに依存している人がこの記事に出会ってくれたとすれば、これはいいチャンスです。依存しているもののなかから何か一つ、一番簡単にやめられそうなものからやめてみるのにチャレンジしてみることをお勧めします。生きる楽しみが減るという心配はありません。依存が減れば減るほどお金が貯まり、仕事がはかどり長期的な幸福は複利的に増大していくはずです。

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