黒澤明監督『乱』から考える危機管理

日本映画の巨匠、黒澤明監督の『乱』はシェイクスピアの『リア王』の翻案作品として、世界的にも著名です。

ざっとあらすじを先に述べます。戦国時代のとある強大な大名の一文字秀虎には三人の息子がいます。太郎、次郎、三郎です。ある日、秀虎は引退を宣言し、家督を太郎に譲ります。ところが三郎が強力に反対します。理由は家督を譲った父親はたちまちに居場所をなくし、兄弟三人は血で血を洗う争いをするに違いないというのです。あまりに悲観的な反対論に秀虎は激怒し、三郎を追放します。太郎が家督を相続した後、秀虎は陣中の大将の象徴である馬印を維持しようとしてもめ事になります。怒った父親の秀虎はもともと自分の居城だった城を出て、次郎の城を訪問します。ところが事情を察した次郎は受け入れを拒否。追放した三郎の城が無人になったので秀虎はそこに宿泊します。そこに太郎、次郎の連合軍が攻めたてて、秀虎は発狂。鳥や獣のように荒野をさ迷うようになります。更に次郎の家臣が太郎を殺害。次郎が当主に収まります。欲望にとりつかれた骨肉の争いです。隣国に逃れていた三郎が秀虎を迎えに行きます。父子再会したところで秀虎は正気を取り戻しますが、三郎は次郎の送った鉄砲隊に撃たれて死んでしまいます。内部でもめていることを察した大名が攻めてきます。一文字家は滅亡します。救いゼロです。

周辺の戦国大名を圧迫し、強烈な存在感を示していたであろう一文字家はなぜあっさりと滅亡したのでしょうか。危機管理という観点から考えてみたいと思います。

太郎、次郎、三郎という相続権利者が三人いる以上、誰かがコントロールしなくてはいけません。秀虎が突如引退を宣言してコントロールを止めてしまえば何が起きても不思議ではなくなります。今で言えばアメリカのような覇権国家が突然「疲れたので、もうやめます」というのと同じです。

そうは言っても国家は基本的に半永久的な存続を前提としますが、秀虎の場合は人間ですからいずれ歳をとって亡くなってしまいます。そのため永遠にパクス秀虎を続けることはできません。いずれ誰かに譲らなくてはいけません。その意味で、引退を宣言し、太郎に家督を譲るというのはさほど間違った選択とは言えません。しかし、一文字家は滅亡してしまいました。秀虎は果たして何をミスってしまったのでしょうか?

最大の問題は秀虎の引退後の行動にあるように思います。秀虎は引退を宣言し、太郎に家督を譲った後も「大殿」として象徴的な存在であり続けようとします。太郎的に言えば、実権を譲られたとしても象徴が残っているのでいろいろやりにくくて仕方がありません。自民党で総理大臣をやった後に〇〇会長とかやりたがるようなものです。ナウシカで言えばドルク皇帝がいつまでも生きているのと同じです。太郎ともめて城を出ていくのも問題です。相手を見捨てるという行動によって「自分にはまだ力があるのだ」ということを誇示しているのです。現代で言えば政界ご意見番と称して日曜日の朝のテレビに出て好きなことを言うようなものです。後任にとってはとにかくうっとうしい存在なので、小泉さんが中曽根康弘さんに有無を言わさずご引退いただいたのと同様に、戦国時代的価値観であれば「死んでもらおう」となります。

この映画からは、一度何かを諦める時は必ず完全に諦めるということをしなければもめごとを大きくし、最悪の場合、滅亡に至るという教訓を汲み取ることができると私は思います。秀虎のハンパに残った欲望が事を荒立て、家ごと吹き飛んでしまったと言えるように思えるのです。太郎が父親の秀虎をかかえこんでいれば次郎が欲を出して太郎を殺すことも起きません。表面的なストーリーを追うと太郎と次郎が人でなしに見えますが、実は親父が危機を呼び込んでいたのです。引退したからと言って余生は何もすることがないというわけではありません。芸術でも遊びでもナンパでも政治や軍事以外のことに注力すればよかったのに、親父はそれを思い切ることができませんでした。

太郎と次郎は楓の方という女性に振り回されて殺し合いを加速させていきます。若い男が女性に振り回されて無理ゲーをするのは普通のことです。そこをそうならないように知恵を使うのが親父の仕事ですが、親父はそれをほっぽらかして、それどころか自分も一緒になって大騒ぎしてプレイヤーを続けたのがいけなかったのです。

人生ではやりたいことをしっかりやって次のステージに向かうとき、引退でも転職でも別れ話でも、一切の未練を捨てる勇気が必要です。その勇気が持てないのはある種の甘えではないかとも私には思えます。このように書くと厳しいようにも読めてしまうかも知れないのですが、一通りやることをやったらそのことはもう心配しなくてよく、次のことに専念できるのだとすれば、人生にはそういう優しさが残されているのだとも言えるようにも思います。

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ガンダム劇場版『めぐりあい宇宙』のシャアの限界

ガンダム劇場版『めぐりあい宇宙』はそれまでの劇場版第一部、その続きの『哀戦士』編までの物語の一旦の終局へ向かって行く重厚かつ特に重要な一編です。

ホワイトベースのクルーが誰と誰が付き合いそうかという「あいのり」風状態になっている一方で、シャアはララァという恋人を確実ゲット。階級は大佐でフラナガン博士も囲い込み、キシリアもめろめろにさせています。

『めぐりあい宇宙』の重要なテーマは人の覚醒で、その代表選手がアムロ、次にセイラ、そしてミライになりますが、実は外せないテーマとしてシャアの限界というものがあるように思います。

冒頭、宇宙に出たばかりのホワイトベースをザンジバルで追撃しようとするシャアは同空域内でパトロール中のドレン大尉に支援を求めます。位置的にドレン大尉の方が早くホワイトベースと接触します。ドレン大尉がシャアに「間に合いますか」と質問すると、シャアは「私を誰だと思ってるんだ?」と余裕しゃくしゃくの返答をしたのに間に合いません。ザンジバルがホワイトベースに接触する30秒前にドレン大尉の艦隊は全滅。シャアはさくっとサイド6へ方向転換します。

サイド6ではコンスコン隊が包囲し、ホワイトベースの出航を待ちかまえます。シャアもサイド6にいるのですが、どこ吹く風とララァと二人でテレビで戦闘の推移を見守ります。冷徹と言えば冷徹ですが、ガンダムを倒すためのチャンスをみすみす逃すという意味では何かがしっくりおさまりません。テレビ見てる場合かよです。

テキサスコロニーでは自爆を装いガンダムから逃げなくてはならないところにまで追い込まれます。シャアはニュータイプ第一号みたいな人ですが、気づくと運動神経がやたらいいだけの兄ちゃんになってしまっています。

テキサスコロニーで妹と偶然再会したシャアは「父の仇を撃つ」と言いますが、「嘘でしょう、兄さん」と見抜かれてしまいます。最後はキシリアを撃って所期の目的を果たしますが、シャアの内面でいろいろ揺れていることが分かります。「疲れて来たから、これからはどこか他人のいないところでララァと遊んで暮らしたいなあ」とかチラッと思うこともあったかも知れません。

ソロモンの戦いに参加しないのは指揮系統の問題がありますからまあ、いいとして、ララァは戦死する、ゲルググの片腕は切り落とされるとぱっとせず、「今の私にガンダムはたおせん」と自分でも認める事態に陥っています。本人も限界を感じています。

キシリアからの評価もがた落ちで、シャアにとっては居場所のない、立場のない心境に追い込まれたに違いありません。キシリアみたいな人が上司だとごきげんとりが大変でしょうから、そういう人からの評価のがた落ちはなんともやりにくくて仕方がないに違いないのです。アバオアクーでジオング撃沈では「赤い彗星も地に落ちたものだな」とまで言われる始末。このまま終戦になったらかっこ悪いことこの上ありません。アムロとフェンシングで勝負しますが「マスクがなかったら即死だった」くらいに完敗しています。ぶっちゃけ残念すぎる状態で見ていられません。エヴァンゲリオンでいえば自分が一番のポジションにいると思っていたのに実はシンジの方が凄かったことにショックを受けるアスカ状態です。ナウシカで言えば戦争で勝っているつもりだったのに気づくと負けが込んでくるクシャナ状態です。

ジオングをぶっつけで使いこなしたりする場面では、くさっても赤い彗星という感じで、観る側としては多少は安心します。最後にキシリアを撃って父の仇を果たす場面もくさってもシャアと言えます。シャアが好きな人は多いと思いますので、そういう場面を見てほっとする人は多いのではないかと思います。

シャアのこと以外で『めぐりあい宇宙』の個人的な見どころとしてはザクとドムとゲルググがごろごろ出てくるところです。中二心が刺激されます。音楽もいいと思います。意外なところで注目したいのは、サイド3内部で向き合うように立つデギンの建物とギレンの建物がなかなか前衛的なところです。新時代建設をうたう政権は、それを人々に印象付けるために前衛芸術を必要とするという演出の歴史に対する鋭い観察があると思います。

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『ガンダム』劇場公開版シリーズの「哀戦士編」はホワイトベースとそのクルーたちが地球で戦闘に参加し、少しずつ成長していく様子が描かれる名作として知られています。どうしてそんなに名作なのか、改めて考えてみたいと思います。

1、アムロが普通の若者として描かれている

どんな難局でもニュータイプの才能で乗り切るアムロですが、「哀戦士編」ではマチルダ中尉にのぼせあがり、集合写真を一緒に撮ってもらっただけで舞い上がります。ブライトに「ガンダムから降ろす」と言われてすねてホワイトベースから「家出」します。アニメなので軍法会議にはかけられません。とはいえ、この普通の男の感覚のおかげで観客にとっては感情移入しやすくなっています。

2、美人が死ぬ

ランバラルの美しい妻のハモンさんは、アムロを殺そうとしてその直前にリュウホセのコアファイターに体当たりされて死んでしまいます。ヒッチコックは理想の死に方は「目の覚めるようなブロンド美女に刺殺されること」と話していたと言いますが、アムロはいわばその直前まで経験して男冥利に尽きるとも言えます。マチルダ中尉は黒い三連星のジェットストリームアッタクを妨害しようとして戦死してしまいます。美人が死ぬことは観る側に「あぁ…」とうい溜息のような名残惜しさを感じさせます。

3、美人じゃなくても死ぬ

ホワイトベースがベルファーストに入った際、ミハルというジオンの女スパイが入り込みます。途中でジオンから連邦に寝返りますが、手動でミサイルを発射した際、爆風に吹き飛ばされてしまいます。幼い弟と妹を養うためにスパイになったミハルはそばかすの普通の若い女性です。美人が死ぬのは物語性をぐっと上げることがありますが、普通の人が戦死するのはもっといたましい感じになってしまい、心に残ります。

4、ホワイトベースがやっぱり「あいのり」だ

アムロがマチルダ中尉にのぼせあがり、フラウボウが切れまくります。ミハルとカイの間にも特別な縁があることが分かります。蛇口が壊れてキッカが大騒ぎし、アムロが状況確認に入ろうとすると入浴中のミライさんが出てくるというエピソードがあります。あいのり風です。

5、ランバラルとその部下たちが恐い

いかにも歴戦の戦死風ランバラルは恐いです。あんなおっさんに命を狙われたら迷惑でしかたがありません。部下も恐いです。「戦争の犬」風というか、俺たちに明日はないというか、最初から死ぬ気で戦いのスリルを楽しむようにホワイトベースに侵入して白兵戦をかけてきます。あんなのが自分の家にばーっと入ってきたらびびります。発狂します。銃を撃つとかそういうことにだけ得意そうなところも恐いです。よく描けています。

6、ジャブロー攻略戦がクールすぎる

空からジオンのモビルスーツが大量にアマゾンの密林へ降りてくる様子は壮観です。ただ、シャアの限界が少しずつ見えてきます。「めぐりあい宇宙」編でのシャアの苦しみを暗示しているとも言えます。

7、ミライとセイラの覚醒が暗示される

黒い三連星との闘いの時に明らかにセイラとミライの洞察力が鋭くなっています。「めぐりあい宇宙」の人の覚醒というテーマを暗示しています。

8、ザンジバルの出撃がクール

最後にシャアがホワイトベースを追って地球から宇宙へとザンジバルで出撃します。あんなのに付け狙われると迷惑なことこの上ありません。ザンジバルはあんな風に出撃するのかというという感慨も得られます。

「哀戦士」は第一部と「めぐりあい宇宙」の橋渡し的な役割をしています。第一部では素人だったホワイトベースのクルーたちが「哀戦士」で鍛えられ、「めぐりあい宇宙」ではプロの戦いを見せるという展開になっています。そういう意味では「めぐりあい宇宙」に比べると見せ場が少ないかも知れません。しかし、人間ドラマが地道に描かれ、心理描写が中心になる分、より深みのある作品だということもできると思います。

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アメリカ大統領とUFO

ヒラリーさんが今年の大統領選挙の序盤のころ、遊説先の地元の新聞記者に「自分が大統領になったらUFOに関する真相を公開する」と話したことはよく知られています。ヒラリーさんのメール問題ではFBIが不起訴を決めていますので、状況的には金銭的にも人材的にも社会的にもヒラリーさんがぐっと優勢になっていると私は思います。ということは即ち、UFOに関する真相が公開される日が来るかも知れないということを意味しているかも知れません(ヒラリーさんが新聞記者に話した約束を守れば)。

ところが最近は、オバマ大統領が任期中にUFOに関する真相を公開するという噂まで取り沙汰されるようになっています。オバマさんは二期目も終わりですので自分がやりたいなぁと思ったことは周囲の意見を無視してでもやれる時期に入っています。私は自分の生きているうちにUFOについての真相が分かるのなら、こんなに嬉しいことはありません。是非にもやってほしいです。

もっとも、ケネディ大統領の暗殺の理由がUFOの真相を発表しようとしたことだという都市伝説もあるほどですので、その辺りのことは注意してほしいとも思います。

ところで、UFOの真相って何なんでしょう?

1、エリア51でUFOを作っている。UFOはアメリカ軍の秘密兵器だ
2、ロズウェル事件の真相はアメリカ軍の秘密兵器だ
3、ロズウェル事件の真相は宇宙人の墜落死だ
4、月の裏側には宇宙人の基地がある
5、地底には宇宙人の基地がある
6、街を歩いている人の何パーセントかは宇宙人だ

あたりのことでしょうか。もしUFOの真相公開の内容が1か2なら、がっかりです。「なんだ…アメリカ軍の秘密兵器か。だったらステルスだってUFOじゃないか」あたりのがっり感に襲われ、私はあんなに大好きだった都市伝説の本を読んだりすることをやめてしまうかも知れません。やはり知りたいのは「地球外生命体がいるかどうか」です。何年か前にNASAが「生命の常識を覆す重大な発見」と称する記者会見を行い、メディアは「いよいよ地球外生命体のことを発表するのか」と色めきましたが、実際には「ヒ素を栄養素にして生きる生命体の存在を確認した」という内容でずいぶんとがっくりとさせられたものです。実験でヒ素を与えていたらヒ素を食って生きるようになった生命体がいるということは、宇宙空間のどこにでも生命が存在し得るという可能性を示唆するものですが、示唆だけで重大な発見とか言われても困ります。やはりオバマ大統領かヒラリーさんにばしっと決めてもらわなくてはいけません。

聖書に登場する神はUFOに乗ってやってきた宇宙人だったくらいの大発表があれば宗教戦争なんかばからしくて誰もやらなくなるかも知れません。

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『ガンダム』が素晴らしい理由を改めて考える(劇場版第一部編)

『ガンダム』シリーズはファンも多く、日本アニメの最高傑作の一つに数えられているということは、ここで特に述べる必要もないほど当たり前のことです。

改めてなぜ素晴らしいのか、その理由を考えてみたいと思います。

1、ザクがドラマチック

モビルスーツでありながら歩兵を連想させるザクの草色。顔周辺の意味深なチューブ。源平の鎧を連想させる左肩の盾。敢えてアナログな機関銃。自在に動く一つ目。と、見れば見るほどほれぼれするほどドラマチックです。劇場版第一部では永井一郎さんのナレーションの後に最初に登場するのが宇宙空間で移動するザクのアップです。この場面でぐっと来た人は多いはずです。最初から我々男性の中二心を撃ち抜いてくれます。

2、シャアがクールすぎる

もはや言うまでもないですが、シャアを初めて見たときの衝撃は言葉にできません。かっこいいです。声がいいです。要するに池田秀一さんがすばらしいです。よく鍛えられた均整の取れた体格に軍服がよく栄えます。階級もなかなかちょうどいいです。少佐という階級が絶妙です。尉官だと少し軽い感じがします。大佐だとかなりの幹部です。少佐というあたりがちょうどいいのです。「しょうさ」という音の響きもいいです。ルウム戦役で二階級特進してますので、ルウム戦役の前は中尉です。大尉ならまだいいですが、中尉だとやはりちょっと軽いです。「ええい、連邦のモビルスーツは化け物か」などの台詞もいちいちかっこいいです。サイド7の港に侵入した時の軽やかな身のこなしなどもクールすぎてあんな風になりたという我々男性の中二心を撃ち抜いてくれます。大気圏突入時の戦闘シーンにぐっと来た人は多いはずです。

3、登場する女子に中二心を刺激するタイプが多い

フラウボウはいたって普通です。軽く地味な感じのミライヤシマもどこかで会ったことがありそうな気がします。秀才タイプのセイラマスのことも、「あぁ、こういうタイプいるいる」と思います。三人とも中学生のころにクラスにいそうなタイプです。フラウボウはアムロレイのガールフレンドで、こんな感じの恋愛がしたいなぁと憧れる中二男子にとって手に届きそうなタイプでついつい自分をアムロレイに仮託し、恋愛している気分になれます。少し観方を変えると、ホワイトベースクルーの女子率は結構高いです。ホワイトベースが合コン状態、「あいのり」風になっていることも観る側の心理に影響を与えているのではないか、続きが見たいという心境になるのではないか思います。セイラさんのアップで「あなたなら、できるわ」にぐっと来た人は多いはずです。更に年上タイプのマチルダ中尉が登場しますので、中二男子はここで押し切られてしまいます。学校にはあまりいなさそうなお嬢様タイプのイセリナも登場しますので、きっと好きなタイプが見つかります。

ただ、『銀河鉄道999』のメーテルや『宇宙戦艦ヤマト』のスターシャのようなブロンド長髪美人は登場しません。この辺り、作者の好みがよく出ているようにも思えます。

4、シャアの真の目的が明らかになるのがドラマチック過ぎる

ガルマを戦死に追い込むところでシャアの高笑いが響きます。「君のお父上がいけなかったのだよ」で観る側は「なんだとぉぉぉぉっ」となります。物語の続きが気になり、次の哀戦士編まで興味が引っ張られていきます。

5、「坊やだからさ」

なぜ我々はガンダムが好きなのでしょうか。中二男子を刺激する要素に溢れているからです。即ち結論は我々がガンダムを見続けるのは、我々が永遠に坊やだからです。

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パリのユダヤ人街に行った時の話

パリのユダヤ人街はマレ地区にあり、シテ島からも近い場所にあります。シナゴークがあるというので、一度シナゴークを見てみたいという希望を前から持っていたので、見学しに行くことにしました。

カトリックの教会やイスラム教のモスクは解放されているところが多く、何気なくふらりと立ち寄っても誰に文句を言われることもありません。シナゴークもそんな感じだったらいいなあと思い、行ってみたところがっちりドアは閉まっていて鍵も中からかかっている様子です。どこか裏口からノックすれば誰かができて見学させてくれたりしないだろうかとも思いましたが、なんとなく断られそうな気がするし、そもそも裏口を探してシナゴークの周辺をうろうろ東洋人は他の人から見ればかなり怪しいかも知れないので、入り口のダビデの星を撮影するだけで諦めました。

街を歩く人を見てその人がユダヤ人がどうか私には判別できません。ただ、せっかくなのでユダヤ人街の雰囲気が感じられる場所に行ってみたいと思い「イスラエル料理」の看板のかかったお店に入ってみました。イスラエル料理を食べるのは初めてです。ちょっとボリュームのあるサンドイッチはなかなかおいしく、パリで食べたものの中でも特においしいものの部類に個人的には入ると思います。日本から見てイスラエルはちょっと距離的に近いので味覚も少しは似ているのかも知れません。

イスラエル料理レストランで食べたサンドイッチの写真です。

イスラエル料理のサンドイッチです。ボリュームもあっておいしいです。
イスラエル料理のサンドイッチです。ボリュームもあっておいしいです。

お店にはユダヤ教の帽子を被っている人がお客さんにいて「おー、やっとユダヤ人街の雰囲気を感じられる」と私は満足感を得ることができました。

イスラエル料理レストランの中の風景
イスラエル料理レストランの中の風景

シテ島にもタンプル塔跡にも近く、カルチェラタンにも歩いて行ける場所にあります。セーヌ川沿いは観光客向け色の強いアトラクションやお店が多いです(それはそれで楽しいです)が、ユダヤ人街はセーヌ川右岸の角をちょっと曲がったところにあり、角に入っただけでとたんに観光色が薄らいで地元色のようなものが濃厚になります。旅行する身としてはそういう雰囲気のところを歩きたいので、大変満足な一角です。

パリ同時多発テロがあったのはこの周辺ですので、そのことはとても残念です。

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パリのオペラ座を見に行った話

パリのオペラ座はセーヌ川右岸にあり、シテ島ルーブル美術館のあるエリアからは若干歩きます。オペラ通りをてくてく歩きます。地下鉄だとオペラ駅で降りると、ちょうど入り口の前に出られます。地下鉄でももちろんいいのですが、歩いた方がいろいろ見れて楽しいなあと思えるくらいの距離です。

公演のない時期もオペラ座内を見学することができます。やたらとこじゃれていて、オペラ座内部を見るだけでも十分に価値があります。もし、次に行けるチャンスがあれば、公演を見てみたいです。時期によってはバレエとかやってるそうです。『オペラ座の怪人』がこのオペラ座のことかどうかはなんとも言えません。モデルにはなかったも知れないですが、「実際にこのオペラ座のことだ」という前提があるというわけでもない気がします。オペラ座の怪人では、オペラ座は潰れてしまいますが、実際のオペラ座はそんなことはないからです。

観客席のステージの天井にはシャガールの絵が描かれています。「オペラ」というと多少古風な感じがしますが、天井がは前衛的だなあという印象を受けます。シャガールはロシア人で、ロシアアヴァンギャルドの系譜に入るのだと思いますが、オペラ座の天井画はそこまでビビッドではありません。きれいで、うっとりするような華やかな色使いで、でもちょっと前衛的です。特定の人物や物語をドラマチックに描くわけではなく、人の心に浮かんでくる美しい何かを描いているという感じではないかと思います。

上演されるホール以外の廊下とか展示品とかも非常にこじゃれています。ベルサイユ宮殿よりオペラ座の方がデコっている感じがします。展示品の中には精巧なオペラ座のミニチュアとかそういうのもあります。上演を見なくても、廊下とかでぼんやりするだけで結構、価値があると思います。入場料はそんなに安くないので「建物を見るだけでそんなにお金をとるなんて…」と思いましたが、入って見れば納得します。過去の上演の動画を繰り返し見せてくれる部屋もあるので、そういうのも楽しめます。

オペラ座の廊下の内観。私が見たパリの建物の中で一番デコっています。きれいです。
オペラ座の廊下の内観。私が見たパリの建物の中で一番デコっています。きれいです。

オペラ座はガルニエ宮とも言います。紛らわしいのでどっちかにしてほしいです。地元の人に道を聞くとき「ガルニエ宮はどこですか?」と聞くと相手は少し考えます。「オペラ座はどこですか?」だと一発です。

オペラ座の外観です。
オペラ座の外観です。

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モンサンミシェルに行った時の話

世界遺産にも登録されているモンサンミシェルは、児玉清さんの『アタック25』に優勝すると行けるというだけで私にとっては随分とプレミア感がある場所です。

ベルサイユでもバルビゾンでも自力で地下鉄、鉄道、バスと乗り継いで行きましたが、モンサンミシェルだけは自力で行く自信がなく、鉄道が通ってるかどうかも分かりませんし、バスは一本間違えればどこへ行くかも分からないという不安があって、現地でにオプショナルツアーに申し込みました。「ノルマンディとモンサンミシェル昼食付き」の日帰りツアーです。モンサンミシェルは遠いです。パリから400キロくらい離れています。東京と名古屋くらいの距離がありますから、ほとんどバスの中です。モンサンミシェルを見ることさえできれば満足だツアーです。パリに戻ってくるときは深夜です。

高速道路で西へ西へと向かう旅は、第二次世界大戦の時、ノルマンディ上陸以降にパリへ向かった連合軍とちょうど反対方向です。バスから見える平地を眺めれば、この辺り一帯で連合軍とドイツ軍が撃ち合っていたのかなぁというような想像力が働きます。
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ノルマンディで15分くらいの休憩が入ります。これでツアーの名目通りノルマンディに行ったことになるので約束は一つ果たされました。かわいい家が並んでいます。ノルマンディ上陸があった場所は近いのでしょうけれど、映画で観るのは砂浜に向かって上陸していく様子なので、私が訪れたような港湾が整備されている場所という感じではありません。ただ、上陸したラインはけっこう長いらしく、映画でやるのは一番激戦だった場面を再現しているので、簡単には判断ができません。
ノルマンディ

ノルマンディを後にしてモンサンミシェルが見えるレストランで昼食を済ませ、いよいよ念願のモンサンミシェル突入です。モンサンミシェルへと続く道は潮が満ちると海に沈み、潮が引いている時だけ渡れるという場所で、かつてから巡礼の人が難儀する場所として知られていましたが、最近は近くで水利工事が行われて以降、砂がたまるようになり、全然そういう心配はないそうです。しっかり道が整備されていて、安全にわたれます。

モンサンミシェルは修道院として建てられましたが、砦だった時もあれば監獄として利用されていたこともあるそうです。修道院として使う場所としては、ここは世間から隔絶されて瞑想生活に入るのに適しているように見えます。『薔薇の名前』の修道院もこんな感じか?とも思います。ただ、私の中では薔薇の名前の修道院は山の中です。砦に使用したならば、満潮時に敵が潮で流されていきますので難攻不落感が強いです。世間から隔絶されるという意味では監獄としても最適のように思います。ドームみたいな広い部屋がたくさんあります。お土産屋さんもたくさんあって、仲睦まじい男女がたくさんいます。うらやましいです。海の方に目をやると、広い広い干潟が広がりとてもきれいです。
モンサンミシェルの周囲の干潟

私が『アタック25』に出る前に児玉清さんが亡くなってしまいましたが、自分で行ったので出られなくても満足です。児玉清さん、ありがとうございます。

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モンマルトルの丘へ行った話

パリ市内を歩いていると、モンマルトルの丘がしょっちゅう目に入ってきます。シテ島より北側あたりにいれば、ほぼどこからでもモンマルトルの丘が見えます。

丘の上には真っ白な教会があります。やたらきれいで目立ちます。ただ、地下鉄で行くにしてもちょっと遠いですし、ガイドブックによるとその丘に行くには最寄りの駅から更に上り坂を結構歩くと書いてあるので、少し躊躇してしまいます。「ま、いいか」と思います。しかし、毎日歩いてると丘の上の真っ白な教会が見えてきます。ポンピデューセンターからも見えます。だんだん気になってきます。やっぱり一度見に行っておこうかという気持ちになります。

モンマルトルの丘
ポンピデューセンターから見えるモンマルトルの丘

地下鉄の最寄り駅を降りて、標識に従って坂を上るとサクレ・クール寺院に辿り着きます。大きな寺院です。中に入るのは自由ですが中での撮影は禁止されています。イエスキリストの大きな画があります。とても大きい、何十メートルという感じの大きな画です。サクレ・クール寺院の完成は1914年で、内側に書かれているイエスキリスト様も時代の影響を受けている気がします。美術には素人ですが、「アールデコっぽい」かなぁと思える感じです。かなぁ。です。私たちが一般的に想像するイコンとはだいぶ違います。もっと普通の人間ぽいです。ルネッサン期のようなドラマチックな感じでもないです。もうちょっと優しい感じです。普通の人ですが、非常に度量の大きいお兄さんという感じです。作られた時代にも関係するのか、若干、現代アートの雰囲気があります。一般開放されたのは1919年ですから、第一次世界大戦後の疲れたフランスの人々に「さあ、どうぞ、憩いの場にしてください。大きな大きなキリストの愛を感じてください」という主旨なのだろうなと想像したりしたわけです。

サクレ・クール寺院からはパリ市が一望できます。とてもいい気分です。ここへ来たときはパリ旅行もほとんど終わろうとしている時で、面倒かなぁと思いましたが、一見の価値はあったと思います。

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パリの地下鉄の話

パリの地下鉄は入り組んでいてすぐには理解できません。何度も乗っているうちにだんだん便利に使えるようになっていきます。パリ市がそんなに広いわけではないことと関係しているのかも知れないですが、駅と駅の間隔が短いです。エリア的に被っている路線が多いので、自分の行きたいところへ行くのに乗り換えの手間を少なくすることができます。ニューヨークの地下鉄は大阪と同じで縦横そろっていて分かりやすいですが、パリの地下鉄はロンドンや東京みたいにぐねぐねしているので、乗り換えポイントを理解するまでは少し時間がかかります。理解したら楽ちんです。

パリの地下鉄は結構、汚れています。下北沢のちょうどいい感じに年季の入った劇場みたいに、いい感じに汚れています。へんなにおいもしています。何のにおいかはっきりとはわかりませんが、多分、人間の体臭100年分みたいな感じだと思います。慣れればどうということはありませんし、ちょうどいい感じの汚れ方と合わせて雰囲気を楽しめる気がします。ちょっと銀座線に似ていなくもないように思います。

パリの地下鉄はシテ島に集まるようにできています。シテ島周辺に3つか4つくらい駅があるので、大抵の路線からシテ島にいけます。便利です。シテ駅から歩いてすぐにポンヌフ駅があるみたいな感じです。

パリの地下鉄構内にはストリートミュージシャンも結構います。レベルは高いです。バイオリンでクラシックをやっている人もいれば、レゲエをやってる人もいます。

レゲエをやっている人たちの写真です。
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この人たちもレベル高いです。楽しんでます。髭とか服装とかドラマチックです。そういう人があちこちにいます。楽しいです。

昭和天皇は皇太子時代に第一次大戦後のパリを訪問しています。亡くなった後、遺品の中にパリの地下鉄の切符があったそうです。ヨーロッパ旅行が人生で一番楽しかったと後に述懐しています。今でこそパリは「ロマンチック」な歴史ある古都ですが、1900年ごろのパリはロンドンと並ぶ世界の中心、近代の源みたいな場所です。1900年のパリ万博で市の南西側を中心に再開発が進み、エッフェル塔とかオルセーとかが作られましたので、昭和天皇が訪問した時は、そういう時代の最先端の空気があって、当時はまだまだ若いですから、きっといろいろなことを感じたのだろうと思います。

そういう意味では最近のパリはちょっとぱっとしないかも知れません。時代の最先端という感じとも言いにくいかなあという気はします。人口は第二次大戦のころに300万ありましたが、今は200万くらいです。衰えたわけではなく、パリのイメージがあまりにも「ロマンチック」なため、世界のお金持ちが住みたがり、地価が高騰して普通の人はなかなかパリ市内に住めません。ドーナツ化現象を起こしていてパリ郊外で暮らす人がとても多いそうです。結果としてパリはセレブと観光客ばっかりの街になり、普通の人の割合が少ない、ちょっと不思議な街になっているような気がします。もっとも、古いパリの景観は残しつつ、新しいビジネスセンターみたいな地区もありますので、私が古いパリばかり歩いたからそんな印象を持ったのかも知れません。

個人的には地下鉄がすごく好きです。世界中どこへ行くにしても地下鉄のある場所に行きたいです。日本で暮らす場合は私鉄沿線でもOKです。なんか話が脱線してしまいました。地下鉄だけに。

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